三百三十四話 変わる医院と親子でピクニック
ヴァンダルーが入院してから四日目。精神治療院、通称医院の雰囲気は変わりつつある。
陰鬱な監獄のようだった建物に、何かが致命的に間違っているような活気と明るさが混じりつつあった。
「おはようございます、先生」
ヴァンダルーが入院する前は心が壊れ、複数の人格に分裂していた患者がまるで聖人のように穏やかな顔つきで担当医に挨拶するようになった。
「やあ、君とは初めましてかな?」
「ふふふ、何を言っているのですか先生。私は私ですよ」
最初は新しい人格が出たのかと思った担当医だが、彼は元の人格に戻っていた。一体どうして治ったのかと、担当医は驚いて尋ねたが……彼は治っていなかった。
「簡単な事ですよ。我々は神に出会ったのです。泣きながら縋る私を、神は導いてくれました。そして私に言ったのです、『まず、話し合いなさい』と。
我々はその言葉に従って我々と話しました。私は私と私について話し、私達の誰が正しいか討論し、私は何を間違えたのか私と検討し、私達はどうするべきか悩み、考え、話し合ったのです。
その結果、私達は私であるという真理に辿り着きました」
「……そ、そうかね」
これは完治ではなく悪化だ。そう判断した担当医は、患者に飲ませる薬の量を増やすよう、指示を出そうとした。
『先生もそう思いませんか?』
だが、真正面にいるはずの患者に、真横から話しかけられて担当医は凍り付いた。
『先生、お薬の時間ですか?』
『僕、あの薬嫌いだよー。だって苦いんだもん!』
『我儘を言っちゃいけません、私よ』
『じゃあ、僕が飲んでよ。僕は遊んでるから』
『俺はいつもそうだ。いつも嫌な事は俺に押し付ける』
「な、なんだこれは……!?」
そして、担当医の視界は無数の患者で埋め尽くされていた。彼等は全員同じ顔で同じ声だ。しかし、顔つきや口調が異なり、まるで似ているだけの別人の集まりのように見える。しかし、全員が同じ人物だ。
「先生にも見えるでしょう、私が」
そして、見えている者達が患者の言う『私達』……彼の人格だと気がついた担当医は悲鳴をあげ、彼の病室から逃げ出した。
「先生、また私達の話を聞いてくださいね。待っていますから、『私達』は」
その背に患者の声が投げかけられたが、彼自身の悲鳴の音がうるさくて担当医の耳には入らなかった。
他にも、自分を悪魔だと信じ込んでいたはずの患者は、何故か病室で筋肉を鍛え始めた。
「私が間違っていたよ。彼が言ったんだ、私は人間だと。そして肉体を鍛えれば、いずれ人間を超えた存在になれると! その暁にはお前達を虫けらのように踏みつぶしてやるからな!」
悪魔だと思い込んでいた間は哀れな患者だったが、今や危険な言動を繰り返しながらトレーニングをする危険人物になってしまった。
他にも生ける屍のようになっていた少女や、幼児退行していた男性、自分を殺そうとする何者かの幻聴に悩まされていた女性等の患者が、それぞれ一見すると突然快方に向かっているように見える。
少女は自分の手で食事を取るようになり、男性は勉強をしたいと言い出すようになり、女性は幻聴を聞かなくなったという。
同時に、少女は「あのお方が約束してくれたの。私を生まれ変わらせてくれるって。でもそのためには、生まれ変わるのに耐えられる体力が必要なの」と語り、男性は「お兄ちゃんが言ったんだ。一歩一歩大人になろうって。お勉強から始めようって」と証言し、女性は「もう何も怖くなくなったの。例え今この瞬間殺されたって構わない。私は悪霊となり、復讐を成してみせる。あの方は私の憎しみを祝福してくれた」と言った。
全員、ヴァンダルーとは縁もゆかりもない患者だ。彼が入院した後も、知り合う機会はないはずだ。ヴァンダルーの部屋の前には見張りが常に配置され、彼は外に出る事を許されていない。診察も病室の中で行われている。部屋を抜け出す瞬間や、患者と会っている現場を見た者はおらず、また証拠の類も一切ない。
だが、医院側はヴァンダルーが関与しているに違いないと考えていた。何故なら、患者達に変化が現れたのは彼が入院してからなのだ。
それに、患者達は自分達に変化をもたらした存在の事を「彼」や「お兄ちゃん」と呼んでいる。やはり、ヴァンダルーが絡んでいるとしか思えない。
「しかし、直接接触するのは危険だ。既に担当医が一人……取り込まれてしまった」
医院の医師や神官数人と院長はそう話し合っていた。
「ああ、フーバー・トーン医師か。あの患者を一目見て、手の施しようがないと言ったという……」
「その後、即刻退院させるべきだと言われたのだがね……アルクレム公爵からの紹介状に多額の寄付を受け取ってしまった後では……」
「それで、彼は今どこに?」
「彼の部屋だ。……一階の隅にある」
ヴァンダルーを診察したフーバー・トーン医師は、ヴァンダルーの主治医を任されたため、彼を診察しなければならなくなった。手の施しようがないと彼自身は気がついていたが、主治医にされてしまった以上どうしようもない。
職務を放棄して院長に逆らってもいいが、それでは最悪の場合首……それもこの医院の場合物理的に首を飛ばされる可能性がある。
入院している患者たちの多くは、貴族の関係者だ。精神的に病んでいても……中には実際には病んでいないが、病んでいるという事にされている……記憶を失った訳ではない。患者の家族にとって不都合な情報を口にして、それを医者や職員が聞いていたかもしれない。
それを口止めするために、ここの給料は破格だ。しかし、ここを円満に退職しなかった人間は金以外の方法で口を封じられてしまうと、専らの噂である。
フーバーもそれは避けたい。そのため、仕方なくヴァンダルーを診察した。
するとどうだろう、普段から鬱々として影があったフーバー・トーン医師が急に爽やかな笑みを浮かべ、フランクに同僚や職員達に話しかけるようになったのだ。
院長は慌てて彼を呼び出し、何があったのかを尋ねた。それに対して彼は、笑みを湛えたまま答えた。
『ただ、話をしただけですよ。私は彼を狂っていると言いましたが、間違っていました。彼は狂っているのではない……我々とは異なるだけなのです。人種とエルフでは寿命が違うため、時間の感覚がどうしてもズレる。それと同じなのですよ。ただ、ズレが人種とエルフの場合とは比べ物にならない程大きいだけで。
それを理解した私は彼に謝罪しました。すると彼は私の謝罪を受け入れ、そればかりか話を聞いてくれたのです。私はすべてを彼に話し――』
そこまで聞いた時点で、院長はフーバー・トーン医師を職員に命じて拘束させた。そして彼を医師ではなく患者として扱うよう指示を出し、病室に監禁したのだ。
「今は様子を見ているが、元の彼に戻る様子がないようなら『自殺』してもらう事になる。残念だが、あの状態では口を封じるにはそうするしかない」
重苦しい口調で告げた院長の言葉に、医師や神官たちは顔色を悪くした。これまでも同僚が処理され、『自殺』したという事になったのを彼らは知っているからだ。
「それよりも、ヴァンダルー・ザッカートはどうするのですか? 私は嫌ですよ、彼を担当するのは!」
「わ、私もです!」
次々にフーバーの後釜……いや、二の舞候補になる事を拒否する医師や神官達。彼らも精神治療院に勤めて患者を診てきたため、時には医師が患者の影響を受けて心を病んでしまう事があると聞かされている。しかし、ヴァンダルーにはそれ以上の得体の知れない何かがある事を察していた。
「ヴァンダルーはもういい! 彼は監視するだけで放置する事にした。ただ、人数を倍に増やす。それよりも、他の患者……特に、アメリア・サウロンだ。彼女に薬を投与しなければならん」
「アメリア・サウロンにですか? 確かに快方に向かいつつあるようですが、それよりも私の患者をどうにかしてください!」
「私の患者も異常なんです! 腕立てや腹筋をするようになり――」
「ええいっ! 君達の患者は快方に向かっているのではなく、別の方向に病みだしただけだろう! アメリア・サウロンは快方に向かっているのだぞ! 伯爵からは病状を維持しろと依頼を受けているというのにだ!
このままでは我々の信用問題に発展しかねないのだぞ!」
医院が快方に向かっている患者を問題視する。医療機関としての存在意義を問われかねない問題発言だが、そもそもこの精神治療院は医療機関よりも、精神を病んで放置しておくと外聞が悪い貴族や大商人の身内や、都合が悪くなった人間を死ぬまで監禁しておくための施設として利用されている。
遥か以前は医療機関として患者の回復を目指していた時期もあっただろうが、少なくとも今の院長が就任する前からその状態が続いている。
だから、普通の患者ならともかく監禁し続けるよう依頼された者に完治されるとまずいのだ。
リームサンド伯爵からの寄付金を失うだけならいい。だが、伯爵から他の貴族に情報が伝播し、信頼を失ったら問題だ。監禁施設としての信頼を失えば、治療実績がない……それどころか患者が入院中に死亡してばかりの医院に何の価値があるだろうか。
そしてこの施設で働き、患者から各貴族の秘密を知っている可能性がある自分達に、「他の道」は無い。
だからこそ院長としては、アメリアを快方に向かわせる訳にはいかないのだ。
「アメリア・サウロンはどれほど回復しているのか、改めて説明を」
「はい、以前は視界に入った男性を、頻繁に自分の夫だと思い込んでいました。娘やその侍女がいないときは、ほぼ確実に。しかし、今では主治医である私や職員の顔を見分け夫ではないとしっかり認識しているようです。
しかし、見張りにつけた職員によると存在しない『夫』の幻覚を見続けているらしく、話しかけ会話をしていると思い込んでいるのはそのままのようです」
「完全ではないが、たしかに回復傾向にありますね。やはり、ここ数日薬を飲ませていないからでしょうか?」
「以前、アメリア・サウロンが風邪をひいて寝込んだ時に薬を一週間程控えたが、その時は何の影響も出ていなかったはずだぞ。やはり、ヴァンダルーの――」
「今はヴァンダルーだけでなく、アメリア・サウロンが回復した要因の解明も後回しだ。彼女を元通りか、それ以下の状態にしなければならんのだ!」
「……」
そんな事を話している院長達の背後に佇む黒い肌をした青年は、溜息を吐いて首をゆっくり左右に振った。まるで「救いがたい連中だ」とでも言うかのように。
そして無造作に通気口の前まで歩いていくと、青年は音もなく崩れ肉の塊に姿を変える。そして肉塊となった青年……レギオンを構成する人格の一つであるゴーストは、数秒で細長い紐状に姿を変えて通気口の中に入り込んでいった。
院長達は、ゴーストが去った後も彼の存在に気がつかなかった。
「きっと、院長達は今頃私を殺す算段をつけている頃だろう。分かっている、君にとって、我々人の命はさしたる価値はない……それこそ路傍の石のようなものだろうという事は」
「いえ、そこまでではないですが……」
その頃、ヴァンダルーはフーバー・トーン医師……元医師が入れられた病室で彼と話をしていた。自分と話をした後、病室に入れられたと聞いて心配になったからである。
フーバー・トーンはヴァンダルーを検診した際、型通りのカウンセリングをして、それだけで検診は終わった事にする予定だった。ヴァンダルーが質問に答えても答えなくても、関係なく。
ヴァンダルーも彼の検診に、真剣に応じるつもりはなかった。
だが、その検診でフーバー医師はヴァンダルーに導かれ、逆に彼のカウンセリングを受ける事になり……今に至る。
「でも、知っていてほしいのだ。そうなったとしても、私は君に会った事を後悔していないという事を。
私が医師の道を志したのは、人を救いたかったからだ。最初は回復魔術の使い手を目指し、次に薬品を作る錬金術師を目指し……才に恵まれなかった私は挫折を繰り返して、気がつけば人の心を診る事を生業にしていた。だが、道は変わっても志は変わっていないはずだった。
それなのに、気がつけばこの医院で患者が死ぬのを待つ日々を送っていた」
「……先生、もしかしなくても俺の話を聞いていませんね?」
「先生か。患者や、その家族は私をそう呼ぶが、患者を癒せない、癒せない事に慣れてしまった私には、そう呼ばれる資格はない。
だが、君はそんな私に手を差し伸べてくれた。最後まで私の話を聞き、無知で無力な私を受け入れてくれた。君にとっては人間の悩みなんて、取るに足らないと言うだけかもしれない。だけど、私は本当に救われたと感じたんだ。それに嘘はない」
「先生、あなたの感謝の気持ちを疑った事はありません。ありませんが、何故あなたは俺を人間とは異なる生物として扱うのでしょうか?
何度も言いますが、俺は人間ですよ」
フーバー・トーン元医師は、ヴァンダルーに導かれている。しかし、その影響かヴァンダルーを人間とは頑として認めなかった。狂人ではない事は認めたが、人間の形をした人とは根源的に異なる生物として扱い続けている。
この事をダルシアに相談すると、「大丈夫よ、ヴァンダルー。誰が何を言っても、ヴァンダルーは私の最愛の息子である事に違いはないわ」と言ってくれた。世界が輝いた気がするほど嬉しい言葉だったが、何か誤魔化されたような気がする。
「ふふ、おかしなことを言う。それではあなたが人間という事になってしまうぞ」
「おかしなことを言っているのは先生だと思いますが……そうですよね?」
「偉大なるヴァンダルーの言う通りです」
ヴァンダルーの背後の空間の狭間に控えるグファドガーンは、そう肯定する。
「っ! いけないっ、自分を誤魔化してはいけないっ!」
「落ち着いてください、先生。誰も自分を誤魔化してなんていませんから」
「ちがうっ、違うんだっ! そうじゃないっ、君は――」
『賑やかだな』
ずるりと、小さな通気口から細い肉色の蛇……ゴーストが現れた。
「外の職員がやってくるんじゃないのか?」
「大丈夫です。魔術で音が外に漏れないようにしてますから。それより、職員会議はどうでしたか?」
「真っ黒だった。他の患者……新しい友達の事も話していたが、彼らやアメリアが快方に向かうと困るらしい」
「それはそれは」
興奮して暴れだすフーバー医師を抑えているヴァンダルーは、この医院でアメリアの病室に行くまでに出会った患者達と話をして、結果的に患者達の何人かは導かれた。多重人格に悩んでいる青年には、霊体を揉み解し整える【整霊】スキルで治療を行い、【霊体】スキルで他の人格も同時に現れる事ができるようにして、人格同士の和解を促した。
力を求めて魔術的には意味のない魔術儀式をしていた男には、肉体を鍛える方法を教えた。
家族から性的暴行を受けた心の傷で廃人になっていた少女は、自分の体は汚れ切っていると言っていたので、擬似転生などで生まれ変わる手伝いを約束した。
幼児退行を起こしていた男を宥めてあやし、(残してきた使い魔王が)一緒に遊びながら勉強を教えて情緒を育みながらもう一度大人になろうねと促した。
幻聴に苦しむ女性には、落ち着かせた後付き添いに使い魔王をつけて、『あなたは大丈夫。俺が憑いていますよ』と囁いている。
彼らは通常の、心を病む前の状態に戻るという意味の快方には向かっていないかもしれない。しかし、それはヴァンダルーにとって些細な事でしかない。良くなっているのだから良い事なのだ。
アメリア・サウロンに関してもそうだ。彼女はここ数日で、明らかに快方へ向かっている。幻覚の夫を見て会話することはなくなった。そして職員や医師を夫だと思い込む事もない。
今では夫だと認識するのはヴァンダルーだけだ。……これにはヴァンダルーも、どうしてこうなったのかと思わずにはいられないが、なってしまったものは仕方がない。きっとここから更に回復するはずだと信じる以外にないだろう。
なお、アメリアが幻の夫と会話していると院長達が思い込んでいるのは、部屋の中に隠れているヴァンダルーに向かってアメリアが話しているのを誤解しているからだ。
しかし、患者達が快方に向かう事は、院長達にとっては受け入れがたい事のようだ。
「ここ、もう精神治療院という名称を変えるべきでは?」
「返す言葉もない」
「その先生、こういう話だけは聞くんだな」
「まあ、それはともかく、今日中にアメリアに薬を飲ませるつもりなら、やっと現物が手に入りますね」
この医院で患者に出す薬を調合するための部屋は既にゴーストが見つけたのだが、肝心の薬は材料となる素材の状態だったため、どんな薬なのか分からなかったのだ。
素材が分かればある程度予想も立てられるが、どの素材をどれだけの量使うのかによって、適した治療法が異なってくる。そのため、薬の現物が手に入る機会を待っていたのだ。
「患者達に出している薬の効果は、私も知っている。だが、薬の材料については院長しか知らない。しかし、完治を期待されている一握りの患者に飲ませる物以外は、毒と変わらないはずだ。
そのアメリア・サウロンという患者は今どこに?」
そう尋ねるフーバー医師に、ヴァンダルーは胸に手を当てて答えた。
「娘さん達がお花畑と走っているのを見ています」
季節感を無視した色とりどりの花に囲まれて、エリザベス・サウロンと侍女のマヘリアがキャッキャと悲鳴をあげていた。
「ぎやあああああ!? ここの花全部モンスタープラントじゃないのぉぉぉっ!」
何故なら、全ての花が根を足代わりにして移動する植物型の魔物だったからである。
「お嬢様っ、囲まれています! 落ち着いてくださいっ!」
しかも、モンスタープラントたちはエリザベスを包囲した状態を維持するため走り回っていた。
「うふふ、あんなに楽しそうにはしゃいで。いつ以来かしら、あの子があんなに無邪気な様子を見せてくれたのは」
「確か、最後にピクニックに行ったのが『五年前』でしたね」
そしてその様子を、ヴァンダルーはアメリアと一緒に眺めていた。
「こんなとんでもない所へお母さまを連れてくるなんて、覚えてなさいよぉぉぉっ!」
「そもそもここはどこなんですか!?」
彼女達がいるのは、ヴァンダルーの【体内世界】の一つである。ピクニックに相応しい景観を作り出すために気合を入れて作ったら、魔力まで籠もってしまい花や植物が魔物になってしまったのだ。
「エリザベスはアメリアが大好きみたいですね」
「うふふ、焼きもち?」
「いえいえ、あの年頃は父親から離れたがりますから、時期の問題ですよ」
「そうかしら? あなたが私達の初めて出会った記念日を忘れた時も、あの子は私より怒ってくれたじゃない」
「それは『三年も前の事』じゃないですか」
アメリアの妄想を否定しないヴァンダルーは、すっかり彼女の妄想を覚えていた。彼女が作り出した幻の過去で、何時何処で何が起きたのか、日記に纏める事もできる。
もしアメリアの妄想検定があったら、一級資格を楽々獲得できるだろう。
(人の母親を呼び捨てで呼ぶんじゃないわよ! あいつ、母様の治療じゃなくて母様とイチャイチャしたいだけじゃないでしょうね!?)
「エリザベス、邪推はいけませんよー」
「心を読まないでくれる!?」
「お嬢様っ! 口から考えが漏れています! 私としては、何故離れているヴァンダルーさんがお嬢様の呟きに気がついたのかが気になりますが!」
『お嬢様方、お茶が入りましたぞ。運動はそのあたりにして、一息いれませんか?』
「サムさんっ! それはこのモンスタープラントに言って! あたし達を追いかけ回すのを止めるようにって!」
アメリアの治療のために、外に出る事が必要だとヴァンダルーは判断した。しかし、ただ【転移】で外に連れ出すだけでは、万が一の場合誰かに目撃されて面倒な事になるかもしれない。
そこでヴァンダルーは、アメリアを自身の【体内世界】に連れていくことにした。そこでなら誰にも目撃される事はない。
そしてエリザベスとマヘリアにはサムに乗ってもらい、見た目よりもずっと広大な荷台の中を案内している間に【体内世界】に【転移】して来て貰った。
ちなみに、これで二回目である。
「そういえば、学校の方はどうなっているの? エリザベスやマヘリアとこうして過ごせるのは嬉しいけれど、勉強が大変じゃないかしら?」
「問題ありませんよ、アメリア。エリザベスやマヘリアの成績は優秀ですし、チームで行う課題でも十分な評価を得ているそうですから」
アメリアはエリザベス達が通っている学校の事を、貴族の子弟が通う学校だと思い込んでいる。それに合わせてヴァンダルーもぼかして答えたが、実際に彼女達の成績やエリザベスのパーティーの成績は良い。別行動中のゾーナやマクトの訓練も継続している。
グファドガーンを説得して協力してもらっているため、魔物との実践訓練も今まで通り行われている。……ヴァンダルーも使い魔王で確認している。
ヴァンダルーが入院しているため、パーティー単位で受ける実習での単位はまだ取れていないが、それも彼が戻ればすぐ取れるだろう。
「俺もいますし」
「ふふ、あなたが勉強を見てくれているなら安心ね」
「……そうですね」
たしかに修行をつけているので、勉強を見ていると言えるかもしれない。ただ、ヴァンダルーはエリザベスの保護者ではなく、パーティーメンバーである。
「じゃあ、もう少しここに居ましょうか」
「あら、でもそろそろお薬の時間だと思うのだけど……そう言えば最近お薬を飲んでいないわね」
「ええ、だからきっと今日もお薬はありませんよ。明日も、明後日も、ずっと」
【体内世界】のヴァンダルーは、そう言ってアメリアにお茶を勧めた。
職員の男は舌打ちをしたい気分だった。以前なら、「お薬の時間ですよ」と言って薬を出すだけでよかったのだ。
それなのに、まずヴァンダルー・ザッカートが自分の病室にいる事を確認してからアメリアの病室に向かい、彼女を普段は使わない処置室に連れて行き、鍵を閉めてから薬を投与するという、面倒でただの職員である男にとって意味があるのか不明な手順を踏むよう命令されたのだ。
(まったく、院長達は何をビビってるんだ?)
職員達は、医院の雰囲気の変化に気がついていなかった。何故なら、彼らは患者に親身になって世話をしているわけでもなく、また持っている医療知識もそれほど深くないからだ。
だから患者に変化が起こっても、彼らにとっては「今日も昨日と同じように変だな」と思うだけなのだ。
「はい、この部屋に入ってくださいね」
微笑みを浮かべたまま大人しくついてくるアメリアを、職員の男は処置室に招き入れた。中には医師や職員の指示を聞かない患者を拘束するためのベルト付きの椅子等があるが、彼は使う必要を覚えなかった。
「じゃあ、この薬を飲んでくださいね……しかし、以前は俺の事も夫だと思ってよろしくやってくれたのに今では口もきいてくれないなんて、寂しいもんだぜ」
錬金術師でもある院長が調合した丸薬と水の入ったコップを渡した職員の男は、彼女に聞こえないよう呟く。
「早くそれを飲んで、元の可愛いイカレ女になって――げえっ!?」
呟き続けていた男は、突然ぞっとするほど冷たい手に首を掴まれ濁った悲鳴をあげた。驚愕した彼が見たのは、自分の首を微笑みながら片手で締めあげるアメリアの姿だった。
だが、その姿は次の瞬間優し気な夫人から、濁った赤い瞳をした女吸血鬼に変わった。
『ヴァンダルー様、薬の現物を確保いたしました。この男はどうなさいますか?』
アメリアに化けていた吸血鬼ゾンビのアイラがそう尋ねると、虚空が揺らめき、ヴァンダルーが現れた。
「とりあえず、生かしておきましょう。越えてはいけない一線を越えていたら、他の人達と同じ目に遭わせます」
職員の男は気がついてしまった。今日が自分にとって終わりの日になるという事に。
いつも誤字報告ありがとうございます。毎話、お手数をお掛けしております。
次話は9月23日に投稿する予定です。




