四十二話 不穏な影は見えない所から忍び寄る
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「ほぎゃーっ、ほぎゃーっ」
赤ん坊らしい泣き声で泣いているのは、しかしただの赤ん坊では無かった。
黄金をそのまま使ったかのような金の髪に、このタロスヘイムの王城に使われている石材の様に白い肌。そして頭の上にピンク色で三角形の耳と、お尻の上には短い尻尾が生えている。
因みに、ラムダには豚の獣人は存在しないらしい。
「気がつくとライフデッドが灰になっていて、この子が泣いていたと」
「そうなんだ」
ドラン水宴洞から戻り、ライフデッドの様子を見に来たヴァンダルーを出迎えたのはバスディアの腕に抱かれた赤ちゃんだった。
どうやら、ドラン水宴洞に行っている間に胎児が十分に育ち、同時にライフデッドの魔力が切れてしまったらしい。
「まあ、ライフデッドの方は別にいいです。元々、用が済んだら葬るつもりでしたし」
遺灰をゴーレムにして纏める。あのライフデッドは魂も無く、心臓が動いているだけの存在だったのだ。胎の中の、自分の生まれ変わりを育てるための。
「それで、この子が無事産まれた訳だが……泣き止んでくれなくて困っていたんだ」
「ほぎゃーっ! ほぎゃーっ!」
「ちょっと見せてもらって良いですか?」
「勿論だ」
よっこいしょと彼女を受け取る。するとその途端泣き止んだかと思うと、彼女はじっとヴァンダルーを見つめた。
彼女の視線を受けながら、彼女を観察する。
「……うん、面影がある」
顔はライフデッドと霊の面影があるし、鼻の形は人間だ。あと、しっかり彼女である。男しかいないノーブルオークでは無い。
「今から詳しく調べるから、ちょっと我慢して」
「うっ」
【霊体化】で身体の一部を霊体にして、彼女の身体の中を調べる。内臓の数、骨の形、それ等もオークとは違い人に近い。
流石に機能が人種と同じかどうかは、今は分からない。でも明らかにオークやノーブルオークでは無い。
しかし完全に人種とは言えないようだ。ノーブルオークと同じ金の髪に、瞳も青い。それに耳と尻尾を見れば一目瞭然。
今はただの赤ん坊だが、育てば他にも色々人離れした事が出来るようになるかもしれない。
種族はノーブルオークハーフだろうか?
「ステータス、見られますか?」
「あむ~」
とりあえず、彼女は想像しなかった異形の姿に「話が違う!」と怒っている訳ではないようだ。ヴァンダルーの髪を引っ張ってあむあむと咥えている。
「あのー、もしかしてお腹が空いています?」
「ヴァン、赤ん坊に話しかけても分からないと思うが……?」
それまで見守っていたバスディアに聞かれて、彼女に視線を――向けようとして彼女に「あうっ!」っとヘッドロックされた。
赤ん坊とは思えない程力が強い。両手で抱え込むようにして固定された頭から離れそうにない。
「俺は産まれた後、結構早くから記憶がありましたから。もしかして彼女にも通じると思って」
「そうだったのか。だが、この子には通じていないと思うぞ。言葉が分かるなら、私の話を聞いて泣き止んでもいいはずだ。しかし全く聞くそぶりも見せず、ヴァンが来るまで泣き続けていた」
「じゃあ、記憶が戻るまで時間がかかるのかもしれませんね」
ヴァンダルーは産まれてから、割とすぐ記憶が戻った。しかしそれはロドコルテ、一応は神の手によるもので彼女はヴァンダルーが初めて行った術で転生したのだ。
記憶が戻るまで数か月か、数年の時間がかかるのかもしれない。
まあ、元々死後数か月経っていた霊だったし、記憶や意思に欠落が生じて上手く戻らない可能性も十分あるのだが。
「とりあえず、母乳はビルデ達に前もって頼んであるのでそっちに行きましょうか。バスディアはまだ出ないでしょう?」
「私?」
「はい、妊娠してますよ。ちゃんと胎児を守るマジックアイテムを付けてくださいね」
「本当か、ヴァン!?」
「本当です、おめでとうございます。定期的に経過を見せに来るように」
「あーっ」
こうしておめでたい事が一度に二つ分かったのだった。
冬の清んだ空気とやや弱い太陽の光の中、ヴァンダルーはライフデッドから生まれた彼女の生まれ変わりと一緒に、昆布を干していた。
「では実験を始めます」
「あいっ」
干し始めたばかりの昆布に、水分を抜く【枯死】をゆっくりかけながら【老化】を緩やかにかける。
この時加減を間違えると乾燥しすぎてパラパラと崩れたり、時間が経ちすぎて塵になったりするので要注意だ。
頭痛と発熱に耐えながら術を制御する事一分少々。丁度良くなったので術を解いて乾燥した昆布を回収する。
「では実食準備」
「あいっ」
廃墟の中から見つけた魔道コンロの上の鍋に昆布を投入。そして着火。
すると、徐々に出汁が出て来た。
充分に出汁が出たらお湯が沸騰する前に昆布を取り、鍛冶師のダタラに作ってもらったお玉で汁を一掬い。小皿によそって、冷まして一口。
「うん、良い出汁が出てる」
満足して具のワカメや山菜を入れて、味噌を溶いて味噌汁にする。
「美味しくできた」
「うー、うー」
「パウヴィナにはまだ味噌汁は早いかな」
「あうー……」
しょぼんとするパウヴィナ……ノーブルオークハーフに生まれ変わったライフデッドの彼女を「よしよし」と慰めながら、ヴァンダルーは昆布出汁の成功と新発見に満足していた。
本来なら生物を老化させ、最終的に老衰で殺すための【老化】の術を使いながら昆布を干すと、一分ほどで二十五年程干した高級干し昆布になる。画期的な発見だ。
通常なら二十五年かかる物が一分で出来上がるのだから。因みに、何故二十五年なのかというと、確かそれぐらいの時間干して熟成させた昆布は、通常の干し昆布より高級品であると地球では扱われていたような記憶があったからだ。確か、旨み成分がどうにかなるのだったと思う。
本当に旨み成分が増えているか確かめる術がないし、ヴァンダルーも高級昆布から出汁を取った味噌汁を飲んだ事は無いので、全て思い込みである可能性も否定できないが。
「あうー」
尚、最初は記憶がまだ戻っていないと思われていたパウヴィナだったが、実は産まれた直後からある程度記憶を思い出していた。
しかしそれはヴァンダルーが危惧した通り、とても断片的で自分の名前も思い出せない様子だった。
覚えていたのは死体をライフデッドにされた事と、ヴァンダルーに助けられた事。後半については「利用された」でもいいと思うが、彼女はヴァンダルーに恩を感じ、更にとても懐いていた。
「んむ……」
ただ、記憶はある程度戻っても精神年齢はほぼ子供だった。パウヴィナの場合はヴァンダルーの様な転生者と違い、前世の事を少し覚えているだけの子供だ。
これから再び育って、大人になって行くのだろう。
……きっと大きくなるだろう。生後三か月目にして、身長が三歳のヴァンダルーに迫っている。彼が小柄である事を差し引いても、凄い成長速度だ。
これもノーブルオークの血が混じっているせいか。
パウヴィナに高い高いをされながら、ヴァンダルーは、「俺は新種族を創り出すマッドサイエンティストでも気取っているのだろうか?」と自嘲した。
ヌアザ達からは「まさに我々を生み出した女神ヴィダの如き御業!」と喜ばれているのだが。これはいよいよ予言の御子の看板が下ろせなくなりそうだ。
違うのなら、今の内に神託か何かでいってくれると嬉しいです女神様。
「今のところ全て順調に進んでいる」
「うー?」
「うん、鰹節以外はね」
パウヴィナの成長は順調だ。大人になるまでどれくらいかかるか分からないが長くて十数年ぐらいだろう。健康面も問題無いし、こうして仲良くやれている。
彼女を利用して生まれ変わらせた以上、ヴァンダルーは彼女の新しい人生に責任があるのでしっかり面倒を見る予定だ。
パウヴィナの誕生と同時に判明したバスディアの妊娠だが、こちらも経過は順調だ。まだ妊娠三か月を過ぎていないから慎重に診ているが、マジックアイテムの効果は問題無く発揮されている。
ピアスも気に入ってもらえて何よりだ。
パウヴィナとバスディアの様子を見るために現在はダンジョン攻略を再び中止しているが、日帰りできる距離の魔境に皆と行って、訓練も続けている。皆の【詠唱破棄】スキル習得のための修行に付き合ったり、リバーシやジェンガ、魚醤や味噌を作ったり。全て順調だ。
唯一躓いているのは、鰹節作りだった。なんと、このラムダには燻製の概念が存在しなかったのである。
干し肉等があるからてっきり燻製もあるだろうと思い込んでいたが、無かったらしい。ローストビーフは勿論、ベーコンやハム、ソーセージにウィンナーもこの世界には存在しないのだ。
カチア達から聞いたが、この世界の干し肉は塩漬けにした肉を天日に干した物らしい。
お蔭でヴァンダルーは鰹節を作るための燻製施設を、独学で作らなければならなくなったのだった。
やっと火を使う許可がダルシアから出たヴァンダルーだったが、初めて自分の手で行う調理らしい調理が、「聞きかじった程度の知識で燻製器から作る鰹節」とは難易度が高い。
「オリジンで和食に詳しい西洋人の霊からは話を聞いたけど、鰹節作りの専門家じゃなかったからなぁ」
干して、炭を作って、燻製にする。その過程でただの燃えカスになったり、中が生だったり、失敗作ばかりが出来上がっている。
発酵食品なら、材料をセットして【発酵】を唱えるだけで終わるのだが。
この分だとベーコンやウィンナー作りの時も苦労しそうだ。オークという格好の材料があるのに。いや、まだスパイスが足りないか。
「とりあえず、そろそろ降ろして」
「うーっ」
いや、まだするの。そんな様子のパウヴィナに高い高いをされつつ、ヴァンダルーは三度目の人生で迎える四度目の冬を過ごしていた。
探索は難航を極めていた。
何とか比較的安全に山脈を越えるルートを割り出したが、結局手下の従属種の内三分の一が途中でやられた。
そして越えた後の探索でも難航を極めた。
「ここまで面倒とは思わなかったわ」
そうため息混じりに言うエレオノーラ達の目的はダンピールの殺害だが、別に【ダンピールレーダー】とか【ダンピール探知】だとか、そんなマジックアイテムや魔術が存在する訳ではない。
だからまずダンピールが率いて行った数百匹のグールが作る集落を探す事にした。山脈を越える途中で半分程になっているかもしれないが、それでも二百匹は生き残っているだろうと推測して。
二百匹が生活する集落を造るとしたらそれなりの規模だ。しかもグールは高所に適応している訳でも無ければ、切り立った崖が得意な訳でも無い。平地だ、それも今は開拓地になっている密林魔境に環境が近い平地を選ぶに違いない。
そう推測して使い魔を放って探した結果……一匹も見つからなかった。
「全く、何処に行ったのかしらね。まさか霞のように消えた訳でもあるまいし」
足元で倒れたまま動かない従属種吸血鬼に持ってきた聖水をかけながら、エレオノーラは溜め息をついた。本当に使えない。主人も使えないが、その従属種も使えない者で揃っているのは、本当にどういう事なのか。
「地下に潜ったのかもしれんぞ。洞窟も探してみるか」
セルクレントの顔にも憔悴が浮かんでいた。使えない手下が何人死のうが構わないが、この使命を果たさないと出世どころか命が無いので必死なのだ。
「それにしてもグールの食料が必要だから、出入りは多いはずよ。それともまさか……山脈を越えた時点で用済みだから始末でもしたのかしら?」
可能か不可能かはさて置いて、それなら使い魔や、連れてきた従属種吸血鬼の三分の一が命を落とすような懸命の捜索でも見つからないのも納得だ。あのダンピールは生後一年未満であの名高き狂信者、ゴルダンの捜索から隠れきったのだから。
一人なら必要な食料の量も知れるし、それこそ地に潜るのも容易いだろう。
「それよりも死んだこいつ等の霊がダンピールに俺達の情報を漏らしている可能性は無いのか?」
霊媒師らしいダンピールへの対策として、出来るだけ殺さず死なず方針でエレオノーラもセルクレントも捜索しているが、それでも境界山脈の合間に在る魔境は一筋縄ではいかない。
運悪くドラゴンに遭遇する等して、既に残りの従属種の数は三分の一に減っていた。そうして死んだ場合は、死体に聖水をかけ霊が地上に残らない様にしているが、何分彼らは霊を見る事は出来ない。
アンデッド化していないただの霊を見る事が出来るのは、霊媒師ジョブの持ち主だけなのだ。
そのため霊が本当に死体の周囲にいるのか分からない。とっくに霊がダンピールの元に馳せ参じた後だったとしても、気が付けないのだ。
「幾らダンピールが霊媒師でも、顔も名前も知らない相手の霊を召喚できるものではないわ。可能性は低い……そう思いたいわね」
「そうか……だがどうする? これ以上何処を探せばいい?」
「そうね、だったらタロスヘイムの跡地に行くのはどうかしら」
二百年前、アミッド帝国がミルグ盾国の軍を使って滅ぼさせた巨人種の国。彼らの派閥を仕切る三人の原種吸血鬼の内グーバモンが利用し、テーネシアも一部関わっていた。
今ではきっと、巨人種のアンデッドが出現する魔境となっている事だろう。
「廃墟とはいえ使える建物も残っているかもしれないし、開けた場所に一から作るよりも集落を興しやすいかもしれない」
ダンピールが知っているとは思えないが、タロスヘイムの近くにはダンジョンもある。それを使えば効率よく食料を得る事も出来るはずだ。
しかしセルクレントは良い顔をしない。
「いや、だがタロスヘイムはアンデッドで溢れているはずだ。とても集落を作る事などできはしない」
その顔を見て、エレオノーラはセルクレントを今すぐ殺したい衝動に駆られた。
何故セルクレントがタロスヘイムに行くのを嫌がるのかというと、至極つまらない理由だった。
エレオノーラに主導権を握られたくないのだ。
セルクレントが失態を拭い、以前の立場に戻るためには「ダンピールの抹殺に成功する事」は勿論だが、更に「エレオノーラでは無く、それが自分の手柄」で無くてはならないのだ。
使命を果たしても、エレオノーラの言う事を聞いて果たしたのでは、それはセルクレントが彼女の犬に成り下がったという事であり、更に言えば「いちいち指図されなければダンピール一匹始末できない無能」と言う事の証明になりかねない。
邪神派の吸血鬼の社会は、上る者には媚び、落ち目の者には徹底的に叩く事が常なのだから。
使命の達成を優先するなら、セルクレントを立てて動くしかない。
しかし、エレオノーラにはそれが解っていても出来ない理由がある。ビルカインの親衛隊である彼女がセルクレントの下に着く事を是としたという事になり、それにあの原種は耐えられないのだ。
筆舌に尽くしがたい仕置きを受け、また治らない傷を増やされる。それは御免だ。だからエレオノーラは、この哀れな男に堕ちるところまで堕ちてもらおうと決めた。
「そう、なら私だけで偵察して来るわ」
今までエレオノーラがセルクレントと共に行動していたのは、手数が必要だったからだ。従属種吸血鬼を作る許可をビルカインから与えられていない彼女は、手足になる存在が使い魔しかいなかったから。
しかし、ここまで役に立たず数も減った手足なら無くても変わらない。だからセルクレントから離れて動いても構わない。
「なんだとっ!?」
しかしセルクレントは大いに慌てた。別れている間にエレオノーラがダンピールを始末してしまったら、彼にとっては使命失敗と一緒だ。
逆に自分が手柄を独り占めするチャンスでもあるが、能力的にはセルクレントよりもエレオノーラの方が高く、従属種吸血鬼達が役に立っていないのに今更優位に立てるとは思えない。
「……いいだろう、タロスヘイムを調べようじゃないか」
俺が許可を出すのだからなと、意味の無い体裁を繕うこの自分より何倍も生きている吸血鬼に構わず、エレオノーラは夜空に舞い上がった。
しかし、二百年前のミルグ盾国軍の記録から割り出したタロスヘイムの跡地に着くと、エレオノーラは思わず目を丸くし、口を開けたまま立ち尽くした。
こんな間抜け面をしたまま立ち尽くすなんて、吸血鬼になる前からそうそう無かった。
「ば、馬鹿な」
「これは、幻ではないのか?」
しかし、今のエレオノーラの姿をセルクレントとその手下に見られる心配は無かった。彼らも間抜け面をして呆然と立ち尽くしているからだ。
彼らの度肝を抜いたのは、月と星の明かりに照らされた巨大な城壁だ。吸血鬼であるエレオノーラ達にはその威容を真昼のように視る事が出来た。
白い石材を積み上げた壁には蔦の一本も張っておらず、崩れた場所どころか亀裂の一つも見られない。
「どう言う事、城壁はミルグ盾国の軍が、ミハエルが崩したはずよね?」
「そうだ、確かに……あの時は、門は砕かれ、城壁も二箇所が崩壊していたはずだ。例えそれが間違いだったとしても、手入れも補修もする者がいないのに何故ここまで……」
愕然としたままセルクレントはぶつぶつと呟いていたが、次第に冷静さを取り戻したようだ。
「そうか、アンデッドだ。タロスヘイムのアンデッドがこの城壁を補修したのだ。アンデッドは疲れ知らずだからな、二百年もあれば出来るだろう」
しかし、彼が導き出した答えはエレオノーラにはとても正しいとは思えないものだった。
「アンデッドが、城壁の修理と維持を?」
アンデッドには基本的に生産性と社会性に乏しい。単に強い者に従っている場合や、生前の上下関係を引きずっている場合は組織的に動くが、多くの場合はただ群れているだけの烏合の衆だ。
そのアンデッドが二百年の時間があったとしても、掃き掃除や皿磨きなら兎も角、城壁の修理という高度で大規模な一大事業をここまで完璧にやり遂げられるだろうか?
とても可能だとは思えない。もし可能なら、世の全ての幽霊屋敷や幽霊船はピカピカに輝いている事だろう。
彼女がセルクレントに「あんた正気? 気でも狂ったの?」とでも言う様な目を向けるのも無理も無い。
「それ以外に何だと言うのだ?」
しかし、その質問にエレオノーラも答える事は出来ない。
この城壁は魔物の手によるものでないのは明らかだし、タロスヘイムの跡地をオルバウム選王国が占領し、新しく町を作ったという情報も無い。
いや、私達の目的はタロスヘイムの奪取でも占領でも無い。ダンピールの抹殺だ。
「……中を探るわよ」
幸い、城壁には見張りは立っていないようだった。門には何匹か巨人種のアンデッドが居るようだが、空を飛ぶことが出来る貴種吸血鬼には関係無い。城壁を飛び越えればいいだけの話だ。従属種達は鉤爪でよじ登ればいい。
しかし、城壁を越えた後もエレオノーラ達の驚きは続いた。
明かりと音に乏しいタロスヘイムの町は、ゴーストタウンを思わせる侘しさを漂わせている。しかし、一目見ればその異常さに気が付くのは充分だ。
「崩れている建物が、無い?」
タロスヘイムの建物は、綺麗に並んでいた。大きく頑丈に設計された石造りの物ばかりとはいえ、二百年……それも酷い戦争で滅ぼされた後、放置されていたのに。
「まさか、これもアンデッドの仕業だとでも言うの?」
「な、なら何者の仕業だと……そうだっ! きっとダンピールだっ、奴が手下のグールに……!」
「グールが巨人種のサイズに合わせて石造りの家をそのまま修繕した、と?」
「…………」
セルクレントを黙らせたエレオノーラだが、彼女自身も誰がこの町を整えたのか推測も出来なかった。
頭によぎったのは、実は二百年前のミルグ盾国軍から逃げ延びた巨人種が数百人存在していて、若しくはハートナー公爵領を頼って逃げ出した連中が戻ってきて、彼等が二百年かけてタロスヘイムを復興させたという推測だが、それも考えづらい。
もしそうだったとしたら、何故この町はこんなに静かなのか。
「セルクレント様、微かですが明かりが見えます」
「何っ!? 王城の方向か。よし、行くぞ」
度々突きつけられる異様さに動揺し考えずにはいられないが、それでも使命が優先だ。
そう思考を切り替える彼女達だったが、王城の前の広場に近づくと三度愕然としてしまった。
『中々進まないのね』
『でも、流石にこれは坊ちゃんに作ってもらう訳にも行かないだろうし』
『ぢゅぅ、ヌアザ殿達も春までには完成すると言っていました、それまで楽しみに待ちましょう』
造りかけの石像らしきものを見ている、妙な形のリビングアーマーやスケルトン。
『今度こそ俺が勝つぞ』
『いやいや、まだまだ若いもんには負けんわい』
パチンパチンと見た事も無い盤上遊戯に興じながら、焼き菓子を齧る巨人種のアンデッド達。
「フゴー、旨そうに焼けた」
「俺の、ミソで」
「俺は魚醤」
串焼きにした肉をフライパンで調理し、食べている黒いオークと黒いゴブリン。
「このフカヒレって、味が無いな」
「でも美容には良いって聞いたわよ。スープの具にすると美味しいし」
腕を組んで歩くグールの男女。
「ジャンケン、ポン!」
「あっち向いて、ホイ!」
やはり見た事も無い遊びか何かをしている、犬の頭をした人種の様な魔物。
「これは、一体どういう事なの? グールは分かるけど……見た事も無い色のオークやゴブリン、犬頭の魔物。それにアンデッドが同じ空間で、まるで人間の町のように呑気に過ごしているだなんて」
セルクレントから真面な答えが返って来ない事は解っていたが、口に出さずにはいられなかった。
目の前の光景は、エレオノーラの常識からそれほどかけ離れたものだった。
異なる種族で社会を営むのは人間だけでは無く、魔物も同様だがその場合は強者が支配し弱者が隷属するという形以外には殆どない。
特に、アンデッドの場合それすら不可能だ。
基本的に生前の人格を保っている様な高位か、下位でも稀有なアンデッド以外は命ある者なら人だろうが魔物だろうが無差別に殺し喰おうとするのがアンデッドだ。
それが大人しく、穏やかに過ごしている。
全てのアンデッドが高位アンデッドなのか? それにしてもあり得ない! 人格が残っていても、凶暴で無い訳ではないはずだ。
「わ、分からん。どういう事だ? まさか誰かにテイムされているのか? 馬鹿な、アンデッドはテイム出来ないはずだっ!」
小声で怒鳴るセルクレントの言う通り、アンデッドはテイムできない。それは吸血鬼だろうが、人種だろうが変わらない。
過去優れたテイマー系ジョブを持つ者達が何度もアンデッドをテイムしようと試みたが、エルダーリッチの様な上位アンデッドは勿論、リビングボーンやリビングデッドといったランク1の最下級アンデッドすらテイムできなかった。
そして成果の出ない幾多の試みの結果、アンデッドは虫系の魔物と同様にテイムできない魔物である事はこの世界の常識になったのだった。
ただ、例外がある事をエレオノーラ達は知っていた。
「まさか、ここに邪神……いや、女神の加護を得ている者がいるの?」
ザッカートをアンデッドにして蘇らせた女神ヴィダや、エレオノーラ達が奉じる悦命の邪神ヒヒリュシュカカの様な邪神悪神の類の加護を受ける者は、アンデッドを創造し支配する事が出来る可能性がある。
「他の邪神派の吸血鬼が……いいえ、ヴィダよ。女神ヴィダの加護を得ている者がいるわ」
エレオノーラの目には、修復されたヴィダの神殿が映っていた。邪神や悪神の加護を得ているなら女神の神殿を修復する事等あり得ない。
「馬鹿なっ」
セルクレントは目を剥いて戦いた。女神ヴィダの加護を受ける者、それがもし彼らが恐れる女神ヴィダを奉じる原種吸血鬼だったら……。
「セルクレント様っ、今の内に逃げるべきですっ」
「まだ誰も我々に気がついていません、撤退しましょう!」
隠れ潜んだまま従属種吸血鬼達が口々に撤退を訴える。もしここにヴィダ派の原種吸血鬼が居るなら、彼らが見つかった時何が起きるのか。それは明らかだ。
圧倒的な力による、一方的な殲滅。
貴種であるセルクレントや、エレオノーラが居ても関係無い。それほどまでに原種と貴種の間には圧倒的な差が存在する。
そうで無ければビルカインやテーネシアの様な敵を内外に作りやすい人格の持ち主が、何百人もの貴種吸血鬼を十万年以上支配できるはずが無い。
それはビルカインから拷問を受けたセルクレントや、直接取り立てられたエレオノーラの方が従属種達よりも解っている。
二人とも今すぐ撤退したかったが、それが出来ない事情も同時に見つけてしまっている。
「待ちなさい、アンデッドやゴブリンに混じってグールが居るわ。きっと、ここにダンピールが居るのよ」
タロスヘイム以外の場所をいくら探しても見つけられなかったグールが、何匹も居る。それから考えれば、ここに居るグール達がミルグ盾国からダンピールに率いられて山脈を越えて来た者達に違いない。
なら、当然ダンピールもここに居るはずだ。
「ダンピールを始末せずに逃げたらどうなるか、分っているわね?」
撤退を提案した従属種吸血鬼達が、元々血の気の薄い顔を更に白くして押し黙る。
「ダンピールを探すぞ。確か、奴の名はヴァンダルーと言ったはずだ。エレオノーラ、適当なグールを捕まえて聞き出せ」
「言われるまでも無いわ」
ヴィダの加護を得ている自分達より格上の存在にばれる前に、速やかにダンピールを始末して逃げる。
セルクレントに対する呆れも嫌気も捨てて、エレオノーラはその困難な目標を達成するために動き出した。
次話は11月3日中に投稿予定です




