舞踏会の終わり
陛下と妃殿下にご挨拶を、と公爵夫人に誘われたハリエットだが、遠慮して首を振った。
「ごめんなさい、叔母様。ライリー様の立場が悪くなるの。陛下のお隣には、騎士団長がいらっしゃるでしょう」
気づいてくれたか。ライリーはハリエットに目で感謝を伝えた。
彼の所属する王立騎士団を束ねるアドルフ騎士団長は、ある意味国王陛下より恐ろしいのだ。とても近寄れない。
上流貴族に声をかけて歩く国王夫妻は、少しずつ近づいて来ている。みな、お声がかかることを期待して待っているが、ライリーはすぐにでも逃げ出したかった。今すぐ、公爵夫人に挨拶して踵を返すのだ。
ひゅっ。喉が妙な音を立てた。騎士団長と目が合った!
「ダメだ。ハリエット、逃げましょう」
「え?」
驚くハリエットの腰を攫って、方向を変えさせる。いっそのこと、脇に抱えて走り去ってしまえたら。
「騎士団の者か」
万事休す――。
ライリーは動きを止めた。素早く深く呼吸してから、背筋を伸ばして回れ右。なんてことだ。国王までこっちを見ている。
咄嗟に外套の長い裾を払って、片膝を突いた。
(あれ?)
ライリーは自分の行動に疑問を持った。舞踏会でこの姿勢はありだっただろうか。
周囲がざわめく。なあに? まあ、騎士団長よ。
「なんだ、ティンバートンか。今日はナカだったか」
ナカにいます。申し訳ありません。いや、何故謝るのだ。悪いことはしていませんが、申し訳ありません。
「はっ」
やはりとりあえず謝っとくか。警備の任務抜けて申し訳ありません? いやいや、元より当番ではない。
「やめろ、任務中じゃないだろう。夫人も困っておいでだ」
視線を走らせると、斜め後ろで、ハリエットも深く膝を曲げてお辞儀していた。夫に倣うしかなかったのだ。
アドルフに顎の動きだけで促され、ライリーは立ち上がって直立の姿勢になった。
別に理不尽なことを言う方ではない。嫌ってもいない。騎士を目指して生きてきた身には、眩しいくらいの憧れの存在だ。ただちょっと、否、かなり、怖いだけだ。
真っ直ぐに伸ばした肘に、ハリエットの手が触れる。
「アドルフ騎士団長様、あまり夫を困らせないでくださいませ」
「! ハリエット!」
なんて口の利き方だ。ライリーの口から、人生初の亭主関白的台詞が口から飛び出しかける。
アドルフは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「何もしてないでしょう。ティンバートンが勝手に」
「じゃあ、普段よっぽどいじめてらっしゃるのですね」
「ハリエット様、あなたのほうがよっぽどご夫君を困らせているようですよ」
「あら」
苦々しい顔の騎士団長に対して、ハリエットはにこやかな表情を崩さない。
直立不動のライリーの肩を叩き、アドルフは微かに笑った。
「おまえも大変だな。聞いたぞ、特別訓練に耐えているらしいな」
雲の上の存在に直接声をかけられて、ライリーはうっかり涙ぐみそうになった。恐怖か感激のためか、自分でも分からない。
「はっ」
「近いうちに、おまえの隊を見に行こう」
「っっっ!」
完全に動きを止めてしまったライリーの腕を、今度は強い力で叩いて、騎士団長は去って行った。
「ライリー、息をしてくださいな。はい、吸って、吐いてー」
「……俺、今死刑宣告受けました?」
「気のせいです! 団長はあなたのことを誉めてらっしゃったのですよ」
境界線付近にいると、心臓が保ちそうにない。ライリーはハリエットに促されて、出入口に近い壁際まで下がった。
給仕から杯を受け取り、気付けに葡萄酒をあおる。
最低限挨拶をすべき人は、リィンドール公爵夫妻、ロブフォード侯爵、ティンバートン伯爵一家。義理は果たした。もう帰ってもいいのではないだろうか。
ああ、そうだ。もうひとり、声をかける相手がいた。
ライリーは葡萄酒をもう一杯受け取ると、広い会場を見回した。
警備兵を務める騎士の配置は、警戒地点は、出席者から見えにくい位置は。ざっと確認して、見当をつけた場所に目を凝らす。
(いた)
「ハリエット、隊長がいます。差し入れしてきてもいいですか?」
「わたしもご一緒してもいいのですか?」
「もちろん。結婚式にも参列してもらってますが、改めて紹介させてください」
エベラルドは、露台で外を警戒する任に就いていた。
黙って立っている彼は物語のような凛々しい騎士振りだ。予想通り、頬を染めて熱い視線を送る令嬢が近くにいる。けっこう本気の目だ。
「……どこかのご令嬢を隊長にけしかけようと思ってたんですが、やったら駄目ですね」
「まあ。ひどいことを考えていたのですね。あの方、きっと本気ですよ」
エベラルドは女官でも街の女性でも、断るばかりで浮いた話はついぞ聞いたことがない。同僚の娘や姉妹にも丁寧に接するだけで、必要以上の接触は避けている。
本気の女はいらねえ、らしい。一夜の相手では納得しない相手には近づかないことにしているのだ。
「ですね。反省してます」
「……あら。ウィルだわ」
エベラルドが誰かと話をしている風だと見てみると、柱の影にウィルフレッドがいた。いつの間にかダンスの輪から抜けていたようだ。
「ウィル? 隊長?」
後ろから声をかけると、ふたりは同時に振り返った。整った顔がふたつ並ぶと、種類の違う美形なのに兄弟のように見えてしまう。
「なんだ、ライリーでしたか。姉上も」
「おふたりはお知り合いでしたか?」
「ああ。おまえの結婚式でお会いしたしな。いつだったか、夫人を探して鍛錬場までいらしたこともある」
「ライリーが姉上を抱えて王宮を練り歩いた日の話ですよ」
あの日か! ライリーは過去の話を持ち出されて、ふたりに話しかけたことを後悔した。
「おう。そのときの話を聞いてたところだ」
「…………賄賂を持って来たので、忘れてください」
葡萄酒を差し出すと、エベラルドはにやりとして受け取った。忘れる気はない顔だ。
「ハリエット、俺の所属する小隊の隊長です」
「エベラルド・ウッドと申します、子爵夫人。ご成婚の際にも立ち合わせていただきました」
杯を片手に持ったまま、ハリエットの手の甲に口を近づけるエベラルドの仕草は、ライリーが不安になるほど優雅だった。
ハリエットも少し驚いたように彼を見ている。
「ハリエット・ホークラムです。どうぞお見知りおきを、小隊長様」
「隊務では、ご主人には無理をさせています。お許しください」
「え、隊長? その言葉、俺には?」
「必要ないだろう」
ふたりの遣り取りに、ハリエットはくすりと笑った。
「小隊長様は、ライリーのもうひとりのお兄さまなのですね」
「十五の頃から、お世話になってます」
「そのお名前、西のほうのご出身ですか?」
「ええ。小さな村の領主の家で育ちました」
「ウッド小隊長、僕はここで失礼します。また面白いお話を聞かせてくださいね」
意味深な言葉を残して去って行くウィルフレッドに、ライリーは焦った。
「隊長? ウィルになんの話をしたんですか?」
「さあな」
空の杯をライリーに押し付けて、エベラルドは警備兵の基本姿勢に戻った。背筋を伸ばして鋭い目を外に向ける小隊長は、やっぱり格好いいとライリーは思う。
「素敵な方ですね、小隊長」
「うん、……そうなんですけど、あなたの口から聞くと複雑です」
歳下の夫が表明した嫉妬心を、ハリエットは笑顔で流した。
「疲れたみたいですね」
「義理は果たした、用も済ませた、もう帰りたいです」
こういう集まりは、出席したという事実が残せればそれでいいのだ。これから酒が進むと、誰がいつまで残っていたかなど、どうでもよくなる。
ライリーの感知せぬところでではあるが、ハリエットはホークラム子爵夫人なのだと宣言することもできた。もう充分だろう。
家に帰ろう。
「ええ。帰りましょう」




