第二十三話 インペラドルⅦ
死人は剣を手放していなかった。立てなくなったとしても先ほどと同じ速さで迫り、ナダへと剣を振り下ろした。
ナダは剣を頭上に構え、死人の斬撃を受ける。耐えきれない。膝をついた。死人は何も持っていない手をナダへと伸ばした。ナダは死人の剣を横に受け流して、左手へと向かい打つ。剣を横薙ぎにした。
だが、踏ん張りが足りない。膝を地面についているからだ。死人の攻撃を受けることはできずに、だが、捕まることはなく、背中から地面へと強く打った。すぐに猫のように転がり、ナダは起き上がった。
そのまま後ろへ大きく距離を取る。
ナダは死人を見据えたまま深呼吸をして、荒くなった呼吸を整える。
頭の血はまだ止まっていない。
それが流れて、目の中に入る。
死人の姿が赤くぼやける。
――もう、終わった、と思っていた。
足首を切った。
それで死人は立てなくなったはずだ。
モンスターとはいえ欠損部位が復活することはほとんどない。もちろん体が再生するモンスターもいるが、そんなモンスターが出現する迷宮は決まっている。目の前のモンスターがそういうモンスターではないと思っていて、現に今も足首が再生される様子はない。
普通のモンスターなら足のどこかを切れば立つことは難しく、それだけで勝てるはずだ。あんな風に腕だけで機敏に動き回るモンスターなどいない。
普通のモンスターなら戦意がなくなるモンスターさえいる。彼らは本能で動いているという学者もいて、自分たちの最適の動きが出来なくなったら戦えなくなるというのだ。手負いの状態で戦えるようには出来ていないと。
「くそっ――」
だが、相手はまさしくはぐれなのだ。
普通のモンスターとは一線を画している。
たかだか歩けなくなっただけで、戦いを諦めるようなことはない。むしろもっと凶暴で、強くなったとさえナダは思うほどに。
死人はまるで列車のようだった。
両腕で迷宮内を迅速に動き回り、剣を振るう。もちろん足がないので剣を振るう時は歩みを止めるが、それでも脅威なのは変わりはしない。
四足獣のように地を這い、剣を振るうモンスター。
まるで先ほどまでとは別のモンスターと戦っているようだった。
同じモンスターのはずなのに。
ナダは死人の剣を、腕を、足を、口を、すべての攻撃を捌こうとする。避けて、剣で受け、また躱す。だが、じり貧だった。もぐりこめない。体勢が低くなったからだろう。
隙がない。
人一人が懐に入るだけの隙が。
だからナダは必死に凌いでいる。
生き繋いでいる。
地面すれすれの大剣が迫ってきても、ナダは飛んで躱して攻める機会を探す。だが、見つからない。死人の動きは速い。剣を躱して相手に近づこうとすると、その大きな体を回転させるように足を振り回すのだ。ナダはその圧力に屈して、後ろに下がってしまった。
無理に攻撃を受けながら攻めることも考えた。
だが、鎧がなかった。
ナダはほとんど裸に近かった。
上の服は破けている。
ズボンはまだあるが、血によってまだらに赤くなっていた。
――どうする?
ナダは死人の攻撃を一つ、また一つと捌きながら考える。
敵の剣をまた受けた。右に、左に。そのたびに腕が痺れる。本来なら巨躯のモンスターの一撃を自分の武器で受け止めるなど正気ではない。もちろん得物が折れることも理由の一つだが、人よりも遥かに強い筋力を持つモンスターに人の筋力で受けられる攻撃などたかが知れている。
ナダはそれを長年の経験よって可能にしていた。
冒険者の中でも類を見ない筋力と力の受け流し方、それに頑丈な大きな武器を持つことによって、度重なるモンスターの攻撃を何とかしのいでいるのだ。
だが、膝がもう笑っていた。だんだんと地面に居着いている時間も増えてきている。手も痺れてきた。
確かに、まだ心臓は熱い。
青い騎士と戦った時と同じほどの熱が、ナダの体の中に巡っている。
だが、その熱量に体がついていかない。
まるで自分が燃え尽きるような気がする。
死人の剣が襲ってきた。地面と平行の一撃。ナダは先ほどと同じように飛んで避けようとするが、足が動かない。居着いていた。
だから剣で受ける。そして足の力を抜いて、身を固くする。ナダは壁際まで飛ばされて、背中から受け身を取る。
なんとかこの攻撃もしのぐことができた。
今度は自分の番だと。
ナダは死人に走ろうとするが、それに気づいたモンスターが剣をがむしゃらに地面をたたく。
まるでドラムのようだった。
このように死人はナダが近づこうとするたびに、たたき壊すように力強く何度も地面をたたく。地震と小石がナダに襲い掛かり近づくことなどできやしなかった。
死人はナダが近づくのを嫌がっているようだった。
足首を斬られた経験があるからだろう。
暴れるだけの獣のように見えて、ナダは死人の事を非常にクレバーだと考えている。
足首を斬られてから地面を這うようになって確かに機動力は下がり、攻撃のパターンは減った。だが、それ以上にモンスターの行動がナダには厄介だった。
もう回復薬もない。
体力もない。
怪我だってしている。
血も流れた。
ナダは限界だった。
息が荒くなる。
整えようとするが、乱れたままだ。
そもそもナダは連戦だった。
迷宮に潜ってから一人でずっと戦い、青い騎士と言う強力なはぐれを倒してからここに来ている。そして先ほどの一撃で足首を斬り落とした時に最後の力は使い果たしたつもりだった。
それなのに、まだ戦いが続くなんて考えていなかった。
諦めるという文字はない。
だが、ナダはだんだんと無理がたたってきた。
久しぶりの得物。馴染んでいない装備。不十分な物資。時間がなかったとはいえ、限界だった。
血が足りない。
もう流れ出る血も少ないのだろう。
頭の血も止まっていた。
体の中心は熱いはずなのに、まるで寒いようにナダは思っている。
死人の剣を右で受け、左で受け、頭上で受け、どこかでみしりという音が聞こえた。ひびが入ったのだろうか。分からない。剣を確かめる余裕すらもない。
先ほどまで避けられていた筈の攻撃が避けられなくなってきている。
もはや、逃げるという選択さえできない。
戦う理由はある。
勝つという強い意識もある。
だが、体がついていかない。
熱だけが空回りして、どんどん冷えていく。
頭上からまた剣が落ちてくる。避けられない。ナダは迎え撃つように両手で剣を振り上げた。
ああ、頭の中では分かっている。
これはきっと受け止めきれないと。
ナダの剣と、死者の剣がぶつかりあった。
そして――簡単にナダの剣が折れた。中ほどから完全に。銀色の破片がナダの目の前で舞う。長年付き合った相棒だというのに、折れる時は一瞬だった。そのおかげで死者の剣をそらすことは出来たが、地面に刺さった時の衝撃でナダの体勢が大きくぐらついた。
そして死者の手が迫り来る。
避けるほど、足は大きく動いてくれない。
頼みの綱の剣も折れてしまった。
ナダは自分を掴もうとしている手を眺めるように見た。
剣だって手放そうとしている。
体は冷え切っていて、鎧もない。剣だって折れてしまった。他の武器などない。生きられない。
ナダは、自分の運命を悟ってしまった。
生きたい、と強く思っている。
死ねない理由も数多くある。
そのために迷宮を潜っているのだから。
だが、限度はある。
きっと、ここが自分の冒険者としての限界なのだろう。
今回の冒険は戦績としては十分だと思っている。
学園では落ちこぼれの自分が、ソロで行ったにしては素晴らしいと思えるような功績だ。迷宮の奥深くまで潜り、はぐれを倒して、もう一体のはぐれも足首を斬り落とした。
まともな冒険者なら一日で二体ものはぐれに戦いを挑むなど正気ではない、という者も多いだろう。
だが、立派な戦績だとナダは思っている。
アビリティも、ギフトもなく、己の身一つで行ったにしては誇らしい実力だと思った。
これまでの人生だってそうだ。
必死に生きてきた。
今まで一度たりとも気を抜いたことなどなかった。
今回だって全力で戦った。
生きたい、とそう思ったからこそ、このように無理をしてまで迷宮に潜ったのだ。地上に戻っても安息の地などないのだから。あの発作が起きれば、いつ死ぬかも分からない。
ナダは諦めたように視線を落とした。
――だから、ここで死ぬのか?
ナダは聞いたことのない声が聞こえた気がした。
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