ゼノとエクセル
アンがスラムでキースに出会った数日後、そのスラムには異変が起こっていた。
『エクセル』として、数十年そこに住んでいた男を、周囲は徐々にある共通の意識を持って見出していた。と、言うのも先日まで四十歳程の小柄な男だったにも関わらず、今は十五歳程の少年となっていたのだから。
無論、初めは誰もが半信半疑だったが、腕にあるタトゥーと、その瞳の色、そして日々の暮らし方がかつての『エクセル』そのものだった事で、徐々に認め出した。
兵士寮から中心は立派な石造りの建築物が広がるが、スラムは殆どが木材で作られている。
木材と言っても、砂漠の真ん中では貴重な物なので、その材質は極めて悪い廃材としか言えないのだが、そんな中で生活をしていた。
彼らには彼等の秩序があり、スラムに4つの『勢力』を作り、それぞれがパワーバランスを保って、それなりに平和な生活をしていたのだが…。
「なぁ、エクセル。お前が俺達をすっ飛ばした力、もう一度見せてくれねえか?」
エクセルの椅子の前には、アンの腕を掴んでいた酔っぱらいが地べたに座り、話しかけていた。
「相変わらず、口は利けねえか…。お前の力が本物なら、俺達をここから解放してくれるんじゃねえかと、みな期待してんだぜ?」
ニヤッと笑いながら、エクセルに語りかける男。しかし、少年となったエクセルは、その男の目をじっと見つめたまま、何のリアクションも起こさない。
「やめろよ、ゼノ。そいつはやっぱりエクセルだ。口も利けねえしこちらに興味もねえ…最初の計画通り、他の3つのチームと協力するしかねえ」
「やっぱり、あの女の力が無えと無理なのか…かと言って、俺達がスラムから出るには、リスクが高すぎる」
ゼノと呼ばれた男は、三十代半ばと思われる。このスラムのエリアリーダー的な立場であり、盛り上がった筋肉と、『キース』と同じ程の身長。少しウエーブがかかった金髪ではあるが、埃を被ったそれは茶髪にすら見える。髭面で汚れた顔だが、眼光は鋭い。
「こいつがまた変身でもしねえ限り、俺達のスラム暮らしはまだ続きそうだな…」
ゼノはその場にゴロっと寝転がる。
その目は城壁からも見える空に向かう。
「商人として此処に来て、俺はもう八年になるぜ…。やっとの思いで辿り着き、中に入ったは良いが出るのに金が掛かるなんてよ…」
「このスラムで、外から来た奴等は皆、そうさ。まぁ、代々スラムで生活してるって変わり者も居るが、唯一の救いは女も大勢居るって事だ」
ゼノはスラムに来て十年程が経っていた。元は商人で組織された旅団の護衛として雇われた傭兵だったが、その旅団が出国する際、ゼノの出国料を支払えなかった。無論、ゼノだけでは無く他にも数人の傭兵が出国できなかったのだが、他の者は全員奴隷として買われたか、王族の玩具として扱われ、死んでいった。同じように、他の商人旅団として入国し、出国できなかった女性も大勢おり、ここで家族を作り、死んで行った者達も大勢居る。
「外を知らねえここの貴族共は、何も感じちゃいねえだろうが、監獄と何ら変わりねえよ…」
ゼノは青空を見上げながら、スラムから見る城壁の無い世界を思い出していた。
何かが変わりつつある事を予感しながらも、自分ではどうしようも無い事も分かっていた。
「ルシア、他の勢力に伝えて貰いたい事があるんだが、走って貰えるか?」
ルシアと呼ばれた元商人は、怪しい笑いを浮かべながら聞き返す。
「何だゼノ。珍しく真剣じゃないか…。この辺りの奴等が、あんたの指示に逆らう訳が無いだろ」
「指示じゃねえ。これはお願いだ」
「…何だ? どちらにしても聞くぞ?」
ルシアは真面目な顔で立ち上がり、衣服を正し始めた。…と、言っても簡素な布一枚で作られたような物ではあるが…
「暫くは強奪や誘拐、喧嘩、殺人は止めろと。マルキトは、恐らくこの後何らかの変化が出る。その時期を待ち、一気に動きを掛ける。4つのスラムは呼吸を合わせ、行動を共にして欲しい…と」
「……反乱でも起こす気か?」
ルシアはそこからでも見える、マルキト中央に座する白い王宮の壁を、遠く眺めている。瓦礫とも思えるスラムの隙間から、屋根の低い町をすり抜け、それでも尚見える王宮…。
「エクセルと、あの女だ。こいつ等が会う時、何かが起きる。その時に合図をする」
「信じると思うか? 他の奴等が…?」
「エクセルの事は他のスラムでも有名だ。無気味な奴だってな…」
ゼノはムクッと座り、エクセルを見つめる。
エクセルは今までの会話を聞いていたのだろう。少年の顔のまま、初めてスラムの男達に感情を出した。
「ははっ、見たかルシア。こいつ笑いやがったぜ、何かしやがるつもりだ」
「だな…、分かった、何人か連れてスラムを回って来る」
「武装はするなよ、こちらに他意がねえ事を分かってもらう為にな」
ルシアは頷き、ワクワクした表情でその場を歩き去った。
背後の酒場では、あの時と同じように大勢の男達が居る。が、この時は誰も酒を口にしていない。
要塞の中は、静かに、確実に変わろうとし動きが生まれて来ていた。
「お父さん…本当に行くの?」
「仕方無いだろう…、婆さんが言い出したら聞かん事はお前も知ってるだろ?」
スラム手前にある兵士寮近くを歩きながら、アン親子はブツブツ言いながら進んでいた。
その先にはスラムがある。勿論行き先は『キース』が居た場所。
「嫌だな…、お父さん一人じゃ心細いし…」
「悪かったな、俺だって鍬しか持った事が無いんだ、護衛として見られちゃ堪らん」
ルシアが出発して数日後の事だった。
スラムに入ったアン達は、無気味な光景を目の当たりにした。
普段なら眼光鋭く睨みつける住民たちが、今は笑顔で見ている。それもバカにしたような目では無く、何か希望に満ちたそれを向けていた。
「何だか気味悪い…」
アンは思わず父親の腕に捕まるが、父親も猫背になり怯えている。
「頼りないな…もう!」
そんな親子は、周りに期待(?)されながらも、キースの元へと辿り着く。
「彼か…??」
「うん、彼」
「子供じゃないか…」
「だから言ったじゃん、子供になったって」
二人の会話は、互いに短い。更に父親の方は呆気にとられている。
「しようがないな…もう…、見ててよ?」
アンはそう言うと、キースに一歩近寄り解放の言葉を口にする。
「キース・ガードナー・プロイス! 汝を呪縛より解放します!」
その言葉に慌てたのは、誰でも無い『エクセル』だった。が、既に遅かった。
彼の身体を中心に、空気が膨張し風が舞う。そして、その中心から銀髪の男が現れ、脚元には手錠が転がった。
呆気にとられたのは父親と、キース本人。周囲のスラム住人は、大歓声を上げていた。
その予想外の大歓声で、今度はアンも呆気にとられる。
その歓喜の中に、ゼノも居た。
この瞬間から、止まっていた物が動き出した。




