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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第三章 古石
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第六話 王都

 ナダの今日ぐらいは、とゆっくりとする予定はニレナのこの声によってなくなった。


「――さてと、ナダさん、明日に出る宝玉祭にはこの服で行くのですか?」


 翌日に宝玉祭がせまると、急にニレナがナダへと持っている礼服を確認し始めたのだ。それも部屋のソファーの上で紅茶を楽しみながらまどろんでいるナダに。ナダは何も言わなかったが、ニレナが勝手に荷物を漁って年代物のタキシードを取り上げた。

 かつてイリスにいつか使うだろう、とアギヤに入った時に買ってもらった物である。尤もアギヤ時代に開かれた式典は全て逃げていたので使うことはなかったので、クローゼットの一番奥にしまっていたものだ。だからか、本当は上品な黒色のはずなのに色あせているように見える。大切にしまいすぎたのだろう、とナダは思った。

 今回ばかりは必要だろうと持っていたのだが、どうやらニレナには不服のようだ。


「ああ。何か問題があるのか?」


 ニレナはその服をベッドの上に置くと、うーんと唸りながら顎に手を当てながら考え始める。


「いえ、悪いわけではありません。これは上等な物ですわ」


「じゃあ、何だよ?」


「ナダさんはこの服しか礼服を持っていませんわよね?」


「……必要ないからな」


「いいえ。必要ですわ」


「……そうなのか?」


 ナダが質問すると、急に上機嫌になりながらニレナの話は弾む。


「ええ。だって、宝玉祭の次にはわたくしのお父様とお母様との話し合いも待っているのですわ。同じ服を着ていくのは芸がないでしょう?」


「……何を着たって変わらないだろう?」


 ナダは思い出したように嫌な顔をした。

 この屋敷でお金や迷宮の事も考えずにのんびりと過ごしているうちに、そんな嫌な記憶から逃げるように封印していた。

 だからせめてその日が来るまでは俗世と離れたこの屋敷で、穏やかで優しい暮らしに浸っていたいのだが、どうやらそうはいかないことをナダは予感していた。

 ニレナがナダのソファーの横に座り、彼の顎を持ち上げながら艶やかな唇で言う。


「そうではありませんわ。一流の冒険者というものは、単に強いだけではありませんわ。彼らは一流に相応しい気品とマナーを持っておりますわ。それに冒険者には迷宮に合わせた鎧が必要でしょう?」


「ああ」


火を使う魔物が多いのなら、火に耐性のある魔物の革を使った鎧を。

革を腐食させる毒を持つ魔物がいるのなら、いかなる毒も流すような金属の鎧を。

本当なら戦うモンスターにとって剣だけではなく、鎧を変えるのが冒険者として正しい姿だ。


「華やかな宴では、それに相応しい晴れ衣装が冒険者にとっての鎧ですわ。確かにこの服は色褪せながらも確かに気品がありますが、それにしては地味過ぎますわ。まるで歴戦の古豪のよう――」


「……それは俺にはまだまだ早いな」


「ええ。だから最近活躍している若者らしく、もう少し色のある服のほうが似合うと思いますわ。だから、買いに行きましょう――」


 ニレナが妖艶な笑みで言う。

 ナダはニレナが顎を掴む手を払ってソファーにより深く座り込む。


「俺にそんな余裕はないな」


「それなら、わたくしが出しますわ」


「……残念ながら俺はそこらの人より体が大きいみたいだ。だから服のサイズがないと思うぞ」


「心配なくてもいいですわ。わたくしが行こうと思っているお店は既成品なんて置いていないですから。新しい服を仕立ててもらいましょうか」


「俺はこの服に思い出があってこれが着たいんだがな」


「ええ。では、それは宝玉祭の時に着てくださいね。わたくしの両親と会う時は別の服でお願いします」


「これでも俺はよく体を動かすから、丈夫な生地でないと駄目なんだがな」


「ええ。それなら一流の服をご用意いたしますわ」


 何を言ってもすぐに返されるニレナに、諦めたようにナダは天井を仰ぎ見ながらため息を吐く。


「……どうしても行かないと駄目なのか?」


「ええ」


 ニレナの満面の笑みによって、この日のナダの予定は決まった。



 ◆◆◆



「うーん、いい天気ですわ」


 王都という広い町並みの中で、上品な白いピーコートを着たニレナは背伸びをしていた。

 気持ちよさそうに太陽の光を浴びている。

 雲ひとつない晴天の中で、ナダとニレナは馬車も使わずに石畳の上を歩いていた。道の真中では様々な形の馬車が通っているのにも関わらず、貴族であるニレナはナダと共に歩いている。

 大貴族の娘でもあるニレナには護衛も、付き人も、ましてやアンセムすらも付いていなかった。

 隣にいるのは大男であるナダだ。ナダは鎧すら付けていない普通の格好をしているが、腰に大ぶりのナイフであるククリナイフを付けてある。

 それに元々目つきが悪いのか、周りの人たちは萎縮してナダとニレナから一線を引いて歩いていた。人が多いのにも関わらず、二人の周りには誰もいない。


「それで、どこに買いに行くんだよ?」


「その前にアイスを食べに行きましょう。王都の名物です」


「……服はいいのかよ」


「それはあとと言うものです。ナダさんもアイスは好きでしょう? と言うよりも甘いものに飢えているでしょう?」


 まるで見知ったように語るニレナにナダはぐうのねも出ない。

 どうやらニレナがアギヤから卒業して、自分がアギヤから首を切られて随分と経つが、昔からの関係は変わっていないのだと自覚する。

 昔からナダはニレナに食事を御馳走になっていたのだ。

 ナダは抵抗することもなく、ニレナに腕を引っ張られるがまま付いていく事になった。

 そして行列が出来る店に並んで暫く二人でおとなしく並んでいると、すぐに二人の番がやってきた。


「いらっしゃいませ。どちらになさいますか?」


人が三人ほどしか入らない小屋の中で、まだまだ大人に少し届かないぐらいの少女がウエイトレスをしていた。他に店員は誰もいない。


わたくしはリンゴ味でお願いいたしますわ。ナダさんは何にいたしますか?」


「……じゃあ、俺はバニラで」


「はい! かしこまりました」


 すぐにナダとニレナは店員からコーンに乗ったアイスを受け取ると、それを木で作られたスプーンで掬って食べる。

 ナダは大きい手には似合わないほど小さなアイスを大切に掬って、口の中に入れる。寒空の下で食べるアイスは体を芯から冷やすが、滅多に食べることのないアイスは歯がしみるほど美味い。優しいバニラの香りと共に、強い甘みが舌の上で転がった。

 殆ど食べることのないナダの贅沢だった。


「美味しいですわね」


「そうだな」


 ナダは一つ一つ噛みしめるように食べていた。


「美味しいですか? 美味しいですわよね。それほど夢中になって食べていると。それを見ているとわたくしまでもが、このアイスがさも高級な物のように思えてきますわ」


「貧乏舌なだけだ――」


「そうですわね。ナダさんの食べる物ははっきり言って、食という娯楽を一切無視した食事ですもの。まるで冒険に必要な栄養素だけを取っているかのよう」


 まるで冒険に全てを捧げたかのように必要なエネルギーだけを取っているナダだが、その食事の理由は決して冒険者という職業に真摯と向き合った結果ではない。己の人生と向き合った結果、食事にお金をかけない生き方を選んだのだ。

 過去に経験したひもじい食事を摂るぐらいなら、まずくてもお腹いっぱいに食べられる人生を選んだのである。


「もしもそうだとしたら、アイスなどという物を俺に与えるニレナさんは悪魔なのか? 俺を誘惑して、堕落させようと思っているだろう?」


 ナダはニヒルに笑いながら冗談を言った。

 ニレナもその反応は予測していなかったのか、手で口元を隠しながらも笑い声が漏れている。


「ええ。そうですわね。わたくしは悪魔ですわね。いたいけな青年であるナダさんを全力で誘惑していますわ。ねえ、そろそろわたくしに全てを捧げてみませんか? 全身でとろけさせてあげますわよ?」


 ニレナが唇についたアイスを舌で舐め取りながら、妖艶な魔女のようにナダを誘った。

 だが、ナダはいつもの事だとそれを本気にすることはなく、木でできたスプーンを握りつぶしてから近くのゴミ箱に入れると、ニレナの前を追い越してチェスターコートの中に冷たくなった手を入れながら呆れた表情をしていた。


「バカを言ってないで、そろそろ仕立て屋の所に行こうぜ。そろそろ寒くなってきた」


 ナダがはーっと息を履くと、それは白く目に映る。

 どうやら思っていたよりも気温は低いようで、上着を着ているニレナもぶるっと体を震えた。氷のギフトを持っている彼女であるが、寒さに抵抗があるかどうかにギフトは関係ないみたいだ。

 また二人が横に歩いて、今度は寄り道をするつもりもなく先を急ぐ二人に、後ろから大きな声がかかった。


「あーっ! ナダ先輩だー!」


 その声の持ち主はどかどかと大きな足音を立てながら近づいてきた。

 振り返ると人の中に目だって見えたのがぴょこぴょこと跳ねるように移動してくる赤毛の髪。ウェーブがかかったその髪と、弾むような黄色い声には聞き覚えがあった。

 できれば無視したいナダであったが、名前を呼ばれている状態だとその選択肢はないように思えた。


「で、何だよ?」


 久しぶりに出会った人の前で、ナダは冷たく言った。

 このときばかりは図体が大きいので、目立ちやすい自分の体を不幸だと呪った。


「えー、久しぶりに会う後輩に向かってそれですかー? それは冷たくありませんか? 私はこんなにもナダ先輩のことを尊敬しているのにー」


「……俺は別に尊敬されなくていいぞ」


「じゃあ、そう言うナダ先輩には私がちょー尊敬してあげますね! だって、私たちは共に苦難を乗り越えた仲ですもんね!」


 目元の泣きぼくろが特徴的な怪しげな雰囲気を持つ彼女のことを、ナダはよく知っていた。

 ――クラリスだ。

 かつて龍の体内で共に戦った冒険者のひとりであり、強力な闇のギフトを操る冒険者であり、年下ながらも将来有望な一人だと思っている。


「ナダさん、わたくしとの逢引の途中に別の女性と仲良く喋るだなんて、とても度胸のある人だと思いますわ」


 ニレナは口元を押さえながらクスクスと笑っている。

 その真意が掴めなくてナダには恐ろしいと思ったが、何かを彼が言う前にクラリスの大きな声が街に響いた。


「えー、ナダ先輩、デートをしていたんですかー!?」


「そうですの。あなたもナダさんに用があるようですけど、この辺りで一回引いたらどうでしょうか?」


 だが、それはお願いと言うよりも、挑発しているかのようにクラリスを嘲笑っていた。


「でもでもー、学園ではナダ先輩に浮いた話などそもそもないんですよねー。あなたは一体誰なんですかー? 学園にいそうなほど若くはないようですし―」


 クラリスもニレナへ喧嘩をふっかけるように言った。


「そうですわね。簡単に言えば、わたくしはナダさんの婚約者ですわ。だから、将来夫となる大切な身に、あなたのようなよく出自の分からないような人と関わせる気なんてありませんの」


「えー、本当ですかー? ナダさんはこんなおばさんのほうがいいのですかー?」


「ええ。あなたのようなお子様よりかいいと思いますわよ」


 勝手に睨み合ってヒートアップをしている二人にナダはどんな言葉をかけようか迷っている間に、ますます二人の周りには剣呑な雰囲気が流れ始める。

 ナダがどうやってこの場から逃げ出そうと考えていると、厄介な声がもう一つ聞こえてきた。


「――あら、ナダじゃないの?」


 その声の持ち主は――イリスだ。

 確かに王都にいるとは聞いていたが、まさかこんなところで会うなんてナダは予想すらしておらず、大きなため息をもう一度吐いた。

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