36 攻略された結果
優しく微笑み、甘い声を発した彼ですが。その瞳はじっと私を見据えています。
クリスタルを贈れば、当然その質問をされると覚悟していました。
殿下がずっと気づかないふりをしてきてくれたので、私はこのまま隠し通そうと思えばできました。けれどこの件を話さないままでいると、殿下の信頼は得られないのではと思ったのです。
「私の心の中には、一冊の本があるんです。その本には、この世界によく似た物語が書かれていて。その中で欠片の存在を知った……と言ったら、信じていただけますか?」
この世界には転生という概念がないので、前世の記憶があると言っても理解してもらえないでしょう。
実際に私も、前世の記憶は本を読んで知った知識のような感覚なので、この表現が最も相応しいと思います。
殿下はしばらく私を見つめてから、少し表情を和らげました。
「これは王家の男にだけ、稀に起きる現象らしいんだ」
二人で狩りを始めた当初は、私が王家の血を引いているのではと思ったそうです。けれど血筋を念入りに調べたけれど、私の先祖に王家と繋がる者はいなかったのだとか。
「ミシェルは数多くの本を読んでいるから、断片を繋ぎ合わせてたどり着くことは可能かもしれないね」
魔法学園では、この世界は『曖昧な存在』であると認識することが大切だと教えられます。
魔法は空想を具現化したようなものであり、ふと新しい何かに気がつくと見ている世界は一変するのだと。
偉大な魔法師ほど、一般人とは見ている世界が違うのだそうです。
私も前世の記憶が戻ったことにより、私にとってこの世界は『美少女ゲーム』となりました。
同じように、魔法詠唱なしに魔法を使える殿下も、きっと一般人とは違う世界を見ているんじゃないかと思います。
私の世界の設定でいくと、殿下に魔法詠唱がない理由は『主人公なので声優が割り当てられていない』からなのですが。殿下が見ている世界では、違う理由が存在しているのかもしれません。
殿下は、私が本を読んでいるうちに王家の秘密に気がついたため、欠片が見えるようになったと判断してくれたようです。
「この現象が起きる者は、全てを手に入れられると言われているんだ。それこそ、このクリスタルのようにミシェルの心までもね」
殿下は真剣なお顔で、私を見つめました。
「けれど俺は、今まで誰の欠片も集めていないよ。これだけは信じてほしい」
「はい、信じています」
殿下は最終学年になるまで私と出会えずに、焦っていたと言っていました。
欠片を集めてエピソードを開放したら、簡単に出会えたのに。それをしなかった殿下は、今までの印象どおりに誠実な方だと思います。
「ミシェルは本当に、クリスタルを俺に渡して良いの? 欠片を集め始めた頃のミシェルは、俺に渡すつもりで集めていたようには思えなかったけど」
殿下は、少しいたずらっぽく笑いました。
確かに当時の私は、殿下に攻略されたくないがために、欠片を集め始めたのです。
明らかに迷惑そうにしていた私が欠片を集める様子は、殿下にしてみたら複雑な気持ちだったのではないでしょうか……。
「あの頃の私は、勘違いをしていたのです……」
「勘違いとは?」
「その……。殿下は、女子生徒たちに囲まれた生活をしていると思っていたもので……」
今思うとゲームのシステム的に可能だとはいえ、失礼な考えだったと思います。
「ゴブリンのレストランでも、似たような心配をしていたよね。真実を悟った様子のミシェルは、この上なく可愛かったよ」
殿下は怒るかと思いましたが。その時のことを思い出すようにくすりと笑うと、私の手を取りクリスタルを手のひらに乗せます。
返却されてしまいました。
困惑していると、殿下はにこりと私の顔を覗き込みます。
「こんなに大切なものを、他の贈り物と一緒に忍ばせないでほしいな。なぜミシェルがこれを俺に贈りたいのか、はっきり言ってくれないと受け取れないよ」
それを言うのが恥ずかしかったので、ハンカチと一緒に忍ばせたのに。殿下は見逃してくれないようです。
「このクリスタルを使用したら、私の心は殿下のものになります。押しつけがましいですが、その……。私は殿下のものになりたいんですっ。……大好きです、ルシアン殿下。私の心を受け取っていただけますか?」
泣きそうなほど恥ずかしく思いながらも本音を伝えてみると、殿下は私の手ごとクリスタルを両手で包みこみました。
まるで、何よりも大切なもののように。丁寧に、優しく。
「ありがとう、ミシェル。一生大切にする……、愛しているよ」
その翌日。
殿下は初めて、私をデートに誘ってくれました。
欠片を開放して、初めに読むことができるのはデートエピソードですが、殿下が私のクリスタルを使用したのかは不明です。
なぜなら前世の私はSSRミシェルを所持していなかったので、エピソードの内容を知らないからです。
今となって思えば、所持していなくて良かったと思います。殿下とのエピソードは、真っ新な状態で味わいたいですから。
馬車から降りると、殿下は私を連れてとあるお店へと入りました。
「こちらのお店は?」
「ドレスを仕立てるのに、実物を見たほうがイメージも膨らむと思ってね」
「あの……、ドレスはたくさんいただきましたが……」
事件当日に着ていたドレスも、使用人が綺麗にクリーニングしてくれたので、ドレスは減っていません。十着あればしばらく困ることはないと思います。
「今日は、社交用のドレスを見にきたんじゃないんだ」
奥の部屋へと通されながら、殿下はくすりと笑いました。
どういうことだろうと思いながら奥の部屋へ入った私は、思わず息をのみました。
その部屋にあったドレスは、全てが純白に輝いていたのです。
「ミシェルの誕生日まではあまり時間がないから、急いで仕立てて準備しなければ」
「えっ……あの。私が成人したらすぐに式を挙げるというのは、本当だったのですか?」
「そうだよ? ミシェルの両親にも了解は得ているし、すでに王城では準備を始めているんだけど……。もしかして嫌だった?」
殿下は捨てられた子犬のような目で、私を見つめます。
「そっそのようなことはありませんっ。嬉しいです……とても」
冗談だと思っていましたが、殿下の行動力をすっかり失念していました。
どうしましょう……。私は数ヶ月後には、花嫁になってしまうようです。
心の準備と、美容の準備が間に合うでしょうか。屋敷に帰ったら、メイドと作戦会議を開かねば。
「よかった。ミシェルが心変わりして、クリスタルを返してと言う前に、さっさと結婚してしまわなければね」
「返してなんて言いません……。殿下こそ、いらないと突き返さないでくださいよ……」
「俺は大切なものを易々と手放したりはしないよ。ミシェルが嫌になるほど愛し倒すから、覚悟しておいてね」
殿下は少し意地の悪い表情を浮かべると、私の頬に口づけをしました。
周りに人がいるのに、殿下の大胆さには上限がないのですかっ。
思わず頬を膨らませて口づけされた場所を手で覆い隠すと、殿下は満足そうに微笑みました。
殿下とすぐにでも結婚できるのは嬉しいですが、彼との結婚生活は油断できない毎日となりそうです。
一時期は、王太子妃になる重圧に耐えられるか心配をしていましたが、それよりも今は、殿下との結婚生活に私の心臓が持つのか。
そのほうが、心配でなりません。
お読みいただきありがとうございました!今回で完結となります。
ブクマ・評価ありがとうございました!
追記
新連載始めました。もしよろしければ……!
推しの妻に転生してしまったのですがお飾りの妻だったので、オタ活を継続したいと思います
https://book1.adouzi.eu.org/n2248hb/





