第十話 再会Ⅳ
「水の中……ですの?」
ニレナは顎を摩りながら悩んでいるようだった。
「ああ、そうだ」
「どうやって見つけましたの?」
彼女が聞いたのは興味からだろう。
迷宮内は隠された扉が多い。その殆どが小部屋であり、何もない場所が殆どであるが、中には下へ続く道や特殊なアイテムが落ちていることもある。
それを探す冒険者は多いが、見つける者は少ない。
人の盲点をつくように隠してあるのだ。
ナダも隠された扉を見つけた事は殆どない。
アギヤの時にポディエに潜った時も一度もなかった。そういった事に鋭い人間ではないのだ。
だが、見つける者は何度も見つけるという。
コツがあるのだと言うのだ。
実際にインペラドルでは隠し部屋の開き方が体系化されている。あそこは簡単に壁が崩れるので、隠し部屋を探したかったら壁を叩けばいいのだ。実際に壁を叩きながら歩く冒険者はほとんどいないが。
「たまたまだよ。足を滑らせて水に落ちると、水底に道を見つけたんだ。簡単だろう?」
ナダはおどけながら言った。
ニレナに全てを話す気にはなれなかった。
気晴らしのために湖にモンスターを殺しに行ったなんて、普通に考えれば自殺志願者だ。まともな頭じゃない。実際にあの時はどうかしていたと思う。
湖に落ちて頭が冷やされたからだろうか。
もうあんなことをしたいなんて、決して思わないだろう。
「湖に落ちていたなら沈んだんじゃありませんの? よく生きていますわね」
「知らないのか? マゴスじゃ鎧を着ない。ゴムのような服を着るんだ。水には沈まないぜ」
「そうなのですか。私はあまりマゴスに詳しくないので……なるほど。水の中に奥への道が」
ニレナは唸るように考えていた。
「見つからなかったのは当然だ。マゴスでは、モンスターは水の中から現れる。まともな冒険者ならそこに入ろうとは思わない。それこそドジを踏まない限りはな」
「そうですわね。怪我の功名ですわ」
「ああ、そうだな」
「それで、そこにあると言いましたが、そこに空気はありますの? 私はえら呼吸が出来ませんわよ」
ニレナは引きつった顔で言う。
氷のギフトの持ち主で、自由自在に氷を生み出せるとしても、どうやら彼女は水中で呼吸はできないらしい。
人だから当然である。
「ねえよ。水の中だ」
ナダは悪びれもなく言った。
水中だと呼吸ができないのは一緒で、今のままだと水底に行けないのはナダも一緒だった。
胸の病があったとしても、マゴスの深淵には行けない。
流石のナダも水の底でずっと息を続けて居られる自信はない。不老不死でも生きていられるという確証もなかった。
ナダはラルヴァ学園の学園長であるノヴァの言葉を思い出す。
この病は決して“無敵”ではないと。
死ぬ可能性もある、と。
もしかしたら水もその一つだと思うと、ナダは無策で底に沈む気にはなれなかった。
「私達は水の中に沈みますの?」
「ああ、攻略には必要だ」
「どうやって?」
「それを考えている。魚になる方法ってないかな?」
ナダはおどけたように言う。
現状ではマゴスの攻略にお手上げだった。
ナダは明るい顔をしているが、依然と同じくマゴスの攻略が困難な事に変わりはない。
もしかしたらこの病は水中にいても死なないかも知れないが、死ぬ可能性が一部でもあれば命はかけられない。
空気がないのは苦しいのは、ナダも一緒だ。
湖中では死ぬとさえ思った。
「ないですわ」
きっぱりとニレナは言う。
「だろうな――」
ナダは嘆息した。だが、どこか楽観視しているようにも見えるのだ。
「でも、水に潜る方法はある。そうでしょう?」
ニレナは含みがあるように笑った。
水の中を冒険する方法がないわけじゃない。
ナダもニレナもそれを知っているのだ。
「ああ、そうだ。ニレナさんも知っての通り、水のギフトを使えば水中でも自由で動ける。ある程度は水の抵抗も消せるらしい。実際に見た事はないけどな」
「ええ、その通りですわ。過去の英雄――サピルス様は迷宮に水を満たしてモンスターの動きを阻害し、その中で自由に動いたと言います」
サピルスは、アダマスと同じ時代に生きた過去の英雄の一人だ。
水のギフトを持っており、最強の名を冠した冒険者の一人。その偉業には様々な尾ひれがついていると言われているが、サピルスは水の中で魚以上によく動いていた、と言われている。
「でも、並大抵の水のギフト使いはそんなに長い事水中で動くことも出来ないし、パーティー全員に水の加護を与える事も不可能だ」
現代の水のギフト使いにサピルスと同じ芸当は不可能であるが、似たような事ができるギフト使いなら多少いる。
魚以上に動くことは無理でも、地上と変わらず動くことは出来るだろう。
「そうですわね。水のギフト使いに心当たりはありますの?」
「ない――」
ナダははっきりと断言する。
「あてはありますの?」
「今から探すつもりだ」
「行き当たりばったりですね」
「そんなパーティーに入ったんだ。後悔したか?」
ナダは嗤いながら言った。
「いいえ。私は計画性がない冒険に慣れていますから。イリスさんは冒険計画を立てるのがあまり好きじゃありませんでしたし。ナダさんはイリスさんとよく似ていますわ」
「そうだな――」
ナダは懐かしむように言った。アギヤの頃に無鉄砲な冒険をしたことは今となっては夢のようだ。
あの時の経験が自分に繋がっていると思う。今の冒険スタイルはきっと、良くも悪くもイリスから引き継がれたものなのだ。ナダはイリスの冒険スタイルで結果を出したから、否定する気はなかった。
「実は――優秀な水のギフト使いの事を一人、私に心当たりがありますわ。今はフリーで、冒険者もやめていますが、数か月前まで現役でした。いい人材だと思いません」
「名前は?」
「シィナです。元は王都で活躍していた冒険者で。今はこの町にいます。いいと思いませんか?」
シィナ、ナダはその名前の冒険者に心当たりはなかった。
初めて聞く名前である。
「流石だな。ニレナさんをパーティーに入れてよかったよ」
「私の事を、便利で使える女だと思っているのなら、殴り飛ばしますわよ」
ニレナは小さな右手で拳を作った。
確かに彼女は男に使われるような女ではない。どちらかと言えば、男を手玉に取る女である。自分やレアオンも、彼女の手の平の上で何度も踊った。だからレアオンも自分も進んでニレナとは連絡を取らなかったのである。
「ああ、そんな扱いはしないさ」
「ならよかったです」
ニレナは拳を解くが、ナダは右手の指を一本立てながら申し訳なさそうな顔をする。
「でも、一つだけお願いがあるんだ。実は俺は武器をなくしてな、迷宮に行くための武器は最新鋭の使えない武器なんだ。だからインフェルノに行って、俺に似合う武器を持ってきてくれないか? その鍵を使って――」
ナダはアギヤの保管庫の鍵を見つめていた。
あの中にはナダが使った武器も何本か入っている。その中には陸黒龍之顎もあり、かつてはナダの愛用の武器だった。青龍偃月刀にも勝るとも劣らない剣である。
「……ナダさん、やっぱり私はあなたを殴り飛ばしたくなりましたわ。いいでしょうか?」
「ああ、いいぜ。でも、それは武器を取って来てからにしてくれ。出来れば陸黒龍之顎で、一刻もはや――」
その瞬間、ナダの頭の上に大きな氷の塊が落ちた。




