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第二十二話 (過日の6)





熱気が渦巻く。

シュテンにおいて最大規模の講堂であっても入りきれぬ観客。もはや声援とも怒号ともつかない声のうねり、それを浴びて司会者が声を放つ。


「さあポイントは11対12! 一進一退の攻防が続いております! では続いては映像問題です、こちらを――」


(――こやつら、何者じゃ)


双王の片割れ、雨蘭ウーランと名乗っている彼女は、虫たちを引き離せないことに歯噛みする。


出題されているのは、およそ表の世界では問われない深層の知識。

パルパシアの裏町で、余興として露悪的なクイズが行われることはあるが、学術的な側面が加わっているだけにより深遠である。


ぴんぽん。


花支はなざさえ渓流です」

「正解! タオ選手さすがの知識です。アダルトな問題では右に出る者はないか!」


タオの実力は申し分ない。彼女は色事、奇矯な趣味、風俗史などに強く、雨蘭は裏社会や芸能スキャンダル、アングラな音楽などに強い。


ぴんぽん。


「おおっと! 土虫トウチョン選手の蛇が上がったあ!」

阿片アヘン煙草」

「正解です! これで再び一点差! まさに死闘が続いております!」


鱗虫リンチョン土虫トゥチョン。年の頃なら20にも満たぬほどの若さ。これといって特徴のない顔立ちに、感情の見えぬ構え。クイズ戦士としての凄みは感じないが、その知識は病的なほどに深い。


タオ、あやつら本当に科典で九割を超えてくるのか」

「はい、間違い、ありません。虎窯フーヨウで行っていたのは抜粋型の模試ですが、本試験とほとんど差は出ないはずです」

「ううむ……人生を三度歩んでも及ばぬとか、受かった者は煮炊きの火でも勉強したとか言われる試験じゃぞ。それを極めていながら、なぜ雑学まで身につけておる……」


しかも長棍の技まで使っていた。と心の内で補足する。


「でも、リード、してます。この調子で行きましょう」


タオは口調が重たいというべきか、舌の動きが滑らかになるまで時間がかかるような話し方をする。たどたどしくも決意を述べていた。


「負け、られま、せん。絶対に勝ちます。私はユーヤさんに言われたことを意識してみます。雨蘭はどうします」

「うむ……必ず勝つ。得意ジャンルだけではなく、他の分野でも攻めて押していくぞ」

「わかり、ました」


(負けられぬ)


それを強く意識する。背後に背負うのは見目麗しき双子都市か。それとも花園と果樹の国か。


(この世の放蕩を極め尽くす、パルパシア王家の名に賭けて)


(勝つ、圧倒的に)





「アドバイスは要らぬ」


聖域、虚無の縦穴がつらぬく縦長の空間にて。

雨蘭はそう言って、つと階段を下ろうとする。タオが慌てて引き止めた。


「雨蘭、でも、ユーヤさんはこのクイズの経験があるって……」

「ラジオでは流せぬような、タブーのないクイズ。それで我が負けるわけがなかろう。いくらユーヤでも助言など受けられぬ。双……クイズ戦士としての誇りにかかわる」

「雨蘭、でも」

「わかった」


ユーヤは言って、タオの肩に手を置く。


「彼女なら大丈夫……僕よりもずっと才能のあるクイズ戦士なんだ。僕のアドバイスは君だけに話しておく」

「そ、そう、ですか、それなら……」

「終わったら呼ぶがよい、我は少し下に行っておる」


そして階段を降りようとして、少し立ち止まる。

踏み出そうとした足が、階段をはみ出たところで止まってゆらゆら揺れていた。


「……? あの、雨蘭さん、どうしました」

「いや……何でもない。下に行って、おるから……」


らせん状の階段は一段の幅が三歩ほどある。雨蘭はゆっくりと歩いて階段を降り、空間の反対側まで行く。何度もこちらのほうを見ていたが、やがて本棚の隙間で腰を下ろしたようだ。


「……じゃあ話すよ。この国で、この地底クイズに似たものが行われたことはあるのかな」

「ない、と、思います。夜の街での余興に少し行われるぐらいでしょうか」

「そうか……」


ユーヤは口元に手をあて、どの部分から話したものかと思案する。そして石臼の脇から粉が湧き出るように、ずりずりと言葉をこぼしていく。


「いわゆるクイズ的な知識というものがある。クイズの題材として洗練された、あるいは使い古された知識だ。一部のクイズ戦士たちは、それ以外の知識に戦いの場を求めた。俺たちはもっと色々なことを知っているはずだ。大っぴらにできないようなことも知っている。それで競う場が欲しいと。それが地底クイズの始まりだ」

「分かり、ます。私もそうでした。悪書と言われる本にも、それはそれで複雑で深遠な知識の世界があると……」

「この国で地底クイズが萌芽し始めていた。それを嬉しく思う。だが……」


ユーヤは、それは彼がクイズをメタ的に語るときにありがちであったが、頭痛に苦しむように目に力が入り、錆びついた舌を懸命に動かすような気配があった。


「この国では、地底クイズは黎明に至っていない。まだ不完全なんだ。そこを突く技術が存在している」

「不完全……」

「僕は一人のクイズ王を知っている。その人物と僕で地底クイズに取り組んでいる時期があった。その中で、クイズ王は」


ごくり、と、どちらかが息を呑む気配。


「当てたんだよ」

「え……?」

問題が・・・読まれる・・・・前に・・当てた」

「な……」





「じゃあ、次の問題」

「待って」


その女性が、霧のように淡くほほ笑む。


「……? どうしたの」

「次の問題、答えは、海老責め」

「!!」


七沼はとっさに問題用紙を手で隠す。だが彼女は1メートルほど前にいる、覗けたはずはない。


「江戸時代に行われていた拷問。海老責めでも自白しない場合は釣責つりぜめに移行したとか」

「ど、どうして」

「ふふ、何となく、かなあ。私も、少しはクイズ勘というものが、身についてきたみたい」


彼女は空気が温まるような、喜ばしい気配を放散している。

だが七沼は必死に今の状況を考えていた。どんな手段があるか、問題を推測する方法はあるのか、事前に問題を見られていた可能性は。

あるはずがない、そもそも彼女が不正をする理由など何もない。この場には七沼と彼女しかいないのだ。


「大丈夫、全部はわからないよ。さ、次の問題をお願い」

「あ、ああ……」


分からない。

彼女は秘密にしているわけではないようだ。この一時の遊びが終われば教えてくれるだろう。


あとほんの10問ほど、それが終われば疑問は晴れる。


だが、それまでは。

そのわずかの時間の間は、七沼にとって彼女は未知であった。


理解が及ばない。推測すらできないクイズの領域。

その時の七沼は、ほんの少し歯がゆくて、情けなくて、同時に申し訳なくもあって。


そして、草森葵が。


彼女がほんの少し、遠く思えた。





「問題が読まれる前に当てる、それはクイズの道を歩むものにとって一つの理想であり、到達点だ」


ユーヤの言葉は続いている。


「僕の知る限りでも数えるほどしか見たことはない。それはいずれもクイズを極め尽くした王の所業。受動的に答えるだけでなく、積極的に作問者との距離を縮めようとする強き王たちの技だった。あるいは、少しの遊び心も必要だろうか」


話が冗長になっている、と自分でも思う。

ユーヤはひそかに決意を固め、その方法を語った。簡潔に、細大漏らさず。


「…………。……。そんな方法が」

「偶然も関係するから、実践しようと思わなくてもいい。余裕があるときや、逆にここまでしないと勝てないと思ったときに意識してくれ」

「わかり、ました……」


タオの顔。それはユーヤがこの世界で何度か見た顔だ。戸惑いと疑いと、信じようとする誠実さが綯い交ぜになった顔。


「……雨蘭を見てくるよ」

「はい、あの、私はもう少し、予習していますので……」


彼女の目に、自分はどう写っただろうか。

不気味な予言者にでも見えただろうか。あるいは山師か、詐欺師か、理解の及ばぬ達人か、それとも妖怪や仙人か。


それとも、まだ名前のない何かか。


「雨蘭」


階段をしばし降りて、縦穴の反対側へ。

そこもやはり本の山である。螺旋階段の外側にずらりと本棚が並んでおり、ほこりをかぶった本が散らばっている。


「う、うむ、話はもうよいのか」


雨蘭は慌てたように立ち上がると、ユーヤの脇に来て腕を取った。


「さ、さあ戻るぞ」

「……どうしたんだ。高いところが苦手なら、もっと端に寄るといい」

「いや、そうでは、ないのじゃが」


そこで気づく。雨蘭は空いた手で獣脂ランプをささげ持っていたが、この空間は光源があまり無いので、全体的に薄暗いのだ。


この高さまでは地上の光が届いているので、お化け屋敷よりは少し明るい程度には地形が見える。

ユーヤが異世界人のために気づかなかった、パルパシアではこれほどに暗い場所はほとんど無いのだ。あの国は世界最大の農業国でもあり、蜂蜜を大量に生産している。都市はすみずみまで妖精の光が照らしていたのだから。


「もっと上を掴んで、目を閉じててもいいよ」

「だ、大丈夫じゃ。別にお化けとかそんなものは信じておらぬ、ただ慣れておらぬだけ」


そういえば雨蘭は、当初宿舎にする予定だった寮で、手洗いが別棟になっていることを気にしていた。我ながらそんなことまで記憶しているのはどうかと思いつつ、気を紛らわすように話しかける。


「暗いなら光の妖精を呼ぼうか。三悪はここに隠れ住んでたから光を絞ってたみたいだけど、今は虎窯フーヨウと試合しているし、大丈夫だろう」

「いや……ここはおそらく禁妖地デタントじゃ」

「デタント?」

「妖精が呼べぬ土地じゃ……。稀に存在する。鉱山の深いところや、ハイアードの下水道、フォゾスの森の奥地などでは呼べぬ」


ゆっくりと、氷を歩くほどの速度で階段を登る。


「そんな土地が……」

「げ、原因は不明じゃ。大陸を離れた離島などでも呼べぬし」

「足元に気をつけて……」


そのとき、縦穴全体が暗くなる。


「ひっ……」


それはただ単に、地上にて太陽が雲に隠れただけのことだった。

だがユーヤの腕に下向きの力がかかり、雨蘭がしゃがみ込んだのだと分かる。ユーヤは力に逆らわず、そっと膝をついて肩を寄せた。


「落ち着いて、僕にしがみついてもいいから」

「わ、我は……本当は暗いところなど怖くないのじゃ。昔、ほんの子供の頃は怖かったが……」


震える声。ユーヤは落ち着かせようと背中を撫でる。


「い、今は、子供のように怖い。意思で抑えられぬ。お、おそらく、双子がおらぬせいじゃ……」

「……」

「こんなに長く離れたのは初めてなのじゃ……。向こうも、きっと不安でたまらぬはずじゃ。悪いことをした。我の勝手で、国もきっと、混乱して……」

「大丈夫だ。双王」


頭を抱く。彼女が泣いていたとしたら、その顔は見られたくないだろうと思った。


「双王、パルパシアでは双子は一心同体。生涯ずっと一緒なことも珍しくないらしいな。僕の世界ではあまり無いことだが、素晴らしい文化だと思う。だからこそだ、だからこそ、離れたときにも相手を想うべきだ」

「お、想う……?」

「そう……双王が片割れのことを大切に思っているなら、向こうもきっと思っている。遠く離れていても心はいつも一つ。あるいは違う人生を歩んでも、別々の家庭を持っても一つだ。そう考えられるなら、きっと一人きりにはならない」

「う、うむ……」


雨蘭はユーヤの言葉を理解しようとして、呼吸を短く何度も行い、そして落ち着こうとする。心に思い浮かべるのは遠い双子都市の眺めか、あるいは双子のことか。


「双王、君が片割れと別れて不安に感じるのは、心が離れてしまうと恐れるのは、黙って出てきたからだろう? 来るなら二人で来るはずだ」

「う……」

「そんなことは修復不可能なことでも何でもない。あとでちゃんと謝ればいい。双子はいつも一つなんだ。川の流れが二つに分かれても、やがて一つに収まるように、いつも同じ方向に流れている」


だから、と、ユーヤは誰も聞いていないことを確認するように、さっと周りの様子をうかがう。

誰もいない。禁妖地デタントにおいては世界を支配する妖精の気配もない。真の静けさ、真の闇が。


「だから、あとでちゃんと、ユギに・・・謝るんだ」

「……!」


雨蘭はユーヤを見上げ、肩を細かく震わせる。その大きな瞳は大粒の宝石のよう。中に秘めるのは不安定ながらも極彩色にきらめく感情の渦か。


「どうして……」

「分かるよ。確かに双子だとしても似すぎてるほどそっくりだけど、心の形は違う。けして同じにはならない」


実のところを言えば、ユーヤにもなぜ見分けがついたかの説明は困難である。

彼女、すなわちパルパシア第二王女ユゼ。彼女がユギと名乗った時の声の揺れを聞き取ったのかも知れぬし、立ち居振る舞いの違いを記憶していたかも知れぬ。

あるいは一卵性双生児でも異なる要素。指紋や皮膚の血管走行。瞳孔の奥に見える虹彩などを無意識に読み取ったのか。そこまで行けばもはやオカルトの領域であるが、かつて出会ったクイズ王たちならやってのけたかも知れない、ぼんやりとそう思う。


「ちゃんと謝れば、ユギだって怒ったりしないさ。一心同体なことは変わらない。いつか謝る日を楽しみにすることだってできる、そうだろう?」

「うむ……そう、そうじゃな。ユギが怒っておらぬかと不安であったが、いや、きっと怒ったり悲しんだりしてるはずじゃが、いつか謝ろう、そのためにも、しっかりせねばな……」


雨蘭こと、ユゼはゆっくりと立ち上がると、ユーヤの肩を借りて階段を登っていく。

いつの間にか、闇への恐れは遠くなっていたが。


それでもなお、この縦穴が不気味なことは変わらない。

聖地、聖域、禁書管理地、かつての神が住まうという白納パイナン区。


(……そういえば、劉信リウシン


その最果て、底の底には何があるのか。


(彼は、この穴を調べると言っていたが……)


何も見えず、何も聞こえぬ闇溜まり。




今はただ、闇は闇のまま――。



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― 新着の感想 ―
[一言] 問題が出る前に解答して当てるってのは知識の中から導き出せる答えなのか…それともマジにクイズの勘所を掴んだ? 草森女史、割とまともだと思ってたけど、やっぱりと言うか、無用な情報や取得方法が限ら…
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