海獣(cetus) 20:終
「……もうよい」
ネシスはマギアコアに手を当てると、筒の前半分が消えてなくなった。ぐったりとした幼子を腕の中に引き取る。
月鬼の幼女は虫の息だった。竜の瘴気に当てられ続け、もはや手の施しようがないほどに弱っている。<宵月>に連れて行ったところで治療は不可能だった。あるいは彼女らが元いた世界ならば、望みはあったかもしれない。
しかし、今のネシスに出来ることは一つしか残されていなかった。
「よく堪えた。さあ、もう良いぞ……」
白い手が幼鬼にかざされ、仄かに輝きを帯びる。じりじりと熱がこもるのがわかった。
「かように温かいのに……」
手にこもった熱が全身へ巡り、ネシスの霊力へ変換されていく。反比例して、幼鬼の身体は冷たくなっていき、ついに動かなくなった。
「すまぬ……すまぬ……」
ネシスは腕の中の重みを空しく感じながら、マギアコアの近くへ骸を横たわらせた。時間がないのは承知している。
目前には生きた屍の墓標が4つ建ち並んでいる。それら一つ一つを丁寧に解き放ち、ネシスは閉じ込められていた幼鬼を看取っていった。
最終的に5体の小さな骸が横たわった。無言の刹那が通り過ぎていく中で、ネシスは立ち尽くしていた。為すべきことは為したが、不十分だ。
そこにはまだ熱を失って間もない肉体が放置されている。この空間の主にとって貴重な栄養源になってしまうだろう。
もっと切実な理由がある。ネシスは生き残らなければならなかった。
「何を今さら……」
空を仰ぎ見てネシスは自嘲した。改めて幼鬼を前にして、変化に気が付いた。肌から艶が無くなり、萎んでいく。
禍津竜は時を置かずして、骸を貪ろうとしていた。途端にネシスの中で灼熱に近い怒りが沸き上がった。
「為らぬ!」
憤怒に己を委ねながら、どこかで彼女は儀堂の言葉を反芻した。なるほど死者を弄られると、腹が煮える。
「穢させてなるものか……!」
幼鬼の骸を抱き上げると、彼女は最後の義務を果たした。
しばらくして枯れ木のように細ぼった5体の骸が折り重なった。ネシスが手をかざすと、それらは燃え上がり、炭となって立ち消えていった。
「禍津よ、禍津……」
天を見上げる。その瞳と口元から紅い筋が伝っていた。
「おぬしの源は妾が断ったぞ。さあ、欲しければ妾が食らわせてやろう」
◇
数十分後、魔導機関の主が甲板へ戻ってきた。
「済んだか」
帰還したネシスに、儀堂は尋ねた。艦橋からわざわざ甲板まで降りてきていたのだ。意外な出迎えにネシスは立ちすくんだが、すぐに我に返った。
「おぬし、その被り物はなんじゃ」
ピンと指をさす。
儀堂はガスマスクを装着していた。
「こいつがないと俺は死ぬんだ」
「妖しかと見紛うたぞ」
くすりと鈴のように嗤いが零れ出る。ガスマスク姿の儀堂は、どう控えめに見ても滑稽にすぎた。そもそも装飾性と縁のない装備なので、仕方がないことだった。
「いやいや、お主にしては殊勝ではないか。大儀じゃ。さすがは妾の契り手よ」
ネシスは煽りに儀堂は応じなかった。かわりにポケットから真新しい手ぬぐいを差し出すと、片方の手で口元を指した。
「拭け。兵が戸惑う」
ネシスの口元には赤い血がうっすらとこびり付いていた。破顔していたネシスの瞳から光が消え、手ぬぐいがひったくられる。乱雑に口元をぬぐうと、すぐに儀堂の手に戻そうとした。
「せめて洗って返せよ」
「妾は洗濯など知らぬ」
ふくれ面の鬼に、儀堂はため息をついた。
「そいつはお前にくれてやる。何かと役に立つから持っていろ。ああ、ちゃんと洗えよ。わからなければ御調少尉に教えてもらえ。いいな」
返事はなかった。しかたなしに儀堂は本題に移った。
「やるべきことはやったんだな」
ネシスは目を反らしながら答えた。
「案ずるな。この艦は助かる。お主も──」
「違う。そんなことは聞いていない」
儀堂は叱るように遮った。
「お前の道理を通したのか」
反らした目が元に戻る。
「左様。あやつらを手ずから彼岸へ送ることは叶った。そういえば礼がまだじゃったな。感謝するぞ。恩に着てやろう」
傲岸不遜を晒しながら、ネシスは儀堂の横を通り過ぎようとした。心なしか速足に思えた。
「<青葉>だった」
背後に儀堂は語り掛けると、足音が止まった。
「おぬしは何を言っている?」
「重巡<青葉>だ。<宵月>よりも二回りほど大きい艦だ。4年ほど前に味方から誤射を食らった。あっという間に士官室が血の海だ」
再び二人は正面から向き合った。
「すぐに俺は駆け付けて軍医を呼んだ。それなりに仲のいい奴もいたからな。そいつはまだ息があったが、もう駄目だとわかった。何しろ腹の中身がぶちまけられていたからな」
ネシスが首をかしげた。
「おぬし、まさか……」
息苦しさを感じながら、儀堂は続けた。
「軍医は来なかった。他の部署も手ひどくやられていたからな。そいつはただ苦しみ続け、俺はひたすら話しかけた。今でも思い出す。あのとき必要だったのは、モルヒネではなく銃弾だった」
静かに儀堂は歩み寄ると、肩に手を置いた。
「お前は正しい」
不敵に笑おうとして、ネシスは失敗した。結果として、取り乱した一人の少女が残された。
「そう……思うか。本当か。妾は同胞を、幼子を手にかけた挙句……」
「お前は正しい」
儀堂は屈むと、ネシスと目線を合わせた。
「いいか、俺たちは共犯だ。お前のやったことを誰かが断罪するのならば、俺も同罪だ。一緒に地獄にでも行ってやろう。まあ、その前にそいつをぶち殺しているかもしれんが」
ネシスは破顔すると吹き出した。
「なんじゃ、おぬしの方がよほどの悪鬼ではないか」
「どうとでも言え。さあ、早く中へ入れ。ああ、顔は洗っておけ。よかったな。さっそく手ぬぐいが役に立つぞ」
一足早く、儀堂は扉を開けた。その無防備な背中へ向けて、ネシスは顔をうずめてくしゃくしゃにした。
「お前!」
叱る間もなくネシスは脇を通り抜け、一目散に魔導機関室へ駆けていった。
儀堂が嘆息したのも束の間、耳当て《レシーバー》から殺気だった軍医の声が響いた。
次々と負傷者が消えてなくなっているらしい。
禍津竜が<宵月>を蝕もうとしていた。
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弐進座
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