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第二十六話



『ルールを解説いたします!』


司会者の声が一気に膨れ上がる。拡声の妖精を使ったのだろう。図書館自体が楽器となったかのように、声が外へと拡散していく。


『これから出題するのは通常では回答不可能なほどの超難問。しかし両陣営の周囲に積まれたおのおの百冊の辞書に必ず答えが眠っております。両陣営は二人一組となり、早書きにて回答を提示していただきます! 固有名が関わる場合はしっかりとすべてお書きください! なお、辞書はすべて共通語のものを用意しております!』


「早書き、ですか、ルウはともかく、ユーヤさんはこのクイズの経験あるのでしょうか」


吹き抜けの二階、関係者エリアで観戦しているタオが、不安を口にのぼらせる。


「我にも分からぬ。何しろ大陸で初めてのクイズじゃ。ユーヤとてどれほど経験があることか」

「大丈夫ネ。ユーヤはあらゆるクイズの経験がある。このクイズのこともよく知ってるはずネ」


その脇にいた睡蝶が言い、マオはユーヤという男はともかく、という顔で同意する。


「そうじゃなきゃ提案しないでしょ。なんだか変わった人だけど、辞書早引きも知ってたんでしょうね」

「……」


雨蘭は、このパルパシア風の軽快な制服を着た目立つ存在は、つと羽扇子を口元に当てて思考する。


(……本当にそうかの?)


(ユーヤはもともと異世界の人間、会話や読解については自動的に翻訳されると聞いておるが、それでも異国の辞書など簡単に引けるものじゃろうか……)


『なお、出題より七分間回答が示されない場合はその問題は没収となります。3ポイント先取で勝利です』


『では参ります! 第一問!』


そして世界に誇るかのように、威風堂々と流れる司会者の声。


『アルバーク種、ミジノク種などのウサギに見られる平巻き型毛様もうようを定義し、獣類真皮赤斑症の診断法を見出した人物が、その発見のきっかけとなった事件は何でしょう』


大気が震える。天井の高い空間で、観客のどよめきが雲を形成するかに思える。


「お、おい、誰かこの問題、そら・・で分かるか?」

「いや無理だ。診断法ってことは医学者か? 桂夕ケイユウか、医学ならパルパシアかハイアードだが……」

「というか獣類真皮赤斑症って何だ? きっかけになった事件?」


ばばば、と音がする。

見れば選手の一人、ユーヤなる人物が猛烈な速さで辞書をめくっている。親指を高速でスライドさせると紙が山なりに寄っていく。


『はい、この試合は実況にて行います! まずは三悪側のユーヤ選手、これはすごいスピードです。引いているのは獣医学辞典か!』


拡声の妖精により響く声、観客が実況に意識を引かれる。


「クイズで実況だって!?」

「これは斬新だな、よく見れば二組とも辞書の配置が同じだ、どっちがどの辞書を参考にするかも見どころなわけか」


『さあ両陣営、辞書を選択して机につきます。虎窯側は小型獣類辞典、それに人名辞典だ、発見者の見当はついているのか!』


「これだ、獣類真皮赤斑症」


『三悪側、ユーヤ選手の動きが早い! 素早く別の辞書をかませて・・・・ルウ選手へ渡しています。続けざまに二冊の辞書を手に取った!』


「発見の経緯はないようだ。発明・発見者辞典にあたる」

「こっちは人名あたるぜ! オルバット=カルセン子爵だ」


『ユーヤ選手すさまじい手技です! ほとんど文字を認識できない速度でページがられております。これは内容を読むのではなく、ページの端にある索引記号を見ているのか!』


「ユーヤ、獅子王歴29年の4月だ、ハイアードの事件辞典、それに歴史辞典取ってくれ!」

「これか」


ルウが言い終わる前に辞書を抜き出す。山と積まれた本に指をかけ、上の本を押し上げると同時に一気に引き抜く。


「開いて渡す、歴史辞典の方はそちらで」

「やっとく、任せな!」


『おおっと三悪側、事件辞典に目を付けた。用意しました辞書はピタリ百冊、ユーヤ選手、その中から一瞬で見つけ出したか!』


「ユーヤ、それと名画辞典・・・・を」

「わかった」


選手たちの声もわずかに観客に届いている。各自の行動はテキパキとしており淀みがない。索引された辞書が積みあがっていく。


『見事な連携です! ルウ選手が黒板を手に取った! 虎窯側はまだ調べている最中です! このまま先取できるか!』


解答。


――天井画「遊園のヴィルヌ」におけるウサギの描写が不自然だったため。


そこで虎窯側も書き始めるが、文字が刻まれるより早く司会者の声が飛んだ。


『正解です! 三悪側、ルウ選手とユーヤ選手1ポイント獲得!』


歓声が上がる。どよめき混じりの渦潮のような感嘆。

それは驚愕が含まれていた。目の前で、何かまったく新しい戦いが行われたのだと、新しい世界の扉が開きつつあるのだという高揚。

初めてのクイズでありながら、その流れ作業のような連携、高速で辞書を操る手技には人を引き付けるものがあった。司会者が平手で三悪側を示す。


『解説いたします! 大乱期以前の暦は多くの国でバラバラでしたが、これは獅子王歴29年、統一歴前171年、今より300年ほど前の事です。ハイアードにて爵位を得ていた医学者、オルバット=カルセン子爵はノルニーエン寺院の天井画「遊園のヴィルヌ」におけるウサギの描写に不自然なものを感じ、これらのウサギは何らかの伝染病に罹患しているのではないか、と感じました。そして題材となった庭園を探し求め、ウサギたちを診断したことがすなわちダニによって媒介される伝染病、獣類真皮赤斑症の発見の経緯なのです!』


「すごいマイナーな情報……。なんかのコラムで見たことはあるけど、よく見つけてきたわね」


ぽつり、とつぶやくのはマオ。隣にいた睡蝶が相槌を打つ。


「そうネ、獣医学は畜産が七十七書にあるけど、小動物は範囲外だし、ハイアードの在野の獣医学者、しかもウサギのことなんて普通知らないネ」

「あら、私はそのうち小動物の獣医学もメジャーな題材になると思ってるわよ。愛玩用に動物を飼ってる人は年々増えてるからね」

「ペットを病院で診てもらうネ? ちょっと想像できない世界ネ」


そのような会話、異世界人であるユーヤが聞いていたなら何かしらの感慨を持ったかもしれぬが、今は勝負のみに集中していた。


「ユーヤ、辞書は元の配置に戻しとこう、たぶん次は全然違うジャンルの問題が来る」

「ああ、そうだね」


ルウはその彼をちらりと見る。


年齢もよく分からぬ人物だが、落ち着き払った印象であり、もくもくと辞書を本の山に戻していく。


(……こいつ)


少年の眼に、複雑な感情が生まれかけたが。


ルウ、今の回答は素晴らしかった。僕がどんどん検索していくから、ルウが答えを導く感じでやろう」

「あ、ああ」

「実況が入るから意思疎通しにくい。互いにしっかり声を掛け合って連携を取るんだ」

「わかってる」


その脇。

虎窯側の二人に動きは少ない。

物言わぬまま視線を合わせ、何らかの意思を交わすかに思える。糸切虫スーチィエチョンの注意は三悪の、とりわけ派手に動いていたユーヤに向いている。


「私が、あの男をマークします」

「うむ」


短いやり取りのあと、第二問。


『問題です!』


司会者は興奮をもはや抑えられぬという様子。大股で二組の前を歩きつつ語る。


『頬紅の種類のひとつであるコアンべに、このコアンとはそもそもどういう意味でしょうか!』


再度のどよめき。

だが虎窯側が動く。虎煌が小さな黒板とチョークを手に取り。


「……」


全員が息を呑むが、書き出さない。

糸切虫スーチィエチョンは何冊かの辞書を抜き出す。色彩辞典、化粧と美容の辞典、そして何かの言語の辞典。


『おおっと! 虎煌フーコウ選手、一度は書こうとしましたが手を止めた! もちろん辞書は一冊も引かなくても結構です! さあ当てられるか!』


だが、書かない。

虎面の男は忌々しげにチョークを叩きつけ、辞書に向き合う。


マオタオ、三悪の二人が言葉をこぼす。


「コアン紅……そういえば考えたことなかったわね」

「私も、だよ。コアナッツとかもあるから、その染料って意味じゃないの?」


「これは超難問ネ」


睡蝶が言う。彼女もズバリとは分からないのか、思案する構えがある。


「うむ、たしかコアンとは古トルズク族の耳飾りから来とるのじゃろ? コアナッツ色とか、古庵こあん染めとかあるから、何となくそのあたりが語源じゃと思っとる者が多いが」

「それならトルズク語の辞書を引けばいいネ。でもトルズク語にコアンは複数あるネ」

「何じゃと」

「確か、数字の4、親しい異性、棒で打つこと、あとオオカミの前足の骨とか、苦い木の実を罵倒する言葉……」

「ちょっと睡蝶、トルズク語は話者のいない喪失言語でしょ、なんでそんなこと知ってるのよ」

「どれが語源か分からないネ……化粧品辞典に乗ってるなら簡単なんだけど」


「ユーヤ、キャッチコピー辞典にポスターアート辞典を」

「こいつか」


ルウの指示で掘り出す。それは積まれた辞書の下層、画集のように大判の本。


「統一歴104年ごろのポスター漁ってくれ。こっちは語源辞典を見てみる」

「わかった」


そして。


「こいつだ!」


解答。


――数字の4、人を平手で打つときの手の形


「正解です!!」


三悪側の正解。ふたたび会場が沸き立つ。

観客側も要旨を掴み始めていた。これは料理対決のような連携と判断力のゲーム。はた目に見える以上に高度な思考があり、駆け引きもあるのだと伝わりつつある。


「すげえぞ! さすが前会長!」

「あのユーヤって男もすげえ! 目にも留まらぬ早業ってのはこのことか!」


『解説いたします! これは現在のフォゾス白猿国に存在した古代トルズク族の言語、トルズク語に由来します! トルズク語にはコアンと発音する言葉が複数ありますが、統一歴104年、パルパシアの服飾材料メーカー「ハシュトフ」は、新作の染め糸を「4つの気高い色を混合した」と表現しました。のちにその色はブームとなり、化粧品や家具の色にまで広まったのです! よって正解は数字の4です!』


「それ……辞書に乗ってるような情報なの?」


マオは二階席の手すりにもたれ、感心したのと疲れたのが半々のような吐息をつく。この勝負は見てるだけでも精神力を吸われるかのようだ。

雨蘭とタオがそれを受けて言う。


「今のは言語から辿っていくと手詰まりになる問題じゃな。化粧品の方から遡れば見つかるかも知れぬ。パルパシアでは花や化粧品の色名は登録制になっておるからの」

「どういう、ルートで、辞書を引いていくかも大事って事だね」


観客もああだこうだと小さな討論を始め、中小のクイズサークルなどはさっそく自分たちの会合でもやってみよう、と目を輝かせる。こと学生たちの世界においては、受け入れられやすいクイズかと思われた。


(……やっぱりだ、こいつ)


だが、そんな興奮のるつぼにあって。

少年のような赤ら顔の人物。ルウだけはいよいよ違和感を抑えられなくなっていた。


このユーヤという男。

その指技は確かに一朝一夕ではない。間違いなく、彼は辞書を早引きするための訓練を積んでいる。

だが、それにも関わらず、彼は早引きクイズの要旨が分かっていない。


(こいつ、単に問題に関連する言葉を引いてるだけだ)


(もちろんそれは回答への道に違いない。でも違うんだ。この早引きクイズに必要なのは連想力。どんな辞書を参考にすればいいのか瞬時に判断する力なんだ)


(というか……何か策があるんじゃないのか? 何も小細工する様子がないぞ。いくら俺にとって有利なクイズでも、相手は怪物じみた連中なんだぞ)


(それにやたらと動きが大きいし、掛け声も過剰だ。まるで、格好をつけてるみたいな)


ルウ、今は僕を信じてくれ」


顔を背けたままそう言う。ルウは内心どきりとするが、態度には出さない。


「大丈夫だ、必ず勝てる」

「ああ……2ポイント取ってるからな。気を抜くつもりはないけど……」


(……いいさ、俺だけでもやってやる)


(ユーヤ、あんたが何か小細工するにしても、俺は協力しねえぞ)


(俺は練習してきたことを、実践するだけ……)


『さあ三本先取のこの勝負! 三悪側が一気に決めてしまうのか! 第三問です!』





「くそっ! 見せてくれたっていいだろ!」


赤い街並みに夜が降りる頃。

路地裏の少年。シーは会場からやや離れた場所にて、悔しがりながら小石を蹴る。


「何だよチケット代って、金なんかねえよ」


会場となっている閲覧室は西側に窓が開けており、法学部棟が見えている。その法学部棟と、建物の間の空間は観客席に指定されており、屈強な体育会系の学生たちが警備にあたっていた。彼らは武門での士官を目指す者もおり、子供だからといってこっそり入れてくれるような柔軟さはカケラもない。


「っと、端まで来ちゃった」


大陸最大とはいえ大学の中である。しかも夜の迫る刻限、ぼやきながら歩けばすぐ端についてしまう。


そこはいくつかある門の一つ。今は巻き上げ式の鉄扉が降ろされ、逆茂木のようなバリケードが組まれていた。当初は外に出せと声を荒げる生徒が群れなしていたが、今はクイズイベントのこともあり、がらんとしている。


いや、誰かが。


「……?」


それは腰まで届く黒髪。それを一本に束ねて背中に流すような人物。ゆったりした衣服だが、背中がどことなく筋肉質であり、男だと分かる。


「なんだよあいつ、ぶん殴られるぞ」


その男は門を守護している学生たちと話をしているようだ。時おり、学生たちから胴間声が飛び、背を向けた男は軽く肩をすくめるように見える。


何となく目が離せず、しばらく見ていると。


学生たちは、なぜか両腕をだらんと下げるかに思えた。


「?」


使命感により血走っていた目はどんよりと曇り、自分の体を重く感じるような中腰の姿勢。口は薄く開いて、もう何も語っていない。


そして二十人あまりの学生たちは。

手にしていた長めの棒を、いっせいにその場に落とすのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] うーむ相手側は指定対象の知識(クイズ力)をコピーしているのかな……ユーヤが大げさな動きであえて強者のように振る舞って自分をコピー対象にさせて空振りさせるのが目的か?
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