点睛は打たれる
「二人とも、お疲れ様。
どうやら首尾よくいったみたいだね」
エリーが落ち着くまでしばらくかかって。
それから、ゆっくりと時間をかけながら王城まで戻ってきた。
それでも、まだエリーの眼が赤いのは消え切っていなかったが。
それを見て何かを察したのか、リオハルトもゲオルグもそれについては触れなかった。
「うん、上手く、と言っていいかはわからないけど、最低限は」
そう答えるレティに小さく頷きを返すと座るように促し、リオハルト自身もソファに腰かける。
レティとエリーが並んで座るのを見計らってから、口を開いた。
「まずはこちらの状況から伝えようかな。
伯爵は洗いざらい吐いたよ、公衆の面前でね。
しゃべってくれたことは、こちらの下調べを裏付ける程度のものばかりだったから、面白味はないかな。
ああ、後同類も釣れたから、こちらもお楽しみ、かな、私としては」
にこやかに笑いながらそう告げるリオハルトに、一瞬言葉に詰まる。
多少緩和はされたが、まだまだ怒りは収まらないらしい。
「しかし……この『嘘感知』は大活躍してくれたけど……怖いね」
「……怖い?」
予想していなかった言葉に、レティが小首を傾げた。
「嘘は通じなくなる。けど、それで全てが良しとなるわけじゃない。
今度はしゃべらなくなるか、嘘ではない言い方を探るようになるか。
下手に使えば、別の歪みを作るだけだろうね、きっと」
レティから教えられ、王室書庫を探した結果見つかった魔術書。
それによって得られた魔術は、確かに使い方によっては強力だったけれども。
それだけに、使い方を考えてもしまって。
「下手したら、マリウスを亡き者にしたらいいやと思う者が出てきそうな予感さえするよ」
「陛下!? その、こう、なんと申しますか、もう少しおっしゃりようがあると思うのですけどもっ」
慌てふためくマリウスへと、すまない、と軽く手を振って済ませて。
それから手を組むと、自分に言い聞かせるように訥々と。
「だから、これからは正直に話すことでメリットが生まれるようにしたいね。
失態があっても、正直に話し相談することで対策が考えられる。
そんな状態になるのが良いと思うのだけど。
まあ、中々すぐには難しいだろうね」
理屈で考えれば、そうするのが合理的なはずなのだが。
残念ながら、人間は理屈だけで動くものではない。
それはリオハルトも良くわかっているから、性急にそれをするつもりはないが。
それでも。そう、心に刻んで。
さて、と空気を変えるように手を打ち合わせた。
「イグレット達の報告を聞かせてもらえるかな?」
促され、レティ達が報告を始める。
大筋では予想通り、魔族の正体などを聞くと若干の驚きはあったが。
ともあれ、滞りなく報告は終わった。
「ふむ……やはり、アマーティアが怪しい、か」
「密偵の増員準備はできていますが」
顎に手を当てて考えるリオハルトへと、ゲオルグが進言する。
さらにしばし、考えて。
「そうだね……危険ではあるけど、必要でもある、ね。
手配を頼むよ。くれぐれも、生還を第一にと厳命してくれ。それだけで意味がある状況だから」
「ええ、かしこまりました」
リオハルトの指示に、心得たとばかりにゲオルグが頷く。
うん、と一つ頷いた後。またレティ達の方へと振り返って。
「さて、と。
今回も、二人の協力に感謝する。
お互いの思惑が合致したが故の共闘ではあったけれども、こちらとしてもかなり助かったのは確かだからね。
報酬が欲しいと言われたら、喜んで出すけども」
その言葉に、レティとエリーは顔を見合わせた。
何か伺うような視線になったエリーへと、レティが頷いてみせて。
普段とまるで違う、おずおずとした様子でエリーが口を開いた。
「でしたら、陛下。……お願いがあるのですけど」
「うん、いいよ。できる限りにはなるけど、言ってみてよ」
あっさりと頷くリオハルトへと、感謝の意を表しながら。
続けて告げられた『お願い』にさすがのリオハルトもゲオルグも、言葉を失ってしまって。
「可能不可能で言えば、当然可能なんだけれど。
あの絵は、まあ、君たちのもの、みたいなものなんだし」
そう答えると、リオハルトはどうすべきか、としばし沈黙して。
「ただ、こちらも条件を付けさせてもらっていいかな」
「はい、もちろんです」
「ありがとう。じゃあ、ね……」
リオハルトが出してきた条件ももっともなものだったので、当然エリーもレティも了承した。
そうして、翌日のこと。
王城内の一室に、一同は集まっていた。
レティとエリー、リオハルトにゲオルグ、それともう一人。
リオハルトは、彼を宮廷画家の筆頭だと紹介した。
「これで全員揃ったし、じゃあ、始めてもらって構わないよ」
「はい、ありがとうございます」
室内には、イーゼルともう一つ。
額縁を外された、あの絵。
それが、イーゼルに立てかけられている。
その前にエリーが座り、パレットなどの画材道具を用意しはじめる。
そう。
エリーが望んだのは、あの絵に修正を加えさせてもらうこと。
それに対してリオハルトは、監修として宮廷画家を付けることを条件にした。
ないとは思うが、大賞を取ったような作品に対して変な修正を加えられたら困るから念のため、と。
それが表向きの理由だったことは、リオハルトしか知らなかったが。
「では、始めますね」
「……エリー」
若干緊張している様子のエリーの肩に、ぽん、とレティの手が置かれる。
ぴくん、とその肩が跳ねたのに、苦笑して。
「緊張しすぎ。……いつも通りに、ね」
「あ、は、はい! ありがとうございます!」
笑顔で言うと、うん、と一つ頷き、ポケットから何かを取り出した。
それは、あの時の絵の具が固まってしまったもの。
それを置くと、じぃ、と見つめてから。
ゆっくりと大きく息を吸いこむ。
頭の奥に、空気を送り込む感覚。
奥にあるしこりのようなものを、ゆっくりと、下の方へ。
そうしていると感じる、絵の具の匂い。
いつもの、懐かしささえ感じる匂い。
蘇ってくる、あの空気。あの熱気。
頭に、身体に、イメージが湧いてくる。
おもむろにパレットに手を取り、三色の絵の具を置いて。
筆を使って、それらを混ぜ合わせていく。
「……堂に入ったもんですな」
「そうだね、無駄な心配だった」
邪魔にならないように小声で、作業の様子を見ていたゲオルグとリオハルトが言葉を交わす。
慣れた手つきで絵の具が混ぜ合わされ、新たな色が生み出されていく。
この数日間、暇を見ては何度も何度も混ぜ合わせる練習をした。
お手本となる欠片と何度も見比べた。
やっと、きっちり狙いの色が出せるようになった、と思う。
作り出されたそれは、誰が見ても遜色のないもので。
まずは一安心、と小さく息を吐き出す。
「ほう、なんとも深みのある……どこに使う色なのでしょうな」
小さく宮廷画家が呟く。
そう、ここまでは大きな問題はない。
問題は、ここからだ。
この作り出した色を、どこに置くつもりだったのか。
どれくらいの範囲に置くつもりだったのか。
その答えは、もう、誰にもわからない。
であるならば。
「セルジュなら、どこに置いたかな……」
「師匠なら、どうしましたか、ね……」
置いていた欠片を手に取り、絵に向かってかざす。
この色が収まるべきなのはどこだ?
セルジュは、どこに置こうと考えただろうか?
問いかけながら少しずつ欠片を動かして、宛がっていく。
宛がいながら、思い出していく。
彼の配色の癖。
彼のこの絵に託した想い。
彼の意図した狙い。
技法を、思考を、追いかけていく。
「……ここ?
でも、本当に……? 間違いない?」
当てはまりそうな場所が、見つかった。
だが、正しいのか?
どんなタッチで?
迷いながら、じぃ、と画面を見つめる。
今の絵と。
この色を加えた絵とを、頭の中で見比べる。
そのイメージは、あの人が思い浮かべたものだろうか。
考える。思考する。比較する。検討する。
絵のイメージへと没入して、そこに刻まれた彼の痕跡と会話する。
『そこですよ』
そんな声が、聞こえた気がした。
おもむろに筆をとり、その声に、そして湧き上がった自分のイメージに従って、筆を動かす。
彼のタッチを崩さないように、イメージしたように。
それは、ほんの一瞬のこと。
広大な画面の、ほんの片隅の作業。
「……これで、いい、と思います」
気が付いたら、息が乱れていた。
気を抜いた瞬間に、どっと疲労感が襲ってきた。
……いつも師匠は、こんな集中をしていたのか?
そんな疑問が、浮かんでくる。
……ああ、まだまだ、だ。
それが、妙に嬉しかった。
「エリー、お疲れ様」
そう言いながらレティが撫でてくれるのに、身を任せる。
自分にできることは、やりきった。そう、言い切れる。
「絵を描くってのも、存外大変なもんなんですな。
俺ももう少しちゃんと見てやらにゃと思いましたよ」
「まあ、ゲオルグはそういう性格だろうしね。
さて、どう見たかな?」
リオハルトがゲオルグを茶化した後に、傍に控えていた宮廷画家へと声をかける。
画家は、は、と小さく応じると、食い入るように画面を見つめて。
「そうですな、置かれた色は元の色よりも柔らかで穏やかな印象を与えます。
技術的なところで言えば、特徴の一つであった極端なコントラストが弱まった、と言えなくもありません」
その言葉に、エリーは身を少し固くする。
もっとも、コントラストが弱まること自体は覚悟の上、だったのだが。
「ですが、今こうしてみれば、極端すぎたのかも知れませんな。
尖っていた、と言ってもいいかも知れません。
あの色が置かれたことで、安心して絵を受け止められる、そう思います」
それは、まさに狙っていたこと。
そして……そうであればいいな、と思っていたこと。
セルジュが、そう考えてこの色を作ってくれたのならいいな、と。
「……最後にこれは、個人的な意見ですが。
私は、こちらの方が好きです」
その言葉を聞いた瞬間に、一瞬息が止まって。
ゆっくり、ゆっくり、身体から力が抜けていく。
「解説をありがとう。
……そうだね、私もこちらの方が好きだな。受ける印象が違うことにも納得できたよ」
「俺は絵のことは良くわかりませんが、ちょっと書き加えただけで違う印象になることはわかりましたよ」
ああ。
自分がやったことは。
できたことは。
「うん。
私も、こちらの方が好き、だな。
本当にお疲れ様、エリー」
労いの言葉と、抱きしめてもらえる感覚。
ああ。
きっと。
間違いでは、なかった。
「レティさぁん……私、私ぃ……できました?
ちゃんと、絵を壊さずに描けました?」
「うん、ちゃんと、できたよ。
大丈夫、よく、やったよ」
抱きしめられたまま、画面を見つめる。
きっと師匠に比べたら、粗はあるのだろうけれども。
自分の精いっぱいの一筆は、その画面に馴染んでいて。
出したかった色を、風合いを、出せていた。
できたんだ。
そう、実感した瞬間に、涙がこぼれてきて、レティの胸に顔をうずめた。
喜びなのか、悲しみなのか、達成感なのか、悔しさなのか。
よくわからない感情が迸る中。
『よくできました』
そんな声が聞こえた気がした。
人の営みの中、築き上げられていくもの。
時にそれは不意に失われ、答えは永遠に闇の中。
その答えを、それでも求めるのは人のサガか。
次回:永遠の宿題
あるいはそれは、呪いにも似て。




