第二十五話 イリスⅡ
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「そう。それは残念だけど、昔よりいい顔をしているみたいだから、よしとするわ――」
イリスが言う“昔”とは、いつを示しているのだろうか、とふとナダは思ってしまった。
冒険者になる前のナダはしがない農家の息子で、最初に迷宮に潜った時にその辺りの石を拾ってモンスターを殴り殺した事で少し話題になったものの、そこからは大半を落ちこぼれとして過ごした。
暗い顔をしていたという自覚はないが、あの時は蔑まれながらも生きるのに必死だった記憶しかない。食い扶持に困り、立身出世は望んでいないが喰うのに困らないほどの稼ぎを目指していた。それが何故だが英雄になり、現在は病の解決を探している。
――目的は、今の方が明確だ。
かつてのようにがむしゃらに生きていたわけではない。はっきりとした目標へ、着実に歩みを進めている。
それが顔に出ているのだろうか、と思う。今でもナダは必死に戦っていて、生死を彷徨う戦いに身を投じているが、これは自分の意思だ。もしかしたらそのせいかもしれない、とナダは顔を撫でた。
「……そうかよ」
だからナダはぶっきらぼうに言った。
「そうよ。だって私、あんたが学園に来た時から知っているんだから。あんたを最初に見定めたのが私よ? 忘れたの?」
イリスは無邪気に笑った。
忘れるわけがなかった。
ナダにとって、あの日の出来事は命を救ってもらった、と言ってもいいのだから。
「覚えているさ。あの時の事は今でも感謝している」
ナダはかつて喰う物に困って村を出て、冒険者になる為に冒険者養成施設があるインフェルノを目指した。だが、あの頃は何も考えてなかった。だから食べ物を持たず着の身着のままで実家のある村から、都市まで歩いた結果、着いてからすぐに空腹のあまり倒れてしまったのだ。本来ならそこで死に絶える筈だった人生を、ナダはイリスの気まぐれによって救ってもらい、学園が始まるまでの生活も与えて貰ったのだ。
あの時のナダは、只の浮浪児だった。何者でもない自分だったのである。今のような強さもなければ、このように大きな体もないがりがりの肉体、それに簡単な計算すらできない脳みそ、そんな掃いて捨てても価値のない子供だったのだ。
「そう、なの?」
「ああ、当然だろ? 俺は記憶力はそんなによくないが、受けた恩は忘れないさ――」
もちろん、ナダは受けた仇も忘れなどしない。
「本当なの、それ? 私に挨拶もせずにインフェルノから去ったのに?」
「それは――」
ナダは困ったように言った。
今のように、イリスと再会する予定はなかったからである。
あの時はインフェルノを出て、迷宮に挑み、アダマスという英雄の道を辿る途中で朽ち果てるとさえ思っていたかもしれないのだ。自暴自棄だったとも言えるだろう。
いきなり英雄と言われたが、激痛に苛まれる日々で自分の状況をあまり受け入れられなかったのかも知れない。余裕もなかったのだろう。
「あの時の事は後悔しているの?」
責めるようなイリスの言葉。
ナダは困ったように頷いた。
「そうだな。今思えば、挨拶ぐらいはするべきだったと思う――」
ナダがそう思うのは、久しぶりに再会した妹であるテーラや懇意の貴族であるスピノシッシマ家のカノンと再会した時の事だ。
彼女たちと出会った時に、ナダは泣かれるように抱きつかれたのである。死んだと思っていた。嫌われたと思っていた。そんな言葉を口々に発せられた。あの時の光景は今でも思い出すことが出来る。もっとちゃんと別れればよかった、とそんな後悔の言葉が思い浮かぶほどだった。
そんな過去を振り返った理由の一つには、四大迷宮の一つを攻略したことで心の余裕が生まれた事だろう、とナダは思っている。あの時は餓えた野獣のようであった。迷宮の攻略のみを目指し、焦っていたと言ってもいい。少しも先が見えない状況で、ただただ戦いのみを強いられて摩耗していた日々。だからそれ以外の事に心を向ける隙間が、自分にはなかったのである。
「それはそうね。誰にも言わなかったんだから――」
イリスは拗ねた様に唇を尖らせた。
「怒っているのか?」
「……怒っていない、と言えば嘘になるかもしれないわ。でも――」
先の言葉をイリスは言わなかった。彼女にも思うところがあったのかもしれない。
冒険者とは、過酷な職業だ。ナダやイリスはまだ生きているが、死んでいてもおかしくないような目に何度も出会っている。ナダ自身は、今生きているのが不思議なほどだった。どうせ死ぬのだから、それ以外の事がどうでもよくなる冒険者は多いのである。
「で、イリスは卒業してから何をしていたんだ?」
ナダは話題を変えるように言った。
「――私の冒険なんて、つまらないものよ。私は卒業してすぐに、あんたと同じように四大迷宮に挑むつもりだったのよ。そこで選んだのがソールで、ここクラーテルだった」
イリスは卒業後、当然のように四大迷宮に挑戦することを望んだらしい。
まるでかつての後輩であるナダやレアオンを追うように。
「どうして“ここ”にしたんだ?」
「簡単よ。ここには――フォカオンがいる。ナダは知らないかも知れないけど、彼はね、スカーレット家専属の冒険者の一人なのよ」
優れた冒険者は、貴族と契約を交わす者が多い。何故なら彼らにカルヴァオンを専属的に提供することにより、資金、物資、人脈、など冒険に必要な様々な支援を受けられるのである。貴族たちも領地経営に必要なカルヴァオンを安定して得られるので、大きな貴族程多数の冒険者と契約を交わしている。
その中で、イリスの実家であるスカーレット家とフォカオンは蜜月の関係のようだ。
「なるほどな――」
要するにイリスがアルシャインにいるのは、コネであった。
「だから私はアルシャインでも地位を保証されている。……不思議なものね。学園では実力で這い上がったと思っていたのに、ここでは家の力に頼っている。頼らなければ私もコルヴォのようにか弱い存在でしかない。そのぐらい、経験が足りない、と自覚したわ」
イリスは悔しそうな顔で言った。
誰もが、自分の力一つで冒険者として成り上がることを夢見るが、現実はそう甘くない。力のある家族に頼り、縁故のある先輩に頼り、それでも足りなければ駆け回って探すのである。
イリスはその中でも最も力のある貴族の一つが実家だったので、その縁を頼ったのだろう。
スカーレット家は迷宮都市を抱える大貴族の一つであり、その影響力は国内でも計り知れない。
「変わったな――」
ナダは淡々と言った。
学生時代のイリスとは違う姿だった。あの頃の彼女は自分に絶対の自信を持ち、実家に頼ることを嫌っていた。力こそが全てであり、それに相応しい格と力を兼ね備えた冒険者だった。親の影響は跳ねのけ、どの貴族とも縁を持たず、アギヤという伝統的なパーティーで孤高に冒険していたのである。
それが、足掻くように親の力を借り、必死に冒険をしている姿は変わったかもしれないが、そのがむしゃらさをナダは嫌いでもなかった。




