コルルとリーゼ1
「……ん、んん?」
微睡の中からゆっくりと浮上していく意識。
目が覚めた時、私は知らない部屋のベッドに寝かされていた。
ベッドから身を起こしてゆっくり部屋を見回す。
「……こ、ここは?」
ベッド脇の棚にある高価そうな花瓶は昨日泊まった宿にはなかったものだ。
壁に掛けられた色彩豊かな絵画は名だたる画家が描いたものだと思われる。
一応、その手の調度品にそれなりの知識はあるつもり。
高額な調度品はメナルドの城でも身近に存在していたしね。
まぁ……それでも目利きの的中率は七割くらいなんだけど。
何故、私はこの部屋で眠っていたのか?
時間経過とともに頭が覚醒していき、蘇っていく昼間の記憶。
ギルドで調べものを終えてメーテルと別れた後、昼食を食べに入った店でスリに財布を盗まれた私は会計時に無銭飲食だと男たちに囲まれた。
店主に謝るも、この状況は計画的なもので実際はスリの男は店の連中とグルだった。
お金を払えないことを理由に強引に私を奥の部屋に連れ込もうとする男たちに抵抗して、そのまま戦闘になりかけた時。
私は……睡眠魔法で眠らされたんだ。
「……っ」
自分の身なりを確認するため壁に設置された鏡の前に立つ。
鏡に映るのは今朝の自分とほとんど変わらない変装したままの姿。
「……よ、よかった」
ホッと息を吐く。ベッドに横になっていたせいか黒髪のカツラは乱れ、白のローブは皺ができているが、寝ている間に何者かに悪戯されたというわけではなさそうだ。
だが、安堵するのもつかの間……大事なことを思いだす。
しまった! 眠っていたということは……。
「……ああっ!」
カーテンを開けて部屋の外を見ると空はもう真っ暗。
店での出来事が夕方前だから少なくとも三時間は経過している。
まずい……急いでメーテルの家に戻らないと。
予定していたアルベルトの侵入時刻に間に合わなくなる。
いや、もしかしたら……もう時間は過ぎているのかもしれない。
部屋に時計がないため正確な時間がわからないのだ。
今頃、アルベルトたちは私がいなくなって慌てているはずだ。
大急ぎで合流しなければ、だが……この場所がどこかもわからない。
私にこの街の土地勘はない。見覚えのある景色であることを期待して外を見る。
窓の外に映るは空ばかり、周囲に同じ高さの建物は一つもない。
眼下に光る街の灯りがかなり遠くまで見渡すことができる。
どうやら私がいるのはこの街で一番高い建物のようだ。
「……あ、あれ? もしかして、ここって?」
と、とてつもなくいやな予感がする。
窓の外、正面に空を飛ぶサキュバスを発見、ジッと見ていると目が合った。
笑顔で手を振ってくるサキュバスに思わず手を振り返す。
空には他にも数人のサキュバスが確認できる。
自分がどこで眠っていたのか答えが出る。
私がいるのはリドムドーラ城。
これだけ高い建物で兵士が巡回している場所は一つしかない。
しかも、窓から上を見上げた時に城の屋根が近くに見えたことから最上階。
コルルやベリアのいるフロアだ。
(……さ、最悪じゃないのっ!)
信じられないような状況に頭を抱える。
どっ、どうしよう、どうすればいの?
だ、脱出できる? ……部屋に誰か来る前に。
もう一度窓から顔を出して下を見る。
ざっと見ても高さ四十メートル以上ある。
駄目だ……街の外壁よりもずっと高い。
ここから飛び降りるなんて自殺行為だ。
アルベルトならともかく、私では落下して怪我で動けなくなったところを捕まるのがオチだ。
近くに飛び移れるような建物もなく、外が駄目となると中から脱出するしかない。
アルベルトからリドムドーラ城の情報は聞いている。
城の魔法陣を見つければ脱出できるはず。
幸いというかミラージュリングは私の手元にある。
イチかバチかで試してみるべき? ……でも、ベリアとコルルと遭遇したら確実に捕まる。
このフロアを一人徘徊するのは相当に危険だ。
もう、こうなったら計画を変更すべきかもしれない。
この状況を利用する。今、私は偶然兄様と同じフロアにいるのだから、脱出するのは一先ず後回しにして、どうにか兄様に会うことができれば……。
兄様が魅了状態でなければ力を貸してくれる。
いや、でも……兄様のいる場所もこのフロアのどこかわからないわけで。
「……っ」
コンコン……と、ドアをノックする音。
まずい、まだ考えも纏まっていないのに部屋に誰か来てしまった。
ゆっくりと扉が開き、部屋に姿を見せたのは赤髪をツインテールにした少女。
それに付きそい立つ青髪のサキュバス。
一歩ずつゆっくりと近寄ってくるサキュバスたちに対し、反射的に後ろに下がる私。
赤髪の少女は私が気を失う時に見た少女だと気づく。
と、同時に誰が私をこの城に連れて来たのかを遅まきながら理解する。
店で見た時は睡眠魔法で視界が霞んでいてわからなかったけど、
(……この少女は)
城の最上階で供を連れて立つ姿は聞いていた特徴とも一致している。
私が抵抗できないレベルの睡眠魔法を用いていたことからも……おそらく。
「ま、魔王コルルッ!」
「……」
「……………………様、ですね?」
コルルの額に少し皺が寄ったのを見て失言に気づく。
まず……か、完全に呼び捨てにしてしまった。
突然の魔王との対面で心の準備もできていなかった。
「まぁ……いいか、いきなりだとそりゃ驚くよね」
よかった……今の言動は忘れてくれるらしい。ホッと一安心。
急に弱気になった感じで、ちょっと恰好悪い気もするけど。
別に私はコルルの手下ではないけど、魔王を呼び捨てはまずい。
どこぞのガーゴイルみたいな真似はさすがに無理。
「コルル様、何か気持ちが落ち着く飲みものでも用意しましょうか?」
「そうだね、ゆっくり話もしたいしね」
やり取りを見るに、やはり彼女が魔王コルルその人だったらしい。
従者のサキュバスが退室して魔王コルルと二人きりになる。
魔力を隠蔽しているせいかその実力の底はわからない。
だけど、兄様が傍にいる時に似たような感覚が伝わってくる。
私は強引に身体の震えを抑え、恐怖を押し殺して魔王と相対する。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ、危害を加えるつもりはないから」
「……?」
「ま、昼間あんなことがあった後じゃしょうがないけどね」
その言葉に戸惑う、コルルが本心から心配して言っているように聞こえたからだ。
私を安心させるように微笑むコルル。
「お店で何があったのかは覚えているかな?」
「……え、ええと……は、はい」
店で何が起きたのか私が眠った後のことを丁寧に状況説明していくコルル。
コルルが昼間に店に来たのは街の査察の一環。
事前に彼女の元には店で行われている犯罪情報が報告されており、店はマークされていたようだ。
コルルが査察に来た時間が丁度男たちが私を襲おうとしている場面と重なった。
店に着いたコルルは男たちの集団の中にいる私を見て危害が加えられないように、まとめて睡眠魔法を使って眠らせた……という経緯らしい。
「いや~巻き込んじゃってごめんね、ちょっと急いだ方がいいような雰囲気だったからね」
「……い、いえそんな、頭を上げてください」
謝る魔王コルル、なんだろう……もの凄く調子が狂う。
さっきまで警戒をしていただけに、この対応は肩透かしを食らった気分だ。
「あ、ありがとうございます、助けていただいて……」
「ううん、こっちこそ不安にさせちゃってごめんね」
話の流れを汲んで彼女にお礼を言っておく。
まぁ……あの状況では誤解しても仕方と思う。
勿論、あの程度の男たちなら何人で襲ってきても問題なかった。
とはいえ一応、コルルは善意で助けてくれたことだし……ね。
正直、ちょっと変な感じがするけど。
コルルの睡眠魔法のせいで状況が複雑になってしまったけども。
「そういえば、まだ名前も聞いていなかったね?」
「あ、え~と、リ………マリーです」
「なるほど……マリーちゃんね」
一瞬、リーゼと言いかけたがマリーと名乗ることにした。
ベリアにリーゼと自己紹介していたことを思い出したからだ。
もしかしたら、コルルからベリアにこの件が伝わる可能性もある。
コルルの親切(?)な対応のおかげか、私の頭に少しだけ余裕ができる。
落ち着いて考えることができるようになった。
ここまでのコルルの対応からある推測が浮かんでいる。
これ……たぶんコルルは私が兄様の妹だって気づいていないよね?
妹だと知っていたらこんな好意的な反応は取らないはずだ。
さすがにもっと険しい感じになるはず。まぁ……おかげで助かったけど。
私は過去にコルルとの面識はなく現状は怪しまれていない。
もしかしてこれ、普通に外に出られるんじゃ? ……そんな希望が湧き出る。
あまりこの場所に長居はしたくない。
今は変装しているから温泉の時と姿は違うけど、もしベリアに会って話をすることになれば声で怪しまれる。さすがに数日前に話した相手の声は覚えているだろう。
できたら兄様を探しに行きたいけど、眼前に魔王本人がいるこの状況では無理だろう。
もしカツラを取られてエルフだと判明したら、兄様との関係を連想されるかもしれない。
ベリアに至っては温泉で会った私の顔を覚えていると思うし。
コルルに聞きたい……ベリアが今城にいるのかを。
だけど、聞いたら絶対に変に思われるわよね。
魔王コルルと話してると、先ほどのサキュバスが紅茶を入れて部屋に戻ってきた。
「……あ」
「さ、座って、座って……」
コルルが部屋に備え付けられた椅子に座るように言う。
早く外に出たいのが本音だが、さすがに魔王の誘いを拒否するという決断はとれない。
湯気の立つ温かい紅茶をコルルと向かい合って飲む。
「マリーちゃんの口に合えばいいんだけど……どうかな?」
「お、おいしいです」
本心を言えば、こんな状況で味なんてわかるわけがない。
ぶっちゃけると、紅茶でなく胃薬が欲しい。
ふと見れば、コルルの視線が紅茶を飲む私のほうに注がれていた。
「……ど、どうしたんですか? こちらを見て」
「いやぁ、綺麗な飲み方するなぁと思ってね。どこかのお姫様みたい」
「あ、はは……そんな」
す、鋭い。一瞬、そんな発言が飛び出たということは私の正体を……とも考えたが、ただ思ったことを口にしただけみたいだ。
アルベルトと一緒だったり気が抜けるとだらけてしまうことも多いけど。
さすがにこういう場ではキッチリしているつもり。
うん……まぁ温泉の時の振る舞いは例外として忘れよう。
「……」
それにしても、不思議な状況だ。
コルルが私に気を遣ってくれたおかげか、微妙にほのぼのした雰囲気になっている。
少なくとも表面上は私が魔王コルルと談笑しているように見えるだろう。
内心はこんなことをしている場合じゃない……と、焦っているが。
早く城で出てアルベルトたちと合流しなきゃいけないのに。
でも、相手が相手なので無碍にするわけにもいかない。
しかし、コルルは本当に親切というか。
いくらコルルの魔法に巻き込まれたせいとはいえ、一人の女に対し魔王直々にここまで丁寧に対応するものだろうか。手厚いアフターケア、破格過ぎる対応だ。
怪訝に思いながらコルルと会話をしていく。
「え~~、あ~~、コホンコホン」
「???」
会話が一区切りしたところで、空気を変えるようにわざとらしく咳をする魔王コルル。
「……コルル様、こちらを」
「ん」
部下のサキュバスから黒い布っぽいものを受け取るコルル。
「……えと、ね、うん、その……ね、マリーちゃんにちょっとお願いしたいことがあるんだ」
「お願い、ですか?」
少しだけ話しづらそうに、モゴモゴと口を動かす魔王コルル。
魔王コルルが私にお願い? 突然過ぎて思わず身構えてしまう。
「ちょっとこれ着て、ある部屋に食事を届けて欲しいんだ」
な、何言ってるんだろう、この人は……。
テーブル越しに先ほどコルルが受け取った黒い布を私に手渡すコルル。
手渡された布をテーブルに広げる。
黒い布地、丈の長いスカートに、手先、スカート下部に細かい刺繡の施された白いフリル。
とてもよく知っている私にとって馴染みのある服だ。
まぁ、見ているだけで私自身が着たことはないけど。
「コ、コルル様……これって、メイド服? ……ですよね?」
「うん、そうだよ」
私の問いにはっきりと頷くコルル。
広げたりして服を観察するも、魔法的な仕掛けが施されているわけでもない。
随分高そうな生地が使われているが、その形状は一般的なメイド服の範疇だ。
ふと顔を上げるとコルルと目が合う。
「色々あるんだよ、色々……細かい事情は言えないけど危険はないと思うから」
「……」
内心、訝しんでいるのが伝わってしまったようだ。
コルルが補足説明をする。まぁ説明というか警戒心が増すだけの台詞だったけど。
何故こんな頼みをするのか考える。
食事を届けて欲しいといったが、そんなの配下のサキュバスの誰かに頼めばいい。
どうして私が? ……と、勘ぐってしまう。
「なんとかお願いできない? あんな目にあったあとで、こんなことを頼むのも心苦しいんだけどさ……あ、もしかしてこのあと約束とかある?」
「ええ……と」
勿論あるけど「アナタの城に忍び込む準備を手伝わないと……」言うわけにもいかない。
既に城の中にいる私がそんなことを言うのも変だけど。
両手を胸の前で重ね合わせてお願いのポーズをとる魔王コルル。
手の動きに合わせて豊かな胸が盛り上がる。
……い、色仕掛けされても私、女なんだけど。
自然とこういうポーズをとるのはサキュバスならではだろうか。
「届け終わったら城を出てくれて構わないから……お願いだよ、もちろん報酬も出すよ」
報酬なんていらないから解放して欲しい……そう言えたらどんなに楽だろう。
魔王コルルの頼み、怪しさ満点だし拒否したい。
だけど魔王のお願いなんて……実際は強制のようなものだ。
断りたくても断れない、コルルもその点はわかっているはずだ。
部屋に来てから妙に親切なのはその辺りの事情もあったのかもしれない。
「本当に、届けるだけ……ですよね?」
「うん、もちろん……それだけだよっ」
「……わ、わかりました」
渋々ではあるが、それが顔に出ないように返事をする。
私の手を握って感謝の笑みを浮かべるコルル。
「ありがとう! 助かるよ!」
元よりコルルがすぐ傍にいるこの状況では選択肢など無いに等しい。
仮に暴れても、魔王コルル相手ではどうにもできない。
せめてコルルが傍からいなくなるまでは、大人しくしていないと……。
コルルにさりげなく時刻を聞いたところ、ベリアが城を留守にしている可能性は高い。
ベリアが温泉から戻るにはまだ一時間以上の余裕がある。
昨日の時間と同様にベリアが行動しているのであれば……だが。
残念ながらアルベルトの予定侵入時刻には間に合いそうにないが、コルルの要件を済ませたあとで急いで合流しよう。
メイド服への着替えを手伝おうとするサキュバスたち。
恥ずかしいので自分で着替えると伝えると、気を利かして退出してくれた。
このまま逃げられたらいいのに……と考えながら、着慣れない服に手足を通す。
少し苦労しながらもメイド服に着替えを終える。
鏡を見るに自分ではおかしな部分はないと思う。
ドアに待機しているコルルたちを呼ぶ。
「うん、いいね! とてもいいよ!」
「あ、ありがとうございます?」
「お世辞じゃなく、すごく可愛いよっ! 清楚な感じがたまらないね。マリーちゃんの可愛さなら、お店でガッポガッポお金を稼げるよ! ナンバーワン間違いなしの逸材だよ」
「……あ、はは……」
本当にお世辞になっていないし、まったく嬉しくない。
たぶんコルルなりに褒めてくれているんだろうけど。
私のテンションはかなり下降気味だけど。
「ふふ……これなら」
私の姿を見て満足げに頷く魔王コルル。
なんか今、一瞬黒い笑みを浮かべていた気が……。
メイド姿の私はコルルに連れられて部屋から廊下へ。
私が着替える間に届ける夕食は用意されていた。
サービスワゴンの上に乗った夕食をゆっくり目的の部屋へと運んでいく。
着慣れないメイド服と緊張のせいか、真っすぐ歩けず足取りが安定しない。
「……大丈夫だよ、もし何かあっても守ってあげるから……」
「……」
そうは言われても、ほとんど何も知らされていないこの状況。
不安になるなというほうが無理。
廊下の角を曲がり、魔王コルルがある部屋で立ち止まる。
「やっほ~」
「し、失礼します」
軽くノックしたあと。
部屋の向こうにいる誰かの返事も待たずコルルが中に入っていく。
警戒しながら私も彼女に続く。
一応城でメイドたちの動きは見ているので、どうすればいいかはなんとなくはわかる。
「……っ!」
目に入ってきたのはテーブルで本を読む男の姿。
部屋に入り、その横顔を見た瞬間、心臓が大きく鼓動を刻む。
反射的に力が抜けて、手から落ちそうになった夕食のトレイをどうにか持ち直す。
「……にっ……に」
「大丈夫、普通にしてくれればいいよ」
魔王コルルが言う。
事情を知らない彼女は私が緊張しているせいで、トレイを落としそうになったと勘違いしたのだろう。
普通になんて……無理。
動揺するに決まっている、だって今……私の前にいる人は。
この街に来た理由であり、無事でいて欲しいと願っていた人。
(クライフ兄様っ!)
その名を叫びそうになるも、現状を思い出し喉の奥に押し留める。
「……なんだ、今日はまた随分と大勢……で?」
ゆっくりと振り返る兄様。
魔王コルルの無遠慮な入室にも動じなかった兄様の表情が、私を見て完全に止まった。




