閑話1 神域より
世界と世界の狭間、そこに地球やオリジン、ラムダを含めた複数の世界の輪廻転生を司る神、ロドコルテは『神域』と言うべき空間を作り出し、そこに座していた。
かつて地球で死んだ約百人の魂が一時的に集められたのもここだ。
そのロドコルテは今、オリジンの様子を眺めていた。神である彼はその世界の外から、多くの事を視る事が出来る。全知には程遠いが、大体の事は分かる。
「オリジンが乱れるのは避けられない。天宮博人の存在と、その消滅が原因か」
地球と同程度に発展しているとロドコルテが見なす世界、魔術と科学が融合しヴァンダルーが二度目の人生を生き、今も雨宮寛人達転生者が生きている異世界は、大きく乱れようとしていた。
その原因は、ヴァンダルー……天宮博人の死属性にあった。彼を実験動物にしていた軍事国家は、死属性の魔力を彼から搾り取って、それまでの常識を覆すような数々のマジックアイテムを生産していた。
一瞬で発酵食材を作り、食材を最適な状態で熟成させる調理器具。
半永久的に食品の鮮度を保つ保管庫。
どんな毒や病でも人体に悪影響を一切与えずに消す医療器具。
老化や疾患、怪我で機能が低下した臓器を復活させる錠剤。
万民の毛根を確実に復活させる毛生え薬。
それまでの属性魔術や化学では不可能……若しくは理論上は可能でも実際に作る事は不可能に限りなく近い物ばかりを、信じられない程ローコストで。
他にも夢のような作物や家畜を創りだし、治療法の無いウィルスや病原菌、遺伝病の治療法を発表し、コールドスリープまで可能とした。
そして研究は不老不死にまで届きかけていた。
そんな事が、死属性の魔力だけで可能なのかと言うと、可能なのだ。
死属性は一見生命属性のただの裏返しに思える。確かに出来る事は似通っているし、生命属性を極め限界を超越すれば限りなく近い事が可能に成る。
しかし、完全に同じ事は出来ない。何故なら、生命とはエネルギーだからだ。エネルギーをどんなに継ぎ足そうと、消費を極限まで抑えようと、何時かエネルギーは無くなってしまう。つまり、死ぬ。
そして死属性は死を司る属性だ。そのため、生き物から【死ぬ】と言う現象を無くす事が可能だ。腐敗を進めるも止めるも自由自在、毒や病を消す事等作るのと同様に容易い事。機能が低下した臓器や細胞を健全な状態に戻す事も難しくない。
だが死属性を発見した軍事国家は、天宮博人を無茶な実験のせいで死なせてしまった。そしてアンデッド化した彼は、他の転生者に完膚なきまでに消滅させられてしまった。魔力の欠片すら残さずに。
だから、もう死属性のマジックアイテムは誰も作れない。研究も続けられない。作物や家畜は残ったが、それだけでは人類は満足できない。
軍事国家は人権を無視した非合法な研究機関の存在を国際的に非難され、大統領や研究所に関わっていた高官が辞任したが、そんな物は始まりに過ぎない。
それまで軍事国家が製造し販売していた夢のマジックアイテムが、一切作れなくなってしまったのだから。
軍事国家の行いを責めた国際社会を形成する主要国家がまず行った事は、死属性の研究だった。研究所で天宮博人が研究者を殆ど殺していて、その霊をかなり喰っている。辛うじて魂だけは無事だったが、記憶や人格は使い物にならないので、降霊術の類も無駄だ。
だから数少ない生き残りや、残った研究資料、各国が保有する死属性のマジックアイテムを掻き集めて解析し、再現しようと躍起に成った。
産業や医学はまだしも、実現しかけていた不老不死と言う言葉に権力者達は魅了されてしまったのだ。
問題の軍事国家は力を大きく減じたが、このまま権力者たちが不老不死を求め続けるなら合衆国と連邦国、共和国に新興国家、それらの国々の暗闘が表で、それも大きく現れるだろう。
戦争に発展し何百万、何千万もの人命が失われるかもしれない。
「それは別にどうでもいいが……」
ロドコルテは、その試算に興味が無い。寧ろ、戦死者が出るのは結構な事だと、大いに歓迎すると言った様子だ。何故なら彼は輪廻転生を司る神だ。
だから人が死んで、新しく生まれてもらわなければ困るのだ。
一度に数千万の死人が出ても、ロドコルテの輪廻転生システムはビクともしない。理論上、最大一兆人の魂を処理できる。問題無い。
オリジンの総人口は百億人だ。その内一%にも満たない数が減った所で、すぐに増えるだろう。百年もせずに元通りだ。
寧ろ、科学だけでは無く魔術も存在するオリジンは最近平均寿命が地球よりも延びすぎていたので丁度良いぐらいだ。
確かにロドコルテは世界の発展を願っているが、それは滅亡せずに人類が数十億人規模で生存可能な社会が維持されていれば良いと言った程度でしかない。
七十億人だった総人口が五十億人に減っても、「やや減ったな」としか思わない。ましてや人類の霊的な進化だとか、次のステージだとか、そこまで行くと逆に手に余る。
宇宙進出くらいなら構わないが。
そんな事を言っても、ロドコルテには世界に直接干渉するつもりが無いし、する能力も限られるので何もできない訳だが。
それでもオリジンの紛争や戦争を止めようと思えば、転生者達に『神託』を下して促したり情報を渡したりと言った事は出来る。しかし、それもするつもりは無かった。
元々転生者達に経験を積ませるために、まずラムダでは無くオリジンに送り込んだのだ。チート能力に幸運や運命の助けも授けたのだし、そこは自力でやりたいようにやってもらおう。止めるのでも、参加するのでも、関わらないのでも。
戦争に成ったら何人か、もしかしたら数十人死ぬかもしれないがそれも経験だ。百人も居るのだし、何人か失敗しても困らない。
人々に直接信仰されないロドコルテにとって、人々はただのビットでしかない。システムを流れる、ただの情報だ。善悪も、悲劇も喜劇も関係が無い。ただ、システムが問題無く動くならそれで良い。
「問題は不老不死か」
ロドコルテに取って困るのは、不老不死だ。死なない生き物は、魂の輪廻転生を司る彼にとって己の権能を否定し、システムに障害をもたらすだけの存在だ。
死んだまま動き出すアンデッドや、死者の蘇生よりも厄介だ。
アンデッドは死んだのに転生せず世界を彷徨い続ける魂だが、それでもいつかはシステムの元に還る。死者の蘇生も厄介だが、魂が来世に輪廻してしまえば肉体が生き返るだけで魂は戻らないので、軽度のエラーで済む。
だが不老不死は永遠に還らない。
アンデッドをすぐに修正可能、若しくはしばらく放っておいても問題無い小さなエラー、死者の蘇生をそれよりもやや修正が面倒なバグだとするなら、不老不死は一度システムを落してメンテナンスをしなければ修正できない、致命的なバグと言った所だろうか。
「この点を考えても、天宮博人が死んでくれて助かった」
もし存命のまま研究が続き、不老不死が実現してしまったら対処に苦慮するところだった。転生者達に神託を下しても、その神託を強制的に守らせる手段をロドコルテは持たないからだ。
転生者以外の人間には、その神託すら下せない。
それもロドコルテが各世界の住人に存在を知らせず、信仰の対象となっていないからだ。一つの世界で深刻な事態が起こっても、他の世界の輪廻転生に影響を与えないようにするためだが……せめて他の神のように従属神だとか協力神だとか、そう呼ばれる存在の一つも用意しておくべきだったかと今更ながら悔いる。
神は全知全能では無く、自らの権能が及ぶ範囲と奉じる信者達にしか直接的な影響力を持たない。
いや、とりあえずオリジンはもう良いだろう。なるようになる。人類が滅亡するとか、減り過ぎるとか、そう言った事態にはなるまい。
そう考え、ロドコルテはオリジンから目を離した。そしてふと気が付く。
「天宮博人がラムダに転生して五年か。そろそろ記憶が戻っているかもしれない」
乳幼児期の自由に動けない状態で前世の記憶を取り戻すのは、精神的な負担が大きい。転生者の精神を守るため、ロドコルテは転生して五歳以降に記憶が戻る様に仕組んでいた。
余程のトラブルや想定外の事態が起こらなければ、乳幼児期に記憶が戻る事は無い。
「まだ天宮博人の魂が来ていないと言う事は、運悪く五年で死ななかったという事か。記憶が戻るのはまだ先かもしれないが確認しておこう」
もし記憶が戻っているのなら、不老不死等を実現できる可能性があると知られる前に死んでもらうために、自殺するよう促さなければならない。
三つの呪いを彼にかけたが、彼の魂にまで染み込み一体となった死属性を消す事はロドコルテにも出来なかった。彼が往生際悪く足掻けば、ラムダでも死属性魔術を習得するだろう。出来ればそれは防ぎたい。
そのために、ロドコルテはシステムを使って天宮博人の転生先を調べた。このシステムを介して、ロドコルテは輪廻転生した魂の過去と現在を知る事が出来る。
しかし、天宮博人の情報が無い。
「……何だと?」
もう一度検索をかけるが、やはり情報が無い。地球からオリジンに転生した記録はあるが、オリジンで死んだ後の記録がぷっつりと消えていた。
「まさか転生していない? そんな訳は無い。確かに天宮博人は転生している。だが、システムに記録が無いと言う事は――しまった。システムから零れ落ち、私が司る物とは別の輪廻に呑まれたか!」
ロドコルテにとって、ラムダには三つのイレギュラーがある。一つはオリジンでも度々発生するアンデッド。
残りの二つは、古に魔王達が創りだした魔物と、女神ヴィダが産み出したヴィダの新種族だ。
この二つは、ロドコルテの輪廻転生のシステムには含まれていない。
もし魔王達が魔物を創りだした当時、その輪廻転生がロドコルテのシステムの範疇なら彼が細工するだけで魔物の魂は転生できず、新たに産まれる事が出来なくなる。そのため、魔王はロドコルテのシステムを何らかの方法で模倣し、独自の輪廻転生システムを立ち上げていた。
だから現在に至るまで魔物はラムダ世界で猛威を振るっている。ダンジョンでボスモンスターや中ボスが不自然に生成されるのはそのためだ。
今では邪神や悪神を奉じる人種や他の種族達はロドコルテのシステムから外れ、今は滅びた魔王のシステムに組み込まれるようになっている。これがまたロドコルテのシステムにエラーを引き起こして小さな問題を起こしている。
そしてヴィダの新種族の方だが、これはヴィダと……ラムダの神々とロドコルテの確執が原因だ。
魔王が現れた当時、ロドコルテはヴィダやアルダと言ったラムダの神々から救援を求められた。それを彼は全て断り、静観に徹した。
自分が関わる事で魔王に魂を砕かれる事、それによりロドコルテが管理するラムダ以外の世界の輪廻転生に影響が出る事を防ぐためだ。
ロドコルテにとって、ラムダは幾つかある世界の一つでしかない。滅ぼされれば骨を何本か折られるのと同じくらい痛いが、致命傷には程遠い。骨折が嫌だからと、即死する危険は犯せない。
その後ラムダの神々が逆転の手段として異世界から勇者を召喚した事にも、ロドコルテは文句を付けた。彼が輪廻転生を管理する世界以外から勇者達が召喚されたため、システムにエラーが出たからだ。
さっさと送り帰すか、それが出来なければ早急に使い潰して殺してしまえと要求した。
あの時ロドコルテはラムダの滅びは避けられないと思っていたので、無駄な足掻きで面倒を起こされたくなかったのだ。
結果、ロドコルテとラムダの神々との間に深い溝が出来た。ロドコルテは特になんとも思っていないが、特にヴィダからは深い不信感を持たれてしまった。
それもあって、ヴィダは魔王が創りだしたシステムを更に模倣し、独自の工夫なども加えたヴィダ式輪廻転生システムを立ち上げ、吸血鬼に代表される新種族を産み出したのだ。生命属性を司る彼女は、ロドコルテにやや近い神格を持っていた。流石に複数の世界の輪廻転生を司るのは無理だが、システムさえ作れば一つの世界だけなら可能だと考えたのだろう。
恐らく、ヴィダは自分が産み出した新種族だけでは無く、将来的にはラムダに存在する全ての人間種族の輪廻転生を自分のシステムで管理するつもりだったのだろう。
だが彼女と同じくロドコルテとの確執はあっても、何よりも秩序と法の維持を頑なに優先するアルダがヴィダとその眷属を倒した。
結果的に新種族だけが今もヴィダのシステムで輪廻転生している。
天宮博人の魂は、魔王か女神のシステムに飲み込まれ、魔物か吸血鬼等のヴィダの新種族に転生してしまった可能性が高い。
「むっ……やはり居ないか」
システムを辿って、天宮博人が二度目の転生をした時期に産まれた者全員を調べるが、やはり博人の情報は無い。
「しかし、一体何故こんな事が? 確率上、こんな事が起こるのは京分の一以下の確率だ。余程運が悪くなければ……しまった。あれのせいか」
ロドコルテは天宮博人にチート能力だけでは無く、幸運や運命を与えていない事を思い出した。だから彼は運が悪く、しかも運命が無い為ロドコルテ自身にも予測がつかない道を行く危険が常にある。
その上、転生する間際に呪いを三つも付けてしまった。自害を促すための物だったが、考えてみればあれによってシステムに不具合が出た可能性は否定できない。
「仕方がない。やや時間はかかるが、転生した天宮博人の魂と遭遇した者が居ないか調べてみるか。現状くらいは分かるはずだが……これはダンピールか」
ある行商人の記録に、ダンピールの姿があった。やはり、ヴィダの新種族に転生してしまったようだ。
だが問題はそんな事では無い。
「馬鹿なっ、何故記憶が戻っている? その上既に死属性魔術を使い、アンデッドを従えているのか!?」
まだ一歳になるかならないかだろうに、ダンピールは死属性の魔術を使い子供らしからぬ物言いをしていた。これは明らかに記憶が戻っている。
「これも幸運を与えなかったからか。だとするなら、次の機会があれば改めなければならないな、この方法を」
天宮博人を含める転生者を転生させる時の手順を、ロドコルテは誤ったと後悔した。
あの時、ロドコルテは百と数人分のチート能力、幸運、運命を用意した。人数が多くても足りなくならない様に、それぞれ多めに。
そうして準備が終わった頃に、タイミング良くフェリーが沈んで悪人以外にも約百人が死んだ。その内一人を除いて全員が異世界転生を選んだ。
余らせては勿体ないと、転生を希望した者に用意した物を配っていたら一人見落としていて、その時には一つも残っていなかった。
その結果、最後の一人がこんな面倒な事に成るとは。
「さて、天宮博人……ヴァンダルーをどうするかだが……アルダに警告するべきか? いっそ邪神共を嗾けるか」
アルダは現在のラムダで唯一まともに活動している属性神であり、最も力を持つ神だ。
だが、ロドコルテとの関係は最悪だ。輪廻転生の秩序を守るために仕方なく黙認しているだけで、アルダはロドコルテを許している訳ではない。
今回の試みをロドコルテはアルダに話さず勝手に進めていた。そのため、ヴァンダルーを含めた転生者達の事を知ったらまずロドコルテに対して激怒するだろう。
アルダからして見れば苦しい時に助けようともせず見捨てたのに、今に成って勝手に……それもジンクスと言うただの思いつきで世界の常識から外れたチート能力を持たせた転生者が後百人来ると言うのだから。
ヴァンダルーだけでは無く、これから転生させる百人の殺害まで従属神や信者に命じられる可能性は十分にある。
しかしだからと言って邪神共に情報を流して殺すよう促すのも悪手だろう。邪神悪神の価値観は屈折していて、ロドコルテには理解できない。ヴァンダルーを殺すどころか、懐柔して味方に付けようとするかもしれない。
悩みに悩んで考えた結果、ロドコルテは今しばらく静観する事にした。
「あと数年経てばオリジンの転生者が何人か死ぬはず。その者に殺害を依頼するとしよう」
アンデッドは元々ラムダには発生していたから、今更それが少々増えた所でシステムに影響は無い。
それに呪いのせいで前世の経験をスキル化できないヴァンダルーが、オリジンと違い科学の補助も無いラムダで不老不死に辿りつくのは至難の業だ。数年どころか数十年や数百年、もしかしたら数千年かけても不可能かもしれない。
数年後、オリジンで二番目に死んだ転生者に情報を渡して殺すよう依頼すれば問題あるまい。転生者は我が手で作りだしたチート能力を持っているのに対して、ヴァンダルーは死属性魔術と空枠に宿った一億程の魔力だけ。行商人の記録を解析するとレベルを上げる事には成功したようだが、残り二つの呪いは問題無く機能している。これ以上強くなる事は無いだろう。
問題無い。
そう結論付けてロドコルテはラムダからも視線を放した。
彼がヴァンダルーとライフデッドを通して遭遇した冒険者ルチリアーノの記録も見つけていれば、もう少し危機感を持ったかもしれない。
彼が邪神達と接触していれば、ヴァンダルーが貴種吸血鬼セルクレントの魂を砕いて滅ぼした事を知らされ、自分のシステムが担当する魂を砕かれる前にと動き出しただろう。
しかし、ロドコルテは自分が犯した最も大きなミスにまだ気が付いていなかった。
やっとロドコルテ視点の話を入れられました。長くなってしまった……
11月19日に1章二章キャラクター紹介を、11月23日に三章開始の予定です。




