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異変

 ライリーが隊長室に入ったのは、ちょうどエベラルドがしかつめらしい顔を作ろうとして失敗したときだった。

 彼は入室した配下の顔を見て、我慢せず笑うことにした。男前が台無しになるくらいの爆笑だ。

「よくやったライリー。俺から言うことはねえ」

 ライリーは任務を遂行しただけだ。

 これ以上とやかく言われてたまるか、と内心しかめっ面で答える。

「それはよかったです」

「足が治ったら通常任務に就いていい。もうにやける余裕もないようだしな」

「だって、団長が来るなんて聞いてなかった」

「俺もだ。あのひと、おまえが野営訓練に参加してるって聞いたら、従者も連れずにふらっと出て行きやがったからな」

「死ぬかと思いました」

「いい経験になっただろう。ずいぶん楽しんだみたいじゃねえか。俺も参加すればよかったな」

「俺はもうごめんです」

 ライリーは子どものように不貞腐れた顔で、硬い長椅子に音を立てて座った。

 普段は上官の前でこんな態度はとらないが、今は少しだけ許して欲しい。

 これ以上立っていられない。ハリエットの待つ家に帰りたくても、歩けそうにない。

「おい、何やってんだ。さっさと帰れよ」

「……少し、……休ませてくださ……」

 エベラルドは倒れ込んだ配下を見て苦笑した。

「少しだけだぞ」

 夢を見るように、否、これは夢か。現実かもしれない。どっちでもいい。今はとにかく寝かせてくれ。

 ライリーは微睡みながら、同じ小隊の仲間の会話を聞くともなしに聞いていた。

「何やってんだ、こいつ」

「眠気に負けたらしい」

「ガキかよ」

「おまえ、そのガキに乗せられて何してたんだよ。密告者役がひとっつも報告上げてこなかったって聞いたぞ」

「いやあ。ライリーの奴、密告を阻止する作戦まで立てるから、身動きとれなくて」

 ザック、あんたが裏切り者だったのか。

「本当は」

「だって泣けるじゃねえか。こいつ、嫁への土産にするって、すげえ張り切ってんだぜ? 狩りの成果が上がる上がる」

「……オンナの気を引くために、肉を持ち帰るって?」

 うるさい。

「原始人並みの求愛行動だろ」

 黙れ。

「俸給は全部預けてるって言ってたしな。なんか贈ることもできないんだろ」

「泣ける話だ」

「笑いながら言うなよ」

 放っておいてくれ。いいじゃないか、肉。たまには旨い物を食べさせて差し上げたかったのだ。

 ハリエットには苦労をかけている。

 慣れない家事に追われて、白魚のような手がすっかり荒れてしまった。

 家の事を任せられる使用人を雇う。それだけの余裕がなければ、俺がやったっていい。

 あなたはそこにいてくれるだけでいい。

 ライリーは、そう言いたくても言えなかった。隊務をこなすだけで精一杯で、帰ってからもなんの助けにもならなかった。

 職を辞そうかとも考えた。ハリエットとふたり、領地でひっそり暮らすのも悪くない気がした。

 だが、実際にはそんなことはできないと分かっていた。

 騎士としての働きがなければ、ライリーは彼女の隣に夫として立つだけの自信を失ってしまう。

 騎士であることだけが、ライリーの矜持を支えていた。

 彼女と約束したから、騎士になった。たったそれだけの細い繋がりだけで、ふたりは一緒になった。

 ハリエットはきっと、彼が騎士であることをやめてしまったら離れていってしまう。そんなわけないと自分に言い聞かせても、不安は心の底に居座って、いつまでもそこに在り続けた。

 ああ。会いたいな。ハリエットに会いたい。

 四日も家を空けてしまった。心細い思いをしなかっただろうか。

 アンナがいれば大丈夫か。でも彼女だって若い女性だ。頼りきりにするわけにはいかない。

 しっかり、しなければ。団長や隊長みたいな、大人の男になるんだ。

 強くなって、何ものからも彼女を守って差し上げるんだ。

「ハリエット……」




 ちょっとおかしくないか、と言い出したのはエベラルドだ。

 午前の隊務を終えて隊長室に戻ると、ライリーはまだ同じ姿勢のままだった。

 こんな硬い椅子の上でよく寝られるものだと、一緒について来たふたりと笑った。

 そろそろ起こそうという話になった。

 ぺちぺちと音を立てて顔を叩き、ライリー、と呼びかけた。乱暴に揺すりもした。

 彼は目を開けようとしなかった。

 ここまでして起きないのは普通じゃない。

 エベラルドは胸騒ぎがして、ライリーの口許に耳を寄せた。呼吸音に異常はない。脈もある。

 なのに何故、目を覚まさないのだ。

 ライリーは昨夜、自身の発案した落とし穴に落ちた。まさか。

「医者を呼べ! それから団長もだ! 落ちたときに頭打ってなかったか訊いて来い!」

 場が騒然とした。

 ひとりが医療室に走り、ひとりは団長室に向かった。

 ライリーが目を覚まさない。やばいかもしれん。

 彼らは目を丸くする周囲にそう説明しながら、それぞれ目的の人を探した。

 このこと、夫人は知ってるのか。誰か報せに行け。

 狭い小隊長室に、次々と人が集まった。

「おい、ホークラムが目を覚まさないって、どういうことだ。何故起きない」

 騎士団長が珍しく慌てた様子で現れた。

「分かりません。穴に落ちたとき、頭を打ってなかったですか?」

「……いや。むしろ俺のほうが打ってる。ホークラムの頭は、俺の腹に落ちてきたはずだ」

 団長の腹は岩のように硬いが、さすがに頭蓋に衝撃を与えることはないだろう。

「じゃあその前だ。誰か、ライリーが頭に攻撃受けたところを見てないか⁉」

 官舎で寝ていたところを起こされた騎士が、記憶を辿る顔になった。

「……おまえ、ライリーの頭殴ってただろ。けっこう力いっぱい」

「あれは平手だったろ! 穴掘ってるときにライリーが、蟻の巣が出てきたっ、てこう目の前にうわっと出すから」

 うじゃうじゃして気持ち悪いんだぞ、と名指しされた騎士が言い訳を始めた。

「てめえらは遊びに行ってたのか! 役に立たねえ奴は散れ!」

 エベラルドが焦りからくる怒りで当たり散らしているところに、初老の医者が到着した。

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