解放
砂漠の国、マルキト。
広大な砂の中に突如広がる砦の中にそびえる無垢な白さを誇る王宮。オアシスに栄えた国だ。
人々は思い思いの商いを行い、ごく稀に来る旅人や行商から砦の外の世界を感じる。
完全に遮断された世界…。
そこから出る事は許されない。
入る事ができるのは、極限られた、滞在期限付きの人間達。
水を求め砂漠を彷徨う瀕死の人間すらも、砦の中には入れない。
一部の貴族・王族の為の国…。
「ねぇ、もっと果物は無いの? 最近少なくない?」
「勘弁して下さいよ…。最近は行商の者も少ない上に、こう水が無いんじゃこれでも多い方ですよ」
店の主人は女性客に向かって、何とかこれで勘弁しろとばかりに言う。
「もう…。無いんじゃなくて、こっちには流れないだけでしょ?」
女性客は店先でそう言い、冷たい視線を無垢の白壁でできた王宮を見上げる。
「冗談じゃ無いわよね…。あの中じゃ毎晩宴会やってるって話じゃない。あんたの店も、王族御用達なんでしょ? ちょっとはこっちに回しなさいよね!」
「お客さん、声が大きいです…。もう帰って下さい!」
店主はそう言うと、女性客を店先から追っ払い、ソワソワしながらまた店の中へと戻って行った。
「何よ…。毎日毎日店先の果物が減ってるじゃない。入荷してるくせにこれ見よがしに減らされると、みんな気が付くわよ…」
ムスッと頬を膨らませ、他の店で良い商品が無いか物色して回る。
ふと気が付くと、中心街から程遠いスラムに差し掛かろうとしていた。
「あれ…? 何で私こんな所まで来てるんだろ…」
自分でも、不思議に足が向いて来ていた。普段なら決して近寄らない場所。ここは砦の外から流れ着き、不法滞在している者や、王国内で何かしらの罪を犯し、逃げている者の溜り場だった。
彼女は恐ろしくなり、その場から去ろうとするが…。その視線の先に、ある奴隷市場を見付けた。
普段から奴隷という物を見慣れてはいるが、彼女の家は着けていない。人を売り買いなどする物では無いと、代々それを守って来た、希少な家系だった。しかし、その場に居る奴隷は何か空気が違っていた。
恐る恐る近寄り、頭から被ったマントを覗き込む…。
「ひゃっ!!」
驚いて尻もちを着く。
「どうした、姉ちゃん…。身なりからして2級貴族か?」
彼女の背後にある酒場の客が声をかける。
「2級貴族が何しに来たんだ? 自ら奴隷を物色しに来るとはな…。慰み者にでもするつもりか?」
酒に酔ったスラムの住人は、大声で笑いながら女性に近付く。
こんな男達に囲まれたら、どうなるか位は想像ができる。が、逃げようにも既に囲まれていて、更に腰が抜けてる。
『何でこんな所に来たんだろう…。もう、終わり…』
涙を流し、声すら出せない恐怖の中、声が聞こえる。
「こちらへ。這ってでも来て下さい」
誰?と頭を振り周りを見る。声がしたのは…正面から? 迷いながらも正面をもう一度見ると、頭に被ったフードを取った男が彼女を見ていた。腕には小さなタトゥーがあり、太くて何かが書かれた手錠が付いている。年齢は40程だろうか…。疲れた表情と、シワが目立つ。短い黒髪に、小さな体。
頼りにならないと思える風貌だが、彼女は四つん這いになりながらも這い寄った。
「何だ、お嬢ちゃん…、エクセルがお好みかい? 代わりモンだねぇ…。俺らの方がずっと楽しめるぜ?」
『エクセル…この人の名前?』
黙って奴隷の男を見上げるが、彼は黙って酔っぱらい達を見つめている。
「ダメダメ、そいつ口が利けねえから」
愉快そうに酔っぱらい達は笑う。
もう、既に三十人を超えただろう…。
「助けて!」
彼女は無意識に奴隷の男に向かって助けを求めた。
男はゆっくりと立ち上がる。
身長は150程の小さな男。どう見ても頼れるとは思えないが、口の利けない筈の男から発せられたと思われる『声』にすがるしか方法は無かった。
小さな体に似合わないマント。地面を引きずりながら酔っぱらいの輪の中に歩いて行き、中心で立ち止まる。
「何だエクセル、お前俺達に文句でもあるのか? エエ? 何十年も買い手の付かねえ奴隷がよ」
またも愉快そうに笑う酔っぱらい達…。その笑い声の中、男は女を振りかえり見つめる。
『え…何??』
また、声が直接頭に響く。
「解放する…? キース…? 言えば良いの??」
「何言ってんだ?お嬢ちゃん」
酔っぱらいの群れは、男を無視して彼女に近寄り腕を掴み上げる。
「痛い! 放してよ!」
「良い女じゃねえか、俺が最初に貰って良いか?」
酔っぱらいの一人は、顔を近づけて匂いを嗅ぐ。
「酒より酔いそうな匂いだぜ、おい、たまんねえぞ!」
「キース・ガードナー・プロイス! 汝を呪縛より解放します!」
「何言ってんだ?こいつ…」
「良いから犯せよ、後が閊えてんだぜ?」
彼女を取り巻く数人が、モゾモゾしながら不気味な笑みを浮かべる…。が、その背後の人混みは消えていた。
「すまない、彼女を離してはくれないか?」
「あん? …誰だお前……!!」
声を掛けられ、振り向いた数人は呆気に取られた。
あれ程大勢居たスラムの住人が消えていたのだ。
「私は、貴方がたが『エクセル』と呼んでいた男…」
「お前が…エクセルだと?」
女の腕をつかんだ男は、その『エクセル』を下から上まで眺める。が…、身長は180センチ程あり筋肉質、髪も白銀で長め。年齢は25歳程だろうか…。似ていると言えば、瞳の色だけだった。
「……誰だ、おめえは…」
ようやく女の腕を離した男は身構える。そしてそれに釣られる様に取り巻き数人も身構える。
「よせ、生身の人間と戦える様な男じゃないんだ」
「なんだそりゃ! 意味が分かんねえ!」
その言葉を合図に、数人の男が殴りかかる。
「お怪我はありませんか?」
『エクセル』は女の前に片膝を着き、右手を自らの左胸に当て頭を下げる。
「あ…あの…エクセルさん? ありがとう…」
「私の名は、キース・ガードナー・プロイス…。貴女に呼ばれた魔道士です」
「あっ…」
彼女は、自らが名乗った事を思い出した。
「今、語るべき事はありません…。再び私に封印の枷を掛けて頂きたく思います」
キースはそう言うと、自らの左手で先程まで両腕に課せられていた物を差し出す。
「そんな…私には…」
「大丈夫です、貴女は私に出逢った。今は出逢う事が運命だったのです。次にお会いした時、全てを知る道へと歩みだすでしょう…」
キースの深い青色の眼に魅入られる様に、彼女は枷を課した。
その瞬間、今度は15歳程の少年の姿になり、髪もボサボサの黒髪になった。しかし、目の色と腕のタトゥーはそのままだった。
少年は、やはり言葉が話せなくなった様子で、彼女にニッコリと微笑み、元居た椅子に座った。
「私…帰って良いんですか…?」
少年に問いかけると、嬉しそうに笑顔を浮かべ、頷いた。
彼女は急いで家へと向かう。
その表情は、何故か爽やかに笑っていた。
数分後…。キースの目の前の空間が捻じれて、大勢の酔っぱらいが出て来る。まるで水面から上がって来るようにゆっくりと…。
全ての体が、その捻じれから出た者から順に、背後に吹き飛ぶ。
愉快そうに笑う少年は、その日からスラムの中心となって行った…。




