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なめこ太郎/666文字奇譚  作者: 閉伊卓司
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ムギ

 敷金なし家賃四万円の格安物件を賃貸契約したら、もれなく幽霊が付いてきた。

 夜中に用を足していると誰かがトイレの戸を引っ掻くのだ。

 薄いドア一枚へだてた向こうに誰かいる。私は身がすくんで声も出せなかった。

 しばらく固まっていたら、やがてか細い声が聞こえた。

 ナーオ

 え、猫?

 ガリガリ、ナーオ。

 ドアを開けると、スッとなにかの動く気配を感じた。

 どうやらその部屋に取り憑いていたのは、猫の霊らしかった。

 猫なら怖くない。母が猫好きで、実家では今もたくさんの猫を飼っている。

 その日から私は仕事から帰ると、暗い部屋へ向かって呼びかけるようになった。

「ムギ」

 ムギとは私が勝手につけた名前だ。

 運が良ければニャアと返事がかえってくる。足もとへジャレついてきたこともあった。もちろん触れることはできない。ペットと呼ぶにはあまりに儚い存在だけど、都会で一人暮らしする私はそれでずいぶんと癒された。

 あるとき残業で遅くなって帰宅すると、ベランダの手すりに碧い目が二つ光っていた。

「ムギ?」

 テーブルに蹴つまずきながらベランダへ駆け寄る。

 ムギの目がじっと私を見ていた。

 サッシュを開く。

「あっ」

 思わず叫んでしまった。私はそのとき初めてムギの姿を目にしたのだ。

 黒猫だった。頭は半分つぶれ、足が変な方向にねじ曲がっている。

 ニャア

 ムギは悲しげに鳴くと、そのまま手すりから身を躍らせた。小さな影が夜の闇へスーッと溶けてゆくのが見えた。

 そのとき私は悟った――ムギはかつてここから投げ落とされたのだ。

 翌日エノコログサを摘んできてベランダに活けてあげた。

 以来、部屋にムギが現れることはない。



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