クラーケン4
ライオルさんの右手には刀身に雷を纏った剣が握られている。
ライトニングソードと呼ばれた剣はライオルさんの魔力に呼応して光輝く。
切り札呼ばわりするだけあって、強烈な力の波動がここまで伝わってくる。
「うおおおおっ!」
覚悟を決めたライオルさんがクラーケンを睨み付け、全速力で疾走し船上を駆ける。
強く剣を握りしめ、勢いそのままに斬りかかる。
だが……。
「……っぐ!」
ライトニングソードがクラーケンに命中することはなかった。
剣が強い輝きを放つと同時、刀身から飛散した雷が使い手のライオルさんの皮膚を焼く。
痛みからか、攻撃の照準がずれてしまい、剣から漂う危険な気配を察知したクラーケンに難なく避けられてしまう。
「つっ、くそっ! くそおっ!」
先ほどライオルさんが、この武器が危険過ぎるといった理由を理解する。
剣を纏う雷の強さは込めた魔力量に比例する。
クラーケンを倒すにはかなりの魔力を込める必要があり、強化された剣を使いこなすには高度な魔力制御能力が求められる。
使いこなせれば有効な戦力となるが、制御できなければ今のように持ち主にすら牙を向く。
腕利きとされるライオルさんですら使いこなせない、使い手を選ぶ剣。
だけど……私は今の光景に一筋の光明を見た。
僥倖というか、なんというか。
見つかった! この状況をひっくり返す可能性が!
信じられない偶然、奇跡、幸運。
とにかくあれがっ、あれがあればいけるかもしれない!
「くそっ! 二千万ゴールド出して転売屋から買った雷真龍ラザファムの剣だってのに!」
「……」
き、気になるワードがいくつか聞こえてきたが、一先ず置いておこう。
雷真龍の剣、私ならっ!
「ち、もう一度っ……」
「ライオルさんっ! 待ってっ!」
再びクラーケンの元へ走りだそうとするライオルさん。
私はそれを大声で制止する。
「……ル、ルミナリア? こっちに来るな! 水龍の君が雷に触れたら大けがするぞ!」
「ライオルさん! それっ、私に貸してくださいっ!」
「な、何を……水龍の君ではこの剣は……」
ライオルさんが私の突然のお願いに戸惑う。
「いいから早くっ! 時間がありませんっ!」
「……っ!」
ライオルさんから強引気味に拝借する。
少し後ろめたい気持ちもあるが、今は遠慮している余裕もない。
細かいことはあとで考えればいい。
通常、水龍は雷の剣など装備できないが、雷龍の父を持つ私は少し話が異なる。
その上、この剣の媒体は……。
私は剣を強くギュッと握りしめる。
剣は、私の手に吸いつくようにしっくりと馴染む。
生まれた時から一緒だったという、ギンさんのトライデントと同じ。
なんという一体感だろう。
まるで私のためだけに造られたかのよう……。
他人のものではあるけど、抜群の相性とはこのことだ。
私の魔力が一切の抵抗なく、流れるように剣に伝わっていく。
魔力に呼応して、その剣は黄金色に激しく強く閃光のように光輝く。
(お父さん……力を貸してっ!)
「……な、なぜ? 君がそれを扱えるんだ?」
「色々ありまして……もう少しだけこっちをお願いします!」
そう言い残し、元いた場所へと走る。
私が移動したことで『水牢獄』が解除され、もう一匹のクラーケンが自由を取り戻しているが、この剣があれば攻勢に回れるはずだ。
頭上を見上げれば新しく現れたクラーケン、その黒目が先ほどまで自分を閉じ込めていた私を睥睨する。
十メートルを超える巨体との対峙、普通は恐怖を感じるだろうが私は落ち着いていた。
本能のまま、私に触手を叩きつけようとするクラーケン。
幾本もの触手がブォンと風を切る音を立てながら、猛烈な速度でこの身に迫ってくる。
眼前には圧倒的な暴力……でも、この手にはそれを超える力がある。
畏れる必要などない、抗う力はこの手にある!
「はああああっ!!」
強烈な稲光をあげる剣を強く握りしめ、勢いよく振り上げる。
光の軌跡が空を切り裂く。
触手が宙を舞い、大きな水しぶきをあげて海面を落下していく。
剣で一閃、それだけで雷の刃は触れたものを全て切り飛ばす。
「ギュエエエエエエエエエッ!!」
咆哮をあげるクラーケン。
次から次へ、連続で繰り出される触手をライトニングソードで迎撃する。
クラーケンの弱点属性の雷の剣、それも最上級。
その効果は絶大。剣は触手の切断のみに留まらず、切断面から雷を胴体へと伝える。
クラーケンが麻痺し、動きに精密性をかいている。
この隙を逃さず一気にたたみかける。
なんてすさまじい剣だろう。
伝えた魔力を余すところなく、雷へと変えてくれる。
魔力が剣に沈み込むように浸透していき、刀身全体をより大きな雷の刃が覆う。
覆う雷は剣に魔力を込めるほど、大きくなっていき、刀身の三倍以上の長さの雷の剣が完成する。
『ギュイイアアッ!』
振るうたびに光の線を描く剣は傍目には美しく見えるが、クラーケンにしてみれば恐ろしく残酷だ。
ライトニングソードに切られ、突かれ、たまらず、悲鳴をあげるクラーケン。
触手の半分を失い、胴体の守りが手薄になってきた。
このまま一気に再生する暇を与えずに仕留める。
後はむき出しの胴体に一撃入れれば終わる。
……と、そこで視野の端に別のクラーケンの存在が目に映る。
ライオルさんたちが交戦中のクラーケンに動きがあった。
「っ!!」
味方の危機を感じたのか、交戦中の傭兵たちを放り出して、眼前のクラーケンの助太刀に入る。
そこまでしてでも倒すべき、危険な敵だと認識されたらしい。
仲間意識に近いものが存在するようだ。
それでも、相手が魔物で助かった。
もしここで人質を取るなどという手段を取られていたら、非常に厄介なことになっていた。
数が増えたことで、攻撃の激しさは増す。
正面、側面と、縦横無尽に迫りくる触手。
だが、ライトニングソードの追加効果(雷)によりその動きは鈍く、閉じ込めていたほうのクラーケンも大分弱体化している。
数は多いが、これなら十分に対応できる。
落ち着いて、時間差で叩きつけられる触手を見切る。
ひたすら躱して、躱して、隙を見て触手を切り続ける。
確実にクラーケンの触手を切断し、減らしていく。
そして、今度こそ……
がら空きの胴体を真横にライトニングソードが切り裂く。
『ギュウイイイイ!』
上下真っ二つに別れ、沈黙するクラーケン。
これでようやく一匹。
仲間の最後の声を聞いて、一瞬硬直するクラーケン。
そのわずかな時間を逃さず再び剣に魔力を込め、刀身を伸ばし、今度は縦に一閃する。
同じく断末魔の声を上げ、もう一匹の命も絶たれた。
「よしっ!」
だが、気を緩める暇はない。
二体のクラーケンを始末したが、まだ危機は去っていない。
後方にいる最後の一体へ向き直る。
船上には傷つき、倒れ伏している大勢の傭兵たちの姿。
酷い状況だが、それでも残った傭兵たちが傷つきながら必死に応戦しており、船はギリギリのところで持ちこたえてくれている。
だが、あと数秒と経過しないうちにこのバランスは崩れる。
対象のクラーケンまでは距離があり、ここから泳いで救援に向かったので間に合わない。
だから……。
眼を閉じ、深く息を吸って、集中力を高める。
両手に握った剣を頭上に掲げて、ありったけの魔力を込めていく。
私の魔力を吸収し、これまで以上に一際強い輝きを放つライトニングソード。
バチバチと音を立てて、剣に蓄積していく雷のエネルギー。
私が制御できる限界ギリギリまで魔力を込める。
イメージするのは、昔見た父のライトニングブレス。
『ギュウイイイイッ!』
クラーケンが遅れて私に気づくが、もう遅い。
「あああああっ!」
最後のクラーケンに向けて、一気に剣を振り下ろして雷を解き放つ。
剣先から放たれた、雷の奔流が最後のクラーケンを飲み込んだ。
「うおおおぉぉぉっ! やったっ、やったぞおおおっ!」
「生きてる、生きてるよ俺!」
三体のクラーケンを倒したことで、ワッと大歓声があがる。
緊張感から解放され、無事を喜ぶ傭兵たち。
涙を流しながら近くにいた者と抱き合い、安堵の息を吐く。
「はあっ、はっ……」
一気に体力と魔力を消費した反動で呼吸はまだ乱れたままだ。
歩こうとするが、足に力が入らずよろめいてしまう。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
近くにいた女性傭兵が肩を貸してくれる。
休めば回復するだろうけど、少しの間だけ甘えさせてもらうとしよう。
「ありがとね」
「本当、あんたがいなけりゃ私たちは死んでたよ」
「……この剣のおかげですよ」
傭兵たちから感謝の言葉を告げられる。
全員が無事だったとはいえないが、それでもこの状況で生き残っているだけで奇跡的なことだろう。
「それじゃ、さっそく解体するか」
「しっかし、すんげえなコリャ」
傭兵たちが海に浮かぶクラーケンの死体を見る。
クラーケンの体は装備品の優秀な素材となる。
たとえば皮は伸縮性や耐久性に優れる上、雷を除いた魔法耐性、物理耐性も高い。
食用としても高値で取引されている。
危険性、討伐準備の手間などにより、流通する機会は少ないが、炙ってよし、干物にしてもよし、寄生虫に注意する必要はあるが生でも食べられる。
この時期は身が引き締まっており、甘みが増す旬の季節だ。
「だがどうする? さすがにこれ全部船に運ぶのは無理だろう」
傭兵たちが相談を始める。
激しい戦闘で船は一隻はほぼ全壊で使い物にならない。
残り二隻がどうにか無事に動くといったところ。
船の木片が海上に散らばって、プカプカと浮かんでおり、クラーケンを三体討伐したとはいえ、ギルドは赤字になるのではないかと疑問に思う。
一先ず価値のある部位を優先的に、持てるだけ持っていく方向にまとまる。
「よし、チャッチャとやろうぜ」
「ああ、早く街に戻って酒飲んで寝てえよ」
「……あ、私も手伝い」
「いいから、いいから……それぐらいは任せてくれよ」
「アンタが一番大変だったんだ、のんびり休んでいて頂戴」
解体係の人が前に出て作業していく。
クラーケンを運び易いように、小さく解体していく。
解体場面をボ~ッと眺めながら体力回復に努めていると、隣にライオルさんが、二人の女性を連れてやって来た。
「ライオルさん」
「……ルミナリア」
「この剣お返しします。無理矢理借りる形になってしまい、申し訳ありませんでした」
「あ、ああ……それはいいんだが」
礼を言い、ライオルさんに手渡す……少しだけ名残惜しい気もするけど。
この危機にこんなモノがあるとは思わなかった。
この剣がなければ、確実に全滅していただろう。
連れの女性二人がライオルさんの前に出る。
「あの……すみませんでした」
「え?」
「ここに来る前にあなたに不快な態度を取ってしまって」
そう言い、二人が頭を下げる。
「ああ……いえ、気にしてないですから」
「……でもライに惚れちゃだめよ」
「惚れませんよ」
むしろライオルさんのどこに惚れたんだろうか。
二人は私の表情からそんな疑問を察したのか。
「ライは顔だけじゃないわよ、男女差別が激しいだけで、私たちには本当に優しいのよ」
「男性、特に亜人以外にはすさまじく辛辣で、怒り、憎しみを叩きつけるかのように性格悪くなるけどね」
「うるさいぞ」
亜人以外? ずいぶん限定的だ……何か理由があるのかな。
聞こうとすると、中断するようにライオルさんがゴホンと大きく咳をする。
「ところでライオルさん、この剣の入手経路について聞いてもいいですか?」
気持ちが落ち着くと、別のことに意識を割く余裕が出てくる。
「ああ、これはとある商人から手に入れたものだ」
「……」
「商人はファラの街で行われたオークションで落札したらしい、金額はかなり足元を見られたが、二度と手に入らないかもしれないと思って購入した」
「オークション……ですか?」
「ああ、俺も人づてに聞いただけだから詳しいことはわからないが、知っているのは剣の素材となった真龍の鱗は、二百年前に金髪の美青年から入手したとか……どうしたルミナリア?」
二百年、金髪の青年、ちょうど父と離れた時期だ。
お酒に逃げて、自暴自棄になっていた父。
まさか金欠になって自分で鱗を剥がして、酒代にするために売ったわけじゃないよね?
なんにせよ、何か隠しているのは間違いない。
城に戻ったら、色々と話を聞かせてもらわないと。
「ところで君はなぜ……ん、ミナ?」
「あ……れ」
ライオルさんと剣について話をしていると、フラリとよろめき、床に膝をつくミナさん。
「ご、ごめん、疲れかな? ちょっとクラッとしただ……け」
「お、おいっ!」
ミナさんの顔色は青白く、ただの疲れと思えない。
その様子はまるで魔力が切れる寸前みたいな……。
ライオルさんが慌てて近づき、回復魔法をかける。
「しっかりしろ! 待ってろ、今回復魔法、を……え?」
今度はバタリとレナさんが倒れ込む。
それを皮切りに船の至るところで、同時に似たような音がした。
「……な、なにが起きてるの?」
辺りを見回すと、同じように人が次々に膝をついていく異常事態。
元気に歩き回っていた人たちも、突然糸が切れたかのように床に崩れ落ちて行く。
そして私はようやくソレに気づいた。
だが既に……手遅れだった。
「…………そんな」
「ちょっと待ってよ……」
「どうなってんだよ、これは!」
少し遅れて傭兵たちの声が聞こえてくる。
ようやく終わったのに……
どうにか危機を切り抜けたと思ったのに……
「「「…………」」」
言葉が、声が出ない。
生き残った全員がその事態に膝をつく。
抵抗する気持ちすらへし折られ、心が絶望に支配される。
海面から浮上してきた、さっきの倍以上のクラーケンの群れが私たちの周りを取り囲んでいる。
脱出する隙間なんてあるはずもない。
こ、こんなのどうしたって……。
「……ぐっ」
海面から出てきた黒い触手が私の両足に絡みつく。
あまりにも突然のことだった。
油断した、先ほどの戦闘の疲労もあったとはいえ、接近にここまで気づかないなんて。
触手の先には黒い……クラーケン?
「は、放せっ! ……っ!」
足に絡みついた触手からもの凄い勢いで魔力を吸われている。
身動きがとれなくなる前に、身体強化魔法をかけ、強引に隙間を作り出して触手から抜け出すことに成功する。
「はぁ、はぁっ……」
だが、そこまでだった。
さっきまでの戦闘で魔力を使い過ぎた。
逃げられるとは思わなかったのか、黒いクラーケンの動きが止まる。
なんなのか、このクラーケンは?
他の個体よりも一回り以上大きく、異質な……黒色の体。
(……黒色?)
思い出すのは、城の廊下に掛けられた一枚の画。
過去、メナルドの街を大混乱の渦に陥れた異形種。
「……変異種」
ああ、最初にクラーケンが群れている時点で気づくべきだったのに。
これは……私が手に負える魔物じゃない。
このまま警戒して退いてくれればよかったのだが、そんなことはなく。
変異種の無数の触手が空の一点を指さすようにして伸びていく。
触手はブルブルと震え出し、小刻みに振動している。
「な、何をして……」
触手の先に生まれたのは直径一メートルほどの水の球……だけど、大きな唸り音を上げて、高速回転しながら、ぐんぐんとその大きさを増していく。
「……これ……は」
魔力感知の得意ではない私だけど、これは知っている。
何度も感じたことのある魔力の波動。
「メ……メイルストロームッ!」
水属性、レベル六の広範囲攻撃の大魔法。
水真龍である母が好んで使用する馴染みのある魔法。
故に嫌でも理解できてしまう。
このあと何が起きるのかを……。
あの魔法が発動したら……大渦に飲み込まれて一瞬で全てが海の藻屑となる。
もしかしたら、水龍の私は耐えられるかもしれないけど。
発動を阻止しようと、残り少ない魔力でありったけの魔法を叩きつけるも、変異種は怯まずビクともしない。
球の大きさは直径十メートル程度まで膨らみ、変異種の気分一つで全てが終わる。
「…………や、やめてえっ!」
寸前に迫る恐怖に泣きそうになる。
だけど、魔物が聞く耳を持つはずなどない。
現実は無情で、言葉は意味を為さない。
……はずだった。
死を覚悟した刹那、私の頭上に大きな影が差した。
直後、天から降り注いだ落雷が発動寸前だったメイルシュトロームを消し飛ばす。
「……俺の大事な娘に何してくれてるんだ、貴様」
聞こえてきたのは、誰よりも私を安心させてくれる声だった。




