異変2
調理室に入ると、頭に三角巾を巻いて熱心に料理の特訓をしているラザファムの姿があった。
「精が出るな」
「ああ、昨日ルミナリアに教わった内容の復習をしているところだ」
「……なんかお前、楽しそうだな」
「そうだな、料理をするのも存外悪くない。拙い出来ながらもルミナリアが笑って食べてくれるのを見てそう思った」
「……」
「まだまだ未熟だが、上達したらいずれは妻に俺の手料理を振る舞ってやりたいものだ」
こいつ、一応真龍なんだよな。時々忘れそうになるよ。
まぁ明確な目標ができるのはいいことだ。
あまりギンを自室に待たせるのも悪い。
千切りの練習は後でもできるしな。
適当に会話を切り上げて、ギンが城に来ていることをラザファムに伝える。
二人、調理室から出て自室へと向かう。
リーゼにも話をしておくつもりだったのだが、執務室に行ってもリーゼの姿はなかった。
また別のメイドさんに尋ねると、俺の部屋に向かったとのこと。
入れ違いだったらしい。
なんか今日はすんなりいかない日だな。
てことは俺の部屋にはギンとリーゼが一緒にいるのか。
なんか無性に嫌な予感がするので、早歩きをする。
自室に戻ると、扉の向こうから男女の声が聞こえてくる。
ドアを開けると、椅子に座り、向かいあって談笑しているギンとリーゼの姿があった。
「……ご、ご趣味はなんですかい姫様?」
「……お見合いでもしてるのか、お前ら」
「何馬鹿言ってんの、アンタが来るまで少し話をしていただけよ」
まぁ、なんとなく想像はつくけどな。
見れば少し残念そうな顔を浮かべるギン。
もう少し俺が来るのが遅かったらどうなっていたか……。
ギンめ、油断も隙もねえ野郎だな本当に。
「お、金髪兄ちゃん!」
「久しぶりだな、ギン」
ギンが俺の後ろのラザファムに気づき立ち上がる。
二人が再会の挨拶を交わす。
「ねぇ、私ここにいてもいいの?」
「ああ……というか、二人で先に話しているとは思わなかったよ」
「ギンの勢いに乗せられて、部屋を出るタイミングを逃したのよ」
まぁ結果的には好都合だ。
紹介する手間も省けたしな。
「ギンを連れてきたのは城を見学させる以外にも目的があるんだ」
「そうなの?」
「今朝の魚の話、ギンに聞いてみたらどうだ?」
「……ああ、そういうことね」
俺の提案にリーゼが納得した顔を見せる。
「……うん、なんの話だ、兄ちゃん?」
「ちょっとね、海の種族のギンに聞きたいことがあるのよ。いい?」
「お……俺でわかることでしたら」
そう前置きし、リーゼの口が開く。
今朝水揚げされた、正体不明の魚の件をギンに説明するリーゼ。
魚の大きさ、色合い、フォルムなど、細かい特徴を伝えていく。
「……」
リーゼの説明が進んでいくうちにギンの眉間に皺が寄っていく。
何か思い当たる魚がいたのだろうか?
「……姫様、魚の実物ありますかい?」
「検分していたところだから城内にあるわ。今待ってこさせる」
呼び鈴を鳴らし、やってきたメイドに魚を運んでくるように伝えるリーゼ。
五分後。体長五十センチメートル程度の真紅の魚が透明なケースに入れられた状態でテーブルの上に置かれる。
その魚を見た印象としては……赤い、その一言に尽きる。
やや細身で、形状という面では目立った特徴はないが……とにかく赤い。
血のように濃い赤色の魚だ。
「……間違いねえ、ハマジゼだ」
「「ハマジゼ?」」
俺とリーゼの声がハモる。
やはりというか、リーゼも聞いたことがない魚だったらしい。
「ああ……これが今朝獲れたってのは本当ですかい?」
「え、ええ……」
魚を確認したギンは浮かない顔だ。
ジッと魚を見て考え込んでいる。
そんな顔をされると、こっちが不安になってくる。
「もしかして、危険な魚なのか」
「ハマジゼは危険な魚じゃねえよ。いや、ある意味では危険なんだが」
なんだかハッキリしないな。
「この魚は魔力の塊みたいな魚でな」
「魔力の塊?」
「おう、この魚は魔力だけを食べて生きているせいか、体の半分以上が魔力みたいなもんなんだ。んで、食えねえ」
「食えない? でも魔力が含まれるサンドシェルとかは食えるよな?」
以前、砂浜でギンと一緒に、ギルドの依頼でとったサンドシェル。
酒蒸しにして食べたが美味しかった。
あの貝にも魔力が微量含まれているが食べられた。
例えば、魔力の含有量の多い植物のマンドラゴラだって、飲むと魔力回復速度が向上するマジックポーションに使われているくらいだしな。
魔力を保有している魚貝類の魔物は他にもいる。
なぜ、ハマジゼは食えないんだ?
「単純に滅茶苦茶不味いんだ」
ハマジゼの体内で食べた魔力が独特に変質し、肉体に影響を与えていて、それが味にも影響しているとか。
ハマジゼの肉は他の魚よりも柔らかく、少し強めに棒で突けば中までめり込む程。
その触感と味から、もの凄く苦いゼリーという表現がしっくりくるそうだ。
ハマジゼが不味いのも理由があり、周囲の魔物に餌として認識されないように進化した結果らしい。
「一応毒ではないが、食べた不快感の度合いを考えると毒みたいなもんだな」
「……そこまでか」
だが、ここまで聞く分には大きな問題もなさそうだ。
不味いだけの魚が獲れたという話で、動揺するほどのことではない。
「話を続けるぞ。このハマジゼだがな、魔力を食う特性からか海中の魔力濃度の高い場所に生息している。んで、魔力濃度が高い場所ってなると基本的には海底だ。だから海面まで浮上してきて、網に引っ掛かるなんてことはまずねえ」
「ふむ」
「異常事態……例えば天敵から逃げて、上に浮上してきたとかでなければな」
「天敵?」
「ああ、くそ不味いハマジゼだが……唯一の天敵がいる」
一拍の間を空けて、ギンが口を開く。
「クラーケンだ、あの魔物だけはハマジゼを好んで食べる。まぁクラーケンは悪食だから基本なんでも食べるがな」
「……」
「ルミナリアの姉ちゃんも言ってたろ、クラーケンは魔力も食べると……この点はハマジゼと共通する。だから両者は同じ海域に生息していることが多い」
クラーケン、街に来てからよく聞く魔物だ。
そういやクラーケンはギンの魔力が込められたトライデントを餌と認識して噛り付いていたらしいからな。
無機物だろうがおかまいなし、悪食にもほどがあるぜ。
「だがギン、クラーケンに追われてってだけの理由なら、過去にもっと獲れた例があってもいんじゃないか? そもそもの生息数が少ないとか?」
「いや、ハマジゼは海面付近でこそ見ないが、海底には沢山いて珍しい魚でもない」
「……なら」
「まぁ話を聞け。ハマジゼは群れる魚でな……数が多ければ自分が狙われる可能性も低くなって、生き残る確率が上がるだろ」
「……」
「そんで、集団でいることが一番安全だと本能で理解しているから、単体で逃げるということはない。仮にクラーケンの一匹、二匹に襲われて数を減らしても、繁殖力が強いからすぐ数も戻る。だから余程のことがなければ単独になることはない」
な、なんかどんどん嫌な予感がしてきたな。
「そう、例えば両者の数のバランスが大きく崩れるとか……な」
「……ま、まさか」
リーゼの頬に一筋の汗が流れる。
「海中に捕食者のクラーケンが大量に出現して、群れが崩壊したとかなら理解できる。繁殖力の強いハマジゼの群れを崩壊させる数のな……」
「……」
「それと姫さんの言葉を訂正するが、この魚は過去にも海に流れ着いているぜ」
「……え? い、いつよ?」
「四百年前だ、この街の歴史資料館に骨格が標本展示されているぜ。まぁ流れ着いたのは死体で不完全だったらしく、欠けた骨格の何割かは想像で補完して作ったものだから、姫さんが気づかなくても無理はねえがな」
「……」
ギンの説明を聞いたリーゼが口に手を当てて再び考え込む。
そうして十秒ほど経ち、表情が一変する。
「ね、ねぇ……もしかして」
「ああ、姫さんの想像が当たってる可能性は高い」
姫であるリーゼに対し、さっきまで一応の敬語を使っていたギンだが、完全な素になっている。
二人の様子から何かしらの危機が迫っているのは伝わってくるが、俺とラザファムは話についていけてないんだけど。
とりあえず二人に説明を促す。
「アルベルト、昔この街を襲ったクラーケンの変異種について聞いたことは?」
「変異種? 確か城の壁に掛けられてる絵画の話だろ? この近海にいた魔王を倒すほどの魔物とかなんとか……」
先日、割れた花瓶を片付けていたときにルミナリアから聞いた。
「そう、ただでさえ巨大な通常種より、更に大型のクラーケン。当時のエルフ、ハイエルフが総出で戦った魔物よ」
過去にメナルドの街を襲撃し暴れまわった突然変異したクラーケン。
ハイエルフですら命を落としたという海の魔物。
今でこそ五人しかいないハイエルフだが、昔はもっと多かったそうだ。
魔王級の存在の襲撃。
もしクライフがいなかったら、今この街は存在していないと言われている。
「当時、私は小さかったから戦線に出ていなかったけど、変異種のことは兄様から嫌ってくらい話を聞いてる」
「ふむ」
それで、変異種がさっきまでの話とどう関係するんだ?
「どこから来たのか、どうして発生したのかはわかっていないけど、四百年前に変異種は街に襲撃を仕掛けてきた、数え切れないほど大勢のクラーケンを従えてね」
「大勢のクラーケン……」
「兄ちゃん、さっきのハマジゼの群れが崩壊した話と矛盾するように聞こえるかもしれないが、本来クラーケンは縄張り意識の強い魔物で集団行動はしない」
「……」
「クラーケンは圧倒的な個の強さから群れる必要がない、むしろ同種でありながら争うこともあるくらいだ」
「……だが、さっきは変異種がクラーケンの群れを連れて街を襲ってきたと言ったよな?」
「そうだ、変異種がいる場合は話が変わる、バラバラだった個体が統率されるんだ」
ギン曰く理由はわからないが、クラーケンの通常種は変異種を自分たちの王の様に考えており、変異種は通常種に命令し、従わせることができるらしい。
ハマジゼの群れは一匹、二匹のクラーケンで崩壊するものではない。
複数のクラーケンが連携して群れで襲い掛かったりしない限り。
ここまで聞いて、ギンとリーゼが危惧している理由を理解する。
ハマジゼが前に陸に上がったのは四百年前。
クラーケンの群れが街を襲撃した年と一致する。
時期からもクラーケンの大量出現の前兆であることが疑われる。
そして……。
「……クラーケン変異種の発生か」
俺の言葉に首肯する二人。
ここまでの話はすべてギンとリーゼの推測だが、話の筋は通っており、否定する材料もない。
変異種の発生条件はまだ判明していないとのことだしな。
今はクライフの留守で、魔王ラボラスの干渉を警戒する時期ということもあり、悪い方へ、悪い方へと考えが流れていく。
「……」
話を聞き終え、顔を強張らせるリーゼ。
俺はクラーケンがどういう存在なのか知らない。
だからリアルな危機感みたいなものが伝わってこないが、リーゼのほうは当時幼かったとはいえ、変異種のことを俺よりも知っている。
それでも……。
「……アルベルト?」
「まだ可能性の段階だろ、考えるのはいいが力を抜け」
少しでも安心できるように、ポンとリーゼの頭に手を置く。
「それにお前の周りを見ろ。万が一変異種が来たとしても、どうこうされる面子じゃないだろ」
「……」
緊張が解け、幾分かリラックスした顔つきになるリーゼ。
「……ん、ありがと」
「おう、むしろ、ギンのおかげで事前に考える時間が得られてよかったじゃないか」
「そうね! よし!」
リーゼがパンと頬を叩いて気持ちを切り替える。
「ひ、姫様! 緊急事態です!」
バタンと大きな音がして部屋のドアが開く。
……いや、だから早えってば。
ノータイムかよ、空気読め。
部屋に入ってきたのは皮鎧を着た二人の兵士。
走ってきたらしく、ぜぇぜぇと息を切らしている。
急ぎ膝をついてリーゼにかしずく兵士。
「姫様、し、島が……!」
兵士が知らせに来たのは、補給島の一つがクラーケンに襲われたという報告だった。
無事とは言えないまでも、どうにか撃退に成功したそうだが。
グリフォンなど、空を飛べる強種族がいたことが幸いしたようだ。
報告を終え、兵士たちが退出する。
悪い予感が本当に当たりそうだな、これは。
「近海に出ている船を急いで呼び戻さないと、傭兵ギルドに連絡も、住民たちの避難誘導は……一気に情報を与えるとパニックになるか、ああっもう!」
リーゼが髪を手でかき乱す。
文字通り、海底という水面下で動かれたせいで対応が遅れる。
やるべきことは多く、どうしても後手に回ってしまう。
「ラザファム、この街の近海に大きな魔力反応はあるか?」
「まだ今のところは、とはいえ俺も何十キロも超える感知はできん」
「……そりゃそうか」
今すぐ襲われる可能性はないようだが……。
襲撃された島は、ここから船で一日と離れていない場所にあるそうだ。
メナルドの街とはそう距離もなく、いずれこの街も襲撃を受ける可能性は高い。
「……」
「ラザファム?」
ソワソワして、どこか落ち着かない様子のラザファム。
床をトントンと叩き今にもどこかに飛び出していきそうだ。
「いや……ルミナリアがな」
「あん? ルミナリア? ……あ!」
ち、そういや今、討伐依頼で海に出てるんだったな。
この事態に何でこう不安材料が重なるのか。
「ルミナリアのいる場所は聞いているのか?」
「大まかな方角と位置は聞いている、クラーケンを呼び寄せる餌を仕掛けるポイントは事前に決まっているそうだからな。大まかな位置がわかれば上空から魔力感知で見つけられるはずだ」
話では午後には出現ポイントに着くと言っていたらしい。
もう昼は過ぎているし、時間的にもう交戦してもおかしくない頃だ。
ルミナリアの実力は知っているが……。
もし推測通りにクラーケンが大量発生していて、そこに呼び寄せる餌なんか仕掛けたりしたら……。
「……行けよ、ルミナリアのとこへ」
「アルベルト?」
「……早く行ってください、ラザファムさん」
「リーゼ嬢も、いいのか? 街は?」
「街も大事ですが、ルミナリアちゃんも心配です」
「ま、もし何かあっても、こっちは俺たちでどうにかするさ」
ようやく会えた家族と、死別なんてさせたくない。
クライフが出立した時はラザファムは戦力として計算に入っていなかった。
いなくなっても元の状況に戻っただけとポジティブに考えよう。
それに案外、ラザファムが戻ってくるまで何も起きないかもしれない。
「……すまない二人とも、恩に着る」
ラザファムが深く頭を下げる。
「いいんです。ルミナリアちゃんのことは小さい頃から知ってますし、実の妹のように思っていますから」
「俺もだ」
「二人ともありが……うん?」
首を傾げるラザファム。
なんとなく雰囲気に乗っただけだからいいんだよ。
細かいことは気にすんな。
「ほら、いいから早く行け」
「あ、ああ……」
ラザファムが城を飛び立つのを見送り、対策会議が始まった。




