試練
その知らせが届いたのは、偶々私と親友は城で会っている最中だった。知らせを聞いて、私は親友と共にグラント邸へ駆けつけた。
「カイルの様子は!」
息せき切って尋ねた親友に、執事が感情を押し殺した声で答える。
「睡眠剤を投与され、先程お休みになられました。全身に打撲痕があり、肩の脱臼に関しては治されております。少し筋を痛めた程度のようです。意識も先程ははっきりしておりましたので、脳に影響はないだろうとの話です。ですが、背中と腕にある火傷に関しましては、跡が残るだろう、と」
そのまま二人してカイルの眠る部屋に駆け込む。
背中の爛れたカイルは、仰向けに寝ることが出来ず、うつ伏せの状態で寝かされていた。
「どうして、こんな……」
「申し訳ございません」
使用人が頭を下げるが、親友の耳には入らない。暫く傷付いた息子を悲愴な面持ちで見つめていた親友は、やがてきっと姿勢を正すと、宣言した。
「カルディナのところへいく」
頭を下げて、見送る使用人たちを通り越し、屋敷の一室に向かう。見張りに目配せをして扉を開けさせた親友は、ひとつ深呼吸をして中に入った。
「カルディナ」
呼びかけると、記憶より大分年を取った女性が顔を上げる。
「まぁ、お兄様。それにお客様まで」
にっこりと笑う女性に、親友が声を荒げる。
「カルディナ! 何故カイルにあんなことをした!? 息子が一体何をしたというのだ?」
怒りに震える親友の怒号にも怯まず、女性はにっこりと笑いかける。
「何を仰いますの、お兄様。私は責められるようなことなど何もした覚えがありません」
その言い草に、ついこちらも声が出そうになるが、今にも殴りかかりそうな親友に我に返り、必死に押しとどめる。
「何を言う! それでは、カイルの火傷は何だというのだ。自ら勝手に全身を打撲したとでも言うつもりか!?」
完全に激昂する兄を見た女性は、それでも笑顔のまま、変わらぬ口調で答える。
「まぁ、あれは不幸な事故ですわ。お兄様達が甘やかすから、あの子、現実を見られない子になってしまいましたのよ。今のうちに正すのは、親族としての努めでしょう?」
「現実、だと?」
「えぇ。だってあの子、私に言いましたのよ? 私を守るって。出来る訳もないのに。ましてや、幼い少女を守って一生を過ごすだなんて、出来っこないでしょう? だから、出来やしないんだということを教えてあげましたの」
弾むような声で平然と言う異様さに、ぞくりと背筋が凍る。
「あの子、強情でなかなか自分の間違いを撤回しようとしませんでしたの。それに、私はちょっと役にも立たない紙の束を暖炉に入れただけですのよ? それなのに自ら飛び込んでいきましたの。紙を焼くために、自らも焼いてしまうなんて、本当におかしな子」
ころころと笑う女性に、頭に血が上りきっていた親友も、その異様さに気付いたらしい。掴みかかろうと暴れる手が止まった。
「それでも半分以上、焼けずに残っていたから、もう一度燃やそうとしたら、あの子ったら、煤だらけの汚い手で私に触ろうとするんですもの。酷いわ、叔母上の気が済むまでお付き合いします、なんて言っておいて、舌の根も乾かない内に約束を翻すなんて」
ぷぅ、と膨れる女性は、それだけを見ていたのなら、可愛らしいといえないこともない姿だったが、言っている内容は支離滅裂だ。
「カイルは、息子はお前に敬意を以って接したはずだ。お前がこの館で暮らしやすいように心を砕いていたのを感じていないとは言わせない!」
心の奥底から搾り出すような訴えに、女性はふんと鼻をならす。
「えぇえぇ、それは丁寧に接してもらいましたとも。部屋にはいつでも花が飾られた。しょっちゅうおいしいと評判のお菓子が出た。ドレスも宝石もいっぱい新調してもらいましたわ。あの子も、一生懸命淑女に対する礼というものを尽くしていましたわ」
「その礼が、息子を痛めつけることなのか!?」
「そんなこと、していませんわ。私は、ただ現実を見せただけ。たかが紙切れに相手の心が込められているなんて間違った思い込みを正そうとしてあげただけ。結果は分かるでしょう? 紙を破いたって心なんて出てきやしない。たとえ本当に想いが篭っていたとしても、焼いてしまえば全て消えてなくなってしまうのだから」
私は、その言葉で、カイルの病室の様子を思い出した。カイルのベッドの脇に置いてあった箱。中身は、何かの紙の欠片が少しと、黒くなった紙片と灰しか見えなかった。あれは、ひょっとして、毎日は迷惑だからやめなさい、と止めたため、渋々数日おきに減らされた娘の……。
目の前が真っ赤になった私の前で、女が何かを喚いている。
「あの子ったら、それまでずっと、あなたの力になる、家族として守りたい、なんて耳障りのいいことばかり言ってたくせに、たかだか紙を取り上げたくらいでみっともなく、やめてください、なんて縋ってきたのよ? 折角のドレスに皺が付いたらどうしてくれるのかしら。紙くずを暖炉に放り込んだ後なんて、フィアナフィアナってうるさいし、少し熱かったくらいで転げまわるなんて、大げさね」
可愛い女性、のはずだった。そんなに会ったことはなかったが、兄を慕い、親友もまたそんな妹を可愛がっていた。親友は妹が二度も不幸な目に遭った時、すぐにそれに気付けなかった自分を責めていた。今度は間違えぬよう、この館の女主に準ずる立場を与え、皆が丁寧に接していたはずだ。
最初は何も考えることも出来ない女性に、館全体が辛抱強く付き合い、段々と自発的行動を取るようになってきたという話だった。もう少ししたら、我々もお見舞いに行ってもいいのではないかという話も出ていたところだった。
それが、どうだ。これは一体何だ。理解できない言葉を撒き散らす物体は何なのだ。
「カルディナ嬢。カイルは、私の義息子は、貴方のしたことで、今寝込んでいる。我がサランディア家の家族全体が目をかけている、大切な義息子が、だ」
びくりとこちらを向いた女に一瞥をくれる。出来ることなら、殴ってしまいたい。しかし、カイルは最後までこの女に対し、守り続けたのだ。カイルが少しでもこの女に攻撃的な態度を見せていれば、この女は、どんなに自業自得だったとしても、そこを攻撃しないはずがない。カイルが全ての悪の元凶のように悪し様に罵られていないこと、それこそが、カイルが自分自身の役割を忘れずに貫いたことを示している。
まだまだ遊びたい盛りだったとしてもおかしくない子供がそこまで戦ったのに、大人の自分が自分の恨みをぶつけるのは間違っている。私は、必死に耐えた。
「私の義息子が望まぬ限り、私が貴方に制裁を加えようとは思わない。だが、二度と義息子に近づかないでもらおう。金輪際、その姿を見せないでくれ、不愉快だ」
「なっ!」
項垂れる親友を促し、外に出る。後ろから耳障りな金切り声が聞こえるが、知ったことではない。
「……すまない」
「何故お前が謝る」
親友が自分に謝ることなど、何もないはずだ。
「あんなのでも、妹なんだ。私の」
何といっていいのか分からないのだろう。親友は、それきり、口を閉ざしてしまった。
「この前、カイルは何かに焦っていたように感じた。いつものように、自分の実力を見せに来るのではなく、何かの恐怖から逃れるように、私に挑んできたようだった」
少し声をかけただけで、ころっと笑顔に変わってご機嫌でフィアナに会いに行ったので、大して気にする必要はないと思っていた。
けれど、ひょっとするとそれは、自らの叔母に毒を植え付けられたカイルの悲鳴だったのかもしれない。
他の子よりずっと優秀で、責任感もあるため忘れがちだが、カイルはまだ十二歳なのだ。まだまだ親に守られねば生きていけない子供が、身内の振りした悪意ある大人に太刀打ちできるはずがない。
私たち大人が、もっと気をつけて見ているべきだったのだ。
それから三週間、眠ったり起きたりを繰り返したカイルは、うなされ続けたらしい。目を覚まし、起き上がれるようになった頃、カイルがあまりに叔母を気にしていたため、厳重な監視の下、一度だけ会わせたらしい。
だが、カルディナ嬢を見たカイルは、痙攣を起こして気を失った。そのため、決してカイルが出会うことがない様、サランディアの別荘の一つに引き取った。勿論、決して抜け出せぬ監視付だ。
あんな叔母でも、カイルにとっては今でも守りたかった家族らしいので、一応医師をつけているが、医師にもくれぐれも相手の口車に乗って、外に出したりしないように言いつけてある。
幸い、カイルは若いこともあってか、身体の回復は速かったらしい。しかし、心の方は……。
無理もない。サランディアも大概だと言われるが、グラントの家系は、ひたすら身内に甘い。身内を慈しみ、外敵から守るのは、彼ら一族の本能と言ってもいい。
カイルにとって叔母は、その背に庇い、守るものだったのだ。守ろうとした者に、後ろから刺された痛みはどれ程のものだったのか、想像するにあまりある。
『
よう、親友
フィアナちゃんとカイルのやり取りに混ぜて、手紙を書いてみようと思う。
といいつつ、早速用件なんだが、まだ時期ではないが、息子を連れて、そちらに行かせてもらいたい。というのも、カイルのやつ、フィアナちゃんを守る力がない、と思い込んで、何やる気力も出ないようなんだ。というか、自分が近付くと、フィアナちゃんが壊れると思ってるみたいだ。カルディナが牙をむいたのは、自分の対応が悪かったせいだと思ってるんだろう。
これは、下手に何か言うより、本人に会わせて自分で立ち直ってもらう方がいいだろう、と思ってな。
出来れば、早いうちに会わせたいと思ってるんだが、そちらに行っても構わないか? こちらは、カルディナがいた場所だから、今の状態でフィアナちゃんを近付けると、カイルが恐慌状態に陥りかねんので、なるべくそちらに行かせてもらいたい。
いい返事待ってる。 ディミアン・グラント
』
結局、この時の私達の足掻きは、失敗だった。いつもと変わらないフィアナと会えば、カイルは落ち着くだろうと会わせたが、フィアナは泣きながら部屋に駆け込んできた。
「お父様ぁ……」
「フィアナ?」
いつもなら、大好きなおじ様に挨拶を忘れるような事はないが、今は、親友が部屋にいることすら見えていないようだ。ぽろぽろと涙を流して俯く。
「わ、私、何かしてしまいましたの? どうすれば良いんですの? もう手遅れですの? 嫌われてしまいましたの?」
「落ち着きなさい、フィアナ。一体どうしたんだ?」
「そうだよ、フィアナちゃん。何があったのか、教えて?」
二人掛かりで宥めて、話を聞き出す。
「カイル様に、嫌われてしまったのかもしれません」
「そんなことある訳ないだろう」
「そうだよ、カイルは君に会うために、ここに来たんだから」
「だって、だって、いつもは抱きしめてくださるのに、今日はすっと逃げてしまわれたし、挨拶だって笑ってくださらなかったし、お話の時は私の顔も見ようとしてくださらないし、ちょっと物音するだけでピクッてするし、いつもだったら自分がいるから大丈夫だよって言ってくださるのに眼を逸らすし」
しゃくりあげながら訴えるフィアナを、よしよしと宥める。
「それはお前のせいではないよ、フィア。ただ、カイルは今、とっても悲しいことがあったんだ。だから、少し、疲れてしまっているんだよ。フィアは、フィアのことを一番に考えてくれないカイルは嫌いかい?」
「そんなことありませんわ。私は例えカイル様が私を好きでかったとして、もお慕いしておりますわ」
「カイルが立ち直るためには、沢山の時間が必要かもしれない。それまで、カイルがフィアのことを一番に考えられなくても、我慢できるか?」
フィアナは、こくんと頷いて言った。
「……寂しいけれど、その分、私がカイル様のことを考えますわ。私、カイル様のことを守るって約束したんですもの」
「そうか。フィアがいつも通り、カイルのことを好きでいれば、カイルもきっと立ち直れるだろう。寂しいかもしれないが、彼が元に戻ってくるまで、待っていてやっておくれ」
「はい」
「フィアナちゃん、これだけは覚えていておくれ。カイルはずっと、君と一緒にいるために努力してきた。勉強も運動も、どんなことだってフィアナちゃんの名前を出せば、自分の実力以上の力を引き出してやってきた。あいつは、誰よりも君のことが大好きなんだ。それだけは信じていてやってほしい」
「はい。カイル様はこれまでずっと、私が喜ぶことを沢山してくださいました。そのお心を信じますわ」
「ありがとう」
部屋に来る前より少し大人になった顔つきで、カイルに会いに行くフィアナを見送る。フィアナが真っ直ぐカイルを支えるなら、カイルは立ち直れるはずだ。カイルにとってフィアナは、何より守りたい存在なのだから。
この時、我々は見落としていた。カイルが弱みを見せる方法を知らないということを。
いつだって、フィアナという絶対の存在が支えになっていたカイルは、頑張ることしか知らなかった。やっても無理だ、と諦めることがなかったため、挫折した時に、それを表に出す方法を学んだことがなかったのだ。
カイルはフィアナに見捨てられたと、一人ひっそり絶望し、全てから目を背けてしまった。フィアナと会うことこそが、一番の恐怖となってしまった義息子は、何かと理由を付けてフィアナと会わないようにし、学園へと逃げ込んだ。
私達は、待つことにした。
フィアナと決して会おうとはしないカイルだが、フィアナの手紙は変わらずに受け取っている。他人が奪えぬよう、厳重に保管し、近付くもの全てに警戒を向けるという話から、フィアナへの気持ちがなくなっていないのは分かる。
今は必死に、フィアナ以外の相手を探しているようだが、もう少し経てば、気付くだろう。フィアナの代わりになるものはいないと。
あまりに長いようなら、娘に事情を話して、誤解を解くために動くようにするが、これも二人が成長するためのチャンスだ。回り道も、迷い道も悪くはない。その結果、二人が駄目になってしまったとしても、我が子達なら、何かを学び取ることができる。精々カイルには、悩んで苦しんで間違ってもらおう。
もがいて苦しんで、上手に他人に助けを求められるようになるまで、暫くは足掻いていればいい。それは、試験を受けに来なくなったカイルへ与える試練だ。その試練を乗り越えられたなら、二人は……。




