スラムでの真実
スラムの大歓声に包まれ、アンとバルジーは戸惑いながらキースに近寄った。その足取りは、大歓声を上げるスラムの住人を見まわす様に、グルグルと回りながら、戸惑いながら。そして、その先に佇むキースは、少々困惑していた。
その大歓声を掻き分ける様に、ゼノが出て来た。
アンはゼノに気付き、足を止める。あの日の恐怖が頭をよぎった。だが、ゼノは両腕を水平に上げて歓声を止める。その統率力は、アン達を更に怖れさせた。
「先日の事は悪かった。俺の名前はゼノ…この辺りのスラムの代表って所だ」
だがアンは警戒しながらキースの方へと歩み寄り、背中に隠れる。バルジーはこの男と何かあったと直感し、アンの横に立ち警戒を解かない。流石に父親かと思ったが、それでもキースより一歩下がってゼノを睨む。そんなバルジーを、横目で覚めた目で見るアン。
「スラムのリーダーだ、怖くて当然だろ?そんな目で見るな…」
我が父親ながら、少々情けなくなった。
「大丈夫です、彼等はもう貴方がたに手出しはしませんよ」
呆れながらも背後のアン達に声をかけるキース。
「…あんた、本当に『大賢者』なのか…?」
その言葉に反応したのは、キースとゼノだった。やはりコイツは只事では無かった、と直感を信じていたゼノは、胸の奥から歓喜の感情が込み上げていた。
「申し訳ありませんが、私は賢者などではありません」
背後を見ながら、申し訳なさそうに言うと、今度はゼノに向かい言う。
「ゼノ、人が居ない場所に私達を連れて行って下さい」
「無茶言うな、お前はまだ買い手の付かねえ奴隷だろ。スラムにはスラムの秩序がある」
「なら、私達が彼を譲り受けます。誰に言えば良いですか?」
キースの背後に隠れていたアンが言う。バルジーは若干動揺しているが、変身の現場を見た以上、賢者で無くとも何らかの力を持っている事は明白で、宝玉と無関係とも思えない。
「ユキト! エクセルに買い手が着いた! さっさと商談に入りやがれ!」
ゼノは大声で、キースの居たボロ屋の奥に声を荒げた。アンとバルジーはビクッとして振り向く。
「こんな面白れぇ奴を売るにゃ、勿体無ぇが…ゼノの命令じゃ仕方ねぇな、ヒャヒャヒャ」
歯の抜けたスキンヘッドの、初老の男が出て来た。
ここスラムでは、もう既に『キース』が『エクセル』だと認識されていた事にアンは驚いていた。四十代の男が二十代になり、次は十代にと、常識では考えられない変化を遂げていた男を、すっかりと認めていたのである。
だが、アンは知らなかった。その背後にあったスラムの事情を。
結局、キースは15,000ベルドという値で話しが着いた。
当初は40,000ベルドという金額を示したが、ゼノが商談に割って入り、ここまで値下げさせた。
「全く、ひと月のコイツの食費にすらなりゃしなかったぜ…」
ブツブツ言いながらユキトは奥へと下がって行った。
人生で初めて奴隷を買った背徳感で、アンとバルジーは言い難い気持ちになっていた。
「キース、ごめんなさい。こんな形でしか貴方を自由にできなくて…」
「いえ、それは仕方のない事。それよりも勝手に解放した事をご注意させて頂きたいですが」
そこまで言うと、すぐ近くでニヤニヤしていたゼノに対し、
「さあ、今すぐ人の居ない場所へ」
「あ…ああ、そうだな、俺のウチに来い。お前らの感覚からすると、馬小屋にも劣るだろうがな」
豪勢に笑いながら外に出るゼノ。
「行きましょう」
そう言って、店先に落ちている手錠を拾い、ゼノの後に続くキース。
「スラムのリーダーの家に行くのか…?」
「…みたい…キースが居るんだから大丈夫だろうけど、ちょっと抵抗あるね…」
苦笑いをしている親娘は、互いに目を見て苦笑いをする。
「何してる! 早く来ねえか!」
ゼノの声に反応して、「はい!」と弾ける様に立ち上がるアンとバルジー…。
この四人が連れだって歩いて行ったあと、店先に集まっていた者達は、一斉に歓喜の声を上げていた。
「何?あの歓声…」
背後から浴びせられる声に、アンはビクビクしながらキースのマントを掴んでいた。もう既に父の腕では無い事に、バルジーは若干落ち込んでいた。
「こっちの都合だ。お前達に直接関与はしねえと思うから、心配はねえ」
ゼノは歩きながら言う。が、四人の歩く道は、両脇にスラムの者達が何かを期待したように目を輝かしている。アンは両手でキースのマントに捕まりながら歩く。
「ここだ、遠慮しねえで入ってくれ」
案内された家は、あちこちに穴が空いた廃材でできた小屋。
「ホントに馬小屋以下だな…」
ついポツリと言ったバルジーを、ゼノは睨む。
「あんた達には分からねえだろうな、これでも立派だって事がよ…」
バルジーは流石に頭を下げ、謝った。
奥に入ると広さはそこそこ。部屋の中に水路が引き込んであり、ボロボロだがベッドもある。
更に床に穴が開いており、階段がある。
「入んな」
ゼノはそう言いながら、穴の奥へと向かった。キースが後に続き、バルジーも恐る恐る着いて行く。
アンはぐるっと部屋を見渡す。丁度裏庭に当たる場所の隙間から、小さな畑が見えた。
「自給自足…してるんだ…」
ポツリと呟きながら、最後に階段を降りる。
ランプが灯った地下室は狭く、中心にテーブル、壁には恐らくこの街と思われる地図が貼られていた。
「エクセル、ここなら外に声は漏れねえ…、使ってくれ」
ゼノはそう言うと地下から出ようとするが、キースが呼び止める。
「貴方もここに居て聞いて下さい。真実を知る義務があります」
「義務だと? ははは、面白え…。権利は好きだが義務は嫌いだ。だが興味はある」
ゼノはそう言うと身体を翻し、テーブルへと向かった。
椅子は無い。みな、立って話しをするしか無い地下室で、キースは口を開く。
「この国の成り立ちと、今、世界で起きようとしている事を話します」
「成り立ちだと? ただの独裁国家のオアシスって訳じゃ無えのか…?」
「ええ、千年に渡る国の成り立ちは封印され、その存在理由すらも道を誤っています」
「賢者様…、道を誤るとは、違う方向に進んでいる、と言う事ですか?」
「バルジーさん、私は賢者ではありません、ちゃんとお話しをしますが、あなた方の家に伝わる伝承ですら、恐らく千年の間に変わっているでしょう」
やはり伝承を知っている。賢者では無くとも、あの話しに関わっている人物だとバルジーとアンは確信した。唯一話しが分かっていないのは、ゼノ一人だった。
「待て、伝承とか言われても、俺は知らねえぜ? 中に入れるなら、そこから話しやがれ」
ゼノの言葉に頷きながら、キースがバルジーに向かって言う。
「そうですね…、もう彼に隠す必要はありません。貴方の家系に伝わる伝承を、私にも聞かせて下さい。真実はその後にお話しします」
戸惑いを見せ、アンを見る。
どこまでも頼りない父親だった。
「言ってよ、私を見たって仕方無いでしょ? 私だってこの前初めて聞かされたんだから、お父さんが話した方が分かりやすいわよ!」
「何でぇ、頼りねえ親父さんだな、大丈夫か?」
ゼノはニヤッと笑いながらバルジーを見る。
バルジーは仕方無く伝承を口にし始めた。流石にゼノは衝撃的だっただろう。アンも未だに信じ難い所が多くあるが、キースがここに存在している、という事だけが唯一伝承を信じる鍵となっていた。
それはゼノも、バルジーも同じ事だ。
だが…
「やはり、真実が多少なりとも狂っています。これでは剣の家系も狂いを生じて仕方ありませんね」
キースはその言葉に続き、真実を口にし始めた。
その内容は、伝承として伝わる物よりも衝撃的だった。




