三百二十六話 パーティーメンバーの現状
エリザベス・サウロンの母、アメリア・サウロンは、トーラー騎士爵家の長女として生まれた。トーラー騎士爵家は、サウロン公爵領にいくつもある騎士の家の一つで、アメリアの父オルソンも真面目な事だけが取り柄の普通の騎士だった。
子供が一人娘のイリスだけだったベアハルト家と違って上に兄がいた事と、アメリアに抜きんでた武術の才能があったわけではなかったので、普通の娘として育てられた。
騎士爵は貴族ではあっても領地はなく、仕える主君からの俸給が主な収入源となる。そのため、多くの家は広い屋敷に住んで何人もの使用人を雇って家事を任せるという生活は難しい。
サウロン公爵領で英雄と知られていたジョージが当主だったベアハルト家なら、貧しい男爵家よりもずっと裕福な暮らしができる。しかし、辺境の村を治める貧乏貴族に仕える騎士は、普段は農夫に混じって畑仕事している場合もある。
トーラー騎士爵家はサウロン公爵家に仕えているため、使用人を数人雇う余裕はあったが、貴族らしい優雅な生活ができるほどではなかった。だからアメリアは年頃になると、公爵家へと奉公に出された。それはオルバウム選王国の騎士の娘として、珍しくもない事だ。
娘を主君の使用人として仕えさせる。それによって主君は身元のしっかりした娘を雇う事が出来、騎士達の忠誠心を維持する事ができる。また、貴族のメイドとして働くことはステータスであり、良い縁談を得る事に繋がるため騎士達にとっても利がある。
アメリア・トーラーが凡庸な騎士の娘としての人生から外れたのは、その奉公に出た後、前サウロン公爵家の当主、バーンルスト・サウロンに目をつけられたからだ。
病室で微笑みながら話をする母は、エリザベスには元気そうに見えた。
「そうなの。良かったわ。新しいお友達は面白い子みたいね」
ただ入院生活が長いからだろう。エリザベスが幼かった頃よりも幾分痩せて、肌も白い。だが、その表情と声には何の憂いも無いように思える。
「面白いなんてものじゃないわ。やることなすこと滅茶苦茶なのよ。学校では私の後を子鴨みたいにくっついて来たかと思えば、何故か先生と一緒に稽古をつける側に回ってたりするし。
かと思ったら変な歌を歌ったり、従魔だって言い張って美人だけど変な女の人を侍らせたり」
「子鴨? うふふ、なんだか想像すると可愛いわね」
「……いいえ、お母さま。なかなか壮観よ、義理の妹と従魔の人達もついてくるから」
「この部屋の天井より背が高いっていう妹さんね? 友達がたくさん増えたのね、エリ。お母さん、嬉しいわ」
アメリアに与えられた病室は貴人用の個室で、広さはエリザベスとマヘリアが今暮らしているリームサンド伯爵家の屋敷の離れ……小屋よりも広い。
上質なベッドに、絨毯。クローゼットに鏡台、それにテーブルに椅子、ティーセットまである。特にポットはマジックアイテムで、水を注ぐとすぐお湯にしてくれる。
そして窓は高価なガラスが嵌められているが……鉄格子で閉ざされている。
「マヘリア、あなたも座って。あなたからも、学校の事が聞きたいわ」
エリザベスの後ろで立っていた侍女のマヘリアに、アメリアは空いている椅子のうち一つ……エリザベスの横の椅子を勧めた。この部屋には、四脚の椅子がある。
「奥様、私は――」
「あなたは家族も同然よ。ここには私達とエリしかいないんだから、いいでしょう?」
そう言いながら、アメリアはポットに手を伸ばした。
「奥様っ」
「気にしないで、お茶を淹れるのは得意なの」
「マヘリア、お母さまの言う通りにして。あなたが立ったままだと話しづらいわ」
マヘリアはサウロン公爵家ではなく、トーラー騎士爵家の侍女の娘だ。そのため、彼女はサウロン公爵家に認知される前からエリザベスと姉妹のように育っていた。
「はぁ……分かりました」
マヘリアが椅子に座ると、アメリアは微笑みを大きくして空のカップにお茶を注いだ。
テーブルの上では、四つのカップがそれぞれの席の前で湯気を立てている。
「ヴァンダルー様はエリザベス様より小柄な方ですが、先生達にも頼りにされています。それに、とてもお料理が得意です」
「そういえば、この前お土産に持ってきてくれた串焼きも、その子が焼いてくれたのよね?」
「ええ、私達より上手です。対抗して手作り弁当を作ろうとするエリザベス様を、何度止めた事か」
「マヘリアっ! それはヴァンダルーが皆の胃袋を掴もうとするから……余計な事は言わないで!」
アメリアは二人の話を楽しそうに聞きながら、自分の横……誰も座っていないはずの席に微笑みかけた。
「二人が楽しそうで良かったわ。ねえ、あなた?」
あなた? とアメリアが話しかけた相手は存在しない。椅子には誰も座っておらず、カップに淹れられた紅茶はそのまま冷めていく。
「フフッ、そうね。料理の腕で負けても気にすることはないわよね。エリには、もっと素敵な長所がたくさんあるもの」
だが、アメリアには見えているのだ。椅子に座り、一緒に談笑している『夫』の姿が。
「うん、ありがとう。お父様」
しかし、エリザベスやマヘリアには見えない。アメリア以外の、誰にも見えない。
アメリア・サウロンは心を病んでいた。
最初は、悪夢にうなされたり、極稀に幻覚を見たり、幻聴に悩まされるぐらいだった。アメリア自身もそれが幻だと自覚していた。
それを知ったドラッゼ・リームサンドが、専門の施設……この医院に入院を勧めた。
心の病については有効な治療法が確立しておらず、専門家も少ない。それに当時はサウロン公爵家の後継者争いの最中で、自分が心の病を抱えている事をルデル達に知られたら不利になると思ったのか、アメリアはドラッゼに勧められるまま、内密に医院へ入院した。
エリザベスがアメリアの見舞いに医院へ行く事が出来たのは、後継者争いに敗れ、もうアメリアの事が知られても影響がなくなってからだった。
その時には、アメリアの心には彼女にしか見えず、声を聴くことができない『夫』が存在していた。
その『夫』がバーンルスト・サウロンなのか、エリザベスにはわからない。だが、違うはずだと思っている。
「でも、お母様も料理は得意でしょう?」
「そんなに得意じゃないわよ。お父さんには褒められたけど……ええ、そうね。あなたも作るたびに『おいしい』って褒めてくれるわよね」
穏やかに微笑む母の手料理を、バーンルストが食べる機会があったとは思えない。彼は大貴族で、屋敷には腕利きの料理人が働く大きな厨房があったからだ。
「そうですね。ダンスはお嬢様の方がお得意です。半月ほど前に、お嬢様に見てもらっていました」
マヘリアがアルクレム公爵の別邸でパーティーが開かれる前の話を持ち出す。
オルバウム選王国の社交ダンスはカナコも専門外だったため、【舞踏】スキルを持つヴァンダルーも自信がなかったのか、エリザベスに変なところはないか見てもらった事があった。
「名誉貴族の子だから、ダンスのレッスンを受けていなかったのかしら? でも、エリも苦手じゃなかった?」
「それは昔の話よ! ちゃんとレッスンを受けて、踊れるようになったわ」
「そうなの、偉いわ。母さんもダンスは苦手だったのよ。ええ、パーティーで『あなた』の足を踏んでしまった事もあったわね。
でも、上手くなったのなら安心だわ。リームサンド伯爵には感謝しないとね」
アメリアはそう言うが、彼女がバーンルストと同じパーティーに出席したことはない。もちろん、メイドだった彼女が公爵の彼と踊れるはずがない。
手料理やダンス以外にも、アメリアは『夫』との思い出を語る事があるが、それはどれもバーンルスト・サウロンとの逢瀬の思い出と考えるには、無理がある内容ばかりだ。
だからエリザベスとマヘリアは、アメリアはバーンルスト・サウロンの幻を見ているのではなく、彼女の『理想の夫』を見ているのだと思っている。
つまり、バーンルストはアメリアにとって理想の夫では……愛する人ではないのだ。
アメリアは、少なくともエリザベスやマヘリアの聞こえる範囲では、バーンルストの悪口を言ったことはない。どんな人だったのと幼いエリザベスが聞けば、公爵として君主として立派な人だったと語って聞かせた。だが、夫として……父親としてどんな人だったのかは語ったことがない。
幼い時はエリザベスも疑問を覚えず、父は立派な貴族であり、母と自分を心から愛してくれた良き父だったと思った。
「ええ、そうね。伯爵には、私からお礼を言っておくわ」
しかし、思春期になりドラッゼ・リームサンド伯爵がその視線に本性を現すようになって気が付いた。そんな訳がないと。
バーンルストは、母を見初めた頃には既に正妻も愛妾もおり、ルデル達は生まれている。何より、当時彼は既に四十代の半ばを過ぎていた。当時成人したばかり、十五歳のアメリアが父と同年代のバーンルストに心から靡いたとは思えない。
それも母の立場は新しい愛妾ではなく、秘密の愛人だ。関係を公にする事はできず、子供を身籠ったら実家に戻され、エリザベスを隠れるように生み育てなければならなかった。贈り物や援助はあったが、苦労に釣り合うとは思えない。
さらに、エリザベスが知ったのは後になってからだが、バーンルストには彼女と同じような隠し子が過去にもいた。それを考えれば、バーンルストが女性に対してだらしのない男だったとしか思えない。
その腹違いの兄レイモンド・パリスと違って、エリザベスは女だったためか、認知されることになった。だが、それも母にとっては幸せな事だったとは思えない。
バーンルストが母を最初から愛妾の一人として囲っていれば、母は十分な護衛に守られてサウロン公爵領を安全に脱出できたかもしれない。
バーンルストが母と自分を認知せず、見向きもしなければ、ただの騎士の娘とその子としてアミッド帝国軍から厳しい追跡を受ける事なく、祖父もマヘリアの母も無事に脱出できたかもしれない。
実際には、バーンルストがエリザベスを認知したのはアミッド帝国が攻め込んでくる数日前だったため、アメリアとエリザベスには十分な護衛が用意されなかった。護衛の多くはルデルのような正妻、そして侯爵や伯爵等上級貴族の家出身の愛妾の子供達に割り当てられた。
アメリアとエリザベスを守ってくれたのは僅かな兵士と、騎士を引退した祖父。そしてトーラー家に仕えてくれている使用人達だけだった。
そしてサウロン公爵領から脱出する際には、アミッド帝国軍からサウロン公爵家の娘であるエリザベスを捕えるために多くの追手がかけられた。その追手からアメリア達を守るために祖父やマヘリアの母は死んだのだ。
その悲劇が残した心の傷によって、母は心を病んでしまったのだとエリザベスは考えているだけに、許しがたい事だった。
「いろいろ言ったけど、ヴァンダルーのお陰でようやく成長の壁を越えられたみたいなの。マヘリアやゾーナ達の腕も上がっているし、学校の成績も上げられそうなの」
だから、このままサウロン公爵家に庶子扱いされたままでは終われない。それでは、あまりに救われない。
そもそもアミッド帝国が攻めて来なければサウロン公爵領から脱出する事もなかったし、祖父達の命を奪ったのはアミッド帝国軍だという事も分かっている。だが、帝国は建国以来の敵だ。殺しあって当然の相手である。
エリザベスはそれよりも、バーンルストが父でありながら自分達家族を守ろうとしなかった事が許しがたく、悔しかった。
「それは良かったわ。エリは強い子だけど、弱音を言わない子だから思い悩んでいるんじゃないかって、心配していたのよ。
でも、無理はしないでね。あなた達が無事でいてくれるだけで、私達は幸せよ」
「失礼します。お薬のお時間です」
そこに医院の職員が入ってくる。彼が押すワゴンの上には、水差しと小皿に載った薬が置かれていた。
「まあ、もうそんな時間? もう少し後で――」
「お母さま、私達ならまたお見舞いに来るから大丈夫よ。心配しないで」
「でも……」
薬を後回しにしようとする母を説得し、エリザベスとマヘリアは病室から出た。ヴァンダルーの特訓を受けるようになってから、結果的に倒した魔物の素材を売る事で隠れて仕事をする必要がなくなり、時間が取れるようになっているから、見舞いにはまたすぐ来ることができる。
「それにしても……実はあいつ、気が付いてるんじゃないかしら?」
「どうでしょう? 何も考えていないように見えて考えている人のようでもあり、本当に何も考えていない人でもあるようですから」
特訓で戦わされる魔物が、食用に適している種族ばかりなのは、自分達が冒険者ギルドに売って収入にしている事を知っているからなのか。そう怪しむエリザベスに、マヘリアはどちらの場合もあり得ますと答えた。
明日でヴァンダルーがエリザベスのパーティーに加入する。それについて話し合っていたのは、メオリリスとランドルフだけではなかった。
「……どうする? 明日で一か月だけど、結局ろくなことが分かってないぞ」
「……そもそも、僕達はこのままでいいのか? 前はこのままでいいって事で結論が出たけど、あの時と今じゃいろいろ違うし」
「……そうだなぁ。どうしようか。リームサンド伯爵の様子も変だし」
エリザベスの四人の取り巻き達、背の高い槍使いのマクト・ハミルトン、眼鏡をかけた魔術師のユーゼフ・カタロニス、小太りの盾職のトーラス・ゼッツ、そしてドワーフの斧使いのゾーナである。
この四人は、英雄予備校に入った後パーティーメンバーを探すエリザベスとマヘリアに甘い汁を吸う目的で集まった生徒だった。
そして、パーティーを結成した後リームサンド伯爵に目を付けられ、彼のスパイのようなことをしていた。
「そもそもあのオヤジ、信用してたの? あたしはしてないけど」
そう言ってゾーナは飴玉を口に放り込んで、舌の上で転がした。口の中に爽やかな香りと甘みが広がる。
マクト達がリームサンド伯爵のスパイになり、エリザベスの学校での動向を伯爵に流していたのは無理からぬ事だった。彼ら三人は貴族だが、実家の爵位は三人とも子爵以下。そして財力でも役職でもリームサンド伯爵にはかなわない。
リームサンド伯爵がエリザベスのパーティーに入った三人の実家に、「今後ともよろしく」と手紙を送ればそれで逆らう事はできなくなる。
もっとも、三人とも今まで逆らうつもりは全くなかった。何故なら、伯爵は協力するなら将来当家で騎士やお抱え魔術師として雇ってやると約束したからだ。
元々生まれた順が遅かったせいで実家の家督を継ぐ希望のない三人にとって、それはとても魅力的な報酬だった。
マクト達の言動からも分かる通り、彼らの家族は貴族の中でも平民を下に見ている者達だ。自分達には高貴な青い血が流れていると誇り、平民は自分達とは違う下賤な存在であり自分達に仕えて当然なのだという態度を日頃から崩さない。
そんな環境で育ったマクト達にとって、自分自身が平民に落ちるのは恐怖でしかなかった。
他の家への婿入りや、騎士や家臣として貴族に仕える事ができなければ、生まれた順の遅い自分達は下賤な平民になるしかない。それを回避するために、マクト達は必死に努力して英雄予備校に合格したのだ。冒険者となって一時は平民に落ちても、功績を挙げてどこかの貴族の騎士やお抱え魔術師に……あわよくば、爵位を得て貴族になる事を目指して。
しかし、英雄予備校は甘くなく、マクト達は自分の実力ではこの先の実習について行けず、卒業できるか分からなかった。
そんな時に囁かれた誘いは、三人にとって地獄に垂らされた蜘蛛の糸に等しかったのだ。……そもそも、実家の家族が伯爵に従っている時点で、彼らに伯爵の意向に逆らう度胸や力は無かったのだが。
それでいて彼らに伯爵が求めたのは情報の提供だけ。エリザベスを陥れ、直接罠にかけるような危険で罪悪感を覚えるような事を命令されることはなかった。
エリザベスがアレックスの勧誘に動いたときは、それとなく邪魔するよう命令されたが、アレックスが断ったため邪魔するまでもなかった。
しかし約一年が経って、ヴァンダルーが現れたその日のうちにマクト達には新しい指令が下された。それがヴァンダルーに対する情報収集である。
最初はその指令を熱心にこなすつもりだった三人だったが……今ではすっかり意欲を失っていた。
「信用って、君は伯爵を信用してないのか?」
「そりゃそうよ。口約束を信じて痛い目を見た話はいくらでもあるでしょ」
ゾーナも貴族出身だが、その身の上は複雑だ。彼女は書類上貴族の養女だが、実際は養父の実子である。
貴族の男がドワーフの娼婦に入れあげて愛人にしたが、妊娠させてしまったから使用人の男と結婚させた。そして育った娘に才能がそれなりにあったため、養女にして英雄予備校を受験させた。
それが彼女の身の上である。
「ちなみに、あたしは伯爵のスパイじゃないから」
「なっ!? 何を言っている!?」
「そうだっ、お前だって――」
「あたしはあんた達が報告してる時、一緒にいたことなかったじゃん」
「「「っ!?」」」
ゾーナの勝手な言い分に声をあげかけたマクト達だったが、実際そうだった事に気が付いてはっとした。
ゾーナもリームサンド伯爵から誘われたし、実家の養父から伯爵の意向に従うように言われた。しかし、彼女は返事をしないまま、そして自分自身は何もしなかったのだ。
「そ、そんなの詭弁だ!」
「じゃあ、いざとなったら自分だけエリザベス様に取り入るつもりだったのか!?」
「うん、あんた達を売ってね」
「ひ、卑怯者~っ」
マクト達から非難を浴びるゾーナだが、彼女はどこか覇気のない顔つきのまま三人を眺めていた。
「それはともかく、これからどうするの?」
「どうするって、エリザベス様か?」
「ええっと……このままでいいんじゃないかな?」
四人はエリザベスに悪意を持っているわけではなかった。最初は彼女の実力と吸わせてくれる甘い汁目当てで集まったが、一年もパーティーを組めば情も湧く。それに、エリザベスは四人の人生で出会った人の中でも、上位に輝くほど良い人だったのだ。
彼女は口調と態度は高慢だが、それは四人にとっては気にならない程度であったし、父親の血筋を考えれば当然に思えた。それに、面倒見が良い。
そんな彼女の情報をリームサンド伯爵に流し続けたのは、四人にとって「悪くない将来」だったからだ。
リームサンド伯爵の目的を四人は知らされていない。しかし、彼女が英雄予備校で優秀な成績を修めて冒険者として活躍する事を望んでいない事は、察していた。
だから、伯爵はエリザベスをどこかの貴族へ政略結婚させるつもりだと思っていた。貴族の家で、女性が社会に出る事を嫌う理由はだいたい政略結婚のためだからだ。
それはマクトやゾーナの常識では、悪い事ではない。寧ろ、現サウロン公爵のルデルを敵視して一泡吹かせようとする無謀な事は、止めさせた方がエリザベスは幸せになれると思っていた。
もしエリザベスの目標が冒険者として身を立てる事や、功績をあげて爵位を得て新たな貴族家を立てる事だったら、素直に応援したかもしれない。……そして、もしリームサンド伯爵の目的がエリザベスを妾にすることだと知ったら、やはり掌を返して彼女の味方になっただろう。
マクト達の常識でも、「正妻と複数の愛妾を抱え、既に跡取りになる子もいる、親子程も年の離れた伯爵の新しい愛妾」になるのは、良い縁談とは言えないからだ。
しかし、この一か月で「このまま」の意味も変わりつつあった。
「このまま……まあ、このままだと卒業はできそうだよね。エリザベス様だけじゃなくて、僕達も」
「そうだな。ヴァンダルーのお陰で」
この一か月、ヴァンダルーの特訓のお陰でエリザベスはもちろん、マクト達の力量も格段に上がっていた。最近の実習は課題を達成するのでやっとだったのに、今は余裕をもって達成できるようになっていた。
それはただレベルや能力値が上がったからでも、ジョブチェンジしたからでもない。ヴァンダルーやその従魔、そして友人が色々と教えてくれたからだ。
「このままなら、騎士なら頑張ればなれるんじゃないかなって気がしてきたんだ。ヴァンダルーが盾の使い方とか、気構えを教えてくれたし」
「私も……何度か会った従魔ゾンビのミハって人は槍捌きがすごくて、色々教えてくれて、筋が良いって褒めてもらった。生前の事は思い出したくないのか、いくら聞いても本名は教えてくれないけど」
「うん、私もボルゾフォイさんから魔術の手解きを……」
色々ヴァンダルー達から教えられているうちに自然と「リームサンド伯爵のいう事を聞かなくても別にいいのではないか」とマクト達は考えるようになっていた。
「……そもそも、どうせ後一年か二年かで出る実家だし、逆らっても別に」
「追い出されても、学校に通っている間は寮があるし」
「それに……平民って思っていたより卑しくなさそうだし。冒険者でも、やっていけそうだし」
この約一か月の間、マクト達はヴァンダルーの特訓を受け、その友人である『ハート戦士団』やサイモンやナターニャ、そして従魔達と交流するうちに平民に対する認識が変わっていた。
そして実力をつけた事で、自分達なら平民に……実家から追い出されて、ただの冒険者になってもそれなりにやっていけるのではないかと思うようになっていた。
それはゾーナも同感であるし、彼女は元々貴族の血は引いていても養女になる前は元娼婦の母と使用人の父の娘なので、平民に対する偏見はほぼなかった。マクト達と衝突するのを避けるため、調子を合わせる事はあったが。
しかし、問題はそれではない。
「エリザベス様じゃなくて、ヴァンダルーの方よ。最近はあのオヤジもあたしの家の連中も、ヴァンダルーの事ばっかりでエリザベス様はどうでもよくなってる感じなんだけど、あんた達の家は違うの?」
「「「っ!? そ、そうだった!」」」
マクトやゾーナ達が抱えている問題がいかにちっぽけなものか表すように、ヴァンダルーはオルバウムの王侯貴族達の関心の中心となっていた。
この一か月、マクト達の実家はリームサンド伯爵よりも上の貴族、軍務卿を務めるドルマド侯爵などから、ヴァンダルーについて探るよう要請され、何か有力な情報は入っていないかと催促を受けるようになった。
それは半月前に開かれた、アルクレム公爵家のパーティーをきっかけに激しくなった。
曰く、ある特徴を持っているか、隠している貴族達の多くが会場に押しかけ、会場から出てきた時には熱烈なアルクレム公爵支持派に変わっていた。
曰く、ダルシア・ザッカート女名誉伯爵は絶世の美女であり、今年の社交界では彼女を狙う紳士達が大勢集まる事だろう。
曰く、長男のヴァンダルーは大勢の美女を『従魔』として囲い、侍らせている。その中でも植物型の魔物であるアイゼンの樹液から作られたシロップと、果実を使ったスイーツは絶品である。
曰く、ハートナー公爵家のケイティ・ハートナーとヴァンダルー・ザッカートが接触していた。ハートナー公爵家がアルクレム公爵家のように、アルダ贔屓からヴィダへ転向するきっかけか?
などなど飛び交う噂は数え切れない。その真偽の確認を彼らは求められているのだ。……リームサンド伯爵はエリザベスの事をどうでもいいとは考えておらず、最終的には手に入れるつもりなのだが、それはマクト達の知らない事だった。
「でもこれ以上情報を手に入れるのは……」
「もう、いっそ私達もアルクレム公爵派になっちゃうのはどうだ?」
「それは僕も考えたけど……お前こそ本気なのか?」
「いや、それは……ゾーナはどうなんだ? 飴玉もらってたし、私達より仲が良いだろ」
「あたし!? あたしは……簡単に決められる訳ないでしょ!?」
マクト達もこの一か月で、ヴァンダルーとはある程度打ち解けている。それに、彼がどれくらい強いかも……『多分A級冒険者並みだろう』という、真実からは程遠いものではあるが、推測していた。
今までは、彼らでなくても調べれば分かる情報しか流していない。 これ以上の情報を探る、そしてそれを流すのは完全なスパイ、敵対行為だというのは感覚的に分かる。
ヴァンダルーと敵対するのは気が進まない。スパルタだったが、この一か月の成長は彼の特訓のお陰だ。特訓の最中も、何度も助けられたので恩も感じている。
しかし、ではヴァンダルーの味方、本当の意味で仲間になるという決断は簡単には下せなかった。
ヴァンダルー……改革を唱えるアルクレム公爵は、今や完全にヴィダの新種族贔屓だと見られている。その過激さは政治の世界によくある派閥争いの段階を超えており、オルバウムのヴィダ神殿も驚くほどだ。
代々宰相を務めてきたテルカタニス侯爵家など、主だった貴族がアルダ神殿を重用してきたこの中央では、まだアルクレム公爵が唱える改革は浸透していない。
一か月前までは、多くの下級貴族や平民は「アルクレム公爵が妙な事を言っているらしい」、「来年の選王選挙に立候補するから、話題作りだろう」、「目立ちたがりにも困ったものだ」という程度の認識だった。
しかし、この一か月でアルクレム公爵は本気らしいという事が、急速に広まりつつある。
そのきっかけは半月前のパーティーでアルクレム公爵の改革を支持する貴族達が増えた事。そして、ほかならぬ彼らがヴァンダルーの情報を流した事だ。
貴族達に改革の支持者と、ヴァンダルーの情報が広まるにつれ、改革の認知度は高まっていく。
マクト達もザディリスと何度か会って話をしてみて、「たしかに、人だ」と思わされた。
だが、それだけにヴァンダルーの仲間になるのは大きな決断になる。他の貴族から、アルクレム公爵を支持していると判断されるからだ。下手をすると、大多数の貴族から敵視されかねない。貴族から平民になる覚悟はできていたマクトやゾーナも、さすがに二の足を踏む。
人生で大きな決断をした事がないマクトやゾーナはケイティ・ハートナーにあった決断力を持ち合わせていなかった。
「せめて、もっと取り入ってからじゃないと、安心できないじゃない!」
何故なら、基本的に彼女達は強い者には巻かれる気質の持ち主だからだ。
ゾーナはマクト達よりは多少マシだが、エリザベスやマヘリアのように大きな目標や強い信念があるわけではない。
「そうかな? もう十分取り入っているように見えたけど」
「冗談言わないでよ。あんた達みたいにチョロい奴と違って、あいつ全然反応しないんだから。……アイゼンとかザディリスさんを侍らせてるんだから、当然だけど。まあ、飴玉はもらったけど。
でもこのままじゃ不味いのはたしかよね」
このままヴァンダルーの有力情報を流さなければ、実家を含めた貴族達にヴァンダルーの仲間になったと判断されかねない。本当にヴァンダルーの仲間になっていない状態で、その状況に陥るのはかなり危険だ。
ゾーナは口の中の飴玉……アイゼンの樹液から作られたシロップ製の飴玉を噛み砕いて決心した。
「こうなったら仕方ない。無理をしてでも、ヴァンダルーに取り入ってしっかり懐に入る!」
「自信はあるのか!? あの美人を侍らせているヴァンダルーにお前が取り入ろうとしても、その……気の毒な結果になるだけじゃ……?」
「あんた達のあたしを見る目が、もう既に、気の毒な存在を見る目になってるじゃない!? そこまで言うなら、あんた達がヴァンダルーや、従魔の人達やパウヴィナちゃん達に取り入ってみなさいよ! 男でしょ!?」
「それこそ無理を言うな! あいつ、この前暗黒がどうとか得体のしれない呪文だか何だかを囁いていたんだぞ!」
「それにあの人たちは、僕達が知っている女性とはジャンルが違いすぎる!」
「パウヴィナちゃんは何故か私達を小さい子扱いするし、ミリアムさんとナターニャさんからは実際に子ども扱いだし……カリニアさんは、怖い」
「なら、あたしがやるから黙って見て……待った、見ないでいい。報告を待ってなさい」
自分でも成功率は高くないと思っているため、惨めな結果になった場合見られたくないゾーナはそう言いなおしたのだった。
彼らは知らない。ヴァンダルーはかなりチョロく、出会った頃には「ダメっぽい」と思っていたマクト達三人も、今は「見どころがある」と思い直している事を。
そして、とっくに仲間として見られている事に。
さらに言うなら、最近能力値が上がったのは特訓によってレベルが上がったからだけではなく、ヴァンダルーに導かれたからでもあるという事に。
その頃ヴァンダルーは、明日テイマーギルドに従魔に認定してもらうメンバーをパウヴィナと話し合っていた。
ちなみに、お茶請けは饅頭である。手製の暗黒……ではなく、餡子が詰まっている。
「ヴァン、そろそろルヴェズを登録したい。【縮小化】スキルは覚えてないけど」
「そうですね。じゃあ、サムと骨人、それにオニワカを連れて行きましょうか」
「ヴァン、オニワカは幼名だよ」
「そうでした。癖になっているようです」
そう言いながら、ヴァンダルーは何かの箱詰め作業をしていた。ラッピングをして、メッセージを書いたカードを添える。
「ヴァン、それは?」
「日ごろからお世話になっているオルロックさんへの贈り物のVクリームです。弟子に絞られ、痩せる思いをして作った、心の籠った逸品です」
テイマーギルドのマスター、オルロックの心労は増すばかりだが、毛根と肌は守られそうである。
次話は7月29日に投稿する予定です。




