三百七十三話 出会いと別れの季節の出会い
彼女達にとって、それは決死の覚悟を必要とする行為だった。相手には自分達を害する動機があり、自分達にはそうされる心当たりがあったからだ。
『じゃあ、以後はヴィダ派という事ですね。改めて、これからよろしくお願いします』
しかし、ヴァンダルーはあっさりと彼女……『聖槍の女神』エルク達、オルバウムに残った英雄候補達に加護を与えた神々を受け入れた。
『では、ヘンドリクセン達や神殿関係者に出す神託の内容、教義の変更点、神殿のリフォーム等についてのお話を――』
『いや、それでよろしいのか? 契約を交わすとか、わが身を捧げるとか、色々と覚悟してきたのだが』
『よろしいのです』
自分達よりも倍程大きい異形の姿のヴァンダルーが頷きながら即答するのを見て、エルク達は困惑を隠せないでいた。
『ヴィダ達から、鞍替えを打診してくるか、投降に応じたアルダ勢力の神々には応じるよう言われていますから』
正確には、滅ぼさないで欲しいと頼まれたのだが、せっかく話が上手く纏まりかけているところなので柔らかい表現に置き換えて説明するヴァンダルー。
神々を滅ぼし過ぎて、この世界の維持管理に支障をきたすようになっては彼も困る、そのため、滅ぼす理由のない神々を滅ぼさないのは当然だ。
『それに、俺は神々や人の魂を喰らいたくて喰らっている訳ではありません。敵を倒すための手段の一つです。
そして、俺はあなた達を敵だとは思っていません。……厳密に判断すれば、敵だと思うべきなのですが』
エルク達はヴァンダルーと戦う戦力として、ヘンドリクセン達英雄候補を選び育成した。この時点で敵対の意志ありと判断するには十分なのだが、直接危害を加えられたわけでもなく……むしろヘンドリクセン達はミリアムの指揮の下、オルバウムを守るために戦っている。
それに、エルク達は『氷の神』ユペオンのようにヴァンダルーの目的を妨害し、分霊とはいえ直接敵対宣言をしたわけではない。また、『轟雷の巨人』ブラテオや『大海龍神』マドローザのように、実際に矛を交えて殺し合ってもいない。
もちろん、エルク達がアルダ勢力の一員である事は分かっている。彼女達は生前からアルダやその従属神の信者であり、死後に神に至った存在だ。つまり、人間だった頃からヴィダ信者や新種族達を弾圧する側だった事も。
しかし、それを基準にして敵か否かを判断すると、結局アルダ勢力の神々は投降しようが何をしようが敵になってしまう。それは本意ではない。
『なので、思うところはあると思いますし、ヴィダ派の神々もあなた達をすぐに仲間として受け入れるのは難しいと思いますが、それは自分達のこれからの行いで信頼を勝ち取ってください。
もちろん、受け入れた以上俺もそのための協力はします』
代償を求められ、条件を課される事もない事に抵抗を覚えるかもしれない。しかし、それは自分達で解決してもらう。ヴァンダルーがするのは、その後押し……協力だけだ。
『ただ、俺もあなた方を完全に信用しているわけではないので、これからの予定等を打ち明ける事はできません。神を信じているからといって、その信徒が信じるに値する者ばかりであるとは限らない。それと同じように、信頼できる人が奉じる神まで信頼できるとは限りませんから』
アルダ信者にも良い人はいる。ヴィダ信者にも、ヴィダの新種族を差別する者がいた。それと同じでヘンドリクセン達は信頼できるが、彼らが奉じているという理由だけでエルク達を完全に信頼する事はできない。
ヴァンダルーの言葉を理解しつつも、それでは自分達に都合が良すぎると納得できないエルクは、こう主張した。
『承知しました。しかし、何もせず温情に縋るだけではそれこそヴィダ派の神々からの信頼を得るのは何百万、何千万年先の遥か彼方となりましょう。
故に本来なら契約を交わし、誓いを形と強制力を持つものにしたいと考えますが、それは不可能。故に、この槍をお預けいたします』
そういうと、エルクはなんと彼女自身の象徴である聖槍をヴァンダルーに向かって差し出した。
『儂はこの杖を』
『私はこのペンを』
『我はこの神牛を』
『私はこの苗と種籾を』
そして、エルクに続いて他の英雄候補達が奉じる神々も次々に自身にとって重要な象徴や神器を差し出してくる。
『気持ちはうれしいですが、ちょっと待ってください』
しかし、ヴァンダルーとしては差し出されても困る。なんせ今の彼は肉体を離れ、魂だけで神域に来ている状態だ。神々の象徴や神器を受け取ったまま、肉体に戻れるかわからない。
もし肉体に持ったまま戻れても、大量の神器の保管場所に困る。差し出されたのは槍や杖、ペンなどの器物だけではない。神牛のような生き物(?)や、苗と種籾まであるのだ。
こちらの管理に手落ちがあって、大切な預かり物に何かあったら大問題だ。
なので、エルクが槍を差し出す前に口にした契約でこの事態を無難に乗り越えたいとヴァンダルーは思った。
『……すみません、できれば契約で済ましたいのですが、何故契約ができないのか、そしてどうすれば良いのか分からないので教えてもらえませんか』
しかし、ヴァンダルーは神々が交わす契約について知らなかった。
『いや、人間の俺が神々の間で交わす契約について知らないのは当然でしょう』
一様に驚いた顔をするエルク達にヴァンダルーがそう言い返すとエルク達はさらに驚いた様子を見せた。
(俺があまりに不勉強だからって、そこまで驚かなくても。ヴィダやズルワーン達と神域で何度も会っていたり、母さんがヴィダの化身だったり、知識を得る機会がいくらでも転がっている環境にいるのだから、俺が神々について詳しく知っていると思っても当然だとは思いますが。
実際、輪廻転生についてこの前教えてもらいましたし)
『ペリア、教えてくれませんか?』
ヴァンダルーは交渉の立会人としてこの場で控えていた『水と知識の女神』ペリアに声をかけた。
『いいよ。契約は、肉体を持たない神々の間で交わされる約束事で、本来はアルダが管理していたのよ。ほら、アルダは本来『光と法の神』だから』
それによると、神々の間で交わされる契約は基本的にアルダが管理していたようだ。アルダの前で神々が誓い、それがもし破られた場合はアルダがそれを察知し、破った神に罰を与えるのだという。アルダは神々に罰を与える『法の杭』の神威を持つので、適役だったのだろう。
『なるほど、今はできないという意味も分かりました』
しかし、ヴィダ派とアルダ勢力に分かれて争っている現代で、アルダの前で契約を交わすわけにはいかない。
『ですが、突然神器を預けると言われても困るので、俺ではなくヴィダに預かってもらうという事で良いですか? それ以外での落としどころは……今ヴィダ派で不足している役目を担ってもらう、というのがすぐに思いつく案ですが』
『構いませぬ。そして、不足している役目についても私にできる事であれば引き受けさせて頂きます』
信頼を得るためにも、過去の行いの清算のためにも、まずは必要とされる事なら何でもやるべきだろうと考えたエルクは、当然のようにそう言った。
『では、魔法少女の守護神をお願いします』
『謹んで拝め……今、なんと?』
『魔法少女の守護神です。ほら、ミリアムやカリニアが変身していたでしょう?』
ヴィダ派では、ヴァンダルーが開発した変身装具を使って戦う魔法少女を司る神の不足が問題となっていた。
例えば戦士の場合、神々には『戦士の神』や『剣士の神』、『魔剣の神』等、戦士の様々な面を司る神が存在する。そして『騎士の神』や『兵の神』等、戦士から派生したジョブを司る神も存在する。
もちろん、そうした神々が存在しなくても戦士系のジョブが無くなるわけではないし、既に存在する戦士達がどうこうなる事もない。
ならば何故戦士を司る様々な神が必要なのかというと、それは奉じる信者達が必要だと求めるからだ。
戦士として大成する事を求めるなら、『戦士の神』に祈りたい、縁起を担ぎたいと考えるのは当然だ。だが、それなら『戦士の神』が一柱いれば十分ではないだろうか? しかし、現実にはそうはならない。
戦士の人数が増えれば増える程、様々な戦士が誕生する。剣ではなく斧を、槍を、武器にして戦う者。
真っ先に敵陣に飛び込む者、逆に巨大な盾を構えて仲間を守る事を優先する者。中には武術だけでなく魔術も併用して戦う者も現れるだろう。
単純な武勇ではなく仲間を指揮するカリスマ性、絶対的に不利な状況でも背後の弱き者を守るために戦う勇気、戦場で輝く美しさと凛々しさで名を馳せる者もいるだろう。
そうした多種多様な戦士達は、自分に合った神を求めるのだ。
つまり、神が多様であるという事は戦士の多様さを意味する。
そして魔法少女は現在進行形で増え続け、多様性を獲得しつつある。ヴィダル魔帝国では以前からだが、オルバウムでも『ヴィダの化身』であるダルシアや、『英雄姫』ミリアムが就いているジョブとして大人気になっている。実際には魔術スキルを習得していないミリアムはジョブとしての魔法少女に就いた履歴はないのだが。
さらにこの世界では、「魔法少女とはかくあるべし」という既定概念が存在しない。条件は、変身装具を使用していることぐらいだ。
そのため、皇帝の母親や孫がいるグール、プリンセス(ただし身長二メートルでゾンビ)でも、魔法少女なら魔法少女だろうと解釈される。
魔術で戦うだけではなく、歌い、踊り、武術と組み合わせて戦ったり、どちらかというと武術をメインにして戦ったり、武術だけで戦ったりしても【魔法少女】である。
変身装具も魔術媒体としての機能だけでなく、物理的な武器に変形して槍や剣、斧として使える物等多種多様な物がある。
魔法少女が既存の戦士や魔術師のような多様性を獲得するのも、時間の問題だ。オルバウム選王国の各地の魔術師ギルドでは、「あれは既存の魔術師とは違うので、『魔法少女になりたい』などと相談に来られても困る」とコメントしている支部も多いので、魔術師の亜種として収まる事もないだろう。
しかし、魔法少女を司る神がまだ少ない。
まず化身であるダルシアが魔法少女なので、『生命と愛の女神』ヴィダは魔法少女の女神として信仰されているのは当然だ。次に、性別を持たない、または両性の神である『時と術の魔神』リクレントも魔法少女の守護神として信仰されている。
そして『水と知識の女神』ペリアや、変身装具を作るのに高い技術が必要である事から『大地と匠の母神』ボティン、そして『スキュラの英雄神』にして『汚泥と触手の邪神』メレベベイルや、『闇夜の女神』ゼルゼリア等有力な信徒に【魔法少女】系のジョブに就いている者がいる神も魔法少女に関連のある神として信仰されている。
最近変身装具を受け取った『月の巨人』ディアナも同様だ。
そして【魔法少女】になるのに必要な変身装具の製作者であるヴァンダルーも、実は【魔法少女】の神っぽい扱いを受けている。……カナコに言わせると、神そのものというより変身アイテムを授ける妖精的なサムシングに相当する存在として認識されているそうだが。
実際、ヴィダル魔帝国の勢力圏内に存在する使い魔王に、「魔法少女になりたい」と相談すると力になってくれるので、そのように認識されるのも無理はない。
しかし、人間社会ではまだ【魔法少女】の神と見なされている存在は少ない。ヴィダル魔帝国内では有名でも、オルバウム選王国では信仰されていない神や、限られた地方でしか信仰されていない神がいるからだ。
『自然に【魔法少女】の中から神に至る人達が出るのを待つと、何千年かかるかわかりません。なので、魔法少女の神を絶賛募集しています』
絶句したままのエルクに対する説明を、ヴァンダルーはそう締めくくった。しかし、その後しばらくたってもエルクが硬直したままなので続けて口を開く。
『もちろん、無理にとは言いません。人間の俺では神様の事情の全てに理解が及ぶはずもないですから。
それに、魔法少女の神が少なくても大きな障害が生じるわけではありません。ふと思いついて口にしただけで、この提案に深い意味はありません』
そう言うと、何故かエルクを見守る他の神々がやはり驚いたような顔をした。それをヴァンダルーは、エルクにした提案を自分から引っ込めようとしている事に対しての驚きだろうと解釈した。
元アルダ勢力の神々である彼らにとって、自分の印象は相当悪いに違いない。そう考えると、ヴァンダルーは今後の対人……対神関係やコミュニケーションは難しそうだと内心ため息を吐いた。
『い、いえ、その大役、つ、謹んで拝命――』
しかし、硬直から復活したエルクが悲壮感を漂わせながら魔法少女の守護神の担当に加わる事を誓おうとする。
『待つのだ、エルク! お前だけが重荷を背負う事はないはずだ!』
『我々にも、そのお役目を担わせていただきたい!』
それに続こうとする他の英雄候補達の神々。
(なるほど。新しい役目を得る以上、負担があるのは当然。それをエルクだけに頼むのは問題でしたね)
その様子を目にして、ヴァンダルーはそう反省した。
『っ! 皆っ……』
感極まった様子で振り返り、他の神々を見つめるエルク。
このままオルバウムに残った英雄候補達が奉じる神々が、魔法少女の守護神という新しい役目を担う事になるのか。
『あ~、口を挟むのは立会人として出しゃばった真似かもしれないけど、ちょっといい?』
しかし、そうなる前にペリアが口を挟んだ。
『もちろんです』
『ありがとう。ヴァンダルー、今のように神が地上に簡単に降りる事ができない時代に、神が元々持っていなかった神格……役目を得るには、順序というものが重要なの。
魔法少女の神になる場合、エルクの方からヘンドリクセン達信者に『魔法少女の神になったから』と働き掛けるよりも、信者達の方から自発的に『エルクは魔法少女の神でもある』と考えて祈ってもらわないと負担が大きいのよ』
神々の権能とは、信者達からの祈りによって決まる。そう、神とは奉じる人間達によって変化する存在なのだ。
エルクも人間だった頃は聖なる槍を携え、武勇と美貌で数々の功績をあげて名を馳せた英雄だった。そして死後に英雄から神の地位へと昇華し、その時は英雄神や槍術の女神として奉じられていた。
だが、今ではエルクが生前女性騎士だった事から戦いに携わる女性の守護神、姫騎士の女神としても奉じられている。
『地球』の日本でも、果物の神が後世に菓子の神としても信仰されるようになった例がある。それと同じだ。
信者達の方から動いたほうが神格を広げやすいというのは面倒かもしれないが、神の方から自発的に新しい神格を得ようとした場合受ける負担は、全身に改造手術を受けるようなもので場合によっては人格すら変化してしまう危険性がある。
元魔王軍の『汚泥と触手の邪神』メレベベイルが、『スキュラの英雄神』に変化しようとしたときのように。
もちろん、その神と得ようとする神格によって負担の大きさは変わる。メレベベイルの場合、自らの子である『スキュラの英雄神』だから、激しい苦痛で済んだ。これがもし、種族的に何の縁もかかわりもない『人種の英雄神』だった場合メレベベイルは数万年以上意識を失い、目覚めた時には全く別の存在になるか、著しく弱体化して神でいられなくなっていたかもしれない。
対して、信者から新しい神格を神に付与する場合の神に及ぼす変化は、新しい衣服や武具を増やすようなもので神そのものの本質に変化はなく負担はないに等しい。
ペリアが止めるのも当然だろう。
『今のオルバウム選王国での魔法少女の認識は『魔術師の一種』よりも、『魔術も使える踊りながら歌う吟遊詩人』の方が多いように思うの。実際にあなた達が戦っているところを見たオルバウムならともかく、各公爵領ではそういった傾向が強い。
そうした面のないエルクにとって、魔法少女の守護神の神格を直接得るのは負担が大きいのよ』
『カナコ達のコンサートがこんな形で裏目に出るとは……』
各公爵領の人々を素早く導くために行っている全国ツアーによって、魔法少女の認知度は上がっているがステージ上の彼女達しか知らない者が爆発的に増えてしまったことに、ペリアに言われてヴァンダルーはやっと気が付いた。
『分かりました。やはり地道に行いましょう。とりあえずヘンドリクセンに――』
『っ!? まさか、ヘンドリクセンを魔法少女に!?』
『いえ、変身装具は渡すつもりですが、サイモンやナターニャのように鎧に変化するタイプを考えています』
『お、お心遣いに感謝します』
心から安堵した様子で頷くエルク。ヴァンダルーも、ミリアム達と親しい貴族的な気品を持つ美青年のヘンドリクセンに、フワフワフリフリのコスチュームを着せたいとは最初から考えていない。
ただ、エルク信者の中でも有力な英雄であるヘンドリクセンに変身装具を使ってもらう事で、彼が奉じる神であるエルクに新しい神格が加わる事を期待しているだけだ。
『では、話を戻してヘンドリクセン達や神殿関係者に出す神託の内容、教義の変更点、神殿のリフォーム等について纏めましょうか』
アルダ勢力からヴィダ派に鞍替えする以上、将来的には神殿内にあるアルダ勢力の神々を奉じる像やレリーフを撤去し、ヴィダ派の神々を奉じる物に変えてもらわなければならない。教義の変更が必要になるかもしれないし、そのためには聖職者に神託を下さなければならない。
こうして神と直接話せるヴァンダルーが、エルク達の指示を伝えに行く手もあるが……ヴィダル魔帝国ならともかく、オルバウム選王国でそれをするとエルク達の神殿を預かる聖職者達の顔を潰すことになり、無用な反感を買う事になる。
もちろん教義の内容や主だった神殿の位置などが神々ごとに別々であるため、エルク以外の神々にも一柱ごととそれぞれ相談を纏めなければならない。
それをヴァンダルーは触手や腕を増やし、それらの先端に目や口を作って同時に相談を進める事で手早く相談を纏める事に成功した。
『では、そのように。今はファゾン公爵領以外に有力なアルダ勢力の信者はいないので、あなた達の神殿が組織的に襲撃されることはないと思いますが、気をつけてください。
それとヘンドリクセン達を評す時、英雄候補の『候補』の文字をとろうと思います』
『それはいったい何故……?』
『魔王グドゥラニスとその配下からオルバウムを守るため、俺達と共に戦った彼らは既に英雄候補ではなく英雄だからです。
それでは』
その言葉を残して、ヴァンダルーはエルクの神域から姿を消した。
『……やはり、人ばかりでなく神にまで影響を与えるだけの器はあるという事か』
なお、エルク達がヴァンダルーについて驚いていたのは、彼が自分は人間だと本気で言っているのが分かったからだった。
タロスヘイムの王城の地下通路を歩きながら、ヴァンダルーの本体型使い魔王は本体がエルクの神域から地上に戻った事を感じる。
『やはり、本体が神域にいる間は思考や感覚が鈍くなりますね』
魂の大半を神域に持っていかれるので、その間ヴァンダルーの使い魔王達は思考や感覚に負荷を覚える。覚えるだけで、今のところ実害はないのだが……魔力を大量に消費するような激しい戦闘をする場合は、不利になるかもしれない。
『これも解決するには本体を増やすしか……いや、魂の問題だから本体を増やしても意味がないですね』
「何かお困りですか?」
工房のすぐ前まで来た本体型使い魔王の上から、にこやかな声がかけられた。
上を見上げると、そこには天井に上下逆さまに立っている青年が満面の笑みを浮かべていた。
後ろには、病的に肌の白い美女や、笑っている女児がやはり天井を歩いている。
『いえ、独り言です。気にしないでください、ボコール』
青年は幽霊ではなく、『オリジン』で六道聖の実験体にされていた者達の一人、ボコールだった。病的に肌の白い美女はユキジョロウで女児は雨宮冥こと、めー君である。
「ヴァン~っ、天井ハイハイ、上手くなったよ! バンダーも誉めてくれたの!」
『魔術制御が上手くなりましたね』
何故冥達が天井をハイハイしたり歩いたりしているのかというと、【無属性魔術】と【魔術制御】の訓練のためだ。
【念動】で自分の体重を支え、バランスを取る事で冥達は天井を歩いているように振る舞っているのだ。これは力を入れすぎると動くのが苦しくなり、力を抜きすぎると落下してしまうという、中々難しい訓練なのだ。
『ええ、これなら俺のような丼勘定になる事はないでしょう』
そして真っ逆さまに床に落ちる危険性もあるので、冥達の下ではバンダーがもしもの時のために備えていた。
「博とガブリエルは魔力の使い過ぎで寝ています。ウルリカは……制御をミスって落下して失神しました」
『俺だから知っていると思うけど、床に落ちる前に受け止めたから怪我はしていません。落下の恐怖で失神したようです』
『いえ、ちょっと前まで本体が神域に居たので、俺との接続が甘くなっていたようです。今、思い出しました。やはり、俺がバンダーを創ったのは正解だったようです』
使い魔王や分身と違って、バンダーはヴァンダルー本体の魂を千切って創られた特別製の分身だ。本体の魔力が一億減る代わりに、バンダーはヴァンダルーの分身でありながらヴァンダルー本体からの影響を受けずに接続し続ける事ができる。
ヴァンダルーの魂が神域に招かれている間、思考や感覚に負荷を覚える使い魔王達とは違い、何の負荷も覚えずに行動する事が可能なのだ。
「えっへん!」
バンダーを誉められて天井で嬉しそうにする冥。それを見上げて、和む本体型使い魔王とバンダー。
『ウルリカが高所恐怖症にならないと良いのですが。ところで、工房に入らないのですか?』
「今、卒業式の最中なので遠慮したのです。……情操教育上、まだ早いと思いまして」
『ああ……そういえばそうでしたね』
ボコールにそう言われて、他の使い魔王と共有している記憶がやっとしっかり機能し始める。どうやら、本体が神域にいる間の不具合は、ヴァンダルーが自覚しているよりも実害があったらしい。
ほんの僅かな間だが……小さな実害が大きな被害になる前に対応し克服するべきだろう。
その頃、工房ではボコールが卒業式と評した儀式が行われていた。
「おめでとう、諸君」
今日も自慢の髭を整えたルチリアーノが、元犯罪者の実験体数人に向かって笑みを浮かべる。
「君達は今日で実験動物……モルモットを卒業する。君達の働きによって、私の研究は……そして師匠の目的は大きく前に進んだ! これはヴィダル魔帝国に対する大きな貢献をしたという事と同じだと言える。
さあ、受け取り給え。これが君達の欲しがっていたものだ!」
そしてルチリアーノが元実験体の一人に差し出した書類の束の一番上には『人権』と書かれていた。
次の話は6月10日に投稿する予定です。




