このしろ
陸奥の国を行脚していたある雲水が、猿田という村に差し掛かったときのこと。
郷士の家とおぼしき粗末な冠木門の前で、ふと人肉の焼けるにおいを嗅いだ。見ると、玄関式台の前に黒紋付の武士が寂然と佇んでいる。さては弔いの最中かと様子を窺っていると、突然背後で破れ鐘のような声がした。
「伊佐十朗どのはおるか」
振り返ると、襤褸をまとい錫杖をついた荒法師が立っていた。
「七年前に交わした約定どおり、お前の娘をもらい受けに来たぞ」
武士はあわてて門から飛び出し、荒法師を見上げた。
「ご坊、一足遅うござった。娘は昨晩息を引取りもうした」
「なに、偽りではあるまいな」
掴み掛からんばかりの荒法師に、武士は目頭を押さえて言った。
「流行病ゆえ、たった今荼毘に伏したところでござる」
武士を押しのけて荒法師が家へ踏み込むと、なるほど庭に焼け落ちた木棺があり、未だもくもくと煙を吹き上げている。彼はしばらく死体の焼けるにおいを嗅いでいたが、やがてがっくりと肩を落とし、
「これは惜しいことをした……」
と言ってすごすご引き上げていった。
雲水は呆気にとられていたが、荒法師の背中が大路の向こうへ消えたとき、厩に積んだ藁のなかから一人の娘が這い出てきた。
「とと様、もう隠れておらぬでも良いか。ツナシの焼けるにおいは嫌い」
武士はしゃがみ込んで娘を抱き上げた。
「そう言うな、おまえの身代わりとなって焼かれたのだぞ」
それを聞いて雲水は、おおよその事情を察した。
ツナシとは、焼くと人肉の焦げたようなにおいがする魚である。子の身代わりという意味であろうか、またの名を「このしろ」ともいう。




