鋏尾怪獣トラストン
勇一は独りで海を眺めていた。
今日は昨日までの穏やかな陽は降り注がない。
それどころか風が強く薄暗い海面は荒々しく畝っている。
波どうしが激しくぶつかり合い岸壁に打ち付けられる音を聞きながら勇一は比呂子の言葉を思い出していた。
「私は勇一さんが普通の人間だと思ってたから……」
比呂子は自分の正体を知ってしまった。
それだけではない、彼女は生田の死を自分のせいだと責めた。
もう比呂子は自分の事を信じてはくれない。憎みさえするかもしれない。
「僕は比呂ちゃんを守るために戦った。でも彼女は僕を非難した。僕は彼女のことを想っているのに……」
もう自分には味方がいない。
ただそれも自分の身勝手な期待だったのかもしれない。
比呂子は自分の正体が分かっても、今までと同じように接してくれるとそう信じたかった。
考えてみれば比呂子にとって自分は沢山いる患者の一人。
そもそも自分に好意を持っていてくれていた訳でもなんでもない。
ならば、自分が普通の人間でないと分かったら、他の人たちと同じように毛嫌いするに決まっている。
そう、やっぱり独りよがりだったんだ。
さっきの戦いで自分が死ねば良かった。
そうすればこんなに辛い思いをしなくても済んだはず。
今までどうして気付かなかったんだろう、
この苦しみから唯一解放される手段がある。
怪獣に殺されればいい。
そうすれば全てから解放される。
勇一の頭の中で今までの怪獣との戦いを思い返してみる。
思い出せば出すほど、苦しみから解放されるということが叶うとは思えなかった。
なぜなら、死にたくないために必死に反撃してしまう自分がいる。
そして弱点を告げる心の声、咄嗟に出る左手、光線が命中。これらはほぼ無意識の行動である。彼は再び荒ぶる海に目を向けた。
「僕は誰の為に戦っているんだろう。独りよがりの戦いで、自分が一番求めている人を傷つけたかもしれない」
海は相変わらず荒れている。
波しぶきが彼の左手に当たった。
その左手が熱い。
勇一は恨めしそうにその左手を開いた。
そこには青い炎が揺らめいている。
彼の意思に関係なく体が軽くなって行く。
彼の体が元の感覚に戻った時、目の前にはやはり暗い海が広がっていた。
向こうに見える島の頂上には雪らしきものが見える。
恐らく北の海に移動したのであろう。空気が冷たい。
やがて眼前の海面が徐々に盛り上がって行く。
波が激しく岸壁を襲う。
大きく盛り上がった海の中から姿を現したのは、そう、あの勇一が倒したはずのロープテールである。
「なぜだ、あいつは倒したはずなのに」
勇一は恨めしく見つめていた左手を天に向かって差し出した。
みるみる彼の視線がロープテールの視線の高さまで昇って行く。
シルバーマンを認めたロープテールは一歩ずつ彼に近づいてくる。
シルバーマンが身構えた、その瞬間、背中に猛烈な熱さを感じる。
彼は勢い余って海上に突っ伏す。振り返るとそこにはツインネックがシルバーマンを睨みつけている。
「なぜだ、なぜ倒したはずの怪獣たちが……」
勇一の思いとは無関係にツインネックが彼を目掛けて火を吐く。
シルバーマンが海の中へ潜り攻撃をかわす。
海上に顔を出した時、今度はロープテールの尻尾が振り下ろされた。
尻尾は彼の肩を痛打する。
シルバーマンは激痛を味わいながら岸に這い上がろうとする、その時、上空から黒い物体が彼に襲いかかってきた。
「ガルバードン、お前まで!」
覆いかぶさるガルバードンを両足で弾き飛ばすシルバーマン。
ガルバードンが空へ飛び上がる。
そこへ再び火を吐くツインネック。
シルバーマンが火炎の直撃を喰い海上に投げ出された。
そこにはロープテールの尻尾攻撃が待ち構える。
「こいつらは死なないのか、倒しても、倒しても復活する、今まで自分がやって来たことは意味が無いのか!」
ロープテールの攻撃を受け蹲るシルバーマンにツインネックが海までやって来てシルバーマンを抱え込む。
両腕を羽交い絞めにされてシルバーマンは動けない。
そこにロープテールが尻尾で鞭打つ、苦しむシルバーマン。
そこにガルバードンが嘴でシルバーマンの胸を刺す。
シルバーマンが海上に倒れ込む。それをツインネックが蹴り上げた。
シルバーマンの体が宙に浮く、大きく孤を描いて岸に叩きつけられる。
痛みに耐えながら海上を見た時、そこにツインネックの後姿があった。
すかさずシルバーマンは左手を出す。
光線はツインネックの首の付け根に命中、ツインネックが消えた。
なんとか起き上ろうとするシルバーマンに今度はガルバードンが背後から覆いかぶさる。
シルバーマンの背中に鋭い嘴が刺さる。
もんどり打つシルバーマン。
ガルバードンがシルバーマンを鷲掴みにし、空へ。
そして高く飛び上がった先でシルバーマンを放す。
落下するシルバーマン。
地面に仰向けで叩きつけられる。
そこに再度覆いかぶさるようにガルバードンが降下してくる。
シルバーマン、無意識に左手を伸ばす。
そして再び光線を発射し羽の付け根に命中、ガルバードンがシルバーマンのすぐ横に墜落、そして苦しみながら消えて行く。
息つく間もなく今度はロープテールが彼を鞭打つ。
シルバーマンは成すすべもなく打たれ続ける。
意識を失いかける勇一。
「これで死ねる、この苦しみから解放される」
そう考えると鞭打たれる苦しみすら薄らいで行く。
薄らぐ意識の中、真っ暗な闇の中から比呂子の眩い笑顔が浮かんだ。
ロープテールが大きく尻尾を振り上げる。
ほとんど動けない体で左手だけが持ち上がった。
そしてみたびその左手を前に突き出す。
光線はロープテールの尻尾の付け根に当たる。
断末魔の悲鳴とともにロープテールも消えて行った。
× × ×
「ただいま」
夕方近く、比呂子が茫然と〈ほとり〉の戸を開けた。
「おかえり」
開店前で客はまだいない。
坂田はいつも通り開店準備を進めているところだった。
そんな中、彼は比呂子の様子がいつもと違うことにすぐ気が付いた。
「どうした、何か変だぞ。そういえば勇一はどうした、今日帰って来るはずだろう」
坂田の問いかけに比呂子は何も答えず、カウンタの椅子に力が抜けたように座った。
比呂子は昨日からずっと頭の中が混乱している。
生田の遺体を病院へ運びこんで、色々な人から色々なことを聞かれた。
何を言ったらいいのか分からない比呂子を助けたのは上条であった。
彼は生田が怪獣になったことも、怪しい黒衣の男のことも何も触れず、ただ怪獣に襲われて生田は死んだ。
勇一は行方不明と周りに説明していた。
彼が何を思って嘘をついたのかは分からない。
ただ比呂子としては大助かりだった。
なにせ何も言える状態ではなかったのだから。後で上条は
「こんな良いネタ、他の新聞社に書きたてられたらこっちが困るからね」
と笑って言った。
比呂子は疲れていた。
それは怪獣騒ぎに巻き込まれたせいだけではない。
いくらショックなことが多かったとは言え、自分は勇一に言ってはいけないことを口走ってしまった。
あの時の勇一の言葉が思い起こされる。
「僕が勝手に比呂ちゃんに期待したのが間違いだった」
彼は自分に何を期待していたのだろう。もしかしてそれは……
「今日、岬の方に現れた怪獣、お前も側で見てたのか。まさかと思うがシルバーマンの正体を見たとか」
「えっ」
比呂子はハっとした。まさか……
「そうか、お前は勇一の正体を知った訳か」
「兄さん知ってたの」
「まぁな、気がつかないお前の方が鈍感過ぎるだけだが」
比呂子は抑えていた息を大きく吐いた。
「私が尊敬していた先生が怪獣になったの。それをシルバーマンが倒した。私、勇一さんを責めてしまったの。なんで救えなかったのって」
「前に奴が言ってたことがある。自分は戦いたくて戦っている訳ではないんだと。怪獣が現れると自分の意思に関係なく、勝手に目の前に出て行ってしまう。だから殺されたくないから、ただ自分を守るために戦っているんだと」
比呂子は昔、勇一が同じ話をしていたことを思い出した。
シルバーマンは、本当は強くないんだと。
そのとき、特殊能力だから諦める他ないと言った覚えがある。
彼はその特殊能力にいつも悩まされていたのだ。
今自分が感じている辛さを勇一は怪獣を倒すたびに感じていたのかもしれない。
「もしそうだとすると、私はひどいことを彼に言ってしまった。彼を責めてしまった。ただでさえ傷ついている勇一さんを……」
比呂子は泣いた。
自分自身が情けなかった。
里子が現れ、生田が死に、勇一がシルバーマンであった、そんな色々なことが起こったことで自分を見失っていた。
自分は看護師として勇一の心をケアーしなければならないのに、それが出来ていなかった。
看護師として? 違う。
今回の混乱の要因は勇一である。
なぜ混乱した…… それは勇一のことが好きだから。
だから里子に困惑し、生田を葬った彼を責め、普通の人間ではないことに動揺した。
今はじめて整理がついた。
そう、自分は彼のことが好きだ、愛しているんだと。
比呂子の目から涙が止まらない。
ただ黙って泣いている。
坂田は何も言わずに見守っていた。
そんな時、大きな音を立てて〈ほとり〉の扉が開いた。
玄さんが慌てている。
「大変だ、また勇一が海岸で倒れている。今度はかなり重症らしいぞ」
「え、玄さんそれ本当?」
比呂子の涙が止まった。
そして彼女は玄さに詰め寄った。
「重症ってどんななの! 意識はあるの! 怪我の具合は!」
玄さんは比呂子の勢いに一・二歩後ずさりした。
「詳しいことは分からないけど、今病院に運ばれて……」
玄さんの言葉を途中に比呂子は〈ほとり〉を飛び出して行った。
× × ×
「あなたが修理した怪獣だと三匹いてもシルバーマンには敵わないですね」
黒衣の男が病院の勇一がいる部屋の明かりを見ながらそう言った。
辺りはすっかり夜の闇に包まれている。
その闇に溶け込むように立つ男の横に、白く輝く美しい女性がいる。
「やっぱり【あの人】でないと良い怪獣は作れないって言いたいの」
里子もやはり勇一のいる部屋の明かりを眺めている。
「でも、これで彼は二・三日は動けないわ」
里子の表情は険しかった。
「そう、これで彼を病院から運び出せれば、我々の計画は旨く行く」
黒衣の男はほくそ笑んだ。
しかし里子の表情は相変わらず険しいままだった。
「ほんとうに旨く行くのかしら。このままでは、あの時と同じになるわ。今、勇一さんの中に怒りのエネルギーが芽生えているの。それが大きくなれば【あの人】のエネルギーと同調して彼が覚醒すると私は信じている」
「ならば彼の目の前で、あの比呂子と言う女を惨殺してあげれば、彼の怒りは更に大きくなりますよ。そう、あなたの考えが正しければ。なぜそうしないのです」
「そこまでは……」
里子の言葉はそこで止まった。
「無理なさらずとも良いですよ。比呂子さんに危害を加えれば、もしかすると【あの人】の御機嫌を損ねる可能性があるかもしれませんもんね」
黒衣の男が里子をチラッと見る。
里子は相変わらず窓の方を見上げている。
「大丈夫、分離したエネルギーさえ結合できれば全て旨く行く。我々の科学を信用してもらいたいですね」
里子は何か違う気がしていた。
そもそも分離した理由は彼の優しさだから。
「この計画はあなたが願ったことですよ。私としてはシルバーマンさえ邪魔しないように出来ればよいのです。あなたの願いがなければわたしはシルバーマンを亡き者にすればそれでもかまわないのですから」
「でも、【あの人】が目覚めない限り、シルバーマンはあなたのことを邪魔し続ける。この半年でそのことをあなたは思い知らされたはずでしょ」
「分かってますよ。だから今回、勇一君を連れ出すと言う計画を考えたんですから」
黒衣の男がポンポンと二回里子の肩を叩いてそのまま手を置いた。
里子はその手を払いのけて、
「あなたの計画は分かったわ。でも勇一さんの側には比呂子さんがいる。彼女が側にいると彼を連れ出せない」
「まぁそれは追々考えるとして、彼が眠っている隙に破壊できる都市は破壊しておきましょう。派遣労働者のエネルギーがまだ残っている。今回は修理怪獣ではなくてトラストンを使って攻撃させましょう」
里子は勇一が気がかりだった。
勇一が死ねば【あの人】は戻らない。
だからこれ以上傷付いた体で無茶に戦わせたくない。
だから今は眠っていて欲しい。
そして計画が旨くいけば待ち望んでいた【あの人】に会える。自分の愛した人に……
「勇一さん、お願い、今は眠っていて……」
里子は胸の前で手を組んでそう願った。
× × ×
坂田は厨房に一人でいた。
昼間とは違い夜はそれで充分人出が足りた。
相変わらず二・三人の客が注文もせずに安い酒を飲みながら語り合っている。この光景はいつものままなのだが……
坂田は洗い場に目をやった。いつもいるはずの勇一はいない。
そしてカウンタに目をやる。そこに比呂子の姿は無い。
「比呂ちゃん帰ってきてないんだって?」
比呂子のいつもの位置には今日は玄さんが座っている。
坂田はその質問に無言でう頷いた。
「これで三日目だよ、比呂ちゃんこそ体を壊さないかなぁ」
「まぁ、放って於くしかない」
坂田はあきれ声でそう答えたが、その表情は曇っていた。
「愛の力は恐ろしいねぇ」
玄さんは坂田の気持ちも知らずに呑気なことを言っている。
坂田は勇一をこの家に招いたことを悔やんでいた。
自分がこの家に呼ばなければ比呂子が苦しむことはなかったかもしれない。
悔やんでも悔やみきれない思いが彼の心を覆い尽くす。
そんな時、店のテレビが臨時ニュースを告げる。
『ただいま入って来たニュースです。先ほど東京湾に怪獣が現れました』
坂田はテレビを見上げた。
勇一は傷付いて眠っている。
いくら彼でも今は戦えない。
敵はそれを知っていて怪獣を送り込んでいるに違いない。
『現在怪獣は湾岸地区を中心に暴れている様子です。付近の皆さんは速やかに避難してください』
テレビの映像が火災で真っ赤になった湾岸地区を映し出していた。
尻尾が鋏のように二股に分かれた二本足の怪獣が縦横無尽に建物を破壊し続けている。
自衛隊機の攻撃は全く歯が立たない。
怪獣の尻尾の先が光った。鋏の先から出た光線は自衛隊機に命中する。次々に墜落して行く戦闘機たち。
「シルバーマン遅いなぁ」
何も知らない玄さんがそう言う。坂田は息を飲んでテレビの光景を見ている。この惨状を救えるのは彼しかいない。しかし……
「勇一よ、目覚めるな。これ以上お前が傷付けば、比呂子も傷付くことになる」
坂田は心の中で願った。
テレビの中の怪獣は相変わらず暴れまわっている。
もう人間の側に攻撃するすべはない。
怪獣の咆哮だけが勝ち誇ったようにテレビを通じて店に響き渡っていた。
× × ×
次の日、新聞には「東京壊滅」の見出し一面に躍っている。
サブの見出しには「死者・行方不明者4000人」「首都機能が壊滅的打撃」などが書かれている。
当然「シルバーマンはなぜ現れなかった?」など彼に関する記事も多数載っている。
比呂子はそんな新聞記事を見ながら勇一の寝顔を見た。
昨夜は彼が眠り続けてくれたことに内心胸をなでおろしていた。
もうこれ以上戦って欲しくない。
これ以上傷付いて欲しくない。
比呂子は赤い目で新聞記事の文字を追った。
そこにはシルバーマンが現れなかったことに対する批判的な記事も載っている。
もしシルバーマンが現れていたら死者はここまで出なかっただろうと。
皆の為に死ぬほど傷付いている人を批判するなんて…… 比呂子は胸を締め付けられる思いで新聞を置いた。
彼はこの半年、こんな思いで戦ってきたのかと。
そんな彼を私は傷つけた。なぜ? そう言えば…… 比呂子は美しい里子の笑顔を思い出した。
混乱した原因の一つは里子の存在だ。
彼女は本当に勇一の奥さんなのか。
良く考えてみれば今もって彼女は病院に姿を現してはいない。
そこまで考えた時、背後に人の気配を感じた。振り向くとそこに白いワンピースを着た女が。
「里子さん?」
立ち上がる比呂子を見て里子は逃げた。
「待って、聞きたいことがあるの」
比呂子は彼女を追う。里子は廊下の角を素早く曲がった。
比呂子もすぐに角を曲がったが、もうそこには里子の影は無い。
彼女の姿を探す比呂子。
その耳に甲高い女性の悲鳴が聞こえた。
しかも勇一の病室の方から。比呂子は焦った。
勇一に何かがあったのか。
慌てて戻ると病室の前には美雪が立ちすくんでいる。
比呂子が急いで病室を覗き込む。
そこに居たのはゴキブリのような姿の化け物、その化け物が勇一を抱き起こそうとしている。
「やめて!」
比呂子は何も考えず、咄嗟に化け物に体当たりをした。
しかし化け物はビクともしない。
逆に比呂子が跳ね返されて床に倒れた。
化け物は何もなかったかのように勇一を抱えようとしている。
比呂子は勇一の足に必死でしがみ付いた。
さすがに二人分を抱える力はないらしい。
化け物は比呂子を何とか引き離そうとして足蹴りにする。
「ダメ、勇一さんは渡さない!」
騒ぎを聞きつけた人々が集まって来た。
化け物は慌てている、そして諦めたのか勇一を抱き上げることを辞めた。
そしてその不気味な目で比呂子を睨み付けた後、窓から飛び出し羽をバタつかせながら空高く飛び去った。
勇一が連れ去られなかったことを見届けると、ほっとしたのか比呂子は意識を失った。
× × ×
「比呂子先輩、かっこ良かったです」
腕に包帯を巻きながら美雪は比呂子を誉め称えた。
彼女の横のベッドには勇一がまだ眠り続けている。
「先輩、疲れてますよ、変わりましょうか」
美雪は心配そうにそう問いかけた。
「大丈夫、今の私は、一人の女性として彼に付き添いたいの」
また誰かが襲いに来るかもしれない。
勇一は命を狙われている。
私はここから一歩も離れない、彼女はそう心に決めていた。
「無理しないで下さいね」
美雪は優しくそう言うと、振り向くこともなくその場を離れた。
勇一は相変わらず静かに眠っている。
そう言えば半年前、周りの人に言われて嫌々自宅で勇一を看病したことを思い出した。
あの時は本当に嫌だった。
ならば自分はいつから勇一のことを好きになったんだろう。
トンボを助ける勇一を見た時?
ロープテールに立ち向かう彼を見た時?
正輝が死んだ後に自分を慰めてくれたあの時?
直人と楽しそうに遊んでいる勇一を見た時?
彼女の頭の中で彼との思い出が次々と浮かんでは消えて行く。
そして最後にあの寂しげな表情が。
「僕が勝手に比呂ちゃんに期待したのが間違いだった」
たぶん勇一は言いたかったのだ、
自分の正体が明らかになっても、私の勇一さんへの思いは変わらないことを。
そんな期待を私は裏切った、
いや違う。勇一さんが何であろうと私は彼を愛している。
そのことを早く彼に伝えたい。
その時、勇一がわずかに動いた。
「勇一さん?」
勇一はその言葉に反応するようにゆっくりと目を開けた。
× × ×
店を閉めた後、坂田は独り居間で手帳の住所欄を眺めていた。
比呂子は相変わらず帰ってこない。
彼女の勇一に対する気持ちは日に日に強くなって行く。
このままでは坂田が考える最悪の事態になってしまう。
そうならないうちに……
坂田の脳裏に幼いころの母の言葉が思い浮かぶ。
「浩二は比呂子のことを守ってあげてね、何があっても妹を守るのよ」
母の言葉は重かった。
兄である自分が弟の死を防げなかった、だから二度と同じ間違いを繰り返すな、そう言われている気がした。
事実は違うのに……
きっと奴なら分かってくれるだろう。
奴も同じように比呂子を危険な目に遭わせたくないと思っているはずだ。
坂田は深い息を長く吐いた。
そして意を決するかのように近くにあった電話の受話器を取った。
「もしもし、浩二ですが。お久しぶりです」
坂田は電話の相手に丁寧な言葉使いで挨拶をした。
× × ×
勇一の目には白い病室の天井が見えた。
いつかどこかで見た風景、今ある自分の最初の記憶。
そう、あの時は彼女がそばにいた…… ? 同じ香り?
その時、彼を覗き込む比呂子の顔が目に映る。
「ここは?」
勇一は上体を起こした。
「痛い!」
「まだ動いてはダメ!」
比呂子は勇一の体を抱きかかえた。
「今回は打撲だけじゃなくって、刺し傷もあるんだから、無理しちゃだめ」
「比呂ちゃんがずっと付いていてくれたの」
比呂子は小さく頷いた。
「ごめん、また休暇使わせちゃった?」
「大丈夫よ、私、仕事好きだから休みなんていらない」
「怒ってない?」
「なんで怒るの?」
「僕が普通の人間じゃないから」
「バカね、そんなので怒る訳ないでしょ」
比呂子の目からまた涙がこぼれた。
「嫌いになってない?」
比呂子は首を横に振った。
そして真っ直ぐ勇一を見て言った。
「好きよ」
勇一は息を飲んだ。
「たとえ、勇一さんが私のことを嫌いになったとしても、私はあなたが好き」
「僕がシルバーマンでも」
「もちろん…… たとえ私が怪獣になってあなたに殺されたとしても……」
比呂子は勇一を強く抱きしめた。勇一もまた比呂子をしっかりと抱きしめる。
「僕も君が好きだ、ずっと前から……」
勇一は救われた気がした。
本当の気持ちを打ち明けられた。
今までの不安も何もかもが消えて行く。
比呂子を抱いている左手に熱い物を感じる。
そして机の上の新聞に目が行った。
そこにはシルバーマンが現れなかったことで死者が大勢出たとの見出しが見える。
勇一は比呂子の肩を持ち、自分の体から彼女をゆっくりと放した。
「僕が行かないと、また都市が破壊される」
「ダメ、そんな体で戦ったら今度こそ死んじゃう!」
勇一は微笑んだ。そして優しく諭した。
「大丈夫、必ず戻って来るから。だって比呂ちゃんが僕のこと好きだって言ってくれたんだよ、勇気が湧いて来た。だから大丈夫」
比呂子の目からは相変わらず涙がこぼれている。
その涙を勇一は優しく指で拭った。
「きっとよ、必ず帰って来てね」
勇一は力強く頷いた。
彼は目を閉じた、彼の体が軽くなると同時に彼女の香りが遠くなって行く。
彼が目を開けた時、トラストンは街を破壊しつくし勝利の雄叫びをあげている。
彼はその前に立ちはだかった。
シルバーマンを見てトラストンは怒り立った。
自分の勝利の余韻を邪魔する奴に見えたのだろう。
シルバーマンは怪獣に体当たりする。
トラストンが大轟音とともに倒れた。
更にシルバーマンが怪獣に近づこうとすると、今度はトラストンの尻尾の鋏がシルバーマンの腕を挟んだ。
その尻尾でシルバーマンを引っ張り倒す。
倒れたシルバーマンがガルバードンに刺された傷の痛みでもんどり打つ。
トラストンの鋏が今度はシルバーマンの足を挟んだ。
そのままシルバーマンを大きく振りまわす。
勢いがついたところで鋏が開いた。
体が大きく飛ばされビルに激突、倒壊し瓦礫がシルバーマンの体に降り注ぐ。
シルバーマンが瓦礫の中からよろけながら立ちあがる。
弱ったシルバーマン目がけてトラストンが尻尾から光線を放つ。
その光線をまともに喰らってシルバーマンが再び瓦礫の上に倒れ込む。
土埃が巻き上がりシルバーマンの姿が一瞬消えた。
トラストンがシルバーマンを見失った時、空中から銀色の物体が蹴り込んできた。
トラストンの倒れる音が廃墟の街に轟わたる。
仰向けに倒れたトラストンにシルバーマンが覆いかぶさった。
そして何度も拳を振り下ろす。
シルバーマンが拳を振り上げた時、その腕をトラストンの尻尾の鋏が掴む。動きを封じられたシルバーマンに今度はトラストンが下から頭突きで腹のあたりを突きあげる。
シルバーマンが仰向けに倒れた。
そこに今度はトラストンが覆いかぶさる。
そしてお返しと言わんがばかりの拳の攻撃を受ける。
拳が胸の傷を打つ。痛みが全身に走る。
それでも全力でトラストンを巴投げで投げ飛ばした。
地面に叩きつけられるトラストン。
シルバーマンがふらふらと立ち上がった。
体は前回の戦いの痛みでもうこれ以上は動けない。
立ちあがったトラストンの鋏が今度はシルバーマンの首を挟む。
苦しむシルバーマン。鋏を外そうとするが腕に力が入らない。
「ここで死ぬ訳にはいかない、何としても比呂ちゃんのもとに戻らなければ」
勇一は薄れる意識の中で心の中に集中した。あの声を聞くために。
「トラストンの弱点は尻尾の鋏の間」
確かに聞こえた。
シルバーマンは残った力で尻尾を強引に引っ張った。
トラストンはその力で後ろ向きに倒れる。
尻尾の力が弱まった。
シルバーマンはその鋏から逃れ、そして高く跳ね上がったトラストンの尻尾に左手を突きだす。
光線は見事に鋏の間に命中。
トラストンが悲鳴とも咆哮ともつかない声を発し、動かなくなる。
やがて赤い炎に包まれてトランストンは消えて行った。
その消えて行った怪獣を見ながら勇一は思った。
これで帰れる。
比呂子の待つあの町に。




