閑話 イリスとニレナ
「ねえ、どうして私を呼んでくれなかったのよ」
唇を尖らせたイリスは、白いテーブルクロスがひかれた机を挟んだ場所にいるニレナに向かって机をたたきながら抗議している。紅茶が入っている花柄の描かれたコップが揺れた。
「イリスさん、はしたないですわよ」
だが、ニレナはイリスの挙動には目もくれず、持っているカップに視線を落としている。
「だから、なに?」
「私はどうかと思いますの。スカーレット家としての誇りはないのでしょうか? 私があなたにとって信頼できる相手で、この場には私達以外の誰もいませんが、それでも少しは礼儀を持ってほしいですわ」
現在、ニレナとイリスがいるのはニレナの自室だった。
普段ニレナが寝ている大きなベッドの横で小さな丸いテーブルを囲むように二人は座っており、机の上には生クリームがたっぷりと使われたイチゴのケーキが二人の前にそれぞれ用意されている。
イリスは小さなフォークを指してケーキを斬ると、大きな塊のまま口の中に入れてもぐもぐと口を動かしたまま不機嫌な様子でニレナに言った。
「ねえ、それで本当にナダは迷宮に行ったの?」
イリスが拗ねている理由は簡単だった。
イリスも当然ながら宝玉祭においてナダが王からの勲章を受けなかったことを知っている。だから彼女もナダの事を心配していたのだ。
ナダの詳細を聞きにニレナの家に行ったら、ナダが既に迷宮探索に出かけた後だと知らされたのだ。イリス自身もよく通っていた迷宮――インペラドルに。それもナダは深い階層に潜るという情報をニレナから聞いた。それなら自分も行きたかったと強くイリスは思っているからこそ、その不満をニレナにぶつけているのだ。
「ええ。どうやらナダさんも深い事情があるようで――」
「いつもの事でしょ? 冒険者が迷宮に潜るのに理由なんて関係ないわよ。迷宮があるから、冒険者として潜る。理由なんてあってないに等しいわ」
「……そうかも知れませんわね」
「それよりもナダはどこまで潜ったかよ? ニレナも知っているでしょ。私は、あの王冠を被ったはぐれと戦いたかったのよ。ナダと潜れば会えるかも知れない、と思ったのにー」
イリスは頬を膨らませながらニレナへと抗議している。
「どうやらナダさんは急いでいるようでしたから。私も断られましたし」
ニレナはどれだけイリスからうっぷんをぶつけられても変わらずに
「そうなの?」
「ええ。そうですわ」
「うーん、今から追いかけたいけど、きっとまた追いつけないから私は戦えないだろし、仕方ないわね」
イリスは諦めたように紅茶を飲んだ。
「そういえば、イリスさん、あなたはラビウムという人物をご存じですか?」
ニレナが口を開いたのは、ナダから聞いた過去の人物だった。
若干、目つきが厳しくなる。
「ええ、知っているわよ。冒険者にして、魔女。今でも彼女の作った組織はこの国に蔓延っているわ。私は入ってないから詳しくは知らないけど、優秀なギフト使いでしょ?」
イリスは自分が持っている記憶を言った
調べるまでもなく、イリスはラビウムという過去の人物を知っていた。
彼女は腐っても、大貴族の生まれだった。幼いころから英才教育を受けており、彼女が冒険者を志すことを決めた時には冒険者としての教育を受けた。その中にはこの国の歴史や数多くの冒険者についても習った。
その中には当然のようにラビウムの情報もあり、彼女がウェネーフィクスの創立者ということも当然のように知っている。
ウェネーフィクスとはギフト使い達が集まるクランであり、“魔術”と呼ばれるギフトの優れた使い方をクラン内のみで共有しているらしい、と。
「入っていないとは、ウェネーフィクスのことですわよね?」
「そうよ。残念ながら勧誘もされていないわ。ニレナはどうだったかしら?」
イリスは手をひらひらと振った。
「私はされましたわよ」
「いいなー。私にはそんな話は全くないわ。これでも珍しいギフトを持っているんだけど、どうやら彼らには私のギフトには興味がないみたいなの。私も“魔術”を使ってみたいんだけどね」
イリスは残念そうに笑う。
ギフト使いの中で、“魔術”というのは有名だった。
曰く、一般的なギフトよりも効率的で強力なギフトを使うことが出来ると。その術はウェネーフィクス内のみで共有され、外に出ることは一切ないという。
それこそ――大英雄たちがいた時代から。
「“魔術”ですか――」
ニレナは己の中で確認するように呟いた。
「ええ、そうよ。ニレナもよく知っているでしょ。ああ、そういえば入っていたんだった?」
「そんな話はありましたけど。断りました――」
「どうしてだった?」
以前にイリスはその理由を聞いたような気がするが、昔の事なので忘れてしまった。
「はあ、お父様の言いつけですわ。決してウェネーフィクスには入るな、とイリスさんはそのような事を言われなかったのですか?」
「残念ながら言われてないわよ。そもそもお父様は私に関わろうともしないわ。私の家って、ドライなのよね」
イリスが特に感慨もなく言った。
「……でも、おかしいですわね」
ニレナは思い悩むように顎をさすりながら考えている。
「何がよ?」
「アテナ様のギフトは大変珍しいですわ」
「……そうね。私以外にアテナ様のギフトを持っている冒険者なんて見たことはないわ」
「私も知りませんわ。現在はまして、過去においても殆どいませんわ。私はイリスさん以外では、アダマス様しか知りません」
「確かに私も私以外では知らないわ」
イリスはさらっと言った。
特に感動もなかった。
アテネのギフトはイリスにとって珍しいだけだ。もちろんギフトを一つだけ使えるが、そのギフトが本当に作用しているかは分からない。
もちろん負けたことがないから、勝利を授けるというギフトが作用しているような気がするが、筋力が上がったり、速さが上がったり、など具体的な効果がないのでイリス自身はアテナのギフト自体を信用すらしていなかった。
「ええ。ですのに、詳しい事情は知りませんけどウェネーフィクスはイリスさんに興味がない」
「ええ。どうしてなのかしらね?」
「知りませんわ」
強くニレナは言い切った。
「それで、どうしてニレナは急にラビウムの事が気になったの? 最近にウェネーフィクスに誘われたわけでもないんでしょ?」
「ええ」
「もしかしてラビウムのファンだったとか? 確か彼女は冒険者としても一流だから」
イリス自身はウェネーフィクスとしてのラビウムではなく、冒険者としてのラビウムのことは非常に尊敬していた。
曰く、至高の土のギフト使い。
過去において最強のギフトは何かと考えられていた時期がある。
一時期は雷のギフトが最も強力だと考えられていた。単体でも火のギフトと並ぶほどの破壊力を誇り、力、速さ、また反応速度をも上げることで味方への支援もでき、氷の場合は凍結だが雷の場合は痺れという状態異常にすることさえできる。
その万能性と、使い手が少ないことからかつては全てのパーティーが雷のギフト使いを望んだと言われているが、その状況をラビウムが変えた、と言われている。
これまで土を盛り上げて障壁を作ったり、土の弾を相手に打ち出すしかなかった土のギフトの使い方を変えた。
ラビウムの土のギフトは、迷宮の地形を変えることができた。
土を固めてモンスターの動きを止め、目の前に壁を作ってモンスターの行く道を閉じ、どんなに強力なモンスターであっても迷宮に穴を作って下の階層に落とすことができた。
それはラビウム曰く、魔術ではない、と言われている。
今の土のギフト使いにとって必須の技能であり、誰でも使うことが出来る。
だからこそ現代において、土のギフトが最強の一角だと言われているのだ。
「違いますわ。私はですね、ラビウムさんに会ったという話を聞いたのです」
「彼女は千年以上前の存在よ。それに今では使われていない名前ね」
「そうですわ。でも、彼女に会ったという人物を聞いたのです」
「誰なのよ、それ?」
「――ナダさん、ですわ」
「嘘でしょ?」
「いいえ。本当ですわ」
「彼女はもう死んでいるでしょ?」
「ええ。おそらく。彼女が“人であるならば”死なないとおかしいですわ。例えどれだけ長生きだとしても、千年も生きるなんて人の力ではありません。そもそもラビウムと名乗る人物は童女だったらしいですし」
人の最高寿命は百を少し超えるほどだとニレナは記憶している。
平均寿命となるともっと下だ。
それにラビウムは老人の姿ではなく、童女の姿だと聞いた。老いない人間などいない。
それがニレナの持っている常識だった。
「……もしかしたらウェネーフィクスの人たちは、ラビウムと言う名の少女を受け継がせているのかも知れないわね。そういう風習はどこにでもあるわ。優れた人物の名前は、同じ優れたような人物に引き継がせるというのは」
千年以上も続いているパライゾ王国の王も、同じく初代国王の名前を引き継いでいるという。
「ええ、そうかも知れないですわね」
「でも、そんな人物がどうしてナダに? ウェネーフィクスの関係者だとしたら、ギフト使いでもないナダに接触るのは変ね」
「それに病気も治してもらったと聞きましたわ」
「じゃあ医者なの?」
「さあ? あとナダさんに迷宮に潜れば欲しい物があるといったそうですわ」
「迷宮に詳しいということは冒険者なの?」
「さあ?」
「ふーん、謎ね」
「ええ。ですから、気になるんですけど、私はラビウムという人物の知り合いはいないです。名前も聞いたことがございません。イリスさん、あなたにはいますか?」
「いるわけないじゃない」
「そうですわよね――」
ニレナは深くため息をついた。
大貴族としての伝手と優れた冒険者としての人脈を持ち、裏の世界も少しは精通しているニレナでさえ、ウェネーフィクスの情報はおろか、ラビウムと名乗る童女の事も分からなかった。
似たような人脈を持っているイリスだが、彼女はまだ学生だからインフェルノに滞在している。だからこそ期待はしていなかったが、どうしたらラビウムの情報が手に入るのかと考えると、ニレナは頭が痛くなった。
そんな事をニレナが悩んでいる時に、イリスは何かを閃いたようで甘えるように言った。
「ねえ、ニレナ――」
「何ですの?」
「私たちも迷宮に行かない?」
「どうしてですか?」
ニレナは想像すらしていなかったイリスの言葉に耳を疑った。
「えー、だって、ナダも迷宮に潜っているんでしょ? もしもナダばっかりはぐれと戦っていたらずるいじゃない」
駄々をこねる子供のように言った。
「……そこは大人として我慢したらいいと思いますわ」
まるで子供に諭すようにニレナは言うが、イリスが止まる様子はなかった。
「嫌よ。私だって、はぐれと戦いたいんだもん! さ、ニレナ、行くわよ。私も武器を取りに帰らないと、ってさっきまでは考えていたのだけど、よくよく考えればこの屋敷には昔の武器があるわ。アギヤを今日だけ再結成よ!」
イリスは椅子を倒しながら立ち上がり、拳を振り上げて力の入った声で言う。
「ええ。本気なのですか……」
ニレナは諦めたように首を落とした。
それからニレナは執事を呼び、いやいやながらもイリスに付き合うために冒険の準備を始める。




