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祝杯

 ライリーは用意された杖をついて、しぶしぶ食堂まで歩いた。

 連中に隙を見せないでくださいよ。むしろ口を利かないくらいのつもりで。大丈夫、失礼にはあたりません。あなたはロブフォードのご令嬢だ。俺の立場なんて気にしないでください。

 夫からのくどいくらいの注意に、ハリエットは首を傾げて微笑んでいた。

「よう、ライリー! 目ぇ覚ましたか!」

「一生起きないかと思ったぜ」

「よかったなあ、エベラルド。心配して大泣きしてたからな」

「泣いてねえ。話をつくるな」

「いやいや、おれは見たぞ。確かにこう目尻が光ってた」

「欠伸でも見たか」

「……なんの話ですか」

 食堂の中央に空いた席にハリエットと並んで座って、ライリーは怪訝な顔をした。

「朝からずっとライリーが眠り続けていたから、みなさまご心配してくださっていたのですよ」

「? 起こしてくださればよかったのに」

「何しても起きなかったんだよ、このクソガキが! ガキだガキだとは思ってはいたが、まさかここまでガキだったとはな」

 ライリーは命令を遂行して帰還し、隊舎でうっかり寝過ごしただけだ。何故こんなに貶されなければならないのか分からない。

「まあまあ、いいじゃないか。結局無事だったんだ」

「今日はライリーの手柄で豪華な献立だぞ。畑の野菜も収穫できてるから、子どもはしっかり食べろよ」

「だからなんでさっきから子ども扱いなんですか」

 妻の前ではやめてほしい。

「さっきロブフォード侯爵から上等の葡萄酒が届いたぞ。祝杯用にってさ。手っ取り早く酔えるようにって蒸留酒も何本か」

「若いのに分かってるなあ」

 晩餐会の招待を断った義兄に、差し入れまでしてくれるとは。ライリーは申し訳ない気持ちになった。

「ライリー、気にしなくていいですよ。あの子、ライリーの話を楽しみにしているんですもの。ねえ、エベラルド様」

「さあ、そうなんですか」

「まあ。とぼけないでくださいな。今日も弟と内緒話をしていたでしょう。悪いことを企んでいたら、叱ってやってくださいませね」

「おや、バレてましたか」

「あの子、ライリーのお見舞いに、なんて口実で、エベラルド様から裏話を聞き出しに来ただけでしょう」

「隊長? なんの話を?」

「気にするな。侯爵には、義兄の武勇伝を教えて差し上げただけだ」

 ウィルフレッドは気のいい少年だが、弱味を握られたくない相手でもある。エベラルドと彼が通じてしまったら、ライリーに勝ち目はない。

「……ハリエット、ウィルにあまり騎士団に近づかないほうがいいとお伝えください」

 ハリエットは頬に手を当てて、困った顔を作った。

「でもあの子、最近とっても楽しそうなんです。やっぱり男の子は騎士に憧れるものなのですね」

「姉君ほどではないと思いますよ」

「アンナ」

 後ろから大皿を抱えてきたアンナに、ライリーはぎょっとした。

「何してるんだ。こんなところで」

「今夜は祝宴とのことですので、お手伝いを」

 なんということだ。エベラルドの招待は形ばかりで、ハリエットの参加は既に決定していたということか。乾杯の前に目覚めてよかった。本当によかった。

「怖い目には遭ってないか。ここの連中は恐ろしいだろう」

「いいえ? 皆さまとても親切にしてくださいました」

 嘘だろう。ライリーは疑いの目で周囲を見回した。

 さすがにハリエットは畏れ多くて遠巻きにするであろう連中も、美人な侍女にちょっかいを出さないわけがない。

「……ライリー。嘘じゃない。おっかなくて誰も近づけなかったんだ」

「……それならよかった」

「厨房で、従者の子が料理を教えてくれました。明日から家でもポタージュが作れます」

「へえ?」

 厨房から料理を載せた皿を持った小さな従者が現れた。

「ライリー様。おはようございます」

「やっぱりアルか。なんでこっちの食堂に? 明日まではおまえも休みだろう」

「訓練の打ち上げがあるからと、呼んでいただきました」

「それで厨房仕事をさせられているのか」

「いいだろう。せっかくだから美味い物を喰いたい」

「調理が終わったらこっちへおいで。おまえも功労者だ」

「はい」

 確かに、今夜の騎士の食卓は豪勢だった。

 山鳥の煮込み料理(ブルーエ)にポレ、野ウサギのシチュー、もちろんローストした鹿肉もある。どこから入手したのか、珍しい魚料理まで出てきた。騎士団のみなで丹精した野菜は、シチューにたっぷり入っているようだ。

 あまり美味くはないが、形ばかり収穫した果物は卓の隅に置かれていた。その酸っぱさが癖になると、好んで食べる者がたまにいるのだ。

 乾杯用に上等の葡萄酒が用意され、それぞれに配られた。飲む人数が多すぎたため、それだけで葡萄酒の樽はだいぶ軽くなった。

 騎士は準貴族とされているが、騎士団の食堂は貴族の晩餐とは違う。最初からすべての料理が食卓に並べられるのだ。

 ライリーは入団当初は驚いたものだが、今ではすっかりこれが普通になってしまった。

 食前の祈りはさすがに省略されない。一般家庭のように一番歳下の従者が祈りを捧げたあと、乾杯の音頭は誰が取るんだという話になった。

「ライリーでいいだろう」

「なんでですか。嫌ですよ」

「なんだ。ぐだぐだだな」

「団長!」

 その場の騎士以下、従者まで全員が起立した。ハリエットはひとり、横を向いて座ったままだ。

 舌打ちが聞こえたのはきっと気のせいだろう、とライリーは思うことにした。

 アドルフは無傷の左腕に酒の入った袋を抱えていた。

「呼ばれたから来たんだが、本当によかったのか?」

「俺がお呼びしました。是非、団長に乾杯を」

 エベラルドが手際良く杯を用意し、アドルフに手渡す。

「隊長? なんで呼んだんですか?」

 恐ろしい上官がいては、みなが萎縮してしまう。アドルフもそれは理解しているから、困惑顔だ。

「まあ見てろよ。面白くなるぞ」

「……みな、疲れただろう。今夜は好きなだけ騒いで、上官をやり込めた勝利の美酒に酔うといい。ただし、この官舎のなかだけでだ。騎士団の品位を落とすなよ。……若き騎士の成長に乾杯」

「「「乾杯!」」」

 エベラルドがアドルフを案内したのは、ライリー達の正面の席だった。主賓扱いのハリエットの近くに騎士団長が座るのは当然かもしれないが、ライリーはせっかくの葡萄酒の味が分からなくなってしまった。

「ホークラム、目を覚ましたんだな。肝を冷やしたぞ」

「? はあ。ご心配をおかけしました」

 起きてからずっと、みなの反応がおかしい。ライリーは首を捻った。寝ている間に何かあったのだろうか。

「ああ、アンナも座らせてもらおう。ハリエットの隣がいいな。隊長の横なら安全だから」

 どういう意味だと、他の騎士から野次が飛ぶ。

 ライリーは野次には構わず立ち上がって、ハリエットの左に椅子を用意しようと足を引き摺る。アンナがそれを制止して、自ら用意した席に座った。

 ライリーの右には従者のアル。左にはハリエット、アンナ、エベラルドの順に並ぶ形になった。

 大皿の料理を取り分けるのは従者の仕事だが、今日はお構い無しだ。

 従者が慣れない手付きでナイフを使うのを待っていられないとばかりに、近くの騎士が取り分け係を奪った。

 ライリーはせっせと肉を切り分けてアドルフの前に置き、ハリエットの皿には数種類の料理を上品に並べる。

 ウィルフレッドが差し入れてくれた葡萄酒は大量にあったが、すぐに無くなってしまった。乾杯の後はいつもと同じ麦酒を呷ることになる。

「子爵夫人、この肉のほとんどは、ライリーの狩ったものですよ」

「まあ」

「指揮を執っただけです。土産に持ち帰ろうと張り切ったのですが、こんなことに」

「でもライリー、わたしが焼くよりもずっと美味しいです」

「美味いでしょう? この子が調理したんです。アルは旅籠の息子だったな」

「はい。城下にあるので、ときどき香辛料を融通してもらってます」

「さっき香辛料の使い方も教えてもらいましたよ。明日からは期待してください」

「お、それは楽しみだ」

 ライリーを当主とする子爵家の食卓事情が忍ばれた。

 貴族のくせにと、やけに肉にこだわるライリーを笑っていた騎士も少しばかり同情した。恵まれていると思っていた彼も、なかなか苦労しているらしい。

 そんな子爵一家を眺めながら麦酒を飲んでいたアドルフが口を開いた。

「忘れないうちに言っておこう。ホークラム、明日明後日と休んだら、次の朝から団長付き書記官に任命する」

「はっ。…………え? そんな役職ありましたか?」

「どうせその足では隊務には就けないだろう。かと言って、治るまで休ませてやるほど人手が足りていない。俺の右手の代わりに、書類仕事をやらせろというのが、副団長の意見だ」

「……隊長?」

「もちろん俺も承知の話だ」

「それから次の異動でウッドの副官とする。ウッドは中隊長に昇格するから、実質上、小隊長だ。今回の働きは文句なしに昇格の対象になる。すぐ小隊長に就任するには、まだ爪が甘いところがあるからな。経験と歳が足りないぶん、修行期間だと思って励めよ」

「…………謹んで、拝命いたします」

「書類仕事の合間には楽しい昔話を聞かせてやろう」

 なんの話だとライリーは思った。団長も子ども扱いをするのか。

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