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幕間(interlude) 7

【アテネ市内、検問付近】

 1946年7月2日


 アテネ市内へ続く大通りは、ざわめきに満ちていた。市民たちが不安げに声を上げ、荷物を抱えて右往左往している。ギリシャ軍と英国軍の兵士たちは検問を設け、鋭い目つきで通行人をチェックしていた。英国軍上陸の影響で混乱と緊張が、市民にも伝播している。


 儀堂は英国軍の装甲車から降り、検問へ向かった。ローンが先に降り、ギリシャ軍の将校とギリシャ語でやり取りを始めている。検問の列に目をやると、一人の男が兵士と押し問答をしていた。灰色の背広に帽子を目深に被っていた。


 その男の手には菊の装飾が施された大日本帝国外国旅券が握られていた。男は冷静に説明を続けているが、兵士の疑いの目は晴れない。


 儀堂がローンとギリシャ軍将校に近づいた時だった。


 検問のすぐ脇に停めてあった物資運搬用のトラックから、突然爆発音が響いた。


「伏せろ!」


 英語で誰かが叫ぶのが聞こえた。


 轟音と共にトラックが炎上し、積荷の燃料缶や木箱が飛び散った。黒煙が立ち上り、市民たちが悲鳴を上げて逃げ出す。兵士たちは面食らい、その場に伏せていた。何人かが倒れているのもわかった。そのうち一人は火に包まれている。


 検問は一瞬にして混乱の渦に飲み込まれた。


 儀堂は即座に身を低くすると、周囲を見渡した。キューバでこの手の事態には慣れていた。爆発の規模は大きくないが、タイミングがあまりにも不自然だ。


「破壊工作か」


 彼の声は低く、鋭かった。六年にわたる戦争が、爆発が偶発的なものではないことを教えてくれる。きっと、これは誰かが意図的に引き起こした混乱だ。そう思うと同時に、彼は邦人保護の責務を思い出した。


 あの男はどこに行った?



 儀堂は気づかなかったが、別方向立ち去るギリシャ軍兵士の姿があった。検問から離れた路地裏で彼は振り返り、静かに息を整えていた。


「お得意さんへのサービスだ。オロチ、あとは無事に逃げ切れよ」


 グレイは小さく呟いた。オロチが検問に引っ掛かったことを知り、即座に介入を決めたのだ。トラックに仕掛けた小型爆弾を遠隔で起爆させ、混乱を引き起こしたのは彼の仕業だった。


 グレイは軍服の襟を立てると、路地裏の闇に消えた。彼の背後には、アテネの美しい街並みが戦火の予感と共に揺れていた。



 混乱に乗じてオロチは検問を突破した。偽装旅券を手に、冷静に人混みに紛れていく。スーツ姿は少し目立つが、着替える余裕はなかった。そのまま裏路地伝いに港へ向かう。


「借りができたな」


 しばらく走り、やがて人通りの少ない通りに出た。市場の近くで、売り物が荷車やトラックに放置されたままだった。英国軍の上陸の混乱で屋台に出せなかったのだろう。この先を抜ければ港に着くはずだ。


 息を整え、オロチは帽子を目深に被り直した。遠くの喧騒を背にして踏み出した時、制止の声がかかった。


「そこの男、待て」


 日本語だ。それも日本人(ネイティブ)の発音だった。


「俺の言葉はわかるな。そのまま手を挙げて、ゆっくりとこちらを向け」


 若い男の声だった。


「ええ、わかりますよ。よく私を見つけ出しましたね」


「ここは横浜じゃない。人ごみに紛れても日本人はわかる。それに行先の見当もついた。今のアテネから逃げるのなら港以外にないからな」


「なるほど、道理だ」


 あの検問所に日本人はいなかったはずだが、自分が見落としたのだろうか。恐らく銃を持っているだろう。声の大きさから距離は14~16メートルほど。


 そんなことを考えながら、彼は振り向いた。


 ただし、極めて素早くかつ姿勢を低くして。


 相手は日本海軍の制服、第三種を着ていた。発砲音に続き、耳元を弾が掠めていく。いい腕だ。ちゃんと狙って撃っている。


 しかし判断が甘い。もっと距離を詰めておくべきだった。せめて10メートル以下まで縮めていれば、命中率も高まっただろうに。


 オロチは懐からワルサーP38(拳銃)を抜くと引き金を引いた。当てる必要はない。とりあえずの牽制だ。身を引いてくれれば、それでいい。もし常識(戦闘教義)に従うのならば、物陰に身を隠すだろう。


 残念ながら、彼の敵は常識外れだった。その日本軍人は躊躇うことなく駆け足で銃を乱射してきた。さらに数発がオロチの傍を掠めていった。


 目論見が外れ、オロチは失望とともに撃ち合いに応じた。さすがに二発目は良く狙うも、今度は相手の方が近くの荷車に身を隠した。積んであった瓶が派手に割れ、中から黄色い液体が漏れ出した。


「嫌らしいがいい判断だ」


 相対距離は八メートル以下に縮まっている。ここで背を向けたら、撃ち抜かれる可能性もあった。そしてオロチには時間がなかった。乗船予定のスペイン商船が待っているうえに、騒ぎを聞きつけて英国軍かギリシャ軍がやってくるかもしれない。


 危機的状況だが、彼は自分の優位性を確信していた。


「だが撃ちすぎたな」


 立ち上がりながら、荷台の先にいる日本軍人に話しかける。銃口を向けたままだ。


「近づこうとしたのは良い判断だった。だけど乱射したのは不味い。弾切れか、残っていたとしても2、3発だろう」


 しばらくして返事があった。


「……どうかな。予備弾倉を持っていると思わないのかい?」


「思わない」


 オロチは後ずさりしつつ、断言した。


「手持ちの弾に余裕があるなら、乱射したときに撃ちきるだろう。しかし、君はそうしなかった。途中で射撃を止めた。私の反撃を避けただけではなく、弾切れを悟らせたくなかった」


 さらに後退し、距離を開く。市場の荷車が散乱する通りは、逃走にも戦闘にも不向きだ。背後の港へ続く路地はあと数十メートル。一刻も早くここを抜けて、スペイン商船へたどり着きたかった。


「あなたの言う通りさ」


 荷台の影がオロチの推測を肯定する。


「弾はない。だけど、こいつならある」


 荷台の影から宙に放りあげられたのは注ぎ口に火のついた瓶だった。経験則から、|火炎瓶《モロトフカクテルとオロチは判断した。


「クソッ」


 悪態とともに素早く避けると、すぐ前で瓶が割れた。それは火炎瓶ではなく、ただのオリーブオイルの瓶だった。ブラフと気づいたときは遅かった。


 オロチの視線がそれると同時に、荷台から影が姿を現した。とっさのことに対応が二秒ほど遅れる。しかし、それで十分だった。


 彼が銃口を向けたとき、敵は目の前に来ていた。その手に銃は握られていない。やはり弾切れだったのだ。代わりに拳が目の前に突き出される。


 顔をガードしようと腕を上げた間に合わなかった。せめて衝撃が脳に伝わらないよう、首を回転させる。


 顎にきつい一発が入り、口の中に鉄の味が広がった。助走がつけられた分、威力は増しており、首の回転だけでは衝撃を逃すことはできなかった。手からワルサーが滑り落ち、よろけた拍子に帽子も落ちた。


「やってくれたな」


 遠のく意識を引き止め、オロチは態勢を立て直した。二発目を覚悟したオロチだが、なぜか相手は打ち込んでこなかった。


 それどころか幽霊を見たかのように愕然と佇んでいる。


「そんな……なぜ、あなたが――」


 声を震わせ、彼は言った。


 理由はよくわからないが好機には違いなかった。オロチは正拳を相手の顔に叩き込むと、のけ反ったまま尻もちをついてしまった。


 釈然としない思いが胸に残ったが、残された時間はなかった。オロチはすぐに身をひるがえし、港へ向けて全力疾走した。


 遠くから彼を呼ぶ声がした。


「父さん! あなたなのか!?」


 確かにそう聞こえた。だが何のことか、オロチにはわからなかった。


 

「あれは親父だった……そうなのか」


 遠ざかる男の背中に儀堂衛士は呆然と声を漏らすと、はっと立ち上がり呼びかけた。


「父さん! なぜだ!? なぜこんなところにいる!? 俺だ! 衛士だ! なぜ逃げるんだ!」


 答えは返されなかった。悪夢を見ているかのような気分だった。


 見間違えるはずがない。


 謎の日本人は、満州で死んだはずの彼の父と瓜二つだった。


「俺は夢を見ているのか」


 意識下の願望がこぼれ出た。しかし顔面に叩き込まれた拳の痛みが明確に否定してきた。


◇========◇

月一で不定期連載中。

(のつもりでしたが、だいぶ前回より間が空いてしまいました。申し訳ないです)

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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