伝承
砂漠の国、マルキトは円形の城壁に囲まれている。その内側には、外周からスラム街、兵士寮、商人街、2級貴族街、農地・蓄膿産業地、1級貴族街、そして王宮警護兵士街の中に王宮、という作りになっており、それぞれの間には水路が作られている。
この8層にも及ぶ城壁の内部は、半径約7kmという広大な土地になっている。
遥か東の山々からの雪解け水が、この地に7か所の水源を与えていた事で、砂漠の真ん中にこれ程の街ができた。
経済は主に農作業・畜産業だが、その中核を担っているのは2級貴族。彼等は1級貴族から土地を借り受け、そこで産業を起こす。そして土地代を1級貴族に支払い、1級貴族はその中から税を納める。
土地を借りた2級貴族達はスラムから奴隷を買い付け、彼等に仕事を手伝わせ、それを売り生計を立てている。無論、そこにも税金が発生する。
事実上、働かずして生計を成しているのは1級貴族と王族だった。千年という長きに渡り作り上げられたその制度は、最早一部の者達だけの利益を得る物になっていた…。
その広大な中を、スラムから2級貴族街へと帰って来た女性。
決して広いとは言えない庭先で老婆を見付けて走り寄った。
「ただいま、お婆ちゃん…。どうしたの、慌てて…」
「あぁ、アンかい。…いや、何でも無いよ。それより果物はどうしたんだい?」
庭先で何やらオロオロとしながら東の空を見ていた老婆は、誤魔化しながらもアンに聞く。
「ダメ…。殆ど王族に摂られてるっぽくて、目ぼしい果物は無かったわ」
「そ…、そうかい。折角の誕生日も、それじゃケーキも作れないね」
「良いわよ。二十歳になった所で何も変わらないし、1級や王族みたいに、特に何かを許される訳でもないんだから」
アンはつまらなそうに両手を頭の後ろで組み、東の空を見る。
「で…何かあったの?」
アンに聞かれた老婆は、悟られまいと平静を取り戻しつつ、ふとその服装に目を付けた。
「アンや…。お前、どこかで転んだのかい?」
アンも自らの服を見る。
薄い黄色のスカートの裾、尻。そして白い上着の袖が汚れていた。
恐らくスラムで腰を抜かした時と、腕を酔っぱらいに掴まれた時だろう。
「あ、ちょっと道を間違えてスラムに入っちゃって…」
「スラム!? ウチは奴隷なんか買わないよ!何だってスラムなんかに…」
「だから間違えたんだって…。でも、不思議な人が居て、助けてくれたよ」
アンは老婆に、スラムで起こった不思議な出来事を話した。
老婆はその話しを不機嫌そうに聞き始めたが、手錠を取り、男が変貌した所から妙に興奮をして来た。
「そ…その男は確かに『キース』と名乗ったんだね!!?」
「ええ、私はそう呼んで手錠が外れたし、本人もそう言ってたから間違いないんじゃない?」
老婆はアンの肩を強く掴み問い質していた。その勢いに負け、意味が分からずも多少驚きを含ませて答えるアン。
「おぉ…おぉ、前兆は正しく伝承の通りか」
「伝承? 何それ?」
「バルジー! バルジー!」
老婆は興奮しながら裏にある畑にいる男に声を掛ける。
「何だ母さん! 用事なら後にしてくれ、もう少しで…」
遠くからバルジーと呼ばれる男は答えるが、その言葉を遮る様に老婆が口を挟む。
「キースじゃ! キースが目覚めた!! 宝玉のヒビはこの事を告げたのじゃ!」
アンは何が起きてるかさっぱり分からない。が、バルジーはその言葉を聞き、鍬を地面に刺したまま鼻息を荒げて飛んで来た。
「何だって? 単なる昔話じゃないって言うのか!?」
「だから言っておったじゃろう! いずれ旅立つ日が来ると! さあ、準備を整えるんだよ!」
「…いや、無理だろう…俺はもうっすぐ五十八にもなる…。長旅なんか出来ない…」
二人は、その言葉の直後にアンを見つめる。その首が動く勢いは物凄かった。
「…え? 何?」
口元しか笑えないアンは、その二人に圧されて後退りする。
「そうか、アンが『大賢者様』に逢ったのも、運命という事か…」
この老婆の言葉に、アンはハッとした。
あの魔道士も、『出逢う運命』と言っていた。
「と…父さん? お婆ちゃん? 私、意味が分かんないんだけど…」
動揺しながらも不安を押し殺して、その二人に聞く。
「とにかく家にお入り。バルジー、直ぐに宝玉を持ってキッチンに来るんだよ!」
二人の慌て振りに、ただ事ではない事は直感で知る事ができたが、ただオロオロとするばかりで庭で右往左往していた。
「何してんだい、アン!」
老婆に後頭部を叩かれ、家に引き込まれる。
そして父は、2階の隅に丁寧に祀ってあった『家のお守り』を持って来た。
「あれ? それってお守り…宝玉ってこの事?」
深い青色で、透明度がある玉。ただのガラス玉かと思っていたが、そのヒビが入った所が光っている。
「あの人の目の色と同じだ…」
そう、アンが最初に顔を覗き込み、腰を抜かしたのは、その瞳の底知れない何かを感じ取ったからだった。
「アン、良いかい…。これから話す事を良く聞くんだよ?」
老婆は声を潜めて、話し出した。が、真昼間から蝋燭に火を灯し、その火に近寄る演出は無用だと、バルジー共々感じていた…。
* * * * * * * * * * * * * *
千五百年前、遥か東の大陸では、魔法技術が優れた国が発展していた。人々はその力を使い、平和に暮らしていたが、近隣の国からは「魔王の国」と畏れられていた。
ある日、北の大陸から来た侵略者は、その魔法力を欲し、三十年に及ぶ大戦へと突入した。東の国の民は自らの国の防衛のみに尽力し、決して北方の侵略者を襲う事はしなかった。犠牲になったのは魔法力を持たない東の国の民達。その後、侵略者達は諦め、北へと帰るが、東の国の国力は疲弊し、満身創痍となった。
そうなったら近隣諸国が黙っていなかった。
魔法力を奪おうと、一気に攻め込む。
最早抵抗する術は無かった。魔法の知識を奪われ、力を果たした魔法使い達も次々に倒される。
そんな中で、一人の男が立ち上がった。
彼は、持てる知識と力を全て使い、東の国を封印。同時に、魔法力を奪った侵略者達も封印し、双方の封印を遠く離れた所へと飛ばす事に成功する。
ここに、戦は終了するが、その男は自らの力を求め、悪用する者が現れる事を忌み嫌い、それすら封印し、砂漠のオアシスへとたどり着く。
そのオアシスには小さな町があった。
彼は、その中である一族を選び、自らの力を封印した玉を渡した。
『この玉が砕ける時、あなた方の一族の末裔をお借りしたい。共に旅をし、再び蘇る悪しき魔法使いを討ち滅ぼす為に』
更に、彼はもう一つの物にも力を分け、封印していた。そして、それはまた別の一族へと渡す事を選ぶ。
『世が乱れ、国が乱れた時、私はこの剣を再び訪れます。それまで、どうかおあずかり下さい…。それまで、きっとあなた方一族を守り、栄えさせてくれるでしょう』
こうして、彼の力は二分され、オアシスの町へと齎された。が、剣の一族は他の一族に「玉」が委ねられている事を知らない。
マルキトは栄えた。剣と宝玉の魔力によって。
魔法使いは、玉の一族に願いをした。
「私の力は残っている。言葉は力の源です。どうか、この手枷を私に付けて下さい。遥か後、世が乱れる時、あなた方の末裔がこの封印を解きます。玉が割れた暁には、どうか、よろしくお願いします」
この国を作った者達は、この宝具を守る為に、強固な城壁を作り、秘密を洩らさぬ為に外界との交流を絶った。
彼の名は「キース」。龍と契約を結んだとされる『大賢者』
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「ウチが、その宝玉を守ってた家系?」
アンが二人に聞くと、うんうんと頷く。
「1級貴族でもないのに、宝具を?」
「剣の一族も、我々の存在は知らん…。じゃから、無暗に話さん様に子供の頃には話さんかったんじゃ」
「でもおかしいわよ? だって、あの人は自分の事を『魔道士』って言ってた。『賢者』でも『魔法使い』でも無かったわよ?」
「伝承じゃ…。長い年月で、恐らく変わった所もあるじゃろう」
「じゃあ、名前が違ってる事もあるんじゃ無い? 人違いかも…」
「アン、お前さんの話しから聞くと、悪い男では無いんだろ? 連れて来れば良いじゃないか」
バルジーが口を挟むが、アンは首を横に振る。
「彼は奴隷だったよ? ウチは奴隷は買わないんでしょう?」
「大賢者様の解放の為じゃ。アン、行っておいで!」
「え…でも、乱暴されそうになったし…すぐには行きたくないよ」
顔を強張らせて言う。
「仕方無いね…、アンが落ち着いたら、バルジー…連れて行ってやんな」
「俺かよ…。俺だってスラムになんか行きたくねえけどな」
頭をグリグリ掻き毟りながら答える。
逃亡すらも許さない国。それは、城壁と住民の間に兵士が住むエリアと、更にその向こうには無法地帯・スラムがある所が大きかった。
故に、暗部を黙殺している。
が、この日よりスラムの動きに変化が出る事は、誰も予想しなかった。




