第48羽 vsメル
両者本気ではあるものの、全力ではないことを念頭にお楽しみください。
翌朝、わたし達はメルが修行で使っている場所に集合していた。
すぐ側に高い崖のある平坦な岩場。崖はあちこちボコボコと穴だらけで、その下に巨大な岩石が寄せ集められてある。少なくとも自然になったものではなく、人の意思を感じるものだ。
これが修行の跡……?
まあ、地面が水を吸いまくる砂でないなら特に問題はない。
従者2人とミルは崖の上からの観戦だ。地面に立ってられると巻き込んじゃうのよね。
「……ここで修行しているの?」
「そうです。ここはなかなか人も来ないですし、一人で修行するにはぴったりなんです」
お気に入りの場所を紹介できたからか、表情はご満悦だ。
そんなメルは昨日と同じ装備で、手には黒い棒を持っている。
わたしが持っているのは扇。
畳んだときに一番外側に来る親骨と呼ばれる部分に大小様々な魔石が取り付けれている。そして本来紙が使われている部分に、特別な加工を施した海龍リヴァイアサンのヒレを使った一点もの。
これがわたしの愛用する杖だ。防水加工は万全……というよりむしろ水場で真価を発揮する代物。
全てわたしが自力で討伐した魔物の素材を使った、これまでのわたしの功績でもある。
「……あんたは槍使いだって言ってたけど、今日は槍を使わないのかしら?」
「いえ、この子は槍ですよ。私の期待にいつも応えてくれる最高の相棒です」
黒い棒を掲げながら、メルが柔らかく微笑む。
「そ。手を抜いてるってんじゃないなら何でも良いわ」
「はい、今日は事前に準備できたのでちゃんと本気でお相手できます」
彼女は気合十分といった様子を見せる。
昨日までの様子から、気後れしてまともに戦いもできないんじゃないかと少し心配していたけれど、杞憂だったようね。……さすがに甘く見すぎたかしら。
「ルールを確認するわよ。殺し・再起不能にする攻撃・急所狙いはなし。形式は一対一の1回戦。クリーンヒット1回で勝ち。審判はうちの従者2人が務めるわ。……もちろん2人が忖度することはありえないわ。オケアノス家の名に誓う。……準備は良い?」
「はい。――――もちろんです」
静かに開かれたメルの瞳と、視線が衝突する。瞬間、彼女の纏う空気が隔絶した。
ぶわりと……全身の毛穴が開くような錯覚に襲われた。
さっきまでコロコロ変わっていた表情は鳴りを潜め、代わりにその気配が嘘のような静謐さを帯びる。
静かで、しかし鋭い瞳に、遥か高みから狙われている。そんな感覚を叩きつけられた。
わたしは今――――とんでもないものと相対しているのかもしれない。
「良いじゃない。そうでないと張り合いがないわ……!」
「両者準備は良いですね。では――――始め」
従者の宣言と同時に、試合が始まった。
「先手は譲るわ、メル。Sランク冒険者として胸を貸してあげる」
「おや、良いのですか?」
「もちろんよ。Bランク冒険者」
「わかりました。では――――その認識を引きずり下ろして差し上げます」
速い……!! 地面を蹴ったメルが瞬く間に接近してくる。
瞬時に水を展開。突き出された槍を、壁を張って受け止めた。
「お返しよ!」
槍を押し込もうとするメルめがけて、壁から水で大きなトゲを突き出させる。最小の動きで回避し、彼女は身を引いて下がった。さすがに当たらないわね。
「随分偉そうな口調ね! そっちが本性かしら!?」
「これは師匠の薫陶ですよ。曰く、余裕を持っていれば、相手にプレッシャーを与えられるそうです。例えば――――ヴィネアさんが今感じているように」
「……へえ? だれがビビってるって?」
「おや、ビビってしまったんですか? それは悪いことをしました」
少女は薄く嗤う。
これまでのメルの性格とは真逆の言動。
おそらくこれは彼女の演技ね。貴族としての経験がそう言っている。それに彼女が言ったように師匠の教えを忠実に守っているに過ぎない。
しかし――――ムカつくものはムカつくのだ。
深呼吸をして、5秒経ち、自分の中でなにかがブチリと切れる音がした。
「上等よ小娘……! その舐め腐った面、歪ませてあげるわ……!! ウチの家訓は、ナメられたら――――殺す」
「…………殺しはルール違反ですよ」
「んなのは終わってからよ!!」
出したままの水の壁から、雨のように水の弾を打ち、メルへと降り注ぐ。蒼い光を宿した棒でメルは受け流している。それも防げるのね……!
「貴女は瞬間湯沸かし器ですか!?」
「そんなことよりさっきの威勢はどうしたの!?」
演技から元の性格が戻ってきた様子に少し溜飲が下がる。でも手は緩めてやらない。泣いて謝ったら……許してあげるわ。
「ふーちゃん……!」
水弾を弾き続けるメルに動きがあった。槍に集っていた蒼の光が刃を形作り、そこに風が宿る。
「『カマイタチ』!」
槍が縦に振るわれ、風の斬撃が巨大化して飛翔する。その進路上にあった水弾をことごとく消し飛ばし、わたしに迫った。
しかしそれもわたしが作った水の壁に阻まれる。
「わたしの水がバターみたいに柔らかいと思ったら大間違いよ。わたしの水は鉄より硬いわ!」
「――――なるほど」
その声は足元から聞こえた。水の壁越しに目が合う。あの――――遥か高みから狙われている、そんな目と。
「しかしバターと鉄では――――誤差ですよ?」
――――【一閃】
その一撃は、あまりの速さに霞んでいて、ほとんど見えなかった。
ただ、蒼が残光を描き、壁を打ち付け、気づけばそれは弾けていた。メルがわたしを見据え、一歩踏み出す。
――――その前にわたしは手札を切っていた。
「《アクアリウム》ッ!!」
わたしを囲うように水流が立ち昇る。それがわたしを守り、一瞬だけメルの歩みを遅らせる。壁を破壊しようと、メルが蒼の光を強めた。
でもその一瞬で十分。
「《カタラクティス》!」
立ち昇る水流から、大瀑布の奔流が押し出される。メルを呑み込もうとする高波を逆に押し返そうとするも、突き出た鋭いトゲが容赦なく襲いかかる。
「キリがない……!」
少しの間応戦を試み、粘っていたけれど次から次に補充される水の勢いに押されてたまらず後退した。
その間にさらに一手、手札を切る。
「《カリュブデス》」
生み出された水流がわたしの足元で渦を巻く。流れて消えるはずだった水が、一定の距離まで離れずに引き戻される。水は、増えれば増えるだけわたしの味方だ。
このフィールドでは――――わたしこそが中心。
水はわたしの敵に襲いかかる。今メルが立っているのは水が届いていない場所。
わたしとメルの距離は試合開始当初よりも開いた。メルがわたしにクリーンヒットさせるなら、この距離を超えなければならない。
扇を開いて宣言する。
「これが"大洋"の力の一端よ。降参するなら――――早めにすることね」
……扇の裏でわたしは冷や汗をこっそり拭いた。




