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『余生をわたしと』の続編になります。

前作はお伽話、今作はめでたしめでたしのその後のお話です。

 妻になってください。

 とライリーは言った。

 自分の子を産むために死んでください。

 とハリエットには聞こえた。

 構わないと思ったから、はいと答えた。

 ほっとしたように笑顔になって、これまでとは違うキスをしたライリーは、きっと一生、ハリエットの覚悟を知らないまま生きていく。

 それでいいのだ。ハリエットにだって、戦場に立つライリーの気持ちなど分からない。

 初夜に臨む無垢な花嫁が恐れるのは、近い将来、死と隣り合わせになることだ。そのときがくれば、己の力だけで、蒼ざめた馬に乗った者から己の命を守らなければならなくなる。

 ここで首肯いたら、一年後ハリエットはこの世にいないかもしれない。妻になるとはそういうことだ。

 新しい命を産み落とす女の命を守ってくれるものなどない。侯爵家に生まれ、なにものからも守られ大事に育てられた彼女だって例外ではない。

 子が無事ならばまだましだ。

 低くない確率で、ハリエットは息をしなかった子と共に、ホークラムの地で眠ることになる。

 ロブフォードの地下で眠る両親とは遠く離れた、馴染みの薄いホークラムの墓地で、いつか訪れるライリーを待ち続けなければならない。

 ライリーは戦場で血を流す。

 ハリエットが家で血を流すのが、公平というものだろう。

 ハリエットは幸運だ。

 見ず知らずの男に嫁がされ、夫に対する情が湧く前、季節が巡る前に、苦痛と恐怖のなか命を落とした女は星の数ほどいる。

 ハリエットはライリーのことが好きだったし、彼のくちづけはいつも優しかった。

 だから彼女は、素肌に直接触れる手の感触に戸惑いはしても、ちっとも恐ろしいとは思わなかった。

 幼い頃の、恋と結婚への漠然とした憧れは、大人になって形を変えた。

 自分の命を懸けられるほどの強さで恋えるひとと結婚したい。

 それは、結婚することでしか生きる場所を持てないすべての女の、せめてもの願いだ。

 彼の子を見てみたい。その子を産むのは、自分以外の誰かであって欲しくない。命を賭けなければ叶わない願いだというなら、それでも構わない。

 そんなふうに思えるひとと結婚できたのは、奇跡としか言いようがない。

 だからその夜、ハリエットはライリーの言葉に諾と答えて、その手を取った。

 ライリーが妻のために戦場で命を落とす覚悟を決めているなら、ハリエットは夫の血をつなぐために命を落とす覚悟を決める。

 死がふたりを分かつその日まで、このひとのために命をかけて生きていくのだと、ふたりだけの夜にハリエットはそう心に誓った。

 これは、その誓いの儀式だ。




 夜が明けたか。

 ライリーは薄目を開けて窓を見た。

 差し込む陽光はまだ弱い。もう少しこのまま、幸せに浸っていられそうだ。

 ホークラム子爵夫妻が新居へ引越した翌日の朝である。

 王宮の敷地内に、隊長格以上の家族が暮らす長屋を借りられたのは幸いだった。

 一階は応接室、厨房、厠の階。二階の大部分が居間兼食堂、三階が夫婦の寝室と書斎、子ども部屋、衣装部屋。屋根裏に使用人部屋という、必要最低限の造りの家だ。とはいえ、現在のホークラム子爵家は夫妻と侍女の三人しかおらず、部屋数は充分すぎるほどだった。二階、三階共に部屋は余っており、子どもが生まれるまでは閉めておくしかない。

 本人は忘れがちだが、ライリーは爵位持ちだ。貴族当主の特権のひとつに、王城内に部屋を借りられる、というものがあるが、懐具合と相談して辞退した。

 ライリーが所属する小隊の隊長が上と掛け合って、長屋を借りる許可を取り付けてくれたのだ。特例は心苦しいが、侯爵邸と同じような高級住宅街ならともかく、下町でハリエットが暮らしていけるとは思えなかった。

 寝返りを打つと、豊かな金髪に顔をくすぐられた。

 昼間は完璧な貴婦人も夜明けには寝乱れているのだと、少しおかしくなる。鼻先が見えている側が顔なのだと当たりをつけて、そっと髪をかき分けた。

 昨夜は夜用の化粧もしなかったようだ。整った顔立ちの真ん中に点在する薄いそばかすが、彼女をいつもより幼く見せている。

 肌着の胸元からのぞく朱が、昨夜のことは夢ではないのだとライリーに教えてくれた。

 このひとは自分だけのものだという、実感が欲しかった。夜会の前には自制しなくてはいけないだろう。胸元の開いたドレスを着たら、夫の所有欲を主張することになってしまう。そんな夫の存在は、彼女に似つかわしくない。

 ハリエットが身じろぎして、小さく唸る。肩をすぼめるのは、寒いからだろうか。毛布を直そうとすると、彼女はライリーの胸に頭を寄せて、そこで落ち着いた。

 抱きしめると、応えるようにぴったり寄り添う形に体勢を変えてくる。

 ほんの一か月前まで、敬遠していたのが嘘のようだ。彼女の存在がただただ愛おしく、慕わしい。

(キスしたら起きるだろうな)

 寝かせたままにして差し上げるべきとは分かっていた。

 最初は控えめに、こめかみ辺りの髪にくちづける。頬。鼻。ぼんやり持ち上がった睫毛をかすめて、眉毛の下に。くちびるに触れると、ハリエットは寝ぼけたまましがみついてきた。

「ライリー?」

 こんな幸福感に包まれて朝を迎えるのは、生まれて初めてだ。ライリーはハリエットを抱き寄せて、その細い首筋に顔をうずめた。

「おはようございます」

「……おはようございます」

「もう少し、このままでいていいですか」

 幼い頃、はじめる前に諦めた恋が、腕の中にある。この夢は覚めないのだと実感できるまで、温かい身体を抱きしめていたい。

 ためらいながらも、ハリエットは夫の背中に手を回した。

 美しい妻が発した言葉は、その行動とは真逆のものだった。

「ダメですよ」

「え」

「今日から、朝食の用意をするのがわたしのお仕事なのです」

 大問題であった。

 官舎では、食堂に行けば食事を摂ることができた。

 結婚したらどうなるか? 妻、即ち最近まで侯爵令嬢として蝶よ花よと育てられてきたハリエットが、食材を調達、調理するのである。

 昨夜はアンナを侯爵家に行かせたため、今朝は頼る相手もない。

「練習はしてきました。任せてください」

 寝台から立ち上がって拳を握りしめる新妻は可愛らしくはあったが、頼もしさは皆無であった。

「…………手伝いましょう」

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