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幼年期の記憶(Once upon time) 4

【霞ヶ関 海軍省】

 昭和二十(1945)年十一月十四日


 竹川正和中尉が正式に辞令を受け取ったのは、小鳥遊と再会してから一週間後の十一月十四日のことだった。


 当日、海軍省へ足を運ぶ竹川の心境は安堵と落胆に二分されていた。地中海から内地に戻って、ひと月半あまり経っていたが、日常に埋没しきっていたのである。


 内地に戻り、はじめの数週間は帝国図書館あるいは帝大図書館と自宅を往復する日々に費やされた。そうして海上勤務で溜め込んだ読書欲を解消し、地中海での経験と仮説を書き留めてきた。しかし、やがて形容しがたい感覚に囚われていった。非現実感と言うべきか。彼にとって東京の空がよそよそしく感じられるものになっていた。


 いつの間にか、竹川は空を掴むような虚無感を覚えることが多くなっていた。生来、枯れたことの無い知的好奇心も乾くようになった。彼にとっては、全く覚えの無い経験だった。何かをしなければならないと思いつつ、それを思いつかず、ただ悪戯に手持ち無沙汰な日常が通り過ぎていく。ついに堪えきれなくなった彼は必要も無いのに軍装を着て、街へ繰り出していた。そして丸一日かけて、当てもなく彷徨った挙げ句、水交社で旧友の小鳥遊と再会したのである。


 後年、竹川と同様の症状を持つ中高年の男性が、日本で大量生産されることになる。ほどなくして、日本の医学界は戦争神経症の研究が一種の流行(トレンド)になり、北米病と呼称されるのだった。


 幸いと言うべきか、竹川の焦燥は本日から徐々に緩和されていくことになる。彼に手渡された辞令によって、これから数ヶ月に馬車馬のごとく頭脳を全力回転させられ、神経症などに構っていられなくなるからだ。もちろん、現時点で竹川は未来のことを知る由も無い。ただ、辞令を手渡した人事局の大尉が、不自然に気の毒な目で自分の見ていたことだけが記憶に残っていた

「内地勤務か……」


 海軍省を出た竹川の胸中は、新たな任地に対する期待で占められていた。片隅には、わずかな落胆もあった。彼自身でも意外なことに数ヶ月前まで浴びていた地中海の日差しが、恋しくなっていたのである。海軍軍人の本懐に目覚めたわけでは無い。


「クレタ、ミノス、トロイア……」


 地中海に群れなす古代遺跡の情景を思い描きながら、市電の切符を買った。


 辞令により、週明けから竹川は海軍大学校の戦訓研究室へ配属となる。



【築地 海軍大学校】

 昭和二十(1945)年十一月十九日


 海軍大学校は、竹川が知る大学と趣が異なっていた。彼が知る大学は十代から二十代の若者達が集う、良くも悪くも俗世から遠ざかった青臭い空間だった。一方、海軍大学は俗世と隔絶した空間だったが、青臭さとは全く無縁だった。ここは現役士官を対象とした教育機関であり、集う学生(・・)は上官の推薦を受けた三十代の若手士官が中心だった。潮気はあっても、青臭さなど微塵も無かった。


 戦訓研究室には、海軍大学内でも奥の方の敷地に位置していた。その事務室は、古くさいが物々しい建物に収まっている。おかしなことに、その建物だけ入り口に歩哨が立ち、受付で出入りが制限されていた。戦例を研究する機関にしては、警備が厳重すぎるように思えた。


「君の論文は読ませてもらった。中々面白い仮説だな」


 六反田と名乗る上官は、ヤニに染まった歯を見せた。竹川は思わず「はあ」と肯き、続けて「光栄です」と早口で言った。彼は新たな上官に対して軍人と言うよりはどこか悪徳商人に近い印象を持っていた。まるで、よく出来た儲け話付き合わされているようで、やや不安を覚えた。


◇========◇

次回2月2日(日)投稿予定

ここまで読んでいただき、有り難うございます。

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本当に励みになります。

引き続き、よろしくお願い致します。

弐進座



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