第百六話 神に最も近い石Ⅵ
ナダ達はいつモンスターに襲われてもいいように既に戦闘状態になっていたため、ニレナと思われる“彼女”の氷による攻撃を簡単に横へと避ける事が出来た。
その様子を見ても氷を纏う彼女は面白おかしそうに顔に笑みを浮かべていた。
だが、それはいつものニレナの温かな笑みではなく、氷のように冷たくうっすらと口元だけ笑っているのだ。
「あんたは誰だ?」
彼女の変貌に戸惑っている仲間を尻目に、ナダが陸黒龍之顎を向けながら言った。
「我か?」
口調が違う。
彼女から吐き出される言の葉は、まるで冬の木枯らしのようであった。
「……言葉は通じるみたいだな」
返事をされると思っていなかったナダは、驚いたように言った。
「失礼な奴め――」
生意気なナダの態度に腹が立ったのか、彼女は今度は氷で出来た矢をナダへと飛ばした。ナダは余裕綽々にその矢を大剣で弾きながらもう一度訪ねた。
「で、誰なんだよ? あんたはニレナなのか? それとも“別の誰か”なのか?」
「そんなに我の事が知りたいのか?」
ふふん、と艶やかな顔つきでナダを誘うように微笑む彼女。
やはりニレナとは違う、とナダは結論付けた。
ニレナが好むワンピースに似た“氷のドレス”を身に纏っているが、見た目から感じる冷たさは圧倒的であった。まるで氷像を相手にしているかのようだ。
「ああ、知りたいな――」
ナダはそれに乗るように甘く言った。
「ふん、なら答えてやろう。我が名は――ポリアフ。聞いた事はあるであろう?」
ニレナ改め――ポリアフは、白い息と共に尊大高らかに言った。
彼女の名前を聞くと同時に、ナダ達の思考が止まる。その名前に聞き覚えがないと言えば嘘だった。パライゾ王国に住んでいる国民なら、いや他国の者であっても一度は耳にしたことがある。
ポリアフとは、十二神信仰において、氷を司る神である。すなわち氷のギフト使いに力を与えている氷雪の女神だと言われている。
すなわち、ニレナに憑依する形で神が現界に降臨したのであった。
「……本当に神、なのか?」
オウロが戸惑った声を出した。他の仲間達も似たような反応だった。
過去の文献において、アダマス達が存在していた時代には、よく神が降臨していたとの記述が残っており、彼らは現人神と言われていた。そんな神は人々の信仰の対象であり、多くの人が彼らに祈っていたようだ。またギフト使いの中には神の声が聞こえる者もいたので、彼らも同じように信仰対象だったようだ。だが、それらの記述はどれも曖昧で、確かと呼べるものは一つとしてない。
何故なら、現代において神が現れる事はもう数百年確認されていないからだ。既に神の姿は人々の記憶から消え去り、声のみが選ばれたギフト使いのみに聞こえると言われている。だが、そのような者でさえ、現代ではほとんどいない。ナダやオウロでさえ、神の声を聴いたと言われるギフト使いには会った事がなかった。
ニレナやシィナでさえ、神の声は聞いた事がない。
現代においては、神の存在を疑う者さえ多いと言う。無神論者も数多くいるのだ。
ナダも、神を殆ど信じていない者の一人であった。
既に世間では神自体は形骸化し、ギフト使いが力の一端を借りるだけである。信仰深い者も減った現代で、過去に比べると十二神信仰の影響力は落ちていると言っても過言ではなかった。
――だが、そんな神がニレナの身を借りて目の前にいる。
「――我を疑うのか?」
オウロの言葉に不快な様子を示したポリアフは、オウロに向けて右手を撫でた。すると雪風がオウロへと靡いた。
雪風は地面に細かな氷柱が生える。それらは確実に冒険者を足を貫くものだ。オウロはその場から飛ぶように離れると、床の棘が霧散して消えた。
「どうやら本物みたいだな。そんな風にギフトを使う冒険者はいないからな――」
ナダはその様子を見ながら、戦慄していた。
様々なギフトを見た事はある。それこそ、ニレナやシィナ、または別の冒険者のように、この“界隈”で様々なギフト使いを見てきたが、祝詞を発することもなく手足のように自由に使うのは初めてであった。
きっと、これらのギフトはポリアフの中では遊んでいるだけだろうと、ナダは感づいていた。
何故なら、ポリアフから流れ出る白い雪が迷宮内の空間を満たし、ナダ達の元まで迫ってきている。それらはまだ攻撃の意志を持っていないが、気が変わればいつでもナダ達の喉元に突きつけられる刃となるだろうと予想している。
だが、そんなナダ達の不安に反して、ポリアフはナダ達に攻撃することはなく、息を吐くように自身の前に氷の椅子を作った。ただの椅子ではなく、“神座”である。
まるで巨人が座る大きさのような椅子に、人が座るだけのくぼみが作られている。椅子には氷で無機質な幾何学的な模様が施されており、氷で浸かられているためか七色の光が乱反射して椅子を照らしていた。
「そなた、やはりいい目をしているな。そう。我こそが氷そのものであり、そなたらが敬うべき“神”である――」
ポリアフはそんな椅子に座って肩肘をついて膝を組むと、尊大不敵に言った。
それと同時にナダ達を拘束するかのように白い空気が『ラヴァ』のメンバーの身体に蛇のように纏わりついて、一瞬で凍結した。
「なんだ、これはっ!」
「氷っ!?」
カテリーナとナナカが焦ったように言葉を出すが、体は動かない。
そんな中――足元に蛇が纏わりつく前に、反応した者がいた。
「しっ――」
ナダ、であった。
強く大地を踏みしめて、ポリアフへと真っすぐ駆けて行く。手に持っている陸黒龍之顎は走りやすいように地面に近い位置で構える。
「ほう――?」
そんなナダにポリアフは流し目で見ながら、自身の玉座の横に“二体”の氷像を作り出した。それぞれ三メートル程の巨人である。どちらも透き通る氷で作られており、手には大木程の蓋さを誇る棍棒を模した氷を持っている。どちらも氷である筈なのに、それは確かに足を動かしてナダの行く手を阻んだ。
ナダに向かってその棍棒を強く振り下ろした。
地面が揺れる。
だが、ナダは既にその場にはいない。
より強く、より熱く、体に“熱”を回すことにより、ナダの速度は上がっていた。既に氷像の攻撃を避けて、ポリアフまで迫った。
ナダは走りながら剣を振り上げて、全力で神座に座っているポリアフに振り下ろした。一切の遠慮はない一撃であった。
「――いい剣だ。通じぬがな」
だが、ポリアフはそれにも焦る様子はなかった。
迫り来る剣に右手を伸ばす。ポリアフの右手は水色に強く輝いた。その手には確かに氷の籠手で包まれており、ナダの陸黒龍之顎はそれとぶつかるだけで簡単に動きが止まった。
ナダの動きは止まらない。剣を引き戻し、今度はポリアフの首を跳ねるように横に薙ぐ。必殺の一撃である。
「ちと、しつこいぞ――」
ポリアフはその攻撃すらも氷の籠手で防いだ上に、陸黒龍之顎刃をそのまま掴む。そして涼しげな表情で――握り割った。
この展開は第四章を書き始めた時から決まっていましたが、辿り着くまでが長かったです。
ほぼ五年ほどかかってしまいました。
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