悪魔
キースがアン達の家に来て三日が経っていた。
アンは旅支度を終え、キース・バルジーと共に普段の生活を送りつつ、家族との別れを噛みしめていた。
そんな日の夜。
スラムの方から花火が1発上がる。
小さな物だ。周囲の者は興味すら抱かなかったが、アンの家の住人四人は、慌ただしく動き始めた。
家の電気を消し、ヨークとバルジーは二階へと上がり布団に包まる。
「行きますよ」
「ええ、準備はできてます」
キースとアンは、ゆっくりと家を出て、マルキトの中心へと足を向けた。
二級貴族のエリア・畑を抜け、水路を渡り一級貴族のエリアに達すると、その住民は不審そうに彼等を見つめていた。二級貴族が一級貴族のエリアに来る事が珍しく、またその身形も違う為に目立っていた上に、180センチもの身長と体格の良い、どちらかと言えば美形の男を連れている。否が応でも目立つ。
だが、アンはそんな視線も満足そうに堂々と練り歩く。
「どうにも目立ってますね」
「キースさんが目立ってるんですよ」
「そうでしょうか…? 貴女の事も見ていますが…?」
「二級貴族がこんな所を歩いてるから、当然じゃ無い?」
平然と笑いながら会話し、一級貴族の間を歩いている事が、アンには堪らなく楽しかった。
そして、次第に遠くから声が上がる。歓声か、叫びか…。
「ゼノさん達が動き出した様ですね」
スラムの住民たちが暴れ出したのだ。所謂クーデターである。その騒ぎに便乗して、キース達は王宮に乗り込み宝剣を奪う。勿論、普通であれば成功する可能性など殆ど無い、無謀な作戦ではあるが、その中心に居るのは「魔道士・キース」である。スラムの住民も、その希望の光にテンションは上がりまくってる。囮としては申し分ない。だが、彼らへの条件として可能な限り人的被害を抑えるように、と出していた。
王族が崩れた後、国を守る者が居なくなれば、住民が危険に晒される為だ。
キース達は足を速めた。貴族街を抜けると、そこは王宮護衛兵士の居るエリアだ。当然一般市民が立ち入れる場所では無い。物々しい雰囲気になっている。
「スラムの騒動で、殺気立ってますね」
キースが平然と言うが、流石にアンはキースの背後に隠れて前を見ようとしない。
「さて…我々も花火を上げましょう」
背後のアンを全く無視して王宮への第一門の前に立つ。
「待て! 貴様何用だ! 特別警戒中にウロウロすると牢にぶち込むぞ!」
門の前には一人の兵士が槍を持っている。その槍は装飾も豪華で、切先もそれは豪華な彫刻が施されている。キースの背後でコソコソしているアンは、マントを引っ張りながら文句を言う。
「特別警戒中に門番なんて、あんた下っ端でしょ? 通しなさいよ」
アンの余計なひと言で、門番は一瞬にして頭に血が上った。
「う…五月蝿いうるさい!! 女! 牢にぶち込んでやる!」
図星だ…。キースは薄ら笑ってしまった。それが更に門番を怒らせる。
「貴様等も反逆者か! この場で殺してやる!」
叫びながら槍を構えるが、同時にキースも右腕を前に差し出し、
「つい笑ってしまいました、申し訳ない」
そう言った瞬間、門番の顔に何かが当たり、門まで吹き飛び、その衝撃で門が壊れる。
「あ…力加減を間違えてしまいました。気絶させるつもりが吹き飛ばしてしまうとは…」
キースの背後からそれを見ていたアンは、茫然としながらキースに聞いた。
「今…何をしたの?」
「風を集めて壁を作り、彼に当てただけですよ…。封印がどれ程力を残しているか分からないので、少々加減が難しいですが」
そう言いながら、壊れた門を楽々抉じ開け、中に進むキース。
「……あの人に取ったら、普通の事なんだ、これ……」
恐る恐る門番を越え、門を跨いで行く。が、護衛兵士は門が破られた轟音を聞き付け、奥から沸く様に出て来る。
「あわわわ…みんな来ちゃうよ!」
アンは慌てて門から出ようとするが、キースはアンの袖を掴んで放さない。
「ちょっと、離してよ、隠れるんだから!」
「ここに居た方が安全ですよ」
キースはそう言うと、今度は左手を正面に出す。
また吹き飛ばす…アンはそう思い、キースの右腕にしがみ付く。
その瞬間は、何が起こったか分からなかった。ただ目が眩んだ。
「あ、目を閉じて下さい…と、言うのを忘れました」
キースはニコッと笑うが、勿論アンには見えていない。目を開けると、ただ雲に覆われたように掠れた暗闇が広がっている。
「何よ…闇の力なの…?」
「逆ですよ。閃光を使いました。まぁ、火の魔力の応用ですが、死ぬ事などありません」
キースの言葉の後、アンはキースの尻を蹴り上げる。目が見えないのに見事にヒット。
「目眩ましを味方にかけてどうすんのよ!」
キースは尻を抑えて言う。
「目が見えない方が、言う事を聞いて頂けると…」
その目は笑っているが、再び蹴りが入る。
そのじゃれ合いの周りには、目を押さえてウロウロしている衛兵が居る。
「視力が戻ると面倒ですね…ちょっと、力加減の練習をしましょうか」
方手で尻を庇いつつ、今度は右手を差し出して、門番の時と同じように、数人を吹き飛ばす。
「ダメですね、どうにも…どこまで弱まってるか、分かりません」
ボリボリと頭を掻きながら、諦めたように言う。
「死なない程度なら、何でも良いんじゃない?」
そんな事をしている内に、アンの目が視力を戻してきた。
「あ…見えて来た…」
「それはマズイですね、のんびりし過ぎました」
衛兵たちも、次第に戻る視界に、ようやく武器を構え始めた。
「加減の練習はできませんでしたね」
そう言うと、両掌を胸の前で近寄せて、風を呼び込む。
アンはキースの背後にまわり、肩にしがみ付いて堪えるが、次第に強くなる風に衛兵たちは戸惑い、更にキースへと引き寄せられていく。
「うわ、何だ!奴は魔物か!」
「引き寄せられる…うわぁあ!」
「耐えろ! 飛ばされるな!」
暴風と化した風は、全てキースの掌の内に集まって行き、周囲の気圧が落ちて行く。
「…! 耳が… 痛い…」
アンが気圧の変化に着いて行けず、頭をキースの背中に押し付ける。
「畜生! こうなれば…!」
衛兵の一人が槍を構え、脚の力を抜く。すると、その衛兵は槍を構えた巨大な矢の様にキースに飛んで行く…。が、途中で風がやみ、失速してキースの足元に落ちる衛兵。
それを見下ろし、怪しく笑いながらキースが言う。
「残念でしたね…。私には届きません」
空は気圧が落ち、雲が広がりつつある。更にキースの掌には、圧縮された空気が渦を巻き、放電が始まっている。
それを見た衛兵は、動く事ができない。
「あ…悪魔だ…」
震えながら、つい口から漏らす。
「確かに、悪魔の力です」
そう言うと、その空気の渦を先程の門とは逆に放つ。ゆっくりと進むその渦は、次第に放電を大きくしつつ、衛兵の家と思える壁に触れた瞬間、一気にその空気が膨れる。
空気が弾ける轟音と雷鳴、放電。何かが吹き飛ぶ音、暴風。
キースは風の盾を身に纏い、アンと共にその中で悠々と立っている。
衛兵は尽く吹き飛び、放たれた雷は周囲を焼き、建物も壁も、薙ぎ倒す。
風で作られた壁の中に居たアンは、その全てを見ていた。
風が止んだ後は、キースとアンの足元以外の大地が少し括れ、周囲30メートル程の建造物は姿を消し、その周囲に丸く瓦礫の山を築き上げていた。
「さて、少しこれで静かになるでしょう。行きましょう」
「少しって…やり過ぎじゃ無い?誰か死んだんじゃ…」
「いいえ、恐らく誰も。あれをここで破裂させれば死者は大勢出たでしょうけど、投げましたから、それまでにかなりのエネルギーは放出された筈です」
「だったら、そこまで集めなくて良かったんじゃ無い?」
「いいえ、今の状態でもあそこまではできるという確信が欲しかったので…」
アン達は王宮に向かいながら、呑気に話しをしている。
暫くは衛兵も出て来ないだろう。
「枷を嵌めたままでこれだけの事が…外すとどうなるの?」
「知りたいですか?」
キースはニコッと微笑んでアンを見る。
「いや、やっぱ良い…。知ると後悔しそう」
「それが賢明です」
全ての衛兵が気絶している訳ではないが、得体の知れない者に立ち向かえる程の勇者は、ここには居なかった。




