四十三話 逃げられず、避けられない、存在しない存在
公衆浴場からの帰り道、タレアは毛皮で作ったコートで冬の夜の寒さを防ぎながら歩いていた。
「ふぅ……最近冷えるようになりましたわね」
太陽の都と言われていても、タロスヘイムの冬は彼女が暮らしていた密林魔境よりも冷える。決してタレアがここ数年寒さに弱くなったわけでは無い。
それにしてもと、タレアは通りで娯楽を楽しみ食事を取るグールやアンデッド達を見て思った。
豊かになったものだと。
タレアの感想を聞いたら、異議を唱える者も多いだろう。実際、彼女達の生活を一見しただけでは豊かには思えないかも知れない。
着ている服は布で出来たものは極少数、魔物から剥ぎ取って鞣した皮や毛皮が殆どでまるで蛮族のよう。物々交換による原始的な経済環境であるため、商店の類も無い。
煌びやかな劇場も知識の詰まった書物を売る書店も、美食を提供する飲食店も何も無い。
しかしヴァンダルーが作りだした諸々がそれを覆す。
人間の町では富裕層の娯楽である盤上遊戯を、単純だが面白いリバーシを作り、無料で配っている。
それ以上に貴重なのが、数々の調味料だ。
密林魔境に居た当時から彼が作っていた胡桃のソースやドングリのクッキーは、魔境で作っている事以外はそう珍しいものでは無い。
しかしタロスヘイムに来てから彼が作った……発明した魚醤や味噌は、衝撃的だった。更にはそれまで薬としてしか使われてこなかった生姜や、ワサビという見た事も無い植物を調味料にした。
そしてそれらを作り、必要な量は配給。それ以上欲しい場合は冒険者ギルド跡で交換してくれる。
ヴァンダルー本人はそれがどれ程の事か分かっていない。タレア自身も、正確に分かっている自信は無い。
しかし、調味料を好きなだけ使えるのは富裕層だけの贅沢なのだ。
貧しい庶民は塩を節約しながら使うのがやっとで、砂糖は滅多に口に入らない。最近は多少マシになったそうだが、タレアが人間だった二百年以上前は都市部でもそうだった。
それがここでは誰もが手に入れられる程度の交換レートに設定されているのだ。
もし味噌や魚醤を人間の町で売ったら飛ぶように、それも高値で売れるに違いないだろう。最近は更に昆布出汁、未完成だが鰹節という物も作り始めている。
勿論、グールの種族的特性による少子化問題を解決に導いたのも忘れてはならない。
タレア個人としては、タロスヘイムに在った公衆浴場を全て修理してくれた事が一番嬉しかったが。庶民にとって肩まで湯船に浸かる入浴も、調味料を贅沢に使う食事と同じく贅沢なのだ。
「ヴァン様が居る限り、私達グールは向こう千年の繁栄が約束されたも同然!」
そう自信を持って確信できるだけの事を、ヴァンダルーはしてきた。
しかし、だからこその懸念がある。
「そのヴァン様とどうやって距離を縮めようかしら」
タレアは戦闘員では無く、魔物の素材から武具を作る武具職人だ。だからヴァンダルーがダンジョンの攻略や武術の修行に打ち込むと、必然的に会える時間が減ってしまうのだ。
ヴァンダルーは身体が小さくて身に着けられる防具が皮や毛皮の服ぐらいしか無く、武器も自前の鉤爪を使っているのでタレアが彼のために武具を作る機会は今のところ無い。
今は、パウヴィナがある程度育ち、バスディアが無事に妊娠三か月を超えるまで遠出は控えると言っているが、春の前にはまたダンジョンに行くはずだ。
「距離を感じますわ、私とヴァン様の間に距離をっ」
タレアが町に残っている間も、バスディア達はヴァンダルーと生死を共にする濃密な時間を共にしているのだ。最近カチアという元冒険者のグールも動きが妙だし、次のダンジョン攻略ではザディリスも同行するという。
拙い、とても拙い展開だ。
「私に娘でも居れば良かったのですけど、産んだのは息子ばかり……いっそ今から作る? まだ私は二百六十過ぎだもの、そういう手も……ああ無理ですわ、ヴァン様の前で他の男の子を産むなんて!」
現在、成り行きでヴァンダルーは産婦人科医師のような事をしている。そのため、タレアが彼に近づけるために娘を産もうとすれば、ばっちり知られる訳である。
それは耐えられない羞恥であった。バスディアが何故そんな事が出来るのか、さっぱり分からない。
当人に聞けば「別に行為をしている場面を見せる訳ではないのだから、気にする事では無いだろう」と平気な顔で言う。
この辺り、生粋のグールと元人間のグールの違いだろうか。
「やはり私自身で? でもそれでヴァン様に引かれたら意味が……あら?」
こん、ころろん。丁度建物と建物の間に在る路地を通りかかった時、タレアの足元に小石が転がって来た。そして、ふと路地に顔を向けると女が居た。
月明かりだけの暗がりも十分見えるグールの視覚が災いして、その女の紅い瞳をはっきりと見てしまった。
「その、ヴァン様について話してもらえる?」
紅い瞳の、赤毛で白い肌の女。一目でこのタロスヘイムに居るはずの無い人物と分かる容姿だが、タレアが抱いたのは警戒心でも恐れでも無く、親愛の情だった。
「勿論ですわぁ……」
「ありがとう、こっちで話しましょう?」
とろんとした顔のタレアは、そのまま女……エレオノーラに誘導されるまま路地に入って行った。
通りを歩くグールの中から、ヴァン様と言っていた女グールをエレオノーラは選んだ。特に強そうではなかったし、ヴァン「様」と言うのだからダンピールの事だろうと思っての事だったが、どちらも当たりだった。
抵抗らしい抵抗も無く魅了の視線の効果に囚われ、誘い出す事に成功した。
そしてダンピールの情報も聞き出す事が出来た。
「ヴァン様は、お城に居ますわ。元々は大臣だったか、将軍だったか、そういう方が使っていた部屋だとか。そこで眠っている筈ですわ」
これでダンピールの居場所は分かった。王城に住んでいて、それでいながら国王が使っていた部屋ではないという事は、やはりアンデッドを従えている上位の存在が居るのか。
「そうなの。それで、女神ヴィダの加護を受けている者はこの町にいるの?」
「加護……?」
エレオノーラの質問に首を傾げるタレア。魅了の視線の効果で、エレオノーラを仲の良い家族のように感じているタレアだったが、知らない事には答えられない。
しかし、「仲の良い」相手からの質問だ。出来るだけ答えたいという心理が働く。
「それはきっとヴァン様ですわ」
だから、こう答えるのも当然だった。二百年以上前に十代で人間を辞めたタレアは、アンデッドがテイム出来ないという常識を知らず、更に彼女にとってヴァンダルーがアンデッドをテイムできるのは当然の事だった。出会った時からアンデッドを仲間にしていたのだから、それに付いて考察する理由が無いのだ。
その上でヌアザ達巨人種アンデッドからヴァンダルーが神託や預言の「御子」と呼ばれ敬われている事を思い出すと、やはりヴァンダルーの事を聞いているのだろうという結論に至る。
「なっ! あのダンピールがっ……!?」
それを聞いたエレオノーラ達吸血鬼の間に衝撃が走った。
彼女達が始末しようとしているダンピールは、既に女神ヴィダの加護を受けている。だとしたら、このタロスヘイムに存在するグールだけでは無く、アンデッドもダンピールの手足という事になる。
「拙い……このままでは拙い。なんとしても始末を付けなくては……っ」
邪神派の吸血鬼が恐れる事の一つ、ダンピールが組織を作り上げる事が既に完璧なまでに実現している。
グールに加えて、無数のアンデッドがダンピールの支配下にあるとすれば千を優に超える。
そんな一大戦力が、堅牢な城塞都市を拠点にしている。警備はまだザルだが、それもアンデッドが増えれば吸血鬼でも簡単には潜り込めない警戒網が完成するだろう。
そんな組織と拠点を作り上げる時間を許したセルクレントは、この事がビルカインに知られれば使命を完遂できたとしても厳しい叱責を受ける事を避けられない。
あの部下に無関心なグーバモンでさえ、彼を粛清しかねない大失態だ。
だから思わず声を出してしまうのは分からなくはないが、黙っていろとエレオノーラは手で黙らせる。
「始末? 何を始末しますの?」
タレアがセルクレントの声に気がついて反応した。エレオノーラの「魅了の魔眼」は、対象を即座に永続的な洗脳状態に置けるほど強力では無い。
聞きたい情報は全て聞き出したが、今この女に騒がれると拙い。
「気にしないでいいのよ、ただの独り言だから。
色々教えてくれてありがとう、あなたのお蔭で本当に助かったわ」
「うふふ、私もあなたの力になれて良かったですわ」
幸い、エレオノーラは逸れたタレアの意識を自分に向け直す事に成功した。
「そろそろ疲れて来たでしょう? 今日は私の部屋に泊まって行って。さあ、横になって」
「そう言われると……なんだか瞼が重くなってきましたわね。じゃあ、失礼して……」
石造りの空き家の部屋に、タレアは欠伸をしながら横になると瞼を閉じ、すぐに眠ってしまった。
そして従属種吸血鬼の一人が剣を抜くと、無防備なタレアに向かってそれを振り下ろす。
ぼぎん!
「ぐぎゃあっ!? エ、エレオノーラ様っ、何を!?」
しかし、刃がタレアに届く前にその腕はエレオノーラの細い手で圧し折られてしまった。
「貴様、何のつもりだっ!? そのグールは用済みの筈だっ、始末して何が悪い!」
「悪いに決まっているでしょう、セルクレント。あなたは何を聞いていたの?」
「霊についてなら、殺した後すぐに聖水をかければいいだけの事だ!」
激高するセルクレントに、エレオノーラは額に手を当ててため息をついた。吸血鬼になって病や体調不良から縁遠くなった彼女だが、彼と話していると頭痛が絶えない。
「あのね、貴方の手下が死んだ時とは違うのよ。このグールはダンピールに心酔している。死んだら、喜んでダンピールの元に馳せ参じるはず。その前に聖水をかけてグールの霊を浄化すれば、ダンピールに告げ口するのは防げるわ。でも、あのダンピールはアンデッドをテイム出来る。
このグールの死体に適当な霊が乗り移ってアンデッド化し、動き出さないと何故言い切れるの? ここにはアンデッドが何百……下手をすると千以上いるのよ」
霊を聖水で浄化したからといって、死体がアンデッド化しないとは限らない。きちんと弔うか徹底的に破壊するかしなければ、死体は魔素に犯され適当な霊が入り込みアンデッド化してしまう。
そしてアンデッド化は周囲に他のアンデッドが存在する時、発生しやすい。
「それはそうだが、アンデッド化したところで何の問題もあるまい。なってもリビングデッドが精々だ、言葉を話す事も出来ん木偶に何が出来る」
霊がタレア本人のものでなければ、エレオノーラやセルクレントの事を誰かに告げて警告を発する事も出来ない。しかし、そんな事は解っている。
「そのリビングデッドが他のグールやアンデッドに見つかったらどうなると思うの? 見た限り、ゴブリンですら言葉を話して随分賢そうに見えるわよ」
話を聞き出す過程でわかったが、このタレアというグールはこのコミュニティの中でも立場のある人物らしい。そんな人物がアンデッドになってフラフラしているのが見つかれば、大騒ぎになるはずだ。
その騒ぎのどさくさに紛れダンピールを殺す事は出来るかもしれない。しかし、その後生きてこの町から脱出できるかは怪しい。
勿論、アンデッド化出来ない程死体を燃やす、聖水をかけて浄化する手段もあるが、どちらも出来ない理由がある。
セルクレントやエレオノーラに、音や煙を出さずに死体を燃やす術に心当たりが無い。死体を燃やす煙に気がつかれて騒ぎになったら本末転倒だ。
聖水については、単純に残りの量が少ない。どうせこの女グールが目覚める時には自分達はここから逃げている。なら、ダンピールを殺す時やその後逃亡する時に必要になる可能性がある以上温存しておくべきだ。
「……チッ、さっさと腕を治せっ」
それがやっとわかったのか、セルクレントは舌打ちをすると、折られた腕を抱えて呻いている従属種にそう吐き捨てた。
態々気を使って治らない剣では無く治る腕を折ったのだから、礼の一つも要求したいが黙っておく。どうせ期待できない。
「行くわよ」
すやすやと眠っているタレアを残してエレオノーラ達は、標的の居る王城に向かった。彼女が目覚める時には全てが終わり、自分達が逃げた後だろうと確信して。
王城に入り込む事は簡単だった。見張りらしい見張りが殆どいなかったからだ。
ダンピールは余程自分の実力に自信があるのか、それとも無警戒なのか。
「どうやって始末する?」
「音を出せば外のアンデッドに気がつかれるわ。それに、ここに来た以上グーバモンが欲しがっていた【剣王】ボークスの死体も確認しなければならないし。
私の魔眼で惑わして連れて来るから、貴方達が首を刎ねなさい」
魅了の魔眼を使っている間は、常に対象の目を見ていなくてはならない。何かの拍子に視線が逸れてしまったら効果が解けてしまう。確実性を求めるなら、自分以外の手を借りた方がいい。
それにセルクレントの親である原種吸血鬼グーバモン。彼は英雄と呼ばれる者の死体を収集し、アンデッドにしてコレクションする趣味を持っている。
二百年前のタロスヘイムが滅びた戦争でも、何体もの英雄の死体を収集していた。ただ、【剣王】ボークスの死体は運悪く回収役の吸血鬼が【氷神槍】のミハエルと遭遇してしまい、失敗している。
エレオノーラには別にグーバモンの趣味を助けなければならない理由は無いが、機嫌を損ねたい相手では無い。一応の配慮が必要だ。
「すでにアンデッド化している可能性が高いと思うけど」
「だろうな。しかし、確かめなくてはなるまい。
ミハエルに敗れたとはいえ英雄のアンデッドだ、アンデッド化していてもかなりの高ランクの筈。なら幾らなんでもダンピール如きの配下にはなっていないはずだが、居場所を知っているかもしれん」
「分かったわよ、ダンピールを誘い出すついでに聞き出すわ」
ボークスの骨の欠片でもあれば、グーバモンに粛清されずに済むかもしれない。その望みに賭けているためか、セルクレントの目には追い詰められた者特有の危険な光が宿っている。
自暴自棄になられると道連れにされかねない。多少でも協力してやった方がいいだろう。
エレオノーラは、見張りの一人も立っていない扉から音も無く滑り込むようにして部屋の中に入った。
「っ!?」
そして、その瞬間ダンピールと目が合った。
驚いて目を見開くが、考えてみれば好都合だった。エレオノーラは念のために扉に入る前から「魅了の魔眼」を発動していたため、ダンピールはすぐにその影響下に置かれる。
その証拠に既に瞳から意思の輝きが消え、生気の無い死んだ魚のような瞳になっている。
「あなたがヴァンダルーね?」
「はい、俺がヴァンダルーです」
名前を聞くと、素直にそう答えた。白い髪に、混血を表すオッドアイ。そして名前。間違いない、この子供が標的のダンピールだ。
しかし、エレオノーラはこの時違和感を覚えた。このダンピールには、本当に「魅了の魔眼」が効いているのかと。
「魅了の魔眼」の影響下にある対象は、まるでほろ酔い気分の酔っぱらいのように顔が弛緩し、そして口調もゆっくりとしたものになる。
だがこのダンピールの顔は、無表情だ。それに、口調もしっかりとしている。
それに、虚ろなはずの瞳に妙な力強さを感じる。あの瞳を見ていると、まるで深淵を覗きこんでいるような寒気と、それでいて妖しげな何かを感じる。
『まさか、私の魔眼が対抗された? そんな事、精神耐性スキルのレベルが余程高くなくては不可能なはず。幾らダンピールが【状態異常耐性】と、ダークエルフの【魔術耐性】を持っているからといって……【精神汚染】スキルの可能性もあるけど、それなら会話も出来ない程の狂人になっていなければおかしい。そんなようには見えない。
でも、確認した方がいいわね』
自分の魔眼に絶対の自信があるエレオノーラだったが、このダンピールはヴィダの加護を持つ存在だ。警戒して当然の相手。
「ねぇ、私の事をどう思う?」
「はぁ……綺麗な人だなと思いますが」
「そう、嬉しいわ。私と友達になってくれる?」
「……俺で良ければ喜んで?」
「じゃあ、私達が奉じる邪神ヒヒリュシュカカを称えてくれるかしら? 素晴らしい神様だって」
「はぁ……」
ダンピールはエレオノーラに言われ祈るように手を組むと「邪神ヒヒリュシュカカは素晴らしい神様です」と称えた。
そして黙ってエレオノーラを見つめ返す。
どうやら覚えた違和感は杞憂だったらしいとエレオノーラは思った。
『ダンピールが正気ならすぐ私が吸血鬼だと気が付いて警戒するはず。それに、ヴィダの加護を得ている者が邪神を称えるなんて正気ならまずしないわ』
特に最後の要求は魔眼の影響下にでもなければ、まず実行しないだろう。このダンピールはまだ幼児の筈だが、情報によれば頭が良いはずだし、キングや御子と配下に呼ばせている。プライドも高いはずだ。
最初は不気味に思ったが、可愛いものじゃないのとエレオノーラは微笑んだ。後は、情報を聞き出したらセルクレント達の所に連れて行けばいい。
「あなたがアンデッドをテイムしているのよね? どうやっているの? 何時から女神の加護を得たのかしら?」
「その通りですが、どうやっているのかと聞かれても……まあテイム出来ましたし。加護については……神託の事ですか?」
驚いた。加護だけでは無く、女神から神託まで受けていたのか。このダンピールは女神から注目され、きっと今も見守られているに違いない。
このまま始末するのは危険なのではないか? そんな思考を反射的にエレオノーラは抱くが、たとえその通りだったとしてもビルカインの命令に逆らう訳にはいかないと、その思考を打ち消す。
「そう……じゃあ、【剣王】ボークスについて知っているかしら? 今、彼は何処にあるのか教えてくれる?」
「ボークスなら、謁見の間に居るはずですが」
「居る……? 彼はアンデッドになっているの?」
「はい」
予想通り、【剣王】ボークスはアンデッド化しているようだ。しかし、死体が在ったはずの謁見の間に今もいるという事は、このダンピールもテイムしていないのだろう。流石に英雄のアンデッドは手に余ったか。
回収は諦めた方がいいだろう。セルクレントが試みるなら、勝手にやってもらうしかない。
「後は……このお城や町はどうやって直したの? 大分壊されていたはずだけど、アンデッド達に直させたの?」
「いえ、俺がゴーレムを作って直しました」
ゴーレム? 霊媒師だけでは無く錬金術師のジョブまで持っているというのだろうか?
もっと正確に聞き出した方が――
「おいっ、何時まで時間をかけるつもりだ」
何時の間にか、セルクレントも部屋に入り込んでいた。その後ろには、従属種達まで続いている。
「聞き出すべき事はもう全て聞き出したのだ、もう用は無い」
「……私がこの子を誘い出す手筈だったはずだけど」
「黙れっ、その貴様が何時まで経っても来ないから来てやったのだ」
「短気ね」
セルクレントは苛立ちを隠そうとせずギリギリと牙を剥き出しにするのが、視界の端に見える。もしかして威嚇しているつもりなのか?
魅了の魔眼の効果を維持するために視線をダンピールに合わせ続けなくてはならないのだから、目障りな事は止めて欲しいのに。
「この子はもしかしたら私達にとって有益な存在かもしれないわ。アンデッドをテイムする方法や、ゴーレムを使って廃墟を修復した方法を聞き出した方が役に立つわ」
アンデッドをテイムする方法が女神の加護なら、このダンピールを殺せばいよいよ女神の怒りを買い、魔境の奥深くに潜むヴィダ派の原種吸血鬼達が動き出すかもしれない。
それにゴーレムを使って廃墟を修復する方法を聞きだし、それを利用すれば確実に役に立つはずだ。このダンピールがタロスヘイムに来て一年と経っていない。その短期間で城塞都市を全て修復したのだとすれば、小さな砦や城ぐらいなら一月で建てる事が可能かもしれない。
その戦略的価値は計り知れない。それぐらいはこの男でも分かるだろう。
「……エレオノーラ、貴様正気か? 我々が受けた命令はそのダンピールを殺す事だ。それが最優先であり、他の事は全てそれを果たした後の事だ。
たとえそのダンピールがどんな秘密を知っていようが、希少なスキルを持っていようが、関係無い」
しかし、セルクレントがエレオノーラに説いたのは原種からの命令には絶対服従という組織の在り方だった。
そしてそれは正しい。セルクレントの言う通り、ビルカインでもグーバモンでも最も重視するのは命令の遂行だ。それ以外は付属物であり、命令の遂行無くして評価される事は無い。
「正気かとはどういう意味かしら?」
「言葉通りの意味だ。まさか、情でも湧いたか? 俺には貴様がそのダンピールを殺すのを躊躇って、先延ばしにしたいがために尋問を繰り返しているように見えるがな」
「そんな事……ある訳がないっ。私を愚弄するつもり!?」
思わず声を荒げるが、それは怒りからではなく動揺からだった。そして、セルクレントの的外れなはずの指摘に、動揺している自分に驚く。
『馬鹿なっ、今更罪悪感を覚えたとでもいうの? そんな感情、ビルカイン様に忠誠を誓った時に捨てたはずっ!』
家族から捨てられ、ビルカインの下部組織に捕まり、飼育された。訓練を受け、成績の悪い者が生きたまま血を搾られるのを見たし、その中には仲の良い子が少なくなかった。
同じ境遇の仲間同士での殺し合い、密告の奨励、理不尽な理由で行われる拷問、それらを繰り返しやっとの思いで吸血鬼に成る事が出来た。
『いいかい、エレオノーラ。世の中には上に立つ支配者と、踏まれる弱者の二種類しか存在しない。君も支配者に成りたければ、誰かを踏まなければならないよ。だって、支配者とは下にいる者がいて初めて支配者たるのだからね。平民を一人も支配していない王様なんて居ないだろう?
だから、虐げられ搾取されるのが嫌なら、君が誰かを虐げ搾取するしかない』
そのビルカインの言葉が今でも耳に残っている。奪われたくないから奪え、嬲られたくなければ嬲れ、殺されたくないなら殺せ。それこそが自分を守る唯一の方法であり、真理の筈。
だから目の前のダンピールを殺す事に躊躇いなどないはずだ。人殺しなど、今まで何度もしてきている。友人や仲間に裏切られ、裏切り、殺されかけ、殺して来た。その自分に何を今更。
「そこまで言うのなら、あなたや手下共にやらせればいいじゃない。私にだけ働かせて、自分達は案山子のように立っているだけなの?」
そう挑発すると、びくりと従属種達は震え、お互いに視線を合わせ、一歩動いた。後ろに。
誰もダンピールに近づこうとしない。まるで、何かに気圧されているかのようだ。
「エレオノーラ、貴様がやれ。でなければ、貴様がダンピールを殺すのを拒否したとビルカイン様に報告するぞ」
「っ! 貴様っ……」
この時、視線をセルクレントに向けないために、エレオノーラは多大な精神力を使った。自分の数々の失態を棚に上げて、何様のつもりだ。鉤爪で喉を切り裂いてやりたい衝動を覚えた。
だが何の事は無い、このダンピールを始末すればいいだけの話だ。
「こっちに来てくれる?」
そう、ずっと視線を合わせていたダンピールに呼びかける。その瞳は何処までも虚ろだ。
この子を殺す。簡単だ。近づいて来たところを、剣で突くか鉤爪を振るえばいい、柔らかい腹を爪先で蹴り破っても構わない。重武装の騎士でも単純な力技で殺せるだけの力を、エレオノーラは持っているのだから。
こんな子供を殺す事なんて、虫を潰すのに等しい行為だ。
すたすたと、無造作にダンピールが近づいてくる。動悸が激しくなるのが抑えられない、呼吸が乱れる。
蹴りの間合いに入った。胸のあたりが苦しくなる。そうだ、蹴りは止めよう。爪だ、爪で始末しよう。
爪の間合いに入って来た。手が震える、もう少し近くないと。でもこれ以上近づくと視線が外れる。後ろには邪魔なセルクレント達が居るから下がれない。
仕方なくエレオノーラは、ダンピールを持ち上げる事にした。無造作に頭を掴み、このまま牙で首筋を刺し、血を吸って殺せばいいだろうと。
そしてエレオノーラは至近距離でヴァンダルーの視線を覗きこんだ。
相変わらず、その瞳には光が無い。虚ろだ、虚無で満ちている。
だが彼女はその虚無の中に、何かが存在しているのを感じた。
どんなに逃げても逃げられず、エレオノーラが何をしても絶対に避けられない、存在しない存在。
『ダメだっ! この方に逆らってはいけない!』
本能的な衝動に、エレオノーラは動けなくなった。肩で息をしたまま、ダンピールに牙を突き立てる事も出来ずに立ち尽くす。
その時セルクレントが叫んだ。
「貴様等、やれっ! エレオノーラごとダンピールを始末しろっ! ヴァレンの屑にした時のようにな!」
「なっ!?」
エレオノーラやダンピールに向かって突きだされる剣の切っ先。それが背中に深々と突き刺さる前に、彼女は前に向かって引っ張られたような形で、飛んでいた。
さっきまでダンピールが寝ていたベッドに前転する形で突っ込む。
「チッ、反射的に避けたか。腐っても流石ビルカインの親衛隊だな。だが、その傷ではもう俺達に勝つ事は出来まい」
エレオノーラの背には、心臓を掠る程深い傷が刻まれていた。心臓を完全に破壊されるか首を落されない限りそう簡単に死なない貴種吸血鬼といえど、ダメージを負えば動きは鈍る。
「ダンピール共々貴様を殺して口を塞げば、俺の失態をビルカインやグーバモンが知る事は無い! 死ねぇ!」
セルクレントがそうベラベラと喋っていたのは、彼もエレオノーラ程ではないがダンピールが発する異様な気配を感じていて、自分と従属種達をそれから振り切るためだったのかもしれない。
しかし、それが彼を最悪の末路へと導いてしまっていた。
「今、何て言った?」
ああ、やっぱり魔眼は効いていなかった。
エレオノーラは傷の痛みも忘れて、ダンピールを見つめ恐怖に硬直しながらもどこか安堵していた。
今あの瞳に映っているのは、私では無いと。
今話は吸血鬼視点でしたが、次話はエレオノーラが現れる少し前からの主人公視点と成ります。
次話は11月4日中に投稿する予定です




