第二十五話
※
それは、時間を圧縮したような感覚。
太陽はゆるゆると歩みを進め、いつしか西の空にかかっている。
その中で、学生たちは語り続ける。クイズの熱き戦いについて。それはまるで一戦ごとに一日が経つような感覚。数日分の激闘を見ていたような充足。
大学封鎖から三日目の夕方。ここへ来て、学生たちは一種の狂騒状態に近づきつつある。
広場では篝火がたかれ、適当な端材が炎の中へと投げ込まれる。迫る夕闇にあらがうように火の粉が舞う。
手にするのは蜂蜜の瓶。粘度が低く、飲み物として飲めないことはないそれを飲み、あるいは酒場から手に入れてきた酒を酌み交わす。
「いやあ、すごい勝負だったな、さすが虎窯だけはある」
「ああ、これは事によると朱角典との交渉もうまく行くかもしれん。そうだ、このクイズの時代だ。クイズサークルの代表が国の代表を兼ねてなぜ悪い」
話題はその大半が虎窯と三悪との勝負について。この大学封鎖を歓迎してなかった人間でも、語らずにはいられないかのように輪に加わる。
「開かれた大学か、想像もつかないなあ、俺でも妖精王祭儀に参加できるってことかな」
「そうさ! 考えてみればそれは科典の理念とも一致する! 国の代表は一般からも選ぶべきなんだ!」
「だが妖精王祭儀は妖精の王と人間の王が結んだ和議、それを讃える祭りでもあるし……」
「おい、何ラジオなんかいじってるんだ、とうせ虎窯の広報文しか流れてないだろ」
「いや、パルパシア遊興放送を聞いてるんだが……双王のやってる「今夜も脱ぎっぱなし」が放送休止らしい、あれ好きなんだけどな」
「低俗な……今は大学の事だろ、俺たちに何ができるかを」
「おい! 三回戦の会場が発表されたぞ!」
誰かが口に両手を当てて叫ぶ。広場に蓋をしたような瞬間的な沈黙。続いて数人が駆け寄ってくる。
「どこだ! どこでやるんだ! チケットの販売は!」
「中央図書館だ、総合閲覧室で行うらしい」
図書館、という言葉を聞き止めた人間から駆け足となり、その場を離脱していく。
「閲覧室は広いが、ぎちぎちに詰めても千人も入らないぞ。吹き抜け構造だから二階にも人が入るが……」
「窓をすべて開放するらしい。いま外にも椅子を運んでる」
「どちらにせよ入りきれないだろ、音だけでも聞けないか?」
「隣の法学部棟か、あるいは反対側の工学部なら……」
学内は火がついたような熱狂。それは陶酔性を持っていた。
もし俯瞰で街を見たならば、炎に照らされる赤い屋根が、その下で笑いさざめく人々と、騒動を恐れて街の端に集まる人々。
そして渦を巻くような、形容しがたいエネルギーを秘めた人の流れが見えただろうか。
※
「何があるか分かりませんので、選手の方は青い紐を張ったエリアから出ないでください」
ユーヤと陸。二人は梟夜会の案内を受け、貸出カウンターの奥、職員用の事務室に待機を命じられていた。
イベント運営に特化したサークルとはいえ、さすがに疲れが見えている。昼前から夕暮れ時までずっと動き詰めともなれば当然だろう。
「お待たせしました、総合閲覧室まで移動してください。その後、観客を入れます」
「よし、行こうぜ」
陸は短い髪を掌底でごりごりといじる、気合を入れるルーティーンなのだろうか。ユーヤは彼の後に立って歩く。
円柱の並ぶホールのような場所を抜け、やや狭い廊下を通って奥へ。世界最大の大学と言うだけあって、図書館もまた荘厳なものだ。壁の模様ひとつ、書架のデザインひとつにも文化を感じる。
そして閲覧室へ。入った瞬間、空間感覚が一気に広がるかに思える。
ほぼ円形、直径は30メーキほどの空間である。天井は半球、互いに食らい合うような構図の虎の天井画が描かれている。
吹き抜けになっており、二階には書架といくつかの机が見えた。
「いやがったな」
虎の毛皮をかぶった男。虎煌は閲覧室の中央にいる。そばには黒い学朱服の男。側近の一人である糸切虫がいた。
「相変わらず不気味な被りもんだな……暑くないのか」
虎の頭部をフードのように加工しているため、それなりの重さが頭にのしかかっているはずだ。
それを着た人物は顔が露出しないように、素肌に黒い布を巻いている。対峙すると、どうしても口腔の奥より虎の方の目鼻に意識が向いてしまう。
と、そこでユーヤが数歩進み、虎煌に近づこうとする。
相手の動きはそれより早かった。糸切虫がさっと前に出てきて二人の間に立ちふさがる。棍は持っていないが、ユーヤが何かするなら先んじて攻撃を加える、そう目が語っている。
「虎煌、もう引いてくれないか」
唐突な発言に、目を見開くのは後ろにいた陸である。
「君たちは金が欲しいだけなんだろう? このまま立てこもりを続けても朱角典は応じないぞ。それよりは三悪にサークルを返して逃げるべきだ。君たちとの賭けに使った宝石、あれは進呈してもいい。僕のものじゃないけど、何とかすると約束する」
「おっ……おいユーヤ! ここまで来て何言い出すんだよ!」
「応じられない」
陸が抗議の声を上げるのと、虎煌が拒絶の意思を見せたのは同時だった。
「十億かそこらで我々は満たされない。朱角典との交渉事はそれだけではない」
「君たちの身の安全か」
ユーヤが言い、間に立っていた糸切虫が身をこわばらせる。この男はどこまで知っているのか、という気配だ。
ユーヤはほんの一瞬、「やはりそうか」と合点がいった顔を見せた。思いつくままに言葉を重ねる。
「僕はセレノウや、他の国の王室にも少しは顔が利く、そこに君たちの保護を頼んでもいい。ヤオガミでも大丈夫だ。海を越えてまで追手がかかるとは思えない」
「信用できない」
虎煌は、人間味の薄い硬質な発声で話していたが、そこにはユーヤを探るような気配も見えた。ユーヤは、あるいは言葉で活路が開けるかもしれぬと判断する。
「信用してもらえる方法はあるはずだ。何なら今からでも、僕と一緒に」
「我々は誰も信用しない」
ユーヤの言葉を聞こうとしていた態度は五秒とは持続しなかった。ぴしゃりと、拒絶の壁を目の前に降ろす。
「朱角典への要求は身の安全ではない。船だ。ハイアードキールで建造された高速船が望ましい。それで我々は海へと漕ぎ出す。誰も見つけられぬ彼方に島を探し、新たな楽土を作る」
「……朱角典が出すと思うのか。交渉事に必要なのは信頼関係だ。だが君らは誰も信じないと言っている、それでは交渉がうまく行くはずが……」
「話は終わりだ」
ちょうどその時、作業をしていた梟夜会のスタッフが閲覧室へ入ってくる。ユーヤたちが対峙してるのを見て慌てて駆けてきた。
「ちょっとダメですよ! もめ事はやめてください、もうすぐお客さん入れますからねー」
外からは群衆の足音のようなものが響いてきた。三回戦の会場が公表されたのだろうか。
閲覧室は中央付近が少し開けている。整然と並んでいたであろう机が動かされ、中央に円形の空間が生まれているのだ。
そこには向かい合うように二つの長机。ユーヤは何となく土俵を連想した。陸がぽきりと肩を鳴らす。
「行こうぜユーヤ、勝負だろ」
「……わかった」
そして観客が入ってくる。若い学生がほとんどであるが、いくらかは教授職らしき老齢の人物や、一般職員、学内にある企業の関係者などもいるようだ。
「ユーヤ、トラ野郎について何か分かったのか?」
「何もわからない……今の会話も相手の反応に合わせていただけだ。だけど、一つだけ言えることがある」
どさり、と、二人の座る長机に辞書が置かれる。閲覧室の窓からカーテンが取り払われ、その向こうにひしめく人々が見えた、さらに遠方では屋根に登っている者なども。
「言えること?」
「彼らは金銭で勝負を受けた。大義のある人間のやることじゃない。つまり彼らの目的は大義じゃないんだ。今の会話でも明らかになった。船を得て大陸の外へ逃げるのが本来の目的。金銭はその逃避行をやりやすくする、という程度のことだ」
「あいつら一体何者なんだ……? 科典で満点が取れるんだぞ。上級官僚にでも何でもなれるのに……」
「なれないんだ。それが彼らの正体への手がかりのはず。だが、まだ分からない」
辞書は次々と積まれていく。金貨の玉座に座る王のように、何十冊と、彼らを囲うように大量の辞書が。
「彼らはいわば被害者だ。この大学に隠された秘密が生んだ、公にできない存在、異能に近いほどの能力の持ち主」
「そんな馬鹿な……小説じゃないんだぞ。そんな魔法みたいな話があるはずが」
(ある)
魔法は、ある。
妖精の力とは別の力。超常的な力を示す器物。
妖精の鏡。
(かつて、彼らに近い力を得た人間がいた。かのハイアードの王子)
(その異能とは、公には秘されていた彼の兄弟。その魂を守護霊にするというもの)
(彼はそれによって、大陸で比肩するもののないクイズの力を得ていた)
(だが、あれはハイアードの鏡の力。七つの国にある七枚の鏡は、それぞれ違う力を持っているはずだが)
すでに何度も、このことを考えている。
だが、思考がそのあたりに至ると壁にぶち当たる。そこから一歩も進めない。
(ラウ=カンの鏡の力はハイアードのものと近い? そんなことがあり得るのか?)
(それに鏡の行使には王族か、第一王位継承権者の身柄を10年、捧げねばならない。何度も使うのは難しい)
(第一、ラウ=カンの鏡は一度はハイアードの王子に奪われていたはず。ラウ=カンが鏡の力を知っていたなら、やすやすと奪われるはずが……)
「さあお集まりの皆さん! いよいよ三戦目のお時間です!」
黄色い影。紅柄を着た鈴鈴がユーヤたちの周りを歩き回っている。学内すべてが震えるかと思うほど、全方位から押し寄せる歓声。
「シュテン最大のクイズサークルであり、シュテンの思想世界の象徴でもありました虎たちの聖域。そのレベルは七国の王たちにも匹敵すると言われた虎狼の試練場。その虎窯の会長職の座を賭け、いよいよ最終戦を執り行います!」
万雷の拍手。手が腫れ上がりそうなほど強く打ち付けている。
「どちらが勝っても、おそらくシュテンのみならず、ラウ=カンの歴史に刻まれる戦いとなることでしょう! では選手紹介です! まずは虎窯の現代表……」
それは単純な興奮というより、複雑に醸成された場のうねり。
集まった全員が互いを高め合うような、篝火を囲うような高揚感が場に満ちる。
(だめだ……分からない)
その中でユーヤだけが。
この偏屈な異世界人だけが、戦わずにすむ道を考えていた。
戦ってしまえば、何かが進む。
どちらが勝っても、大学封鎖は次の局面へと進む。
そして、今のままでは最後には滅びしかない。そんな予感が。
(あの時)
大学が封鎖され、高い塀の上に妖精が降り立ったとき。彼は涙を流した。
それは、滅びの予感。
あるいは、滅ぼそうとする意思。
この大学では、何もかもが滅びに向かって進んでいる。
大学に仕込まれたあらゆる備えが、そのためにあると。
そして全てを滅ぼさんとする、悲しい誰かの意思に触れた気がしたのだ。
「さあ、次はユーヤ選手にも聞いてみましょう! 意気込みのほどは」
「どんな……クイズでも、全力で戦います」
それは職能と言うよりは職業病に近いものだったが、どれほど思案が深くても、クイズどころではない精神状態でも、番組の流れだけは止めることができない。脳の一部を使って司会者の問いかけに答える。
「では参りましょう! 行うのはこれもまた大陸で初めてと思われるクイズ! 問われるのは知力と応用力。そして書籍に愛されるか否か!」
大きく身をひるがえし、司会者は叫ぶ。
「超難問! 辞書早引きクイズです!!」
自分は絶対に、クイズから逃げられないと感じる。
たとえ、勝負の先に滅びしか無くても――。




