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押しかけ家事代行の彼女

作者: 書店ゾンビ

◇◇◇◇◇


 僕は大人数の会話が苦手だ。


 小学校のころはまだ、クラスメイトの会話に加わろうともしていた。


 けれど、上手くいった試しはなかった。


 彼らの話を聞いていると、文と文の繋がりが瞬く間に解けて消える。話題が飛ぶように変わり、主述の関係も指示語の対象も曖昧なまま、何の結論にも到達しない会話が続く。僕は追いかけるだけで精一杯だった。口を開く暇もなかった。


 必然、僕はクラスの中で孤立した。

 そのせいで、担任の先生に心配も掛けた。


「——友達なんていらない」


 そう言ったのは強がりだった。

 話を聞いてくれる友達が、話しかけてくれる友達が欲しかった。


 だから、僕は本を——読書を求めた。


 そこに話し相手を求めて。


 しかし、本は語りかけてくれるけれど、僕の話を聞いてはくれなかった。


 だから、僕は本を書いた。


 自分の言葉を、物語に編み上げることを覚えた。


 高校時代、僕は周囲の目も気にせず、読書と執筆に没頭した。正確には、上手く友達を作れずに逃避していたのだ。それでよいと思っていた。

 息苦しい現実を生きるより、美しい逃避先を選んで何が悪いのだろうと。

 それに、こうも思っていたんだ。


 もしも、小説のプロになれたのなら、こんな自分でも、あの会話の輪に加われるんじゃないかって。誰かが「アナタの書いた物語は面白いね」と話しかけてくれるんじゃないかって。


 だから、僕はいくつもの物語を編み上げた。

 そして、物語を書くことを仕事に出来るようにもなった。

 その結果は「口下手で孤独で家事の苦手な成人男性」が出来上がっただけだったけれど。


        〇


 1DKのアパートを借りたのは、仕事部屋と生活空間を分けたかったからだ。けれど今、仕事用の資料は本棚の枠を超え、部屋の垣根さえも無視して膨張してしまった。

 アパートには本が溢れて、その積み本たちの上にも平等に埃は積もる。仕事に追われた自分は、掃除や片付けを放棄し続けた。


 結果、アレルギー性鼻炎で大量のティッシュを消費し、罪のない山林が切り開かれるのに一役買ってしまった。


 このままではいけない。


 そう思ったが、仕事の締め切りは伸びないし、編集さんは気軽にSSペーパーやら特典短編やら仕事を押し付けて来る。掃除に取り掛かる時間はない。


 この事態の責任は万事、編集さんにある。


 全部、編集さんのせい。


 そう思いながら、唯一の安息地である作業机の上で編集さんに愚痴のメールを送り付ける。


 いや、本当にダメなのは自分だって分かっている。


 本を書くことだけをやり続けた自分は、健全な人間関係を築くことどころか、健全な日常生活を送る能力すら失ってしまった。

 つまり、僕は家事労働が出来ない。その責任を編集さんに押し付けようとしてみたがダメだった。


 僕はもう埃の山に埋もれて、罪悪感と鼻水の池で溺れ死ぬしかないのだ。


 そんな悲痛な思いに暮れていたら、編集さんからメールが送り返されて来た。


 メールにはURLが記載されている。

 リンク先に飛んでみると、家事代行サービスの紹介だった。

 自分の編集さんは、実に有能だった。早速、明日の午前中に来てもらう三時間お掃除プランで依頼を出し、気分良く仕事に取り掛かった。



 そして翌日——



 朝の九時、僕はインターホンの音で目覚めた。前日に家事代行サービスを頼んでいたのをすっかり忘れていた僕は、大慌てて飛び起きて玄関のドアを開く。


「家事代行の『ニャンコズ』からやって来ました、神木エリカです」


 そう言って、同い年の女性が一礼した。

 仕事用の緑のエプロンを着て、茶色っぽい髪をお団子にまとめた女性。


 なぜ同い年だと断定できたのか。


 自分は、彼女と高校で同じクラスだったことがあったからだ。


        〇


「えっ? ああ~、オタク君かぁ~」

「お、おたく君……?」


 あんまりな覚えられ方に少し凹む。

 まあ、そんな感じの認識だとは思っていたけど。

 神木エリカさんはクラスの中心にいた人物だ。

 少し大仰な言い方をすれば、スクールカーストの上位者だった。

 クラスのグループチャットにすら属していなかった僕からすれば、はるか遠い世界の住人だ。


「とりあえず、部屋の掃除でいいんだよね?」

「あっハイ……」

「てか、この本の山はどうする? 片付ける?」

「えっと、版型ごとにまとめて、その、適当に積んでもらえたら……」

「了解。じゃ、仕事始めるね」


 元同級生に部屋を掃除されるとなると無駄に緊張してきた。

 というか、自分の部屋に同級生が上がったこと自体初めてだった。何なら引っ越し業者以外の人間が家に入ったのが初めてかもしれない。


 僕は落ち着かない気分で作業机に戻る。


 とりあえず、仕事を始めよう。仕事に没頭している間は、周囲に誰がいるとか気にならないし。


 ノートPCを立ちあげて、コーヒーを準備する。


 そんな感じでいつも通りに仕事を進めていると肩を叩かれた。「うわっ」と悲鳴を上げて僕は飛び上がる。振り返ると、エリカさんが驚いた顔で立っていた。僕は吃りながら尋ねる。


「あっ、えっ、何ですか?」

「掃除終わったから」

「えっ、早いですね?」

「いや、もう十三時だし」


 言われてパソコンの右下を確認すると。確かにもう十三時だった。いつの間にか、四時間も経っていた。いつも通りと言えば、いつも通りだが……


「あっ、確か今回のって三時間のプランじゃ……」

「延長料金はいいよ。てか、お腹空いてないの?」

「えっ、あっ、うん。そういえば」

「うち、料理の代行もやってるから。次から一緒に頼んだら?」

「あっ、うん。ハイ」

「次頼むんだったら、今みたいになる前に呼んで。そしたら三時間で済む」


 エリカさんに言われて、僕は部屋を見渡した。

 あちこちに群生していた本の塔たちが壁際に整然と並び、火山灰のごとく降り積もっていた埃が綺麗サッパリなくなっていた。

 よく見ると、窓ガラスも綺麗になっているし、台所のシンクもピカピカに磨かれている。


「すごい……」

「いや、これくらい普通だから」


 エリカさんは機嫌の悪そうな顔で言った。僕があんまり汚い部屋を掃除させたせいで怒らせてしまったのかも知れない。けれど、立ち去る前にエリカさんは「これさ、良かったら次回使って」と割引クーポンを残してくれた。

 それから、僕は家事代行サービスを隔週でお願いすることにした。


        〇


 僕が隔週で家事代行を頼む理由は、エリカさんの仕事ぶりが良かったからだ。

 そして、こちらはあくまで副次的な理由だけれど、人恋しさもあった。

 執筆仕事は基本的にリモートで完結するし、僕には話し相手がいなかった。担当編集さんとも基本的にはメールのやり取りだけだ。


 つまり、言語を発してのコミュニケーションに飢えていた。


 まあ結局、エリカさんとは、そんなに話すわけではなかったけれど。


 彼女は隔週で家にやって来て、掃除と昼食の準備をして帰っていく。仕事内容の会話をすることはあるけど、やり取りはその程度だ。


 だいたい、彼女が仕事をしている間は、自分も仕事をしているので、ほとんど対面する時間がない。


 元同級生に部屋を掃除されることに、最初は少しの照れ臭さや気まずさはあったけれど、ビジネスパートナーだと思えば、意外と気にならなくなった。


 そんなある日のことだった。


「北島君は、小説家なの?」


 作業机に向かっている僕に向かって、エリカさんが尋ねた。

 僕は作業の手を休めて時計を見る。

 十二時半、彼女の勤務時間はすでに終わっていた。


「小説家で、シナリオライターとかもやってる」

「そっか。いつも本読んでたもんね」

「まあ、うん」

「じゃあ、夢が叶ったんだ」

「ああー、どう……なんだろ?」

「あれ、違った?」

「違くない気がするけど、違うかも?」

「ははっ、よくわかんないね、相変わらず」

「そうかな。そうかも」

「私はさ、やりたいこととか無くて、今こんなだし」

「今こんな?」

「元同級生のとこで家事労働」

「あっ、えっと……迷惑だった?」

「ん? ああ、そうじゃなくて。ああでも、ちょっとそうかも?」

「ど、どっち……?」

「ま、家事代行、頼んでくれるのは全然良くってさ。でもまぁ何? 差を感じちゃうよね」

「差って?」

「勝ち組とか負け組とかって」

「いや、確かに僕の現状は、あんまり愉快そうに見えないかもしれないけど、その、割と充実はしているんだよ。友達は確かにいないけど。ラインとか、アプリ入れただけで、連絡相手とか一人もないけど、その、それはそれとして——」

「いや違うし。負け組は私の方だから」

「はえ?」

「北島君の仕事はさ、北島君にしかできない仕事でしょ? それをいろんな人に見てもらってさ、それでいろんな人に評価されたりしてさ。私の仕事とか誰でも出来るし」

「いや、僕はぜったい出来ないけど……」

「あ、うん。知ってる。けど、一般論で言えばさ」

「僕は——神木さんがいないと、その、困る」

「ああ、うん。そっか。まぁ、うん。部屋、汚れちゃうもんね」

「うん」

「ははっ、うん。そっか。仕方ないね、北島君は」


 エリカさんは「困った人だね」と苦笑した。

 僕は何だか胸がギュッとなった。


 僕が家事代行を頼む理由——もしかしたら、もう一つだけ理由があったのかもしれない。

 それはとても暗い理由で、言葉にするには憚られるようなものだ。


 僕は——見返したかったのかもしれない。


 高校時代、楽しそうに話していた人たちの誰かを。自分のことを顧みなかった誰かを。正しく青春時代を送れなかった自分が、今プロの仕事をしている姿を、見せびらかしたかったのかもしれない。

 

 嫌味な自己顕示欲の発露。


 八つ当たりみたいな、幼稚な発想だ。


「北島君、それじゃ再来週。料理食べておいてね」


 考え込んでいると、玄関から声が聞こえて、エリカさんはそのまま立ち去った。



◇◇◇◇◇



 北島サブロウ君は、高校のクラスメイトだった。

 教室で本を読んでいた、根暗で地味な男の子。

 オタク君——と仲間内では呼んでいた。


 というか、名前をちゃんと覚えたのは、家事代行で会うようになってからだ。


 高校時代は、彼のことを馬鹿にしていた。

 友達のいない、スクールカーストの最下位だって。


 けれど、家事代行で通う内に、私は自分の浅い考えに気づかされた。すごい集中力でキーボードを叩く彼を見て、家に並ぶたくさんの資料と、それらが読み込まれた形跡を見て、考えを改めさせられた。


 私が高校時代に見ていた彼なんて、彼のほんの一部でしかなかった。彼はしっかり夢を持ってそのための努力をしていた。部屋を見れば分かった。


 ——部屋には、そこに住む人の性格が出る。


 家事代行を続けて分かったことだ。

 几帳面だとか大雑把だとか。

 何が好きとか嫌いとか。

 彼の部屋は一つの目的に集約されていた。

 本を読み、本を書くこと——それ以外のすべてを捨てた部屋。

 無駄な家具がなくて、というか、必要な家具すら足りてなくて、本当にそれだけをやるためにずっと歩いて来たんだと分かる部屋だった。


『私はさ、やりたいこととか無くて、今こんなだし』


 北島君を見ていると、思わず言ってしまった。

 自分が情けなくて。

 家事代行の仕事が嫌いなわけじゃない。

 仕事をして喜んでもらうことに遣り甲斐だって感じている。けれど、初めからそうなりたくて選んだ仕事ではなかった。


 流されている内に、たまたま辿り着いた場所だ。


 彼のように——夢を叶えたわけじゃない。

 彼のように——彼じゃなきゃダメな仕事じゃない。


 仕事に貴賤はないと言うけれど、私の替えはいくらでもいる。そう思うと、私は——


『僕は——神木さんがいないと、その、困る』


 だから本当に、困った人だ。

 そんなこと真顔でさらっと言うかな普通。

 私はにやけてしまいそうになる顔を隠して、その日は足早に彼の家を後にした。


        〇


 おかしい。


 あの日から、隔週で依頼が来ていた北島君ちの家事代行の仕事が来なくなった。


 私がいないと困ると、そう言ったくせに。


 何だかイライラした。

 あんなことを言っておいて。

 人をその気にさせておいて。


 同時に、何かあったんじゃないかと心配になった。元々の生活の不摂生ぶりが祟って倒れたんじゃないかとか。もしくは甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女でも出来たか。


 ラインとか交換してればよかった。


 というか、同じ高校に居たのに、なぜか彼のラインIDだけ登録がないんだ。


 クラスメイトみんなが入っていたグループにすら、彼の名前だけない。流石にどうかしていると思った。根暗すぎるだろ北島君。どうなってるんだ。


 悶々としながら、考える。


 住所は知っているし、押しかけてやろうかとも思った。——が、これで可愛い彼女なんかとバッタリ出くわしたら、あまりに格好がつかない。


 それに何だか、私が彼のことを気にかけているみたいで、嫌だ。私はあくまで職務意識で気にかけているのだ。プロ、そう、私は家事代行のプロだから。依頼されている部屋がちゃんと綺麗にされているか、気にしているだけだから。


 何で私が、あのオタク君なんかを気に掛けなきゃいけないんだ。

 

 本当に変な話だ。まったく。


 さっさと依頼のメールを送って来いと思いながら、ケータイをベッドに投げつける。


 ちょうどそのとき、ケータイがペロンと電子音を鳴らしたので、私は「北島君がとうとう根負けして助け船を求めて来たんだ」と思った。家事代行の依頼は、本部のサイトに依頼を出した後、専任のスタッフにメールで通知が来るのだ。


 私は投げたケータイを、意気揚々と拾い直す。


 着信には「同窓会のお知らせ」と書いてあって、私はケータイをベッドに投げつけた。


        〇


 しかし、投げつけた後で考え直した。

 同窓会。そう、高校の同窓会だ。

 つまり、同窓会に行けば、自然と北島君に会えるわけだ……と一瞬でも考えた私は愚かだった。


 私が連絡先を知らない相手だ。みんな知るわけがなかったのだ。


 何なら私以外、オタク君のフルネームを覚えている人はいなかった。


 あんなに覚えやすい名前を覚えられていないのはよっぽどだ。


 私はうっかり気合を入れて、同窓会の会場に来たことを後悔した。いや、気合を入れたのは別に北島君に会うためじゃないけど。別に普段の仕事着とのギャップとか狙っていないけど。

 

 というか、みんな酷いのだ。


 北島君の話を出したら、みんな口を揃えて根暗とかちゃんと生きてるのかとか、酷いことを言う。


 ちゃんと生きとるわ。


 ちょっと部屋が汚いし、生活力は全然だし、何か埃の王国みたいな部屋だったけど、ちゃんと夢に向かって頑張ってたんだ、あの人は。


 みんな、何も分かっとらん。


 私は何だか腹立たしい気分になった。


 腹立たしかったので二次会の居酒屋で「北島め……」と恨み言を漏らしながらビールを煽った。久しぶりにアルコールを胃袋に収めると、何だかむくむくとやる気が湧いて来る。


 やる気というか殺る気というか。


 そう、北島め……「神木さんがいないと困る」とか言って、ちっとも仕事を発注しないアイツが悪い。だから私は悪くない。

 親友のミカコにそう言い募ったら、ミカコは「それ何度目?」と呆れた顔をした。酔っ払いが数を数えられるわけがないだろと、私は至極まっとうに憤った。


 そんなこんなでたくさんお酒を飲んだ後。


 気づくと私は、北島君の家の近くに立っていた。


 何だかよくない気もしたが、酔っぱらってよくわからないのでとにかく私は北島君の家まで歩いてどうせ終電もないし、部屋に上げろと言って、アタフタする北島君を眺めながら何だか意趣返し出来たみたいで気分が良くなった。あと、やっぱり部屋は埃塗れになっていたので、ひとしきり彼を叱りつけてからベッドを占有して寝た。


◇◇◇◇◇


「大変申し訳ございませんでした」と翌朝、エリカさんは大変綺麗な謝罪姿勢を取った。僕は嵐のように来襲した酔っ払いエリカさんに戸惑いっ放しだったが、ちゃんと理性を働かせて紳士的に対応した。褒めて欲しい。


 それから。


 僕はエリカさんとラインのIDを交換した。


 今度押しかけて来る時は、一報下さいと言って。


 そこから先、僕とエリカさんがどうなったかについては、ここでは言及を避ける。まぁ、ここから先の方が本当に紆余曲折あったのだけれど、森見登美彦先生も言っているではないか。「成就した恋ほど語るに値しないものはない」と。


作者:書店ゾンビ

最近出た著作:駅徒歩7分1DK。JD、JK付き。 1 (オーバーラップ文庫)

前に出した奴:勇者の剣の〈贋作〉をつかまされた男の話 1 (オーバーラップ文庫)

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― 新着の感想 ―
[一言] 今後が気になりますね……。 まぁ、なんだかんだ幸せになったんでしょう。
[良い点] 読みやすくてつっかえない文章。 [気になる点] 2人のその後。 [一言] サラッと読めるけど不思議と記憶に残りそうな、そんな心地良い話でした。
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