閑話Ⅳ トロ
ナダ、カテリーナ、シィナの三人が選んだダンジョンは、最も馴染みのある俗にに学園迷宮とも呼ばれるポディエではなく、トロ、であった。
トロにナダは一度も潜った事はなかったが、知識だけは頭の中に入っている。
トロは――死人の迷宮、と呼ばれている。中には人型のモンスターが多く、それらはまるで死体が歩いているかのようだった。
そんな死人たちの特徴はと言えば、やはり人の形をしているという事だ。獣型のモンスターが多いポディエとは違い、死人が武器を持って襲って来る。普通の冒険者よりも力は強いが、緩慢なモンスターが多く、ポディエ程モンスターの種類も多くない為、学園卒業後に潜る迷宮として人気である。
ナダ達は地面に開いた大きな階段状の穴を下って迷宮に降り立つと、辺りは暗かった。ダンジョン内の明かりが、青く、弱い炎があちこちに浮いているだけだったからだ。それらに触れても熱さはなく、ただ浮いているだけだ。
また、何よりも、死臭が臭くて三人の鼻がひん曲がった。
「この臭いがトロか、聞いていたが、やはり臭うぞ……」
「臭いね……」
カテリーナとシィナの二人も最低限の情報は仕入れているが、トロに潜った事はない。
トロの洗礼とも言えるのが、死人が多いので腐臭がきついのだ。すぐに慣れると普段からトロに通っている冒険者達は言うが、この臭いが嫌で別の迷宮に挑戦するパーティーもあるという。
「今から別の迷宮にするか?」
左手で鼻を押さえているナダが曇った声で提案するが、カテリーナは首を横に振る。
「いや、他の四大迷宮にもこのような困難があるかもしれない。ナダは死なないからな。毒ガスが満ちているところも冒険しないと行けないかもしれないから、今からでも臭いには慣れておいた方がいいぞ!」
どうやらカテリーナは帰る気がないらしい。
「確かに……前の冒険も、水の中だった。どんな危険があるかは分からない」
そんなカテリーナの意見に、シィナは大きく頷いていた。
迷宮はそれぞれに特徴があり、当然ながら別の“顔”を持っている。今後挑む迷宮に毒が満ちている空間がない、とは思えなかったが、ナダとしてはこの臭いに慣れないから早く帰りたい気持ちもあったので諦めたように口を開く。
「……今回は小手調べだから、深層まで行くつもりはないぞ」
「分かっている! 今日のリーダーは私だからな!」
カテリーナは意気揚々と先頭を歩きだした。
地上へと向かう幾つかのパーティーと挨拶をすると、三人には――足音が聞こえた。
軍靴の音ではない。ぺた、ぺた、とまるで素足で歩いているかのような音だ。さらによく聞けば片足を引きずっているのか、足音のリズムは一定ではなかった。さらに何かを引きずっているような嫌な音も聞こえた。
一匹、いや一人だろう。
ほどなくして、モンスターは――死人は現れる。言うならば人のなりそこないだ。
灰色の皮膚はところどころが肌から腐れ落ちていた。骨や神経がはみ出ているのだ。眼窩は片方が空洞であり、もう一つは今にも地面に落ちそうなほどずれている。
体には何も巻いておらず、右手にあるショートソードは引きずるように持っていた。
「あれが死人だな!」
死人――あるいはズンビ、と呼ばれるモンスターだった。
初心者の冒険者であれば、人を形どるモンスターを忌避し、慣れるまでは殺せない者もいるらしい。
だが、カテリーナは熟練の冒険者だ。これまで数多くのモンスターと戦い、人型のモンスターを数多く倒したカテリーナにとって、目の前は人の形をしていても、ただのモンスターだとしか認識されていなかった。
「手助け……いる?」
「いらない! あの程度の敵は、私だけで十分だ! 『光の剣』!」
シィナの提案を断ったカテリーナは、白銀の美しい剣を抜いてから、マゴスでの冒険で進化したアビリティを発動させる。
光を、己の剣に纏わせるのだ。
その光はすぐに凝縮し、カテリーナの剣を隠す。暗い迷宮内だからこそ、カテリーナの剣は眩しく、思わずナダは目を遮ってしまった。
ズンビはそんなカテリーナに惹かれて、こちらへと襲って来る。だが、速度が遅い。カテリーナはアビリティを全力で使おうとも思ったが、この程度の敵に必要ないだろう、とそのままの状態で無防備なズンビの胴へ剣を一閃。するとズンビはすぐに灰になって消えて、濁った小さなカルヴァオンだけをその場に残した。
「あれ?」
あまりの手ごたえのなさに、カテリーナは素っ頓狂な声を挙げた。自分のアビリティは強くなったが、まさかここまでだとは思っていなかったのだ。
「……そう言えば、トロの迷宮は、光に、弱い。カテリーナのアビリティが、光のギフトと似ているなら、彼らにとっては弱点」
シィナは驚いているカテリーナに向けて、可能性の一つを説明した。
トロにおいて、最も活躍するギフトが光のギフト、あるいは火のギフトとされている。この二つの攻撃を一定量受けた死人たちは、灰となって消滅するらしいのだ。
「なるほど。私にとって、この迷宮はとても相性のいい場所なのだな!」
カテリーナは嬉しそうに笑った。
「前までのアビリティなら短髪だったから、使う機会も限られるかもしれないが、強化されてずっと使えるようにもなったからな――」
「うむ! とりあえず私が先頭を進むぞ!」
ナダの純粋な評価に気をよくしたカテリーナは、またもや順調に先へと進んで行った。
カテリーナの強さは破竹の勢いだった。
それから数多くの死人と出会った。もちろん一体一体特徴が違う。持っている武器や体の大きさ、それに戦い方など、まるで冒険者一人一人に個性があるように、死人たちにも個性があった。
だが、そんな死人たちの変化ですら、カテリーナのアビリティの前では意味をなさなかった。
この程度のモンスターであれば、一撫でするだけでどんな死人も灰になるのである。
奥に入れば入るほど死人たちは群れるが、カテリーナの『光の剣』は放つこともできる。多方向に向けた光は一瞬で多くの死人を灰に返した。
「調子がいいぞ!」
未だにマゴスでの過酷な冒険が身に残っているカテリーナにとって、この程度のモンスターは敵ではなく、涼しい顔をしていた。
「私達、いらない……」
楽しそうに冒険しているカテリーナとは対照的に、シィナは暇であった。一番後ろでいつでも水のギフトを使えるように構えているが、カテリーナがピンチになるような敵は未だに現れていない。
「完璧なサポート要員だな。せっかく用意したのに、“こいつ”の出番は無さそうだな」
ナダはカテリーナが倒したモンスターから落ちるカルヴァオンを拾っているが、その左手に担いでいるバルディッシュは未だに綺麗なままだった。
バルディッシュとは150センチほどの柄の上端部に、三日月状の曲線を描く60センチほどの斧のような刃が取り付けられた武器だ。
俗に三日月斧、と呼ばれることもある。青龍偃月刀よりも先端に重量が寄っているので、振り回すことによって真価を発揮する武器だった。
青龍偃月刀が修理中なので、少し前にバルバから買った武器である。ナダにとってかなり手に馴染む重さであるが、未だに出番がないのは少し寂しいとさえ思っていた。
「ナダ、どうする?」
「俺は戦いたい――」
「私も――」
「なら、もっと“下”に行くか?」
「予定には……なかったけど、そうしよう!」
ナダとシィナは二人並んで密談をしていた。
「どうかしたのか?」
カテリーナは辺り一帯の死人を狩りつくして敵がいなくなった時に、二人が仲よさそうに並んでいることに気づいた。
「カテリーナ、折角迷宮に来たんだ。もっと奥へ行くのはどうだ?」
「私もこの程度の敵だと、腕慣らしにもならないと思っていたんだ! そうするぞ!」
ナダの提案に、二つ返事で頷いたカテリーナ。
こうして、三人はよりトロの奥へと潜って行く。
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