コルルとリーゼ2
まったく予想していなかった兄様との突然の再会。
何故? どうして? こんなことをするコルルの思惑は一体?
色んな考えが浮かんでは消えていき、頭の中は激しく混乱している。
(ああ……でも、兄様……本当に無事でよかった)
コルルの魅了にもかかっていないようだ。
アルベルトが不安にさせるようなことを言うから心配だったけど……。
その顔は城で別れた時と変わらない、私のよく知っている兄様だ。
「「……」」
……で、でもないわね。
兄様の目は大きく開き、私をジッと見ている。
瞬き一つせずに凝視している。
こんな顔の兄様は長い間一緒にいて初めて見た。
本当に理解できないと言った顔。
う、うん、そりゃそうよね。戸惑うわよね。
幽閉されている自分の元に、遠く離れた場所にいるはずの妹が突然夕食を届けに来たんだから。
いくら兄様だって平常心ではいられない。
私だって兄様と似たようなもの。
何故コルルは兄様のところへ来させたのか、その目的は?
この状況は本当に偶然の産物なのか?
このあとどう動けばいいのか、どう振る舞うのが正解なのか?
ああもう……頭の中がぐちゃぐちゃだ。
考えてもコルルの思惑がさっぱり読めない。
やっぱり堂々と妹だと名乗り出たらまずいわよね?
コルルは私が兄様の妹だと知らないはずだし……うん、知らない、よね?
夕食の載ったトレイを手に立ち止まったままの私。
今、コルルがどんな顔をしているのか? 隣を見てみるも……。
「……ゴー」
混乱の真っ只中にいる私の内心を余所に魔王コルルはマイペースだ。
早く料理を置くよう左手を前に出してジェスチャーしている。
「ゴー! ゴー!」
ゴーって言われても、ゴーって言われても……こ、困るんだけど。
で、でも……そうね。確かにこのまま突っ立っていても仕方ない。
とりあえず、予定通り夕食を兄様のところに運ぼう。
このまま持っていても料理が冷めてしまう。
料理をテーブルに置いただけで、何かが起きるということはないはずだ。
ゆっくりと慎重に一歩ずつ歩く、絶対につまずいたりしないように。
緊張からか両手が震え、カチャ、カチャと食器の鳴る音がする。
私は戸惑いながらも兄様の座っている場所に近づいていった。
―――――クライフ視点―――――
…………眼前の光景が理解できない。
ここ最近、部屋に食事を届けに来るサキュバスが毎回変わる。
そのことに違和感を感じた俺は以前コルルに尋ねたことがある。
コルルは俺の疑問に「色んな女の子が来たほうが俺が嬉しいだろうから」と答えた。
「これは善意であり、深い意味はない」と、だがそんな理由で納得できるわけがない。
魔王コルルは幼げな外見とは裏腹に強かな面を持つ魔王だ。そこには何らかの意図が隠されている。
部屋に一日中いる俺には時間がたくさんある。
彼女がこんな真似をする理由を考えた。
サキュバスたちは俺に関する何かの情報を調べている。
配膳に来たサキュバスは俺の反応を探っていたから、それは間違い無い。
俺に気取られないよう顔に出ないように隠していたが俺にはわかる。
表情を観察するのはそれなりに得意だ。
数多の人物を見て来た一国の王としての経験もある。
では、サキュバスたちが俺の何を調べているのか?
ランジェリー、バニー服……来る度に異なる衣装を着て部屋に訪れるサキュバス。
髪型もロングからショートまで、体型もスレンダーにふくよか、顔立ちは美人系、可愛い系まで。
最初は戸惑うばかりで目的がわからなかったが、サキュバスの種族特性を考えれば答えが出る。
おそらくコルルが調査しているのは俺の女性に対する趣味趣向だ。
男が欲情する時に出すという特有の匂いなどから、サキュバスは対象が欲情しているかがわかるそうだ。
服装、容姿、様々な組み合わせを試し、俺がどんな状況なら欲情するかを調べている。
現在、そのデータはコルルの手元にあるのだろう。
コルルがそんな真似をする理由は推測できる。
俺がコルルの誘惑にかかりやすい条件を調べるためだ。
本来なら気づいた時点でコルルに文句を言うべきかもしれないが、俺は調査をやめろとは言わなかった。気づかないふりをしている。
現状、俺の立ち位置はベリアやコルルにとって曖昧なものだ。
これはコルルなりの保険の俺対策。
仮に俺が敵に回ることになっても主のベリアに危害が及ばないように。
彼女の考えも、まぁ……理解はできる。
正直言ってかなり不快だが、それでも俺が黙っているのは今後友好的に彼女たちと付き合っていく上であまり事を荒立てたくなかったからだ。
加えてここが敵地だというのもあり、多少のことは目を瞑っている。
それに証拠がないから、コルルに文句を言っても「知らない」としらばっくれるに決まっている。
まぁ、そういった理由で彼女の行いを黙認していた。
現状、直接的な害を加えられたわけでもないし、俺には誘惑にかからない自信があった。
この場所に来た以上、サキュバスの魅了に対する抵抗手段は考えている。
相手の魔法や能力に応じて適宜対応、抵抗するのは俺の得意分野だ。
過去、変異種の時も新魔法を開発したように……サキュバスの魅了にも独自で抵抗する手段は持っている。
だから俺にはどんな娘が誘惑してきても無駄だ。
見ただけで、万人の目が覚める美人だろうが、サキュバスクイーンのコルルが全力で誘惑を仕掛けてこようが……耐えきる自信があった。
誰が来ても動じることはない。
「し、ししっ、失礼しますねっ!」
だが……これはないだろう。
ああ、これはない……これはいくらなんでも完全に想像の外。
入室してきたのはサキュバスの女ではない。
本来はメナルドにいるはずの妹だ……あり得ない人物。
マリーゼルが何故か俺に夕食を届けに来た。
俺は一瞬、妹が来たのは俺に対する人質的な意味合いかとも考えたが、どうにも様子がおかしい。
コルルは後ろでジッとマリーゼルのことを見ている。
緊張しているのだろう、マリーゼルの手先は震えている。
危ない手つきで俺の前にゆっくりと料理を置く。
「「……」」
隣に立っているマリーゼルの顔を見る……今度はより近くでお互いの視線が合う。
黒髪のカツラを被りメイド服を着て、変装(?)しているが妹で間違いない。
声も同じだったし、そっくりな別人ということはないはずだ。
「……ありがとう」
「い、いえ……ここっ、光栄です。ど、どなたかは知りませんが……」
マリーゼルに礼を言うと、ぎこちなく笑って返してきた。
妹の頬から一筋の汗が流れ、手先は今もまだ震えている。
この様子、マリーゼルも俺と同じように事情がよく理解できていないようだ。
もし知っていたのなら入室して来た時に、俺を見て大きく口を開けたりはしないだろう。
幸いというか、位置取り的にコルルは気づいていなかったが。
また、妹の態度から俺と他人の振りをしようとしているのはわかる。
一先ずは俺も妹に合わせるとしよう。
少しでもこの状況が理解できればと、それとなくコルルにも探ってみる。
「コルル……その、彼女は? どうやらサキュバスではないみたいだが……」
「うん、マリーちゃんとは街で会ってね。今日だけの臨時メイドみたいなものだよ」
「……そうか」
マリーというのは妹の偽名だろう。
この反応、本当にコルルは俺と眼前の少女が兄妹だということを知らないようだな。
まぁ演技しているという可能性もあるが……それにしては自然過ぎる。
「普段は誰が来ても興味ない素振りなのに珍しいね。……マリーちゃんに欲情しちゃった?」
「はいぃっ?」
「……し、してたまるかっ!」
実の妹に興奮したら不味いなんてものじゃない。
中には血縁関係を濃くするために……とかそんな種族の話も聞くが、俺は妹にそんな感情を抱いたことなど一度もない。
つい、コルルに大きな声で反論してしまう。
隣に立つマリーゼルも驚いている。
「ふふ、冗談、冗談だってば……」
悪い冗談だ。
サキュバスらしいというか、よくこういうことをサラリと言えるものだ。
大体、コルルは俺が欲情したら感じ取れるはずだから妹に欲情していないのは知っているはず。
「……ふぅ」
落ち着こう……コルルにペースを乱されては駄目だ。
そしてどうにかマリーゼルから情報を引き出したいところだ。
コルルの臨時メイドという話が本当なら、マリーゼルに会えるのは今だけかもしれない。
メナルドの状況も気になるし、他にも聞きたいことがいくつもある。
コルルがいるので直接は聞けないが……どうにか適当な会話の中にヒントを混ぜて聞き出せないだろうか。
「い、一段と美味しそうだな、今日の夕食は」
緑、赤、黄と彩豊かな新鮮なサラダ、野菜スープ、熱々の鉄板にのつたステーキ。
ジュウジュウと鉄板の上から肉脂がはじける音が聞こえてくる。
とりあえずは当たり障りのない会話から、上手に展開してマリーゼルと話をしたいところ。
「シェ、シェフが頑張って作ったんです」
「……え、シェフの顔知らないよね? マリーちゃん」
「あ、え、ええと、そのっ……」
コルルの言葉にしどろもどろになるマリーゼル。
「み、見えたんですっ! りょっ、料理を見たら……か、顔が浮かんできたんです。彼らの顔が……」
「……う、うちの料理人は全員女なんだよね」
妹は手をバタバタと動かし、一杯一杯の様子。
やめておこう、これは下手に話しかけないほうがいいな。墓穴を掘りそうだ。
俺は妹が落ち着くように背中にソッと手を置く。
「……っ」
マリーゼルの身体がビクッと震え、振り返り俺の顔を見る。
大丈夫、無理しなくていい、喋らなくていい……と、目線で合図を送る。
少しして落ち着きを取り戻す妹。
「……ふふふっ♪」
それを見て、何故か満足気に笑っているコルル。
「今日はなんか優しい感じだね」
「……そうか? いつも通りだと思うがな」
コルルが俺の顔をジッと見ている。
「いいって、隠さなくても……マリーちゃん可愛いもんね。超級の美少女だもんね」
「……」
語り出すコルル。俺の内心を探るように……。
「うんうん……わかるよわかるよ。私たちが入って来た時ドキドキしてたでしょ?」
「……ああ」
不覚にもドキドキしたよ。
おそらく、お前の想像とは別の方面でだがな。
あんなサプライズをされれば心拍数も上がる。
「ほ~、へぇ~」
俺の台詞に驚いた顔を見せるコルル。
素直に答えるとは思わなかったようだ。
「ふ~ん」
俺と隣で戸惑っているマリーゼルを見てニマニマと笑うコルル。
しかし、コルルが思惑はともかくとしていつまでこのよくわからない状況は続くのか。
俺としてはマリーゼルと二人で話をしたいのだが……。
妹がここにいる理由を知りたい。
「ふ~ん、ふっふふ~~ん♪」
コルル邪魔だな。
笑ってないで部屋を退出してくれないだろうか?
「ふむふむ……予定していたのとかなり違うけど、これはこれで意味のある結果かもしれない」
俺たちの様子を観察しながらブツブツと口を動かすコルル。
そこで、ドアが開く音がした。
コルル配下のサキュバスが遠慮がちに部屋に入って来た。
「コルル様、お話し中失礼します」
「……もう、どうしたの? いいところだったのに」
配下の登場にムッとした顔を浮かべるコルル。
サキュバスはコルルに話をしようとするが。
「申し訳ありません……できたら別の場所で」
「……わかった」
一転して、コルルの顔が真剣なものになる。
コルルは振り返り俺とマリーゼルを見る。
「ええと、マリーちゃん、ごめん、もう少しだけ彼と一緒にいてくれる? 少ししたら戻ってくるから……大丈夫、彼がマリーちゃんに悪戯するようなことはないはずだから」
「……え? は、はい」
戸惑いながら返事をするマリーゼル。
どのような話があったのか気になるが、好都合だ。
マリーゼルと俺を部屋に残してコルルが出ていった。
邪魔な存在が消えてマリーゼルと二人きり、部屋の近くには誰もいない。
「さて……これはどういうことなんだ? マリーゼル」
「や、やっぱり、私だって気づいていたんですね兄様」
「…………当然だろうが」
変装したって、ずっと一緒に居た妹を見間違えることはない。
ゆっくりと俺の元へ歩いてくるマリーゼル。
細腕を俺の背中に回してギュッと強く抱きしめてくる。
「その、おかしな再会になってしまいましたが……とにかく、兄様が無事で……よかったです」
「……マリーゼル」
少し涙声のマリーゼル。頭の上に優しく手を置く。
事情があったとはいえ、城に残るという俺の決断で妹に心配をさせてしまった。
敵地の城にまでやってくるほどに……。
ここに来たということは俺の身に起きた事情はわかっているはず。
「すまなかった。本当に……」
「……」
返事の代わりか、マリーゼルが俺の身体をより強く抱きしめる。
味方が誰一人いない、そんな場所にいて不安がまったくなかったわけではない。
突然の再会に困惑もしたが、こうして自分のために来てくれた妹を見て暖かい気持ちになる。
すまない…………だけど。
来てくれてありがとう、マリーゼル。
妹が落ち着くのを待ち本題へと戻る。
「マリーゼル。本当はゆっくりと話をしたいところだが……そうはいかない」
「はい」
コルルがいつ戻ってくるかわからない。急ぎ情報共有といこう。
「大事なことから教えてくれ。この街には単身で来たのか? メナルドのほうはどうなっている?」
「いえ、リドムドーラには私だけでなくアルベルトも一緒に……」
「アルベルトもここに?」
そうなると今、メナルドの街は誰も……俺の懸念を先読みしたようにマリーゼルが答える。
「向こうにはラザファムさんがいます。メナルドの城で兄様が戻るまで力を貸してくれるそうです」
「俺がいない間にラザファムが城に来たのか? ということはルミナリアと一緒にいるのか? 仲直りしたのか?」
次々に浮かんでくる疑問。
「ええと、色々とあって……アレはラザファムさんの誤解だったんです。とにかく、メナルドについては心配はありませんので」
「誤解? ……よくわからないが。そうか、アイツが城にいるなら……」
今は時間がないので細かい事情は後で聞くとしよう。
ラザファムが街にいるというのは朗報だ。魔王ラボラスに対する不安が減る。
そしてアルベルトもここにいるなら、これほど心強い味方はいない。
「兄様……私がここに来たのは呪いの件でどうしても伝えておかなければならない話があったからです。本当はアルベルトが説明する予定だったんですけどね。実は昨夜、アルベルトが兄様に会うために城に侵入していたんですよ」
「……昨日、城に?」
城内で騒ぎになっていないから気づかなかった。
俺に会うために城に潜入したアルベルト。昨日は最上階に来る直前で引き返したそうだが、今日再び侵入して、俺から話を聞くつもりだったそうだ。
「ま、まぁ……色々ハプニングがあって私が先に兄様のところに来ることになってしまいましたが……」
その時のことを思い出したのか疲れた表情のマリーゼル。
「端的に言います、このままだと兄様の呪いの誤解が解けるどころか、本当に犯人だと勘違いされて危機が及ぶかもしれません」
「……な、何を言っている?」
「今から説明します。その前に兄様……聞かせてください、今回の会談で何が起きたのかを? 何故、兄様が疑われることになったのかを?」
真剣な表情で俺を見つめているマリーゼル。
俺は犯人ではない。その点はメナルドに戻った配下の男たちに伝えさせた。
それは妹も理解しているはずだし、俺が犯人だと疑っているわけではないだろう。
その上で……俺の身に危険が降りかかるかもしれないと妹は言う。
「……わかった」
俺の知らない、知らなければならない情報がある。
マリーゼルから話を聞かなければならない。
俺は会談での出来事をマリーゼルに語ることにした。




