感情の馴らし方
「な、なんで師匠の絵が王城なんかに?」
「わからないけど……普通に貴族に売られる、わけじゃないとなると……。
いや、考えても仕方ないし、王城に行こう。
陛下や知ってる人に頼んで、絵を押さえるのが先」
「そうですね、まずはそれから、でも遅くないです」
マルダーニに思う所はある。
山ほどある。
むしろ筆舌に尽くしがたい程に、ある。
だがそんな個人の感情は後回しだ。
今はとにかく、あの絵を。
彼が人生を懸けて描いたあの絵を。
二人は、競うように駆け出した。
「ちょっと人使いならぬ王様使いが荒いんじゃないかな、二人とも」
王城について案内されたのは、やや奥まった場所にある小さめの一室。
にこやかに笑いながら、リオハルトがそこに入ってきた。
こうしてすぐに時間を作ってくれるあたり、本音ではないようだが。
「忙しいところに申し訳ありません、陛下」
「ごめん、ちょっとゲオルグじゃ頼りにならない案件かも知れなくて」
「おいおい、随分な言葉じゃねぇか、そりゃぁ」
立ち上がって口々に挨拶する二人に、護衛としてついてきたゲオルグが苦笑して返す。
確かに、厄介ごととなると自分では力になれないことも少なくないが、とも思いつつ。
そんなやり取りに笑みを見せたまま、リオハルトは二人の目の前のソファに座り、二人にも着座を勧めた。
「さて、ゲオルグじゃ頼りにならない案件、ということだけど。
……もしかして、『絵』が絡むかな?」
「……はい?」
「ちょっと待って、なんでわかるの。
……まさか、あの絵を、見かけたの?」
いきなり切り出された言葉に、エリーが目を丸くして固まり、レティが驚いたように眉を上げる。
しばらくして出てきた問いに対する返事は、頷きだった。
「うん、実は昨日ね。
イグレット、君が描かれているからびっくりしたよ」
「その絵は、その絵はどこにあるんですか!?」
「今は王城の保管庫に入ってるはずだけど……やはり訳ありみたいだね」
どうやら不審に思っていたらしいリオハルトに、二人がここまでのことを説明する。
話を聞くうちにゲオルグの顔は渋く歪み、リオハルトの笑みが深まっていく。
ひやり、と背筋が何故か寒くなってきた。
「そういうことか……おかしいと思ったよ、何しろ一目でイグレットだとわかったのに、君たちと縁も所縁もなさそうな、伯爵令息の作品として持ち込んでこられたからね。
だが、そういうことなら合点がいった」
「作品として、持ち込まれたって、まさか」
「うん、まさにその、私主催のコンクールへの応募作品として。
中々にふざけたことをしてくれるよね」
ひんやりと冷え切ったリオハルトの言葉に、がたっと二人が思わず立ち上がる。
その表情は、初めて見るものだった。
「何ですかそれは! 師匠の絵を盗んだだけじゃなくて、それで応募だなんて!!」
「ふざけてる……何なの、それはっ!
あの絵は、あの絵は、そんなことに使われていいものじゃないっ!」
怒りに震える二人は、国王の前であることも忘れて激高した。
護衛の騎士達は思わず身構えたが、当のリオハルトはその二人を咎めないものだから、動くに動けない。
ゲオルグの方を見ると、控えていろ、と目で合図されたため、仕方なく構えを解く。
「許せない……私、許せません! 誰ですか、その伯爵令息とやらは、教えてください!」
「二人の怒りはもっともだ。
私としても、この件に関しては厳正に対処する。
だから、それまで待ってはくれないかな」
掴みかからんばかりに身を乗り出してくるエリーに、リオハルトは硬い表情を向ける。
それで納得するわけもなく、二人は引かない。
「悪いけど、こればかりは、待てない。
私たちは私たちで好きにさせてもらう」
険しい表情を隠しもしないレティが、そう言い捨てた。
怒りのままに、席を立とうとした、その時。
「まあ待てって」
いつの間にか側に来ていたゲオルグが、レティの首筋を軽く手刀で叩いた。
大して痛くもないそれに、はっと身を固め、動きを止める。
「……ほれ。いつものお前なら、これくらい避けるか止めるかしてるだろ。
なんなら、俺の手を捻り上げるくらいまでやるわなぁ」
軽く笑いながら、身振りで実演までして見せて。
レティとエリーの視線が自分へと落ち着いてきたのを見計らって言葉を重ねる。
「だが、今は反応すらできなかった。
頭に血が上って、冷静じゃないのさ。そんなお前らが好きにしたとこで、首尾よくいくかね?」
問いかけに、二人は答えることができない。
どれだけ視野が狭まっていたか、実演された今となっては反論などできるはずもない。
すっかり意気消沈した二人へと、ゲオルグは少し柔らかい口調になって。
「怒るなとは言わん。それが力になることもあるからな。
だが、頭に血が上るのはだめだ。こいつは判断を狂わせる。
だからな、まずは大きく息を吸え。そいつを、頭の奥まで届けるように深く」
ゲオルグに促され、息を吸う。
少しだけ、頭が冷えるような気がした。
「頭の中に、熱いものがあるのがわかるか?
そいつをな、息を吐きながら、腹の底まで下ろしてこい。
直ぐには下りてこねぇから、何度も何度も、繰り返してな」
言われるがままに、呼吸を繰り返す。
頭の芯を支配していた熱が、ゆっくりと体の中を通り下腹に降りてくるような感覚。
それを何度も何度も繰り返すと、徐々に頭にかかっていた薄い膜のようなものが取り払われていく。
「おし、二人とも落ち着いてきたか。
……お前ら、怒りとの付き合い方下手そうだもんなぁ。
こういうやり方を覚えといて損はないぜ?」
そう言ってニッカリと笑うゲオルグを、二人はまじまじと見つめてしまう。
「ゲオルグ、たまには年長者らしいことするじゃないか」
「たまには、は余計ですなぁ、陛下!」
いつも通りの主従漫才を見ながら、二人は思わず顔を見合わせた。
少しだけいつもより硬かった顔が、元に戻った気がする。
「……ゲオルグを初めて尊敬したかも」
「私もです」
「聞こえてるぞ、二人とも」
彼は、そう笑い飛ばした。
「二人が落ち着いてくれたところで、話を戻そうか。
今回問題なのは、既に一度、伯爵令息の作品として受理されてしまった、ということなんだ。
つまり、公的には彼の作品になっている。
もし今、彼の身に何かあったら、悲劇の天才として名を遺すことになるだろうね。
何しろ、あの絵は群を抜いていた。多分、大賞を獲るのは間違いないから」
「……短慮が良くない、ということはよくわかりました」
リオハルトの説明が頭に入ってくるようになって、エリーもレティも、恐縮しっぱなしだ。
この状況で自分たちがやろうとしたことをやってしまったら。
想像すると、渋い顔にもなってしまう。
「それから、盗み出すのもなしだね。
その後そのセルジュ氏のものだと主張しても、誰も受け入れてくれない」
「凄く理不尽だけど、そういうことになる理屈はわかる……」
眉を寄せて仏頂面になるレティに、思わずくすっと笑ってしまう。
彼女がこんな表情を見せるとは、なんとも新鮮な気分だ。
とはいえ面白がってばかりもいられない。
表情を作り直し、咳ばらいを一つ。
「だからまず、あの絵が伯爵令息のものではない、と証明する必要がある。
もちろん私は君たちの証言を信じるけど、他の貴族たちは恐らく違うだろう。
となると、何某かの証拠の提示が必要だ」
「そんなの、一体どうやって」
むしろ証拠を残さない側だったレティとしては、どういったものが有効かいまいちピンとこない。
そんなレティに対して、リオハルトは笑みを見せた。
「うん、いいやり方があるよ。
折角だし、君たちも覚えていくといい。こういうやり方もあるってことを」
それは、底冷えのするような楽し気な笑みだった。
眩しい光。称賛の声。万雷の拍手。
全身に浴びるその日は、人生最良の日。
だがそれが、刃へと変わる時がある。
次回:貴族の作法
画家の始末に、刃物は要らぬ。




