閑話63 激動の選王国の公爵達
首都オルバウムで魔王グドゥラニスが復活し、壊滅的被害を受けた。その情報はオルバウムで再建と復興のために働く者達には、緩慢と評するしかない速度で各公爵領や選王領の他の都市や村落に伝わった。
当事者達にとっては、昨日までと何も変わらない朝を迎えた数時間後に、街中に無数の魔物が出現。選王城の真上でダークアバロンが現れ、ヴァンダルー・ザッカートと『五色の刃』、そして『真なる』ランドルフやヴァンダルーの従魔達と激しい戦闘を展開し、魔王が復活。
避難所に逃げ込んでしばらくしたら、魔王はヴァンダルーによって討ち取られたと『生命と愛の女神』ヴィダがオルバウム中に宣言し、事態は収束。
そして数時間前まで人間だったデーモン達や、空を飛ぶ巨大なアンデッド、魔物やヴィダの新種族の集団が現れ、堂々とした態度で炊き出しや瓦礫の撤去、警備等の仕事をしていた。
そうした事件や変化が一日の間に起きたのに比べれば、首都以外の人々の動きが悠長に感じても仕方がないだろう。
しかし、外の人間の対応が遅れるのも仕方がない。
オルバウムの城壁が遠目に見える村では、その城壁が所々崩れ、空に巨大な何かが出現した事から「何かとんでもない事が起きている」事に気がつけるだろうが、そうでない者は気がつくのが遅れた。……ほかならぬヴァンダルーが、崩れた城壁をその日の内に【ゴーレム創世】スキルで直したからだ。
もちろん大国の首都であるオルバウムには、毎日大勢の人々が出入りしている。行商人、冒険者、吟遊詩人、傭兵等々。そうした者達が事件の終わった後の街に入り、情報を外に持ち帰った。
また、コービット選王や他の公爵達も自分達が治める公爵領に早馬を飛ばした。オルバウムの復興を援助するための物資を送らせるためだ。
だが、もっとも早く情報を得たのは各地の神殿関係者だった。
「魔王が、倒された!? 都で魔王グドゥラニスが倒されたと、神託があったぞ!」
神託の情報は短く断片的で、何が起きたのか全てを知る事はとてもできない。しかし、遅れて届いた「オルバウムで魔王が復活。街は壊滅状態になるも、魔王グドゥラニスを討伐した」という報せの信頼度を増す効果があった。……何もなければ、そんな馬鹿な事が起きるものかと、すぐに信じない者が続出する事になっただろう。
ただ、神託を受けた者の……信仰心が厚い神殿関係者のその後の行動は神殿ごとに異なっていた。ヴィダやリクレント、ズルワーン、ペリアやボティンの神殿関係者は、「今日という日は、世界共通の祝祭日になる! 十万年後の今も歴史に刻まれた、記念すべき日となるだろう!」と英雄を称え、信者達と盛大に祝う者が多かった。
しかし、『聖槍の女神』エルクの司祭などは魔王の討伐自体は祝いながらも、思い悩むことが多くなった。そして、アルダ信者達の中でも地位のある者や高い実力を持つ者が、次々に姿を消した。
しかし、そうした問題はさておくとして……オルバウム選王国にとって重要なのは、各公爵領の今後の方針だ。『魔王殺し』の『救世主』、ヴァンダルーがヴィダル魔帝国皇帝としての正体と、帝国の存在を明らかにしたことで、各公爵達は今後ヴィダル魔帝国とどう付き合うかを早急に決めなくてはならなくなった。
オルバウム選王国では、外交権は選王と中央領の貴族達に在り、各公爵領が独自に外国と外交をする事は出来ないと定められている。
しかし、今はその中央が壊滅状態で機能不全に陥っており、しかもそうなった原因の一人が宰相を務めていたウルゲン・テルカタニス侯爵……中央の有力貴族だ。そのため、中央の貴族達の権威と統率力は地に落ちていた。
それに、法で外国と独自の外交を禁じられていても、それは建前。やろうと思えばいくらでも抜け道はある。……これまではバーンガイア大陸に存在する外国は、建国以来の敵国であるアミッド帝国とその属国だけという認識だった。しかも国境を面しているのがサウロン公爵領だけだったため、態々危ない橋を渡って抜け道を潜る者がいなかっただけだ。
しかも、ヴィダル魔帝国の勢力は既にオルバウム選王国内に入り込み、食い込んでいるのだ。首都の貧民街はザッカート街としていち早く復興している。それは喜ばしい事だが、本来なら外国から最も厳重に守られるべき首都に、外国の一大拠点が出来てしまっているのだから選王国側からすれば大ごとである。
その上、ランク13を超えるアンデッドやヴィダの新種族が複数駐留している。この情報が真実だと理解した時、武力はもちろん法の力でヴィダル魔帝国側をどうにかする事は不可能だと、各公爵とそれに仕える貴族達は理解した。そして、その状況で何もできない中央の貴族達は何の役にも立たない事も。
これでヴィダル魔帝国が普通の……つまりアミッド帝国やオルバウム選王国のような人間主体の国なら、各公爵達も普通に取り入る事を考えただろう。
使者を送り、ヴァンダルーやその仲間たちの功績を称え、復興事業に協力し、パーティーを開き、顔を繋いでコネクションを構築。友好的な関係を維持しながら互いの都に大使館を設置する事や、政略結婚を打診。それによって両国の国民に交流と理解を促す。
そして期が熟したら、国力に適した関係を目指す。ヴィダル魔帝国と各公爵領の国力の差を考えれば属国化、もしくはもっと進んで魔帝国の一部となるのが望ましいと多くの公爵は考えるだろう。
ヴァンダルーがどれだけ温和で友好的でも、その気になれば一日で征服されるほど国力に差がある隣国との付き合いは恐ろしすぎる。ヴィダル魔帝国側が今の姿勢を千年後も保ったとしても、公爵達の曾孫や玄孫が道を絶対に誤らないと信じる事はできない。
ウルゲン・テルカタニスも、以前はやや保守的である事を除けば有能で切れ者な宰相であると知られていた。自分の子孫が同じように、ある日突然身に過ぎた野心に憑りつかれないとも限らないからだ。
しかし、ヴィダル魔帝国は普通の国ではない。皇帝が少年でダンピールである事はともかく、危険であるとされる魔人族や吸血鬼を含めたすべてのヴィダの新種族、そしてアンデッドやデーモン等の魔物まで民とする人間社会の常識からかけ離れた大帝国だ。
境界山脈に隔てられたバーンガイア大陸南部に首都が存在し、伝説に記される恐ろしいノーブルオークの王国や、強大な魔人族の王国を属国としている。さらにはアミッド帝国のS級冒険者だった『暴虐の嵐』が存在を確認した魔大陸、そして十万年前に魔王が君臨した魔王の大陸にも領土を持つという。
そんな信じがたい情報がオルバウムから早馬や魔術で伝えられたため、各公爵達はどうするか迷い、方針が割れ、石橋を叩いて渡るように慎重な対応を迫られる事になった。何故なら、オルバウム選王国ではヴィダへの信仰が認められているとはいえ、その勢力の大きさは各公爵領によって大小の違いがある。それに、ヴィダ信者だったとしてもアンデッドやデーモンを含めた魔物の存在を許容するとは限らない。
人間社会のヴィダ信仰と、ヴィダル魔帝国のヴィダ信仰とは大きな違いがあるのだ。
そして、ヴィダ信仰が盛んな公爵領にも、アルダやその従属神を信仰する信者がいる。迂闊にヴィダル魔帝国との友好関係を目指せば国内のアルダ信者が騒ぎ出し、下手をすれば過激派と化して紛争状態になりかねない。
事実、アーサッバ公爵領ではアルダ神殿の司祭が「ヴィダル魔帝国と自称している魔物の巣窟に国を開けば、男は食料に、女は魔物の苗床に、そして子供は悪魔や邪悪な神々の生贄にされてしまう! そして死体は骨の一欠片でもアンデッドに、魂はゴーストにされ、永遠に弄ばれる事になるだろう!」と信者を集めて騒ぎ立てた事件があった。
そんな中、真っ先に動いたのはタッカード・アルクレム公爵だった。
彼はこの時に以前から備えていたかのように自公爵領の都アルクレムで演説を行い、ヴィダル魔帝国との同盟と友好関係樹立を宣言。また、サウロン公爵領の旧スキュラ自治区奪還作戦で死亡したと思われていた『アルクレム五騎士』の一人である『轟炎の騎士』ブラバティーユが生存していた事も公にした。
つまり、前々からヴィダル魔帝国と密約を結んでいた事を自ら告白したのだ。
前々からヴァンダルーと組んでいた事は、アルクレム公爵に仕える貴族や民だけではなく、多くの貴族や商人がだいたい察していた。何故なら、ヴァンダルー・ザッカートの母親であるダルシア・ザッカートに名誉伯爵の位を与え、以後何かと便宜を図ってきたのは周知の事実だったからだ。
これでもし仮に「私は何も知らなかった」と言ったとしても、誰も信じなかっただろう。
早期に真実を告白した事で、「やはりそうだったのか」と納得した者も多かった。……ブラバティーユの生存と両腕を喪ったはずのバルディリアが実は無傷だったことは、多くの者に驚かれたが。
「なるほど。当時は先代同様女好きの血が目覚め、名を上げて英雄となったダルシア殿を囲おうとしているのだとばかり思っていたが……」
「まさか、あの当時からヴィダル魔帝国と密約を結んでいたとは。さすがは公爵閣下だ」
「貴族位ではなく名誉貴族位だったのも、それが理由か。密約があったとしても、他国の太后を貴族にするのは後々問題になる」
「そうなると、あのクリームや変身装具、義肢とその使用法の出どころはやはり……」
「うむ、そういう事だろう。それに、あの音楽もヴィダル魔帝国で発展してきた文化に違いない」
「ヴィダル魔帝国は軍事力だけの国にあらず、という事ですな。錬金術等の高い技術を誇り、文化でも侮れない」
「そんな事より、近々ヴィダル魔帝国では既にデビューしているメンバーを加えた、フルメンバーコンサートが開催されるという噂は本当なのか!?」
そう納得する者達も多かったが、一部の国民は「騙された」と感じてそれに不満を覚えた。しかし、それもアルクレム公爵が演説の後半で述べた事情によって抑えられた。
「今まで秘密にしてきたことを責める者もいるだろう。だが、理解してほしい。我がオルバウム選王国の中枢に巣くう魔王グドゥラニスの使徒を倒すまでは、『救世主』ヴァンダルーの正体とその真の力を明らかにすることはできなかったのだ!」
そう、全ての責任を六道聖と魔王グドゥラニス、そしてウルゲン・テルカタニス元宰相に被せたのである!
タッカード・アルクレムがヴァンダルーと通じた当時は六道聖は『オリジン』で生きており、テルカタニスはまだ正常な状態で国を裏切ってはいなかった。
しかし、魔王を復活させた謎の邪悪な神ダークアバロンと、国を裏切り首都に壊滅的な被害を与える原因になったテルカタニスを弁護する者は、この国には一人もいない。中央の貴族に至っては、「すべてはウルゲン・テルカタニスが原因だ!」と、元宰相一人を悪者にして自分達の保身を図る者も少なくない。
そして、なによりヴァンダルーがグドゥラニスを倒した『救世主』である事……そしてアルクレムを過去に一度救っている事が大きかった。
不満を覚えた者も、「まあ、そういう事なら仕方ない」と納得した。
ブラバティーユの生存やバルディリアが無傷だった事を隠していたのも、グドゥラニスを倒すために必要だったのだろう。さすが我らが『アルクレム五騎士』! さすが『轟炎の騎士』と『千刃の騎士』! と、やはり納得された。真実はまったく異なるのだが。
それに、ヴィダル魔帝国側の主張が穏当であったのも大きかった。
グールや吸血鬼、魔人族を含めた全ヴィダの新種族の人権を認めよ、ヴィダル魔帝国で民と認められたアンデッド、デーモン、魔物の権利を認めよ。たしかにそう求めているが、逆に言えば権利を認めるだけだ。グールや吸血鬼、魔人族の中で罪を犯した者は、人間同様にアルクレム公爵領の法で裁くことを制限するものではない。
それに、ダンジョンや魔境で発生した野良アンデッドやデーモン、魔物を倒す事を止めろと言っているわけではないのだ。
つまり、一部を除けば以前とあまり変わらないのだ。そう人々は思い込み、安心した。……将来的には大きな変化が起きているはずだが、日々の生活に追われる『ラムダ』の人々はそこまで深く考えない。
しかし、他の公爵からすればアルクレム公爵は以前からヴァンダルーと組んでいた公爵。いち早くヴァンダルーの真実を知り、しかし協力を申し出る事で自分達の地位を保証させたのかもしれない。そう考えると、自分達と同じ立場だとは考えられない。
そう二の足を踏む公爵達の中で、素早く行動に出た公爵領が二つあった。ビルギット公爵領とファゾン公爵領である。
オルバウム選王国建国以前は獣人種の王が治める、人種より獣人種の人口が多いヴィダの新種族の国だった。それはビルギット王がビルギット公爵になってからも変わらず、オルバウム選王国の中では、最もヴィダ神殿の勢力が大きい事で知られている。
そのビルギット公爵は、ヴィダル魔帝国を全面的に支持し、国交の樹立と通商や軍事を含めた同盟条約の締結を目指す事を発表した。それも自領の都だけではなく代官を通じてオルバウムでも大々的に。
現ビルギット公爵は有用な者なら出自を厭わず登用する能力主義者であり、同時に現実主義者でもあった。そのため、ヴィダル魔帝国の情報が一端でも真実ならいち早く友好関係を築かなければならないと思い切った行動をとったようだ。
ビルギット公爵領のアルダ信者は少数派で、その信者達も「グドゥラニスを倒した『救世主』の治める国なら」と殆どが納得していた。
その逆に、ファゾン公爵領はヴィダル魔帝国に対して自領を閉ざす事を宣言。オルバウム選王国でヴィダル魔帝国と国交を結んだ公爵領とは、交流を控える事も発表した。
ファゾン公爵は『五色の刃』のハインツを強く支持し、領内の魔人族や吸血鬼勢力の排除に力を入れていた事から分かるように熱心なアルダ信者であり、領内の民はアルダ信者が圧倒的に多い。
そのため、ヴィダル魔帝国の要求を受け入れる事はできなかったようだ。
それを聞いたルーカス・ハートナー公爵は、反射的にファゾン公爵と同盟を結び、オルバウム選王国に反ヴィダル魔帝国派を立ち上げて対抗するべきだと思いかけたが、才女で知られている娘のケイティ・ハートナーと、かつて公爵位を巡って争った弟のベルトン・ハートナーが血相を変えて反対した。
「お父様! ファゾン公爵との同盟は何の意味もありません! 私達ハートナー公爵領とファゾン公爵領が接しているのは狭い範囲だけなんですよ!?」
「その通りです兄上! そもそも同盟を結んだからといってどうなるんです!? 武力で敵わないのは分かっていますよね!? 反対派を立ち上げて仲間が増えればどうにかなるとか、そういった類の相手だとお考えならそれは間違いです!」
「お父様、北のサウロン公爵領は旧スキュラ自治区を占領され、南は岩山に隔てられ、それを越えたとしてもその先はビルギット公爵領です! 地勢的にヴィダル魔帝国と友好関係を築く以外の選択肢はありません!」
「兄上、相手はアンデッドやデーモンを従えた何を考えているか不明の存在です! だからこそ、交渉を諦めてはなりません! 幸い相手は人です! 異世界から現れた魔王でも、その配下でもない! 辛抱強く交渉を続ければ、何を望んでいるか分かるはずだ!」
愛娘と小賢しくていけ好かない腹違いの弟が、そろって顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくる姿は、どこか似ていた。これが一族の血か。
「い、いや、しかしアルダ神殿がなんというか。それに、将兵の意志も無視できん」
そんな馬鹿な事をチラリと考えながらも、執務椅子に腰かけたままのルーカスはそう答えた。普段の彼なら、そして怒鳴り込んできたのが愛娘か腹違いの弟の片方なら、「お前が関わる事ではない」と追い返したはずだ。それがとっさにできない程二人の迫力が凄まじく、そしてルーカス自身の迷いが深い証拠だった。
「アルダ神殿は無視していいはずです。神殿長を始めとした主だった人達は出奔して、残っているのは声が大きいだけで実際には人徳も力もない人ばかりだと聞きました」
「ケイティ!? いったいどこでそんな情報を……!」
「兄上、騎士達の本当の意見が聞きたいなら、一人一人この執務室に呼び出して聞けばよろしい。そうすれば見栄を張らず話してくれるでしょう」
「ベルトン、文官肌の貴様に騎士達の何が分かると……はぁ。分かった。ファゾン公爵領との同盟に意味がないのも、対決姿勢を取る無益さも良くわかった。一先ず出ていけ。それとケイティ、親戚同士仲が良いのは結構だが、ベルトン叔父さんも何かと忙しいはずだ、あまり構わぬように」
そう言ってルーカスの執務室から追い出されたケイティとベルトンだが、二人は仲が良い訳でも組んでいる訳でもない。今日偶然遭遇して、ルーカスにファゾン公爵領との同盟を思いとどまるよう進言しようとしているというお互いの目標に気がついたので、一時的に協力しあっただけだ。
「今頃兄上は私と君がいつ接近したのかと、悩んでいる頃だろう。君は年齢にそぐわない賢い子のようだ。どうだろう、このままベルトン叔父さんと手を組むというのは?」
「いえ、結構です」
「……私は別に君のお父さんを追い落とそうと思っているわけではないのだが?」
「叔父様が狙っているのは、ご子息をハートナー公爵にする事ですものね。でも結構です。それと、そのご子息……私にとって従兄弟に当たる子との婚約も結構です」
「それは残念だ」
そうベルトンと会話しながら、【ウルズ】のチート能力を持つ転生者であるケイティはこのまま父がとち狂わなければヴィダル魔帝国とタロスヘイムの事を結び付けさせ、「ハートナー公爵領のために」という名目でタロスヘイムにした過去の行いを公にして謝罪させる事ができそうだと考えていた。
父親が自滅の道を選ばないよう誘導するのは大変だが、今回の事件のお陰でヴァンダルーに……正確にはタロスヘイムの巨人種達に謝罪しやすい情勢になりつつあるのは、助かった。特に、謝罪を実行するのを妨害しただろうアルダ神殿の関係者の中で発言力がある人物たちが出奔したのも大きい。おかげで、邪魔されずに話を進める事ができる。
そして、ヴァンダルーの正体とかつての自分が仕組んだ開拓村の事件に関係がある事にまだ気がついていないルーカスは、後に真実を知った時に膝から崩れ落ちる事になるがそれはまだ暫く先の事だった。
そしてファゾン公爵領と同じく、民の多くがアルダ信者であり保守的な考えが強いジャハン公爵領もヴィダル魔帝国とは距離を置くと思われた。
しかし、ハドロス・ジャハン公爵は驚くべき事にヴァンダルー・ザッカートと共に自領に戻ると、貴族や大商人などが集まった議場でヴィダル魔帝国との交易を主張した。
多くの貴族や神殿関係者、そして商人までもが、ハドロスの主張に反対した。ジャハン公爵家の人々の中には、ハドロスに気が狂ったのかと罵倒までした。
しかし、多くの人々にアルダ信者だと思われたままのハドロスは穏やかな微笑を浮かべたまま、理性的に語り掛け続けた。
「たしかに、我々アルダ信者の教えとヴィダル魔帝国の在り方は反目しあうものだ。しかし、思い出してほしい。ヴィダル魔帝国皇帝ヴァンダルーは、魔王グドゥラニスを倒した事を。そして、オルバウムの約五百万人の罪なき人々、私と共にオルバウムに滞在していたジャハンの騎士や文官、使用人達が彼に助けられたという事を」
そう城の議場でハドロスが説くと、非難の声は力を失っていった。グドゥラニスを倒した功績は、アルダ信者でも無視できない程大きい。それにオルバウムから帰った騎士や商人たちから話を聞けば、ヴァンダルーがグドゥラニスと戦った結果、人々が助かったわけではない。人々を助けるためにヴァンダルーはジャハン公爵やアルクレム公爵と共に協力して動いており、魔王と戦ったのも人々を守るためだった事が推測できる。
「もちろん、命を助けられたから要求に従わなければならないわけではない。魔王グドゥラニスが倒され、完全復活の可能性は完全になくなった。しかし【魔王の欠片】の脅威は消えず、このジャハンの地を海から隔てる厳しい山脈は立ち並び続け、夏は短く、冬には去年と同様の寒さがやってくるだろう。
だがしかし、ヴァンダルー皇帝陛下は我々に変化を強制しない。信じられない者もいるだろうが、聞いてほしい」
そうハドロスが言うと、それまで黙っていたヴァンダルーが代わりに口を開いた。
「皆さん、俺がヴィダル魔帝国皇帝ヴァンダルー・アーク・ヒルウィロウ・ソルダ・ザッカートです。
皆さんは、既に我が国の在り方を知っていると思います。ですが、俺は皆さんに……ジャハン公爵領に我が国と同じになれ、変われと要求しに来たわけではありません」
やや驚き、ざわめく聴衆が落ち着くのを待ってヴァンダルーは続けた。
「昨日までと同じようにアルダに祈り、ダンジョンで発生した危険なアンデッドやデーモンと戦う事を咎める事はありません。
ただ、我が国の在り方を認めてほしい。そして、お互いに協力してより良い未来を築いていきたい。それだけです」
「それは詭弁ではないのか!? どうせ最終的には我々に属国になるよう迫るつもりだろう!」
ハドロスの政敵の侯爵がそう叫ぶが、それに応えたのはヴァンダルーではなくハドロスだった。
「それは違う。たしかに、新たな隣人ができた事で十年後、百年後の我々は今とは変わっているだろう。だが、それは今までもあった事だ。
山は少しずつ形を変え、冬は毎年雪の降る量が細かに変わる。私が生まれてから、一度も雪が降らなかった冬が二度もある。人も同じだ。代替わりや新たな家が興る度に、我々は変化を求められた。今回もそれと同じなのだ」
そうハドロスに言われると、侯爵も顔を顰めて黙り込むしかない。先祖返りで巨人種として生まれたハドロスは、この議場にいる誰よりも長い年月を生き、経験を積んでいるからだ。
「だが、隣人の事を全く知らないまま時が流れるのに任せるのは問題がある。そこで、文化交流を目的にしたイベントを行うつもりだ。
ヴィダル魔帝国の秘密を探るつもりなら、是非参加してみてほしい」
そうハドロスが締めくくって、この日の演説は終わった。ハドロスと一緒に控室に戻ったヴァンダルーは、深い溜め息を吐いた。
「やはり人前に立つのは慣れないのかね?」
「ええ、ヴィダル魔帝国ではしょっちゅう立っていますが……親しくない人の前はやはり緊張しますね」
「国民全員と顔見知りになっている為政者は、君ぐらいだよ」
「それと、すぐに嘘ですと言えない嘘をつくのも肩が凝りますね」
ジャハン公爵領の人々に、すぐに変えるつもりはないと言ったのは、大嘘だった。ハドロスが導士であるヴァンダルーを国の中枢を担う者達の前に連れてきたのは、貴族やその側近を導かせるためだ。
そして、文化交流を目的としたイベントとはVクリームやブラッドポーションの売り込みや、カナコ達のライブである。
センターはカナコ、ザディリス、ミリアムの導士三人で、保守的なジャハン公爵領の人々を全力で導く予定である。
アルダ信仰を止めるよう強制するつもりはない。ただただ、自分達からアルダではなくヴィダを信仰するよう誘導するだけだ。なので、厳密にいえばウソではないのだが……。
「すまないね。本来なら公爵である私がどうにかすべきなのに、他国の為政者である君と君の婚約者たちに出張ってもらう事になるとは、恥ずべきことだ。アルダ神殿の関係者や『七山将』の何人かが行方不明になっていたので、まだやりやすいが……幸いと言うべきではないな」
ジャハン公爵領でも、アルダ信者の出奔が起きていた。おそらく、『法命神』アルダが神託で何らかの指示を出した結果だろう。
神託を受けられる熱心で力のある信者が出奔したおかげでアルダ神殿の勢力が弱まり、ジャハン公爵領やアルクレム公爵領ではアルダ神殿の抵抗は弱まった。そのため、結果的には助かったと言えるのだが……。
「まあまあ、俺達は友達ではありませんか。カナコも新たなファンを獲得するチャンスだと張り切っています。ですが、ミリアムは婚約者ではないので訂正しますね」
ミリアムはむしろアーサーと仲が良いようにヴァンダルーには見えた。
「それに、ダンジョンの調査も終わりましたし、分身との接続が距離無制限になったので魔大陸や魔王の大陸での探し物も同時進行で行えますし」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
ハドロス・ジャハンは、ミリアムやアーサー同様ヴァンダルーにとって貴重な友人である。なんといっても、彼らはヴァンダルーを神として信仰している訳ではなく、尊敬と敬意を示しても友人として付き合ってくれるのだ。
間違っても神像や神殿を建立しようとはしない、貴重な友人である。
「ところで、そんな伝説の大陸で何を探しているのかね?」
「ちょっとディアナに頼まれて、ゼーノの遺骨を」
「たしか、神話にある『月の巨人』だったかな? 『太陽の巨人』タロスの妹の。そして探すのが『巨人神』の遺骨とは……さすがだね」
「ええ、俺も何故探しているのかまでは教えてもらっていないのですが……ちょっとすみません。エリザベス様が助けを求めているようなので、ちょっと行ってきます」
「分かった。イベントの打ち合わせは後にしよう」
ハドロスに見送られ、ヴァンダルーはグファドガーンの【転移門】によってオルバウムのシルキー・ザッカート・マンションに戻った。
するとそこには、身なりの良い男性がエリザベスに向かって土下座していた。今にも彼女の靴を舐めそうな様子で。
「……変質者?」
「ヴァンダルー、ちょっとどうにかして。こいつの相手は今のあたしの手に余るのよ」
「エリザベス様が倒せないとは、俺にはそうは見えませんが、手練れの変質者のようですね」
シルキーや庭のアンデッドの守りを突破し、彼女の靴を舐めようとするとは油断ならない相手だとヴァンダルーは舌を伸ばした。耳を一突きして、大人しくさせるために。
「ヴァンダルー・アーク・ヒルウィロウ・ソルダ・ザッカート皇帝陛下! あなたに会えるとは、なんという幸運! どうか、どうか我がサウロン公爵家と民にご慈悲を!」
しかし、変質者……男のターゲットはエリザベスの靴だけではなかった。ヴァンダルーに気がついた瞬間身を翻して、彼の靴を舐めんばかりの様子で膝を突き、頭を下げる。
「ヴィーダル・サウロン。生き残っているあたしの腹違いの兄の一人で、オルバウムでサウロン公爵領の別邸の大使みたいなことをしている人よ」
エリザベスの説明を聞いて、ヴァンダルーは変質者の正体に気がついた。……顔は【完全記録術】で覚えていたのだが、土下座していたため後頭部しか見えていなかったのだ。
なお、同時刻サウロン公爵家ではヴィーダルが出した書状……今すぐ家督をエリザベスに譲り、命乞いをするべきだと書かれていたのを読んだルデル・サウロン公爵が発狂していた。
本日拙作のコミック版が更新されています。ニコニコ静画かコミックウォーカーで閲覧していただければ幸いです。
次話は3月10日に更新する予定です。




