第二十一話 パーティー
既にニレナがオケアヌスを離れてから既に二週間がたっている。
ナダはいつものように宿で朝食を取っていた。この日のメニューも屑野菜が入ったシチューと、大きくて硬いパンだ。いつものようにパンは三つだ。スープに浸さないと噛み切るのに力がいるのは以前と変わらなかった。
何度食べても塩辛いスープと味のしないパンだ。いつもと変わらない味。親しみも感じない。栄養があって腹が膨れなければ食べる理由も見当たらないような食事である。
ナダはうんざりしそうな顔をしながら、けれどもこれより安い食事を知らないためパンを飲み込むためにゆっくりと食事をとっていると、以前と同じように宿屋の主人が手紙を預かったと言うのだ。
まるでデジャヴである。
宿屋は燕尾服を着た執事のような綺麗な男から手紙を預かったと言っており、手紙には女の形をした封蝋がなされてあった。
誰の手紙かはすぐに予想がついたので、ナダはその手紙を開けようともせずに店主に焼いて捨てるよう頼んだ。
手紙の中身は簡単に想像がつく。
きっとニレナはオケアヌスに帰って来て、どこかに自分を呼び出したのだろう。彼女はこういう形式ばった手紙が好きなのだ。
だが、ナダに従うつもりなどなかった。ニレナに会うのは夜でもいいと思っていた。
この日は朝から迷宮に潜ろうと思っていたのだ。
いつもの日課である。愛用の武器がないとしても、これから迷宮探索を本格的に行おうと思えば、先立つものが必要だ。金はいくらあっても困らない。武器のメンテナンス、食料、薬、投げ道具など様々な物を買った方が冒険ははかどるのだ。
お世辞にも今のナダに潤沢な資金があるとは言い難い。
多少の蓄えは持っているが、湖の真実を知った時に武器と防具を全て失った。その代わりを得ようと思えば多額の金が必要だった。
ソロでの迷宮探索でそれなりに稼いでいたナダだったが、日々の生活と妹への仕送り、それに冒険の経費で大部分が消えている。今の手元に残っているのはほんの僅かだ
それをナダはどうにかしたかった。
だからこの日は教会にも行かず、一日中迷宮に潜るつもりだった。その予定を変えるつもりはない。
ナダは朝食を終えた後に武器を持って、寮を出て冒険者組合に向かった。今日は休みなのかいつもの茶髪の受付嬢はいなかったので、別の黒髪の受付嬢に入場許可証を頼んでマゴスに入った。
あの日以来、ナダは幾度となくマゴスに潜っている。
青龍偃月刀を使っていた時と比べると、順調ではなかった。
マゴスで武器は簡単に錆びつく。普通の武器屋で買った武器なら尚更だ。だからナダは幾度となく武器を買い、迷宮に潜っている。これも全て陸黒龍之顎がくるまでの辛抱だと我慢しながら。
今日持っている武器は――グラディウスと言う剣だった。
刃渡りは50センチほどで、柄も含めると80センチほどしかない。剣としては短いだろう。先端は鋭く尖っており、通常の剣と比べると幅広で刃が分厚い。
同じような長さの剣と比べると重量が重たいので武器屋に売れ残っていた武器だったので、セール中だった。振りも悪くはなかったので、ナダは買ったのだった。
ナダがマゴスで進むのは以前とは違って、浅い層ばかりだった。
既に奥底への道は見つけたので、むやみやたらと奥に挑戦する意味がないのだ。あの場所は然るべき時に、信頼できる仲間と潜ると決めている。
今は金を稼ぐだけだ。
この日も殺しているのは魚人、あるいはバルバターナと言うモンスターだ。
かつて青龍偃月刀で殺すときと変わりはしない。
幅広の刃でモンスターの喉元を掻っ切り、胴体を切断するのだ。
それだけだ。
だが、グラディウスは青龍偃月刀と比べると随分とリーチが短い。魚人、あるいはバルバターナの爪を肌がひっかくことが何度もあったので、何度もナダは生傷を付けながらモンスターを狩っていた。
回復薬すら飲まずに。
その道中で何人かのパーティーとすれ違った。
行うのは会釈だけだ。
緊急事態でない限り、互いに干渉はしない。
それが冒険者の習わしであり、お互いの身と利益を守る方法である。
ナダはそれからもマゴスの浅層を巡り、魚人、あるいはバルバターナを狩って、カルヴァオンを集める。カルヴァオンを取るのは大きめの短刀だ。彼らの血は武器にはよくない。
同じ武器で刈り取ろうとは思えなかった。
マゴスの中は、湖の中の世界を見つける前と変わりはしない。
水が薄く張っている暗い洞窟だ。出現するモンスターも変わりはしない。魚人、あるいはバルバターナだ。
あれ以来、ナダは一度として湖に近づいていなかった。
危険性がよく分かっているからだ。
もう一度あの目に会えば、次は命がないかも知れない、と酷く恐れていた。水の底は暗く、冷たい。
目を閉じれば、いつでもあの光景を思い出すことができる。
迷宮内で身動きも取れずにモンスターに蹂躙されたのは初めての経験だった。自分がこの病を患っていなければ、生き残れなかったかも知れない。
トラウマになってもおかしくはなく、もしかしたら自分もこのマゴスに潜るのが恐ろしいと思っているのかも知れない、ともナダは思っている。
あんな目に会うのは二度とごめんだが、死にそうな目に会ったのは“あれ”が初めてじゃない。
そして前回も生き延びた。
恐怖は、ある。
だが、夢にまで見るようなほどではない。
心に灯すのは燃えるような殺意だけ。
奴らに借りを返すことは、ナダは心の中で静かに決めていた。
それは魚人、あるいはバルバターナを倒すたびに思いが募っていく。
今か、今か、と。
けれども決して湖には足を延ばさずに、この日行う事をもくもくと行ってからナダは帰路についた。
ナダは本日もそれなりのカルヴァオンを稼いだので、意気揚々と借りている宿屋まで戻って食事を取ろうと思っていたのだが、その途中で足は簡単に止められた。
「――ナダさん、どこに行くつもりなのですか?」
ニレナだ。彼女は道の真ん中でアンセムを伴ったまま立っていた。
いつもよりか涼しげな表情で、ナダへとにっこりの笑顔を浮かべていた。だが、それは口だけであり、目は全く笑っていなかった。
ああ、そう言えば、とナダは思い出す。
迷宮探索で忘れていたが、ニレナからの手紙があったと。
「よう、久しぶりだな――」
「ええ、そうですわね。わざわざナダさんの為にここからはるか遠いインフェルノまで行ってきた私に、労わりの言葉の一つもないのしょうか?」
「助かったよ、ニレナさん。これで冒険が捗る――」
ナダはニレナに近づいて肩を叩こうとしたのだが、その手を無言ではたかれた。
「一つ、ナダ様に紹介があるんです。メンバーもまともに集められないあなたに、ピッタリの冒険者を紹介しますわ――」
「誰だよ?」
「彼女です――」
ニレナは自分の後ろに隠していた女性を前に出した。
彼女は高いヒールをこつんと鳴らしながら、頭が一つ分ほど小さいニレナの前に出た。
長い黒髪の女性であった。身長は高く、手足が長い。彫刻のモデルのような美しい女性だった。目元が凛々しく、大きな胸を張っている姿は自信に満ち溢れている。その姿はまだ若いが、歴戦の冒険者と言えるだろう。
「久しぶりだな――」
ナダのよく見知った顔だったので、依然と同じ態度で言った。
「ニレナさん、まさかパーティーのリーダーって……」
長身の彼女は信じられない様子でナダを見ていた。
「そうですわ。ナナカさん、懐かしいでしょう? 元は同じパーティーメンバーです。きっと相性もいいと思いますわ」
ニレナはナダと彼女の間に、仲人のように立っていた。
彼女の名前は――ナナカ。
元アギヤのパーティーメンバーの一人であり、ナダの元同僚の女性だった。




