第百話 底ⅩⅩⅤ
シィナは『終わりの水』を使った事により、水に満ちた湖中を掌握していると言ってもいい。
先ほどまでのシィナの水の支配度は、ヒードラよりも圧倒的に下だった。モンスターの隙を縫うようにシィナは自身の影響力を水へと反映していた。
だが、今は違う。
ナナカがヒードラを真っ正面から相対することによって、殆どの力を釘付けにする。
ハイスが外から水の刃を放つことによってその他の雑多なヒードラの力を削いでいく。
ほぼ力を使い果たしたカテリーナすらも、光を貯めて一撃を放とうと画策している。
そして、ナダが、オウロが、ヒードラの体内から確実に殺しにかかっている。
シィナは他の仲間のサポートをしながら、徐々に、しかしながら確実にヒードラの力が減っていることを感じていた。シィナの力はニレナの助力を借りていることもあってか、その支配域はヒードラを増しつつある。
そのギフトは湖中内はおろか、先ほどまでなら全く感知も出来なかったヒードラの体内さえも掌握し始めている。
血も、肉も、骨も。それらが剣や槍によって斬り裂かれていることも、二つの物体がヒードラの中で寄生虫のように蠢いていることも、さらにはナダとオウロのどちらがヒードラの“核”に近いのかも把握している。
だから、シィナはヒードラの命が残り少ない事にも気づいていた。
もうヒードラの戦う手段は殆ど残されていない。あとはいかに早く『ラヴァ』のメンバーがヒードラを殺すか、それだけであった。
既にナダとオウロを阻むものは何もない。ヒードラも自身の体内までは力を及ぼすことが出来ない。大量のヒードラ自身の水の手を入れれば、それ自体がヒードラの血を薄めてヒードラ自身の死因に直接つながるからだ。
湖中の水が、ヒードラの血に混じる。
それらの水が全てシィナのものとなり、シィナのギフト自体がヒードラの体内から蝕んでいく。やがてシィナの水はヒードラの内部を完全に掴んだ。その端からニレナの氷のギフトによって節々が凍っていく。
けれども、ヒードラはまだ死ぬ様子はなかった。
『ラヴァ』が一丸となってヒードラに挑んでいる。既に“並みのはぐれ”であれば命が絶えている波状攻撃だ。
だが、まだ足りない。
ヒードラを殺すにはあと一歩足りない。
「皆様! 他のモンスターが解放されます!」
そんな時、ニレナが叫んだ。
彼女は現在シィナと共に逃げるヒードラを遥か後方から追いかけるように泳いでいるため、氷漬けにした他のモンスターを置き去りにしていた。その為、彼女のギフトの範囲から抜け出した多数の魚人が氷漬けから解き放たれようとしていた。
ヒードラが水の中を雄大に泳いだ分、彼らとの距離は遠い。だが、彼らの泳力であれば、氷から解放されればすぐにこちら側へ着き、自分たちを襲う事は誰の目にも明らかであった。
「時間はない……か」
ヒードラの頭上に浮いているカテリーナが頷くように呟いた。彼女の剣は既に刀身が見えないほどの光が集まっている。進化の当初と同じく、『光の剣』が最大限溜まったのである。
だが、あと一撃放てるかどうかもカテリーナには分かっていない。もう限界は当の昔に迎えているからだ。
カテリーナは剣を頭上へと抱えた。だが、下半身が追いつかない。足から崩れそうになる。
そんな情けない姿にカテリーナは自嘲気味に嗤ってから、シィナへと助けを求めるように視線を向けた。
「いいよ。力……貸すから」
シィナの水によって、限界まで力を引き出していたカテリーナの下半身が支えられる。
カテリーナはシィナのおかげで上体がぶれることなく、剣を頭上へと掲げる事に成功する。
「『光の剣』!」
カテリーナは強く叫ぶと、剣はまるで小さな太陽のようにより強く光り輝いた。
その光は物質のように霧散することなく、カテリーナの剣に留まり続ける。そしてカテリーナの剣の振りに合わせて“光”は放たれた。それはこれまでで最も大きな三日月状の光波となり、ヒードラの腹部と激しくぶつかった。
だが、カテリーナの放つものはこれまでのように“斬り裂く光波”ではなく、もっと物理的なものであった。言うなれば“物理的な光波”だ。
それは大きな衝撃を与えたので、ヒードラの体がくの字に折れ曲がった。その勢いをヒードラは失くすことができず、落下していく。
「私の仕事はこれで終わりだ――」
そんなヒードラと共に落ちていくカテリーナ。その顔はどこか満足気だった。思い残すことは何もないのだろう。
「お疲れ様――」
そんな彼女をシィナは労わるように優し気な水で包み込んだ。
「私も負けていないから!」
ヒードラの前でアビリティで作った人形で戦っていたナナカは目の前で大きな太陽が落ち、今までの自分では与えられない衝撃を与えたカテリーナに触発された。
ナナカ自身もアビリティの限界は近い。
だからこの一撃にナナカも全てを賭けた。
『鉛の根』の人形に、これまで以上の力を与える。ナナカの身体は水のように冷たく、まるで湖と同化したような気分に浸った。
だが、右腕だけがより太く、強くなった人形に満足する。ナナカの人形はヒードラの前にいたが、カテリーナによって下に堕ちた。だから人形が水の壁を蹴ってヒードラへと躍進する。そのまま人形で、ヒードラへとカテリーナと同じ場所を強く殴った。その一撃はナナカの人生において、きっと最強の一撃だったと自負している。
「私の役目はこれで終わりね――」
力を使い切ったナナカは、カテリーナと同じように落ちていく。血の気が引いたような顔であるが、心が満たされたように穏やかな表情をしている。戦いの場であるのにも関わらず、消耗のあまり眠ってしまいそうでもあった。
「僕の役目は地味だね――」
外からずっと水の刃を打ち出していたハイスは外にいたので、ナナカの姿がよく見えていた。
だから彼女を受け止める事も簡単にできた。
最後の一撃に混ざる事の出来ない彼は、どこか不満げな様子であるが、無理に攻撃することはしない。何故ならハイスのアビリティは本来はサポートが本領であり、これまでのような攻撃に使うのが異常と言ってもいいからだ。
その間にヒードラはより強い勢いのまま地面へと巨体がぶつかる。その衝撃でシィナのところにまで大きな波が伝わった。
――そんな時、ヒードラから地鳴りのような声が響いた。それはシィナの五臓六腑を震えさす声であり、油断すれば体が震えてばらばらになりそうだった。
ヒードラは砂をまき散らしながら巨体を大きく引きづり、海藻を体に纏わせながら岩のような大きな壁は破壊しながら突き進む。もはやヒードラを止めるものは何も存在しなかった。
その間にもシィナにはヒードラの体内の様子が伝わってくる。
ナダとオウロが競うようにして、ヒードラを壊し続けるのだ。
そして――その時は訪れた。
どちらの剣が“ヒードラの心臓”に届いたのかさして大きな問題ではなかった。いや、シィナにはどちらが勝ったのかが手に取るように分かっていた。その一撃は確実に“ヒードラの心臓”を、石と肉の融合体を、斬り裂き、もう一人が大きく破壊した。
それでもヒードラの勢いは止まる様子がなかった。体のありとあらゆる場所に出来た傷から赤い血を滲みだし、それが湖中に溶けた中を“死体”が突き進む。
大きな体はありとあらゆるものを破壊しつくした。
大木のような赤い珊瑚が無数に生えた場所にヒードラは突っ込んだことによって、ばらばらになった珊瑚が湖中に舞い散り、光を吸収してまるで花のように咲いた。
ヒードラの身体は珊瑚の森の中心に止まった。まるでヒードラを中心にして赤い花が咲いたように。
そんなヒードラの中心から斬り裂くようにして、二人の男が現れて大きな声を出した。
「殺したのは俺だな――」
「先に剣が届いたのはオレに違いない――」
ナダとオウロはヒードラの上に立って、満身創痍な仲間へ快活に嗤った。
これにてヒードラ戦は終わりです!
皆さま、長い間お付き合い頂きありがとうございました! 振り返ってみたら、底に辿り着いたのが2022年の1月なので、もう三年以上書いていた事になりという事実に自分でも驚いています!
ちなみにですが、物語はまだまだ続くので、引き続き、お付き合い頂けると幸いです。
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