土龍契約
スラムから仲間を数人引き連れ、ゼノはひたすら走っていた。その視線の先には白亜に光る宮殿を捉え、風水盤の如く張り巡らされた水路を渡り、1級貴族街から王宮警護兵士街へと入った。
「何だこりゃ…」
ゼノは走りながら、その周辺の有り様に驚きを浮かべつつ呟き、そして足を止めた。
「ゼノさん、これってエクセルがやったんですかね?」
「だろうな、奴しか居ねえだろ。譲ちゃんができる訳ねえしな」
その周辺に広がるのは、基礎を残して姿を消した家屋や、気絶している兵士達。気が付いていても恐怖で身を屈め震える兵士。
「おもしれぇ事が起きてるみてぇじゃねぇか」
ゼノは何故か、心の奥から込み上げて来る期待感が、体を震わせた。
「エクセルが言うにゃ、剣は地下にあるとか…。急ぐぜ」
周りの仲間に言うと、再び走り出す。
そして、そろそろ王宮護衛兵士街を抜けようとした時、地面が一瞬の揺れを伝えた。
ゼノ達は条件反射のように足を止め、その揺れを確かめる様に地面を眺めた…瞬間だった。
そこから僅か数メートルの地面に割れ目が生じ、軽く陥没した直後に火柱が上がる。
轟音と共に放たれた火柱は、一瞬でその役目を終えたかのように消える。それを見たゼノの仲間は腰を抜かし、その場に崩れ去る。
「は…ははっ。エクセルのヤツめ、花火を上げるってこの事かよ」
ゼノは必至で笑顔を作り、恐る恐る火柱が生まれて消えた穴に近寄る。
「ゼ…ゼノさん、危ねぇよ…」
腰を抜かした仲間が止めようとするも、体が震えて動けない。ゼノはゆっくりと穴から下を覗き、恐る恐る声を出す。
「おい…エクセルか? …そこに居るのか?」
分厚い岩盤の奥には、微かな光が見えている。火事があったのだろうか、焦げ臭い匂いが広がっているのが分かる。最も、あれだけの爆発を引き起こすエネルギーがあるのだから、火事くらいあっても当然なのだが。
「エクセル! 聞こえねえのか? そこに居ねえのか!?」
ゼノは軽く咳き込んだ後、再び声を上げる。すると穴の中から声が聞こえる。
「飛び降りて来て下さい。私が受け止めます」
馬鹿じゃねぇか?岩盤だけでも数十メートルはありそうな穴だぞ?
ゼノは顔を青く染めながら、言葉を失った。そして、その後に聞いた事の無い男の声が響く。
「やめろ!来るな!来ると殺すぞ!!」
マルキト国王の言葉だが、ゼノは当然分からない。分からない上に『殺意』を向けられたのだ。荒くれ者を総べて来たゼノには、最も効果的な言葉だった。
「何だとコノヤロウ! どこのどいつだ!待ってろ…今すぐ行って勝負してやる!」
青ざめた顔は一気に血を取り戻し、紅潮させて穴に飛び込んだ。
それを見たスラムの仲間達は、口々に叫ぶ。
「ゼノさん!」
「危ねぇ! 止めてください!」
だが、彼らのテンションとは全く逆に、ゼノの体は穴の入口にフワフワと浮いていた。いや、浮いていると言うよりも突風に突き上げられるように、バタバタと煽られていた。
「ぐへっ! い…息ができね…ぐふっ」
あまりの強風で、吸いこもうとすると大量の空気が流れ込む。無意識に呼吸を止め、その体内への侵入を阻止している。
そのゼノの体を受けとめる突風は次第に弱まり、ゼノの体が穴の中に消えて行った。
「大丈夫ですか?」
「げほげほげほげほ!」
「あんまり大丈夫じゃ無さそうだよ…」
「げほっ!ごほごほっ!」
「くそ! ワシをここから出せ! 悪魔め!」
「ぅえほっ!ぐほぐへっ!」
四人はそれぞれに口から言葉を出すが、一向に噛み合わない。だが、国王を除き既に空気の壁は解放してあり、キース・ゼノ・アンは一カ所に集まっている。
「さてマルキト国王。剣の継承者が下りて来ましたので、どうぞお譲り頂けませんか?」
キースは国王に向かって話しかけると、咳が落ち付いたゼノが、アンに聞く。
「ごほ…っ。国王? あいつがか?」
「うん…そうみたい」
「なるほどな…で、アイツが握ってるのがキースの剣って訳か」
ゼノはゆっくりと立ち上がり、キースに向かって言う。
「エクセルよ、国王にはちょいと借りがあるんだ。俺に任せてくれねえか?」
「そうですね。彼は私とは生きた時代が違いますから、私が出るよりも貴方の方が適役ですね」
キースはそう言うと、国王の壁を打ち消した。一瞬、国王の体が陽炎に包まれた様に揺れ、解放される。
「国王さん。今スラムの四チームが王宮を目指して来てる」
「そんなモノ、兵士が何とかする! それに王宮にはワシら王族が許可した者しか入れん!」
「俺は許可してくれたのか?」
ゼノは両手を広げ、自らが侵入した事をアピールしている。
「勘違いするな。俺達は何も国を乗っ取ろうとしてる訳じゃねぇ。その才がある者が、治めてくれりゃ良いんだ」
「知った風な口をきくな! 奴隷風情が!」
国王の言葉に、ゼノはいきなり飛びかかり、左頬を殴りつけた。
「2級貴族の中にも、不満を持ってる奴は五万と居る!」
そう言うと、更に右頬を殴りつける。ヨロヨロとその場に崩れる国王。
「衛兵…衛兵はどこだ! この男を捕えろ!」
ズルズルと後ずさりし、水路にはまりながら衛兵を呼ぶが、誰も来ない。
「ああ、申し訳ありません。この部屋への入り口はあの穴以外、全て塞ぎました」
キースはニコッと微笑みながら、天井に開いた穴を指さす。
「この国は腐ってる。生まれながらに働かなくても良い者と、権力を掴む者、また奴隷の者が決まり、日々贅を尽くし、外から来る者は招き入れ、出る時に金を要求する…。外からの商人は良い稼ぎになるだろうが、そいつらは俺達の様な護衛と引き換えに、安い奴隷を護衛にして国を去る」
「良く出来て居るだろう! それもワシらマルキト一族の力があればこそだ!」
この期に及んでも、権力をアピールできる図太さ。アンは心底憐れんだ。
「ちなみに聞くが、この剣を抜くとどうなる?」
ゼノは、大地に突き立てられた剣の柄を握る。
「やめろ!貴様ごときに抜ける物では無い!」
「良く言うぜ…お前には抜けなかったんだろう」
ゼノはグッと力を入れると、剣が僅かに動く。その様子を見ていたキースは、クスッと笑いながら言う。
「マルキト国王。その剣が抜かれれば、この白亜の宮殿が朽ち、国を守る鉄壁の壁も朽ちます。千年という時の流れを取り戻しますからね」
その言葉を聞いたゼノと国王は、驚いてキースを見る。
「おいエクセル! そこは聞いてねえぞ! 砦が無くなると国も平和を保てなくなるじゃねえか!」
「やめろ! ワシの国が無くなる!」
「あんたの国なんかじゃないわよ! 私達みんなの国なんだから!」
アンもそれに便乗して口を開く。すっかり影が薄くなっているアン…。
「そうでしょうか…? この国には既に、屈強な戦士で砦の内を守られていますよ。ゼノさんを筆頭にね」
キースの言葉に、国王は水から這い出し、ゼノの足にすがる。
「クーデターか! 反乱を起こしおったな…逆賊が!」
そう言った後、国王の体が弾かれる様に飛んだ。
「マルキト家に伝えた言葉…正確にお教えしましょうか?」
キースの眼が妖しく光っている。どうやら彼が、国王を弾き飛ばしたのだろう。ゼノはキースを見て唖然としている。
「時の剣を一族に託す。この剣を核とし、鉄壁を誇る城壁・そして剣を守護する宮殿が生まれる。千年後まで剣の守護契約を結べば、1年に1度、この日にその恩恵として水・火の加護を与える。更に一生に一度、物質の時を止める力を与えよう」
「そうだ! ワシらはその契約を結び力を得た! その力で国を治め千年王国を築き上げたぢゃ! 何が悪い!」
飛ばされながらも口にする言葉は、どこまでも悪人である。だが、キースは完全に無視して言葉を続ける。
「ただし、その恩恵を独占する事は許さず、千年後に現れる白き魔導師に裁決を委ね、許されるのであれば国王に、許されざれば追放される。その時、剣の後継者に譲り渡し全ての答えを導く事」
「水は…皆に与えておる。火も各地に置き自由に使わしておる!」
「確かに、水路の整備、火種の確保はできてます。ですが不満を持っている者は多く、こうしてクーデターまで起こっている上に、貴方はここに来た」
「ここに居て何が悪い!」
「剣の力を以て、この騒乱を鎮めようとしましたね? 恐らく千年の間に貴方がた一族は気付いたのでしょう。この剣の力に」
キースはそう言うと、ゼノの元に歩み寄り背中に手を当てる。
「待て…エクセル、何を…」
ゼノは剣を握ったまま、キースに問いかけようとした時、剣を中心に魔法陣が広がる。
「我々クルト族は、聖獣と契約を結ぶ事で魔導師へとなります。この剣には1体の聖獣を宿し、後継者にその恩恵を与えていたのです」
「やめろ、やめぬか!」
慌てた国王は阻止しようとするが、足が震えて動けない。どうやら飛ばされた衝撃が強すぎたようだ。
「後継者…俺か?」
「今まではマルキト一族でしたが、剣の正統後継者では無く、クルト族でもないので契約はできなかった。だが貴方は私の子孫…、剣と共に、聖獣契約を結びます」
「やめてくれ! それはワシのーーーーーー…」
国王の悲痛な叫び声の中、魔法陣は茶色に光り、ゼノの体に吸収されて行く。
「う…うおぉおおおお! 何だ! 何かが入って…!」
ゼノは自らの体内・精神内に何者かが入って来る感覚に襲われ、恐怖と同時に暖かさを体で受け止める。
『…誰だ、お前…』
ゼノの視界には、暗闇に浮かぶ獣が浮かんでいた。
『……モグラ? 聖獣ってのはお前か…?』
『モグラか…随分と我を安く呼ぶな』
毛むくじゃらで手足が短く、爪の鋭い獣だった。だが尻尾が長く、口には鋭利な牙が並んでいる。
『龍? ってほど格好良くも無いか』
『やれやれ、久方ぶりの契約者は口の効き方も知らぬのか。我は土龍クラッサム。主との契約を千年もの間待っておった』
『どりゅう…クラッサム。やっぱり土竜じゃねえか』
『…まぁ良い。我を受け入れるか、拒否するか、それはお主の自由だ。受け入れるのであれば、我が名とお主の名を結べ』
「……マルキト国王。貴方は剣の力を使い、反する者を毎年葬って来ましたね?」
魔法陣が消え、ゼノは生気を失ったまま立っている。それに全く興味を示さず、キースは国王に向かって歩いて行った。
「護衛騎士団じゃ。ワシに従う者が反乱者を収めておったのじゃ!」
「その恐怖から、貴方がた一族に刃向かう者は居なくなり、表面的には平和を装い国を成り立たせていた。2級貴族は、そんな反乱分子達に対する予防策。市民と名付けるよりも貴族と名付け、奴隷を置く事で不満も誤魔化した」
「国の統治に、口を挟まれる覚えは無い!」
反論できなくなった国王は、ついに結論を言ってしまった。
「ええ、私は口出ししません。ですが、剣の後継者が現れた事により、過去からの契約通り還して頂きます。それに…国民は少なくとも、貴方を欲してはいません」
キースの言葉に、国王は流石に口を閉ざした。
ただ、ブツブツ言ってるゼノだけが…異変を露わした。
「ゼクタ・ノキス・モラウス…我は土龍クラッサムと、魂の契約を結ぶ者なり」
ゼノはそう言うと、一気に剣を引き抜いた。
その瞬間、白亜の王宮は一気に色あせ、壁が崩れて行く。
更に3キロ離れた、鉄壁を誇っていた巨大な城壁も崩れ始める。
戦闘を繰り広げていた騎士と、スラムの闘士達は、あまりに突然の崩落に動きが止まり、四方を眺める。
地面を揺らす程の轟音と共に、巨大な城壁が剥がれ落ち、中央に鎮座していた王宮も崩落を始める。それは王国の終焉を意味していた事が、誰の目にも分かった。
歓声を上げるスラムの戦士達。膝を折りうな垂れる騎士たち。
城壁を纏って来た巨石は落ち剥がれ、芯の土壁だけが残る。
王宮は土の屋敷へと姿を変え、威厳も無く崩れ落ちる。
土煙が城壁からスラム・2級貴族街を経て1級貴族街まで及ぶ。
「止まっていた時間が流れ、朽ちたんですよ。最早鉄壁では無く、ただの壁です」
キースはそう言いながら、ゼノの肩をポンと叩いた。
「な…何だよ。これが契約なのか…?」
ゼノの見た目は変わっていた。髪が茶色になり腰まで伸び、瞳の色も茶色になっている。
「ええ、土龍クラッサム…。貴方の聖獣です。大地を統べる龍の力が、貴方に与えられました」
「そうか…この時の剣の力で、大地の力を操り時を止めてたのか…」
「ゼノさん、我々の足元の地面を隆起させ、地上高く持ち上げて下さい」
キースはそう言いながら、上を指さす。
「呪文が分からん」
「必要ありません。呪文とは魔法使いが用いる契約の言葉。しかし我々は魔導師…契約した聖獣に念じるだけで、殆どの力を操れます」
二人は会話を続ける。
「ねぇ…私の事、忘れて…ないよねぇ…」
アンは寂しそうにキースを見上げながら、マントを引っ張っていた。
今起きている事象が呑みこめないが、それよりも自分の影の薄さが不安になっていた。




