服装篇
私はソーシャルディスタンスを心掛ける男。
ソーシャルディスタンスを徹底するあまり、都会ではなく山で暮らした方がいいと考えるようになり、今は人が全くいない山奥に住んでいる。
しかしそんな私は、現在都会にいた頃より遥かに危険な状況に追い込まれている。
原因は、かの筋肉女子高生だ。
彼女の体内に入ったウイルスは見事に変異を遂げ、動物への感染力を高めてしまったらしい。もしかしたら彼女に感染できた時点で、動物にも感染しやすいウイルスとなっていた可能性もあるが……そこを議論することに意味はないので省略する。
とにかく、彼女のせいで現在私が住んでいる山は、世界屈指のウイルス繁殖地帯となってしまっている。
どこに行くのもウイルス感染の恐れがあり、とにかく危険。彼女の血を吸った蚊がウイルスを媒介してくることも考えられるため、山にいながら家からほとんど外に出れない状態となっている。
取り敢えず虫よけ獣除けの装備一式を整え、家の中には蟻の子一匹入らないように徹底した。自給自足も一旦諦め、大量に買い込んでいたゼリー飲料と缶詰でしばらくは日々を乗り切ることに。
もはや緊急事態宣言下で家に籠っていたのと同じ状況、いや、よりひどい状況に置かれたわけだが、こればかりはどうしようもない。今から都会に戻るという選択肢がなくもないが、都会は都会で大パニックになっているらしい。ネットによれば再び緊急事態宣言が出されるのも時間の問題とか。
そんなわけで籠城を選択したのだが――つい昨日、変わった隣人がこの山に越してきた。
夜中に突然、爆音が聞こえたかと思い窓の外を見ると、これまで木々が生い茂っていた場所に、巨大な白い立方体の建物が聳え立っていた。
日中までは確実に存在しなかったサイコロ状の建造物。幹からぽっきりと折れた木々が建物の下敷きになっていることと、先程の爆音を合わせて考えると、このサイコロ状の建物は空から降ってきた可能性が高いように思われた。
………………いや、そんなことあり得るだろうか?
常識的に考えて建物が空から降ってくるはずがない。
とはいえ目の前には実際、空から降ってきたとしか思えない光景が広がっている。
常識を信じるべきか、目の前の現実を信じるべきか。
と、サイコロ状の建物の一部が急に開き、中から人(?)が一人出てきた。
その人物は実に緩慢な動作で周囲を見回したのち、ゆっくりと私のいる家に向かって近づいてきた。
私はそんな謎の人物を見て――今まで自身の服装は中途半端だったのではないかと気づいた。
一流のソーシャルディディスタンサ―として、日々ウイルスを体内に取り入れないよう最善を尽くしてきた。しかし服装に関して言えば、基本はスーツにマスクをしているだけ。勿論マスクは最高級の物(自称ウイルス99%カット)を使用してはしていたが、実質そこら辺の一般人と変わらない、ソーシャルディスタンサーとしては不十分な恰好だったように思う。
そもそもマスクはウイルスから身を守るものとしては弱すぎる。確かに口の前に障害物が存在している以上、何もつけていない状態に比べれば確実に飛沫防止にはなるだろう。とはいえ、(事実かどうかは知らないが)ウイルスの侵入経路として最有力なのは、マスクと肌の隙間。鼻・頬・顎と言った隙間ができやすい辺りからウイルスは入り込んでくるという。
それら隙間をなくすことでかなりの防御率になると言われているが、しかしそれはあまり現実的ではない。歩いたり走ったり、話したりすれば当然マスクも動く。常に隙間なくぴったりフィットさせておくことなど不可能だ。
マスクの代替としてフェイスシールドが用いられたりもしていたが、あれは正面からの飛沫しか防げない。マスクに比べ密着度は低く、結局側面からの飛沫侵入に対して無防備だと言われている。
故にフェイスシールドをつけるくらいならマスクと言えるわけだが、隙間問題以外にもマスクにはかなりの問題が残っている。
そう、マスクをしていると口周りに汗をかき、暑い日はとてもつけてなどいられないという点だ。汗をかけば当然拭きたくなる。しかし拭くためには今まで外界の空気と接していた服や体を口に近づけなければならない。これでは本末転倒である。
汗ぐらい我慢しろと考える者もいるかもしれないが、そうした我慢の積み重ねはストレスを引き起こしたり、別の病気に繋がりかねない。我慢などと言う行為は、自身の体を顧みることのできない、二流・三流のソーシャルディスタンサーがやることである。
ではどうしたらよかったのか。その答えこそ、今我が家に向かってきている謎の隣人が来ている服――そう、宇宙服である。
知っての通り宇宙服は宇宙で着る服。宇宙という酸素がなく、圧力・温度なども人が生きることのできない世界で活動できるようにするための究極アイテム。それ一つで生命活動を維持できる機能が備わっている、まさに無敵の防御服である。
宇宙服なら当然ウイルスが体に付着する余地などないし、温度調節もばっちりである。問題は重さであるが(約百二十キロぐらいだったか)、日々のトレーニングにより空気椅子、立ち食い片手鍋を習得することのできた私なら問題ないレベルだと言える。
私はこれまで一流のソーシャルディスタンサーとしての自負を抱いてきたが、やはりまだまだ甘かったことを実感する。ウイルスの侵入は発病しない程度に抑えられれば十分。以前はそう考えていたが、何度も言うように相手は目に見えないウイルス。今自分の周りがどれだけ危険なのか、完璧に把握する術がない以上、一部たりとも付け入るスキを与えるべきではなかったのだ。
さて、こうしてより一流のソーシャルディスタンサーに近づける方法は見つかったのだから、後は実行するのみである。
私は自作した全方位型除菌スプレーを一斉に放射しつつ、宇宙服を貰う交渉を持ち掛けるため、やってきた隣人に声をかけた。




