第一話
斜面を削り、板を渡し、何代もかけて築かれた谷間の道。
山に伸びるつづら折りの道。そこを進むのは数珠のように連なった馬車の一団。
目にも鮮やかな真紅の車体であり、それを引く大型の馬すらも赤の布飾りをまとっている。馬車の内部は広く、簡単な調度もあり、床の上にやはり赤い布を敷いてある。
「ハイフウまで飛行船で行けないのか?」
そう尋ねるのは黒い髪を撫で付け、仕立ての良いタキシードを着た青年。肘置きにかるく体重を乗せつつあぐらに構える。
彼は異世界からの来訪者、今は元の名を捨て、セレノウのユーヤと名乗っていた。
「仕方ないネ、紅都ハイフウから60ダムミーキは飛行が禁じられてるネ」
そう答えるのは肘置きにしなだれかかるように体重を預け、横座りで気だるげな様子の女性。
年の頃なら18から20ぐらい。豊かな体を紅柄と呼ばれるタイトドレスに包んでおり、脚線美を惜しげもなく晒している。いわゆるチャイナドレスによく似ているが、スリットとも言えぬ裂け目が股下から肩まであるため、きわめて目に危うい。溶けかけのアイスとか、真夏日の猫の柔らかさが連想される。
名は睡蝶。若くしてクイズと武門を極めた傑物であり、ラウ=カンの国主である見翁の妻でもある。
ユーヤの記憶するところによれば、かのハイアードの動乱の際は婚姻が世間に公表されておらず、帰国してから大々的に発表、という手はずになっていたはずだ。世界的なニュースになるはずだが、そういえば新聞やラジオでそのような話を聞いた覚えがない。大陸全土に緊張が走っている時期でもあるから発表が延期されていたのか、その程度に考えていた。
すみれ色の流し目がユーヤを見る。この一撃必殺の足を見て何も感じないのか、という気持ちが少しは入っていそうだ。
「急がないといけないネ、シュネスから往復で3日、だいぶかかってしまったネ」
ここはクイズと妖精の支配する世界、ディンダミア妖精世界。
妖精の力は生活の隅々にまで及んでおり、妖精の力で飛ぶ飛行船や、妖精の力で重量を軽くできる馬車などもある。その力があっても、国家間の移動にはやはり、時間がかかる。
シュネスハプトから飛行船で国境を越え、ハイフウに近づいた頃に馬車に乗り替えて山道を進む。急ぎとはいえ先触れが前方の安全を確認し、十人以上の兵に守られての移動となれば時間はかかる。
馬車の窓から見えるのは深山幽谷の眺め。それは万華鏡のように様々に変化する。
鋭く切り立った山々と、底も見えぬ深い谷。時おり見える村はどれも絵物語で見るような幽玄さであり、建築や衣服に長い歴史を感じさせる。
「さっき通り過ぎた行商人だったか……荷物がすごかったな。衣装も色彩豊かだったし……」
「汌里族の行商ネ。葡萄籠と呼ばれる丸い籠が特徴で、いくつ背負えるかで商人としての格が決まるネ。さっきの男は25個背負っていたから村長の後継者になれる人物ネ」
「いろんな民族がいるんだな……。ラウ=カンも歴史ある国と聞いてるが、その現れかな」
「そうネ、かつて西方九十余州が乱立していたものが数百年前に統一され、それぞれの文化を尊重しつつ言語、貨幣、重量や距離の単位など十の項目を共有させたネ。ユーヤは西方圏の国を見るのは初めてだったネ、きっと驚くネ」
「西方圏……」
異世界からの客人であるユーヤとしては、既視感を覚える意匠も多い。有り体に言えば古代中国のような、という言葉に集約される。
しかしそれはユーヤの知識とは微妙に食い違ってくる。中華風のようでもあれば、東南アジア風にも見えるし、和風に見える瞬間もある。
ここはやはり異世界なのだと、文明の起こりから現在に至る長い歴史、その全てが自分たちとは違うのだと思わされる。
そして言語も、ラウ=カン独自の単語はどことなくエキゾチックな響きに聞こえる。
ただ一つ言えるのは、ラウ=カンの文字は一つ一つに意味がある表意文字である、という事ぐらいか。
「見えてきたネ、あれが紅都ハイフウ、海に面した朱色の都市ネ」
馬車が谷あいの道を曲がり、下りに入る頃合いだった。
膝立ちになって窓を覗けば、視界の果てに海があり、開けた平野がある。
そこに、赤い水たまりのような眺め。
よく見ればそれは何千という家屋の集合体、そのほとんどが赤く塗られているのだと分かる。朝の光を受けて瓦屋根がきらめき、山々の緑、海の青との対比で眼がくらみそうになる。
「すごいな……猩々緋というか、燃えるような赤というか、ルビーレッドというか……」
「ラウ=カンは赤の国。赤が高貴な色とされていて、庶民もそれにあやかってるネ。一般市民の家にまで赤が許されてるのはハイフウだけネ」
そういえば、いくつか通り過ぎた村でも一軒だけ、赤い屋根の家があったのを思い出す。あれが有力者や村長の家ということか。
「赤は色々な種類があるネ。私の紅柄のような深い赤は「禁独紅」。この色を使った衣服はとても高貴なもので、むかしは服それ自体に召使いがついたネ。一人にしてはいけないから禁独と言うネ」
「なるほど、面白いな」
「あそこの明るい赤の範囲がシュテン大学ネ。明るい色は若々しさの象徴ネ」
「あの範囲……? めちゃくちゃ広くないか。ハイフウの五分の一ぐらいあるが……」
「世界最大の大学ネ。一つの街であり行政区としても別個に働いてるネ。何しろ学長を務めるのはラウ=カンの王。兵士の育成機関でもあり、国営企業の研究機関でもあるネ」
「なんだか不思議だ……色合いでそこがどんな地区か分かる気がする。住宅地に商業区……海のそばにあるのは市場かな」
それらの街は碁盤目状に区画されており、川の流れも直角に折れ曲がっている。ハイフウがその成り立ちの時点から都市計画に沿い、莫大な費用と時間をかけて築かれたのだと分かる。
「赤を意味する言葉もたくさんあるネ。ユーヤはクイズ戦士だからそういうの好きだと思うネ」
「そうだな、土地によって特定の色彩に関する語彙が豊かになる、というのはよく聞く話だし、僕の国だと四十八茶に百鼠と言って……」
と、ふいにどこかから帰ってきたような感覚。改めて睡蝶を見る。
「そろそろ聞かせて欲しいんだが……僕は何のために呼ばれたんだ? ラウ=カンでいま何が起きている?」
「それは……」
と、睡蝶は少し言いよどみ、柳腰をねじって顔を背ける。
「いま事態が刻々と動いてて……どうなってるか分からないネ。朱角典城に着いたらそれを確認しないと……」
「……何だか大変そうだな。そんな中で3日も国を空けて大丈夫なのか?」
ユーヤの声にはいくぶん訝しむ要素が混ざっている。何と言っても睡蝶はかつてユーヤと虞人株、平たく言うなら子孫を残す契約を結ぼうとした人物だ。警戒するのは当然だろう。
「それに睡蝶、君だって一流のクイズ戦士だし、腕も立つ。僕なんかよりずっと……」
「ユーヤ」
睡蝶がにじり寄り、ユーヤに体を寄せる。片手を伸ばして窓の御簾を降ろし、それが何かの合図になっているのか、周囲にいた兵士の足音が離れる。前後の馬車が距離を取ったのだ。
「……ハイフウに着いてもいないぞ」
「誤解しないで、大きな声では話せないネ。鏡のことだから」
――妖精の鏡。
それは、世界の中心に座す器物。
妖精の王と人間との契約の証、人智の及ばぬ力を示す器物。
その代償として求められるのは、王に連なる者の十年間の神隠し。
かつてその鏡を巡り、大陸最大の強国で巨大な陰謀が蠢いていた。
それは解決してもなお波紋を生み、ラウ=カンにもその余波を残しているのか。ユーヤは目元に緊張を走らせる。
「ユーヤ、ラウ=カンではいま、鏡についての資料が徹底的に破棄されているネ」
「……?」
「もともとラウ=カンの王朝は閉鎖的で、宝物庫の目録や資料は一般に公開されてないネ。ところがゼンオウ様が帰国されてから、資料それ自体を焼却し始めたネ。記録と書物を重んじるラウ=カンで、焼却までやるのは異常なことネ」
「……あの鏡の儀式は、いわば王族の身柄を生け贄にするもの。そのためどの国でも伝承が失われかけていた。そしてハイアードは実際に鏡を悪用した。それを知ったなら、ゼンオウ氏がそこまでやるのも不思議じゃない」
「それだけじゃないの、ゼンオウ様、あんなことまで……」
「あんなこと……?」
睡蝶はすみれ色の髪を数本かきあげ、憂いのこもった眼で言う。
「シュテンを、焼き払えと」
「な……」
「後には何も残すな、文字の一つ、瓦の模様すら残さずに焼けと命じたネ。さすがに上意下達とはいかなくて、高官が入れ代わり立ち代わりで諌めようとした。そうこうするうちにゼンオウ様は体調を崩されて伏せってしまわれたネ。みんなほとほと困っていて……。ユーヤなら、ゼンオウ様を説得できる可能性が……」
「シュテンを……」
また膝立ちになり、御簾を透かしてハイフウの街を見る。馬車は下り坂に差し掛かり、車軸に何かを噛ませる気配がある。ブレーキをかけながら下っていくのだろう。
大陸最大の大学。ざっと見ただけでも百あまりの建物が入り混じって見える。あれが燃えたならば、その火勢はこの都市すべてを焼き滅ぼすほど大きくなっても不思議ではない。
「ゼンオウ氏……一度話をしただけだが、そこまで無理を命じる人間には見えなかったが……」
やはりこの国でも、やるべき使命があるのだろうか。
砕かねばならぬ野望が。
暴かねばならぬ秘密が。
「大学、か……」
「ユーヤも大学に行ってたネ?」
「そうだね。なつかしい思い出だ。楽しいことも多かったし、クイズにも没頭できたし……」
睡蝶ははたと手を打つ。まだハイフウまで距離がある。今はユーヤが喜びそうな話題を振るべきと思ったのか、会話の舵を切った。
「シュテン大学でもクイズは盛んネ。たくさんのクイズサークルがあるし、学生たちでクイズ関連の雑誌も発行してるし、ラウ=カンの国営ラジオに番組も持ってるネ」
「すごいな……この世界での一般市民のクイズ事情ってのに縁遠かったけど、やっぱり盛んなんだな」
いつの間にか首に抱きついていた睡蝶を振りほどき、ユーヤはふと言葉をこぼす。
「そう……この世界は、実は僕の世界とそんなに差はないんじゃないかと思う瞬間がある」
「そうネ?」
「確かにほんの数回だけ、僕が競り勝てたこともある。でもクイズ文化の規模ならこの世界のほうが大きいとも言える。世界のどこかには、僕よりもクイズの真髄に近いクイズ王がいるんじゃないか、そんなふうにも思うんだ」
「……? 民間人のクイズ王ってことネ? でもそれは……」
この世界では、社会制度としての王がそのままクイズ王として君臨している。
それ自体を悪いこととは思わない。王たちの実力は確かだったし、生まれてからすぐに濃密な英才教育を受ける。そして人々は王の戦いに熱狂する。それは平和な姿とも言えるだろう。
(……どこかには、いるのだろうか)
かつて出会った、小国の姫君のような王が。
あるいは、ユーヤの出会ってきた王たちのような。
それとも、また別の。
(限りなく理想に近い、完全無欠のクイズ王が、どこかに……)
異邦人は旅を続ける。
諸国を巡り、出会いと別れを繰り返して。
己の理想を、理想を超える何かを求め続けて。
飢えて乾いて、それでも足を止めることなく――。
というわけでこのシリーズも4作目、またお付き合いいただければ幸いです。
ゆっくりとした連載になると思いますので、気長にお待ち下さい。




