第三十二話・真夜中の投薬
良い医師とは、人当たりが良くていつも笑顔で話しやすい人を言いません。たとえ無表情であっても、良い医師とは限らないが、悪い医師とも限らない。見た目で医師の技能と患者との相性がわかれば双方ともいいことだと思うが、世の中そう簡単にはいきませんね。
たとえば、あなた様に急な腹痛がおきたとする。時刻は真夜中。家族の運転で自家用車で救急外来を受診したと想像してください。
眠くて半眼でめんどうそうな顔の医師が来たらどう思いますか。あなたの説明を聞いた医師が、ため息をつけながら、「おおげさ」 と言われたら腹がたちますね? これは実話で、その医師は病院の隅っこにある目安箱に院長あてに実際に投書されました。当たり前です。
変な医師が登場せず、目が光り輝いて見るからに頼もしそうな顔で颯爽と診察室のベッド脇に登場し、きびきびとした口調で
① 腹痛はいつからか、
② 便通はあるか、
③ 最後に何を食べたか
④ 吐き気などの有無はあるか
など問診され、ベッドに寝かされ聴診器を当てられ、あちこちお腹を押さえられる。エコー検査も血液検査もしてくれたうえで「うーん、今はちょっとわからないな。とりあえず腹痛止めの頓服を出します。これで治らなかったら明日にもう一度来てくれますか」 と言われたら、治らなくても納得するでしょう。
腹痛でもこの医師むかつく、もしくは逆に感謝の感情が出せるなら、身体的にはまだ余裕があって大丈夫ですけどね。とかく救急救命の現場は毎夜修羅場だから。
意識がきちんとしているなら、医師たちはその様子もちゃんと見ています。若い医師でも病気の人を研修医時代からたくさん見ているので、正直すぎる人は「おおげさだ」 ぐらいは言うでしょう。たいしたことでもないのに、騒ぎ立てる常連みたいな人もいますから。
それでも一見単なる腹痛に見えてもピンときて入院させ、翌日の各種検査で重篤な病気を見つけて治療に至る人もいます。人生いろいろ。
こういう判断に薬剤師は介入はしませんが、当直で救命室にない薬品を緊急発注して入庫したらすぐに現場に直行して渡すことがあります。輸血もそうです。単なる腹痛止めでも救急待合まで直接持って行ってその場で飲ませてくれと指示されていくこともありました。待合に座っているぐらいならとりあえず命には別条ないとこちらも判断します。が、本人よりも家族がおろおろしていて、「ここの医者は薬を飲んだら帰れと言われた」 と怒っていることがありました。
命令形でいう医師は大昔ならともかく現在ではいないはずですが、こういう時は看護師や薬剤師などコメデイカルは、なだめ役にまわります。
「飲んでみて様子をみましょうということですよ。それで治らなかったら午前中の診察時間にもう一度来院してくださいね……」
時刻は真夜中。午前一時ぐらい。当直者では日常でも、患者やその家族にとっては一生に何度もない非日常です。私たちはそれを理解したうえで、接するようにしています。
幼児の熱性けいれんなどの場合は、座薬なり点滴なりを入れて様子見ですが、事故の場合は親がかわいそうなぐらい取り乱していることもあります。医師すらこういう時は大丈夫なんて無責任なことは言えないので、皆でそっと様子をみています。こういう時は薬剤師の出番はほぼないです。病院はあちこちの病棟から深夜でも処方せんが来ますので、緊急用の薬の在庫や輸血など大丈夫か、チェックをする。まさに縁の下の力持ちです。医師や看護師の方が薬剤師よりもずっと体と口を動かすので、そういう面では大変かと思います。




