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第三十一話・糖尿病患者は言うことを聞かない人が多い・後編

1型糖尿病や一時的な高血糖の人は除外の話です。

 医師の忠告に耳を貸さず好きなものを好きなだけ食べて、糖尿病の診断が降りても平気で生活習慣を変えない人がいます。一応、食生活に気をつけているつもりでも、のど元過ぎれば以前のように暴飲暴食をする。

 初期の頃は生活態度を改めるだけで血糖値は簡単に下がりますので、それで調子に乗る、というのはある。多少暴食が続いても俺様が本気出せば、治ると。


 実例をあげると、私の父もコレでした。他人の実例もたくさん知っているけれど、差しさわりがあると思うので、亡父の話から読み取ってください。

 父はヘモグロビン値が十一ありました。二桁になるのは相当なものです。落ち着いた状態で八~九。医師からも注意は散々されても、また娘の私が「血糖値っ!!」 と叫んでも好きなものを好きなだけ食べる。

 食事を作る母にもちゃんとパンフレットを渡して注意もしますが「かわいそうやん」 と母の好きなものを作って父に食べさせる。

 母は大変に甘いもの好きなので夫婦してアルミで巻いてある羊羹をアイスキャンデーのように一本食いをしたり、赤福餅を一箱食べたりしていました。母は糖尿病ではなかったのですが、体重が三桁でした。父は糖尿病の家系で、それで亡くなった人がいます。遺伝的素養もあるからこそ、私は忠告をした。それなのに……最後はインシュリンを食直前に打っていました。インシュリンの打ち方もこれまた問題で、打ったと思えばすぐに離してしまう。これをすると、確実に決められた分量が体内に入らない。打ったかと思えばすぐに離すものだから、放物線を描いて周囲を濡らすインシュリン。なんというもったいないことを。

 だから実家にいる時は私がずっと打っていました。

 それと亡くなった後、遺品には大量の血糖降下剤が残されていました。袋に入ったままの薬たちが……。

 きちんと通院はしていたものの、ほぼ飲んでいなかった。そりゃ脳梗塞にもなるわ、お父さん、と私は言いたいです。

 でも毎日服薬を見張っているわけではないし母のいい加減な性格も災いしたし、すべてが糖尿病合併症まっしぐらだったといえる。

 父には危機感自体がなかった。思い返せばお茶碗にご飯一杯だけにしても、どら焼きやおまんじゅうをよく食べていたなあ……しかも母は私がうるさいと、お父さんがかわいそうと言われましたし、この夫婦にしてこの夫婦ありとしかいえぬ。私は悪くない。

 私の忠告は聞き入れないくせに、医師だと同じことを言っても神妙に有り難そうに「はい」 という。この時の父の背中を今でも複雑な感情と一緒に思い出せる。最後は寝たきりで要介護五の状態で意識だけはしっかりしてた。数度の脳梗塞発作で最後は全身まひです。四肢も動かず、食事もできないので、胃瘻といって胃から直接チューブを通して流動食を入れてもらっていました。目薬も介護士さんにさしてもらわないといけない状態。会話もできない。全身麻痺、おむつ、流動食、それで長い一日を過ごす。

 そんな状態で長生きされてもかわいそうなだけです。私は父に昔のように菊の三本仕立てや金魚飼いに夢中になって、日々を楽しんで元気で長生きしてほしかった。


 繰り返しになりますが、周囲の環境というか、父の食事の世話をしていた専業主婦の母の思考も昔からおかしかったです。てんぷらは母の大好物なので一日おきに出ていました。私はもちろん忠告しました。けど、母の「お父さん、あんなに元気なのに、畑仕事もしてもらわな困るし、そのためにたくさん食べささなあかん。食事を減らすやて、そんなかわいそうなことできへん。お肉の代わりに野菜のてんぷらを多めにしてるからそれでええがな」 というし……そういうところも父を合併症発症に追いやったと思います。

 肉類を控えめにするかと思うと、さつまあげなどのてんぷらを大量に買ってきて食べさせたりで、全然話が通じない。父に説明をしても「お母さんに言うといて」 だけ。もどかしい思いをしました。

 父が最初に糖尿病になったのは、私が高校生の時。大学生の時に糖尿病の授業や業務上で患者と接するようになって「これはあかん」 と思いました。それでもこうなりました。

 私が母と一緒にいるのが息苦しくて、二十九歳で別居しました。それも父的には悪かったと思う。私は三十六歳で結婚、より遠方に暮らすようになり、最初の脳梗塞発作が私が三十七歳の時です。

 約二十年間の不摂生の結果です。真剣に薬を飲んでいたら、ここまでにはならなかった。若い時の私はまだ母親の人形で親に意見をするのも躊躇していたところもあって、こんな結末になったと今なお反省しています。


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 患者にはちゃんと治療に向き合ってないなとわかっても、「ええ加減にせえよ」 とは口が裂けてもいえません。だって、患者様ですから。

 I型糖尿病の人はともかく、長期に渡る不摂生の人、医師の言うことを聞かなかった人はそれこそ父と同じ運命をたどるでしょう。

 初期の糖尿病患者は自覚症状がほぼないので、まったく危機感は持ちません。私が接した患者で血行が悪いため、薬も出ていたのにそれも飲まなかったため、足の一部が壊死し、切断した人がいました。足先に血が全く通わないと炭のように真っ黒になる。切断処置のための入院中でも煙草をはなせず、「ありゃダメだ」 と担当医にぼやかれる始末です。この人は入院中の検査でいきなり置き上がろうとしました。看護師の制止もきかない。すると血栓が脳血管に飛び、即死に近い形で亡くなられました。

「煙草もトウニョウにあかんてか、わしは太く短く生きたい、煙草と心中してええんやぁ」

 ……その通りになりました。煙草も糖尿病の人には本数を減らすか禁煙を指示されます。理由は喫煙はインシュリンの分泌を妨げるからです。結果はやはりという感じです。これは院内禁煙でなかった時代の話ですが、灰皿を前においしそうに吸っているその患者の顔を今でも覚えています。あそこまでいくと天晴れですが、奥様が通院治療に引っ張っていっても本人に患者意識がないと、こうなるというお手本のような実例です。ただ豪気に見えたその人だって、人の子ですから一人の時には不安に思うこともあったはず。病棟側の私を含め、入院中にもう少し心情に寄り添い説得できなかったかと言う反省はあります。結果、院内事故につながったから。


 生活習慣病によるⅡ型糖尿病の人から、アドバイスをしてもうるさそうにされたら「そうですか」 とにっこり笑って放置します。お給料分の忠告はしたからね、と心の中でつぶやいております。

 医師も看護師も薬剤師も。

 そういうことです。

 一生懸命治療に向き合い、血糖値に一喜一憂する人はもちろん全力で応援します。パンフレットも新しいのができたら、「いいの出たよー」 と速攻で渡します。ちゃんとクリアファイルに入れて糖尿病日記も見せてもらっている人には、特に親切にします。

「飲んでますか~」 と聞いてもほぼ百パーセントのひとは「飲んでます~」 とはいう。でも血糖値もヘモグロビン値もうそはつかないです。

 経験上、先を見通せるから、検査値が改善しない患者さんは、いずれ父のようになるのかなと思っています。今回の話は大袈裟でも脅しでもなんでもありません。実話だけを書いております。この話で生活態度を改める人は少数だとも思いますが……。

 





知人の夫が糖尿病でいろいろ注意していたら「うるさい」と怒る。血糖降下剤も、飲んでない。当然、検査結果が悪くなる。すると「お前が作るご飯のせい」と言う。

これはもう放っておくしかない。数十年後、脳に来るか、目に来るか、腎に来るかとなる。でも、理不尽に怒られてから、ずーーーーーと黙っているそうだ。好物の揚げ物を要求通りに料理してあげるそうだ。仕方ないよね、というので「はい」と言いました。亡父のことを思えば、危機感のなさは教えられるものでないし、本当に仕方ないです。

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