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第二十七話



「え……」


目を血走らせていた学生たちが、塩漬けにされたように脱力、膝をつく者もいる。


「燃えくさを集めてください。乾燥した藁に石炭、ルビーのかけら、赤蜥蜴とかげのウロコ。赤煉精ルビニスを呼ぶための媒体を」

「はい」


なぜかその会話は明瞭に聞こえた。学生たちは顔を覆っていた布をはぎとり、顔をあらわにする。どこにでもいる学生であり、ぼんやりと虚空を見ている。


「門の巻き上げ装置に鍵などはありますか」

「何も」

「そうですか、破壊しておいてもいいですが、まあ良いです。では散りなさい」


そして学生たちは三々五々散っていく。シーは不穏なものを感じて隠れようとしたが、正門前の大通りである。長髪の男が振り向くほうが早かった。


長髪の男はシーに目もくれず、その横を素通りせんとする。


「あ、あんた、何してんだ」


通り過ぎる瞬間、何かのバランスが崩れたかのように声が出た。黙っていればよかったと後悔する。長髪の男はいま彼に気づいたかのように足を止める。

振り向く、ぎょろりと大きな目という印象がある。極端に気が高ぶってる時のように目が見開かれている。


「何を、とは?」

「る……赤煉精ルビニスを呼ぶ用意って言ってただろ。でかい炎を吹く妖精だぞ、街を焼く気なのか」


その妖精が吐き出す炎は、人をまるごと包むほど大きい。

家庭で使うには火力が高すぎるため、一部の料理店や公衆浴場、ごみの処理施設などでのみ活用されている。特に木族建築が主であるラウ=カンでは、街中で呼び出すこと自体が法に触れる。


「そうですよ、焼きます」


まったく逡巡の気配なく、さらりと言う。


「この大学は灰になります。何一つ残らず、灰燼かいじんとなって風に散る定めなのです」

「そ、そんな……」


その眼。

猛禽の目のように大きく、それでいて地底湖のように澄んだ瞳。目を合わせていると自分というものが飲み込まれそうになる。


「な、なんでそんなこと。ラジオで言ってたじゃないか。この大学を、もっと開かれた場所にするって」

「大義とは手綱にすぎません。大いなる理想、果たすべき善行、打ち倒すべき巨悪。人を操るためにあらゆるものが動員される、というだけの話ですよ。彼らは情熱に燃える活動家であり世の中を憂う思想家。ですが所詮は学生です。いいように操られていただけです。そして、今後もね」

「わ、わかんないよ、何言ってんだよ……」

「この大学は、たった・・・一人の・・・意思によって動いている」


それはシーに説明しているというより、彼自身が壺のようなものを覗き込むような語り。自身の内面に没頭するような語りであった。

シーは正体不明の恐怖に襲われ、もはや男の顔を見ることができない。


「すべてのことがその人物の・・・・・ため・・にあるのですよ。およそこの世の出来事とは思えない。私が大学を焼こうとしていることも、他者の手の上の事象かもしれない。知において人間を超えるということは、何とおぞましく悪辣あくらつであることか」

「う、うう」


足から力が抜け、その場にへたり込む。ただ話しているだけなのに、巨大な虎と向き合うような戦慄がある。


「広場に行きなさい。水を確保して炎を避ければ死にはしない」


突き放すような声。ようやく金縛りが解けたのか、あるいはそれも操りの技の一部なのか、シーはあたふたと起き上がって、不格好に駆け出す。


残された男はふとシュテンの街並みを眺め、その若々しい朱色に、波打つような優雅な町並みに、ほんの数秒、見惚みとれるかに思えた。


「間もなくです」


そして歩き出す。多くの声が集まる方へ。


「間もなくですよ、呪われし君よ……」





『さあ第三問! 両者とも目まぐるしく動いております。先に真実にたどり着くのはどちらか!』

「ユーヤ、古跡事典で「遊貫ゆうかん石碑群」を、それと書体辞典取ってくれ」

「わかった」


ユーヤはすでに辞書の配置を把握しているのか、ほとんど淀みなく一冊を抜き出して渡す。


(しかし、すげえな……さすがは梟夜会シャオイエフー


ルウが本を開けば文人たちの筆跡例がずらりと並ぶ。慎重かつ素早く。指を這わせて目的の書体を追う。


(絶妙な難易度、やりごたえがある問題だ。時間をかければ誰でも正解にたどり着ける、七分って制限時間も丁度いいし……)


ぴんぽん


押すのは虎皮を被った人物、虎煌フーコウ。示される答えは。



――流水



『正解です!』


ぐ、と奥歯を噛む。今のはルウの肌感覚でもかなり早い。おそらく膨大な知識を武器に近道を行かれたか。


『では解説いたします。本蔵ほんぞうざん四十四家における古筆は文字の柔らかさによって七種の分類があります。そのうち一番柔らかなものが流水です。出題に使われたこのじくは390年前のもので……』


「……今のは、知識で解ける問題じゃないのか?」


脇のユーヤが聞く。ルウは少しけげんな眼を向けた。


「いや無理だろ……本蔵山は百以上ある古筆流派の一つだ。もう存在してない桂国けいこくの筆で、研究してる人もいねえ……。いやでも、虎のやつは濤筆とうひつ期、つまり400年ほど前の書ってところまでは気づいたかもな」

「わかった」


ユーヤはもくもくと辞書を片付ける。何かを確認したような会話だったが、それが何なのか分からなかった。


「……同点で決勝問題なんてご免だぜ、次で決める」

「ああ」


『さあ参りましょう! 今度こそ決まるか、第四問です!』


「なぜだ……?」


疑問の声を漏らすのは、虎面の人物。


第四問はフォゾスの菓子職人に関する問題。正面には次のような横断幕が張られている。



――苦いケーキとは人生のようなもの、甘いケーキとは……



その菓子職人の書籍の一部が引用され、続く言葉を答えるという問題である。

脇を見れば、糸切虫スーチィエチョンが頭を抱えている。


「書籍に載っていた発言……? そんなものどうアプローチすればいいのか」

「名言辞典はどうだ」

「人物事典から掘り下げたほうが……しかし菓子職人など載ってるでしょうか」

「うむ……ひとまず当たるしかないが」


思った以上に体力も使う。虎煌フーコウは息を切らすとともに、心が萎えかけているのを感じる。

予想していた流れと異なっている。もっと即座に連想できると思っていた。問題が予想を遥かに超えて難しいのだ。


「なぜ、我々に答えられない問題が続くのだ」

「そうですね……」


糸切虫スーチィエチョンも疑問を呈する。それは彼らにとってはよほど意外なことなのか。


「何が起きている……たかが学生のクイズサークルが、我々の知識を超えるような問題を作れるはずがない……」


そして。


(やはりそうか)


ユーヤの手は止まらない。けして近道は通らないが、いくつもの辞典を高速で引き、ルウをアシストする。


「ユーヤ、この言葉は何かのもじり・・・かもしれねえ。慣用句辞典だ、フォゾス語の国語辞典も見てくれ」

「わかった」


そしてユーヤは、戦いながらも相手を分析する。


(あの虎煌フーコウとその側近たち、尋常ではないクイズ戦士だが、完全無欠じゃない)


(早押しで後れを取ることもある、超能力じみた力を持ってるわけでもない)


「よし見えてきたぞ。ユーヤ、演劇辞典を……」


(そして、肝心なことは)


その連想が、ある一文が。

恐ろしい何かに繋がる小道のように、脳裏に浮かぶ。


(彼らは、難しすぎる・・・・・問題は答えられない・・・・・・……)





「難易度?」


シュテンの片隅、暗がりに軒を連ねる歓楽の場にて、梟夜会シャオイエフーのメンバーとユーヤが打ち合わせをしている。


時系列としては一回戦よりも前。ユーヤは長文クイズ、地底クイズとともに、この辞書早引きクイズを提案していた。


「ああ、難易度はかなり高くした方がいいと思う。二人がかりで取り組むわけだし、虎窯フーヨウも三悪も、かなりのクイズ戦士の集まりだ。辞書を引かずに一撃必殺で答えられる事態は避けたい」

「それはそうね。でも大陸で初めての形式だし、どんな問題なら適当なのか……」

「僕は少し経験がある……いくつか目安というか考え方を言うから、参考にしてほしい。試合開始まで二時間。試合ごとに三時間のインターバルを入れるから、三回戦開始までは八時間以上かかるはず。その間ずっと練り続けてほしい」

「はち……」


鈴鈴リンリンは顔をこわばらせるが、ユーヤの真剣な様子にごくりと息を飲む。


「必要な問題って……最低で5問、多くても10問ぐらいでしょ。そこまでやるの……?」

「やってほしい。これは純粋に辞書を引く技術の勝負。知識で解かれないようにするために、難易度は限りなく高いほうが公平で……」



――公平?



急に、肺が氷になったような寒気が。


背後から声を投げられた気がする。

誰もいないはず。香の立ち込める夜の店があるだけのはずだ。


あるいはそれは彼の脳から響く声か。彼をそっと抱きしめて、四六時中そばにいる誰かの声か。



――公平だなんて、嘘ばっかり



耳を殴られるような、重々しい言葉。



――辞書を引くというのは一種の特殊技能


――速度だけじゃない。どの辞書に何が載っているか把握して、さらに複数の辞書を渡り歩く力がいる


――誰でもできる作業だから、そこに力量の差があるなんて思いもしない


――あのルウという子は真面目にコツコツ練習している


――辞書を引く力だけなら、誰もあの子には勝てないのよ


――クイズの力は、外見では分からないのだから



「? とうしたのユーヤさん、顔色が悪いわよ」

「いや……別に」



――私と一緒に、たくさん練習したものね


――その中で磨かれたのは、辞書を扱う能力だけじゃない


――作問の能力……辞書を使って、どんなクイズが作れるかという事



緑色の袖が。 

蝶の羽のように透き通った指が、背後から彼の頸にからみつく。



――つまり、あなたは知っている


――問題を難しくすればするほど、ルウに有利になる


――そして作れるはず。知識の力を無効化するほどの超難問


――あの子を勝たせるための問題を……



「違う……!」


ぎり、と音がする。

それは彼が布地ごと、自分の腹部をつねりあげている音だ。布地を引き裂くほど、力まかせに。


「ど、どうしたのよ、汗がすごいけど」

「不公平なんかじゃない」


鈴鈴と、他のサークルメンバーが何か言おうとするのを威圧するように、ユーヤが濁った声を出す。


「このジャンルは三悪側、ルウが専門としてるクイズだ。最初からハンデはある。相手はそれを承知で受けたんだ。相手にだって何かしら自信があるんだろう。賭け草にしてもこちら側のコインのほうがずっと多い……」

「……」

「運営から見ても間違いじゃない。難問であるべきなんだ。問題を作るのはこの大学の人間であって僕にどれほどの干渉ができるというんだ。それにこの勝負は、きっと虎の正体を推測するための手がかりに」


ぱしゃ。


ふいに息が止まりそうになる。冷水を浴びせられたのだと分かった。鈴鈴はコップを手に少し怯えたような目をしていたが、態度としては尊大に、大きく足を組んでユーヤを見る。


「落ち着いて。ブツブツ言ってるけど全然聞こえない。大勝負の前だからって緊張してる? あなたがどこの誰か知らないけど、プロとして仕事する以上、依頼主が不安定じゃ困るの」


と、絹の手布を出して顔にあてる。頬を撫でるような柔らかな手付き、おそらくユーヤを落ち着かせるためだろう。


「す……すまない」


背後を見る。やはり誰もいない。最初から誰もいなかったのだと、ようやくそれを認識したように胸を撫で下ろす。


「じゃあ……問題の作り方を伝える」

「どうぞ」

「難問にも色々あるけど、辞書を使うなら一つの方法がある。まだクイズ戦士によって開拓されてない領域を出題するんだ。一般的ではないけど、その分野の専門家は真剣に研究しているジャンルなどだ」

「開拓されてない領域……」

「そう、たとえばこの国に獣医学はあるかな、愛玩用の小動物で、猫や犬ではない、たとえばウサギなど」

「ウサギは西方で食用にすることがあるぐらいで、愛玩としては無いかもね」

「そうか、獣医学や、ウサギを扱った芸術作品などから出題できるかも知れない。他には言語学や歴史学など複数の方向から掘り下げられそうで、実際に掘ってみるといくつかは手詰まりになる問題。芸術や文学において、並列的に存在する諸派の一つを掘り下げるような問題。人物のちょっとした発言などを辞書から掘ることが可能な問題……」





『決着――!!』


司会者が叫び、そして二階席から紙の鎖が、紙の花が。それがひどくゆっくりと落ちてくるような一瞬。


『三悪側! ルウ選手、ユーヤ選手組の勝利です!!』


観客席から、そして外の観覧席からも津波のような喝采。万雷の拍手。


そして足音が。


数人の学生を連れた黒髪の人物が、仕切りをくぐって舞台に上がろうとする、そんな秒刻みで変わりゆく場面が――。


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